八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

原発の怒りの終息を祈る。

2011年04月05日 16時08分48秒 | Weblog
原発の怒りかと思うほどだ。懸命な作業に感謝している。必ずや、治まると信じている。15日の続き。ちょつと認知症のばあちゃんは、家中ばたばたの異様な様を感じて、大声でわめき、体を硬直させて、着替えがなかなか出来ない。車椅子に、安全ベルトを締めた。冷蔵庫のものを、買い置きを、水を、オムツを、薬を、夜具を、おにぎりを、介護マットレスを、荷物室に。車椅子は、車を横付けして乗せるつもりが、慌てて、地面からとしたが、乗せ切きれず、隣人の手を借りた。15時過ぎに一旦走り出したが、携帯電話を取りに戻り、16時前になってしまった。街の中の国道の信号は、ずうぅっと、ずうぅっと先まで見えた。三和トンネルの手前で、渋滞。もどかしく思い、トンネルを出て、車列は流れた。郡山との、中間点あたりで、また、渋滞。エンジンを切って、前方をうかがっていた。対向してきた車を止め、スタンドで給油をしていると、教えてくれた。18時も過ぎ、暗闇になってしまった。一台分ちょろり、また、ちょろり、スタンドを過ぎて、流れ出した。雨がふってきた。ひらたの道の駅に。ごったがえし、やっとのおもいで駐車。トイレを使って、妻も娘も、安堵した。「そうだ、ばあちゃんも食べてない」。冷たい、おにぎりとお茶を、薄暗い車の室内灯の中で、お昼ご飯になった。車の中で、どうなってしまうか心配をしたばあちゃんだが、「ほらっ、車がきたぞおぉ」って。後部座席から、たまぁに、すれ違う車を、注意してくれた。濡れた路面に、赤いテ-ルランプが続いた。あと2時間かぁって、左手におにぎり。雨の路面を見こらして、急いだ。郡山から、福島に向い、国道は、車が行き交っていた。福島までの、距離の表示板に、ほっとした。走行中の現在地を、連絡して、ひと安心をした。救援の大型トラックなのか、何台も走行していた。当座のものを、車からおろし、夕食になった。出発して、車の中でも、上品なばあちゃんで、世話になる、ばあちゃんの娘の家。「よくきたねぇ」って、声をかけられると、「お世話になります」っと、変わって、挨拶してくれた。画像は今回と関係がないある日のもの。
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