ばあちゃんが、昨年のお盆前に、旅立った一周忌の供養をした。我が家は、浄土宗。お寺の名称は、「白土山 福寿院 宝国寺」。宗祖は、「法然」。本尊は、「阿弥陀三尊」。本来は、旅立った日に法事をするのだが、旅立がお盆入りに近かかつたので、今日法要をした。十四年の長かった在宅介護が、良かったのか、悪かったのかと、疑問が生ずるが、元気でいたときには、家に居るだった。これは、ばあちゃんの願望なので、良し。元気だったころのおしゃべりは、「死んだ方がいいべぇ」と言っていた。「悪かったのか」の疑問は、そのきわの延命措置をしなかったこと。ばあちゃんの願望の在宅では、そのきわの延命しないこととしていたので、そこは割りきれる。拒食状になった時に、点滴をしたので、それが延命措置だった。直接の介護はしていないので、とやかく言っても済んだこと。おしゃべりの相手をしていたころは、介護の世話をかけるのも、苦痛と思っていた。おしゃべりの相手も、介護だったと思う。あの世へは、自分では決められない。「じっちさんと、ばっばさんが、呼びにくるから、待ってなねぇ」と、言い聞かせしていた。「じっちさんも、ばっばさんも、さっぱり来ねぇなぁ」と、さびしげだった。ばあちゃんは、親の呼ぶ声をしっかりと聞こえたことだろう。画像は、お寺の蓮。