八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

避難で世話になった所から帰る日

2011年04月27日 16時35分05秒 | Weblog
最低限の、日常品を積みこんだ。仕事で使う車なので、かさばる寝具も、介護に使うマットレスも、積みこめた。車の軽油は、13リッタ-を前日に、給油できたので、残量とで、200キロは走れる。福島から4号国道を南下、途中、「軽油」と看板を掲げていたスタンドがあり、満タンに補給ができた。ひと安心で帰路を急いだ。49号をいわきにむかい、道の駅、ひらたで、ひと休み、暖かい山菜そばで、空腹を満たした。ばあちゃんは、車の中で、冷たいお茶と、おにぎりで、昼食にした。道の駅も、原発の心配もあるので、早終いになる。道の駅「ひらた」をでて、いわきのまでの距離の表示板を見て、ほっとした。いわきに方面に行く車の数は少ない。磐越自動車道は使えない。すいすいと、走れた。平に入って、避難で世話になった所の兄弟が、避難をしていないのは、知っていたが、電話が通じないので、、声をかけるよう、たくされたので寄る。目に見えない放射線を心配するだけで、「どうでした」って云うだけだ。勿論、元気だ。今回の原発のことで、即、体に異常は出ないのは、知っているのだか、不安をつのらせてしまう。旅装をといて、すぐに市役所に、広報の資料を、取りに行き、コピ-をして、22軒に配布してまわる。* 食事で困っているひとへ。* ごみの収集。* 水道の復旧。* 給油所一覧。* 放射能測定値。その他7枚の広報だった。当いわき市には、80箇所の避難所があり、津波の被害を受けた人々が避難をしている。原発からの避難してきた人々もいる。当町内会には、自主防災会が組織してあるが、ただ紙に組織があるだけ。町内会からは、給水場所とか、食事の配布の場所などの、連絡もない。以前に、町内会に携わっていたとき、災害時の情報の入手の方法を聞いたが、返答ができなかった。小生は、個人的に、市からの防災について、資料を残していたので、ちょつとは知っていた。四月になって、町内会の総会があったが、小生には、連絡がない。おかしな町内会だと、とうの昔にあいそをつかしている。
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