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西南戦争と東学農民戦争

2018年12月12日 | 日記
 NHKの大河ドラマ「西郷どん」はクライマックスの「西南戦争」の場面へ。
明治10年、1878年、薩摩士族の不満をバックに「反政府」の
闘いに決起した西郷隆盛。圧倒的な政府軍の近代兵器の前に敗走。
最後を迎える。発端は明治6年の政変と言われる。
政府内の「征韓論」で敗れて下野。
江戸幕府を倒し、新政府を樹立して間もないのに、隣国朝鮮を制圧しようとする
動きに、西郷は「いきなり武力ではなく、まず、特使を派遣して」との立場であった。
 いずれにしても、欧米列強に抗して、日本も朝鮮、中国を支配下に置き、
対抗すべしとの考え。
 西南戦争から16年後、日本は日清戦争を仕掛け、朝鮮を支配下に組み込んでいく。
1894年~95年のことである。この時、朝鮮では東学農民戦争が起き、
李氏朝鮮王朝に対する農民の反乱が大規模に発生。
日本は朝鮮農民の反乱を武力で一掃。清国兵も追い出し、名実ともに朝鮮を支配下に。
日清戦争と言うものの、最大の犠牲者は朝鮮の農民民衆であった。
 農民の解放を目指した東学農民戦争はインドのセポイの乱、
中国の太平天国の乱とともに、近代アジアの三大民衆蜂起の一つと言われている。
 それに比べると、西南戦争は士族の反乱であって民衆の反乱ではなかった。
日清戦争以後、1945年の第二次世界大戦敗戦まで
日本は侵略戦争の道を突き進むことになる。

「もう一つの日清戦争・・・東学農民戦争」の歴史を訪ねる韓国への旅。
ふとしたきっかけで参加することに。有意義な旅であった。



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