八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

仏頂面

2023年07月04日 15時58分29秒 | Weblog

前掲げに、仏頂面という言葉を書いた。ちょっと気になり、辞典をめくった。「仏頂」とは、「仏の頭の頂き」とあり、「肉髻の部分」とある。「髻」は、「髪を頭のうえにたばねたねもと」とある。仏教の言葉なので、あちらこちらをめくってみた。「仏頂尊の恐ろしい面相」とある。「密教でーーー」とあるので、「密教とは」と、また辞典をみると、「大日如来が自らの悟りのなかで、自らの悟りを楽しみながら説く、奥深い絶対の真理の教え」とある。ますます、分からなくなりました。仏頂面を、安易に使った言い訳をしようとしたが、言い訳には至りませんでした。仏様は、「如来」、「菩薩」、「明王」、「天」のグループがあると読んだ。仏様が、願いを叶える得意とする分野があるとか。拾い読みしてのをのせました。安易に使ってしまい、ご容赦のほど。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた所在なし

2023年07月04日 12時03分42秒 | Weblog

所在無しは、聞えがいいが、退屈をしていた。今回も、道具調べをしていた。画像の左にある紙箱の墨は、全く使えない。ずうーっと前に、海外旅行の土産だとで、頂戴をした。試しに、摺ってみたが、かんちかんちでダメ。ある時、文具店で、筆を選んでいたとき、知らない人が、墨のことで、海外で買ってきたが、摺れないと、話しかけてきた。飾っておくのにはいい。その時の立ち話で、筆も買ってきたが、穂先が硬くふぐしてみたら、ぽろっと落ちて、使い物にはなせないとか、話してた。海外のお土産品なので、土産の品なのだろう。画像の中ほどに、摺り減ったのがある。習字の塾の時に、硯で摺っていた。所属していた会の展、公募の展は、用紙が大きいので、墨液を使っていた。画像の桐箱で小さいのは、墨の大きさは小指くらい。これは、コロナ禍のまえまでの七年間、写経会に行った際に、心落ち着かせるときに、マウス大の硯で摺っていた。画像の箱入れは、未使用のもの。表題から外れことを書いてしまった。退屈とは、することが無く苦しむ。この歳になれば、体に聞きながらの生活。付き合いもなくなる。仏頂面をして、食事くらいの時に顔を合わすだけ。ラジオの音声を流し、冷風になでられてのごろ寝、うたた寝。これがいい。たまあーに行くスーパーも、ざわつく音。棚からは、小っちな画面から怒鳴り声にも聞こえる「いらっしゃいませ」。終われば、セルフレジへどうぞ。またまた、年寄の愚痴です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする