ゆきよ@まにら。
絵本「ラチとらいおん」は、ラチという子どもが、小さな赤いらいおんに励まされて、だんだん強くなっていく(エンパワーされる)お話しである。というか、ラチが自分の中にある強さに気づくプロセスを描いているともいえる。「らいんおんがついていなくても、ラチは強かったのです。」
このらいおんの役割は、ICANの開発事業の仕事にちょっと似ているところがある。社会的政治的経済的に「弱い」と信じられているコミュニティのお母さんたち、子どもたちに寄り添い、「いち にっ さん! いち にっ さん!」と一緒に訓練をする。訓練は、栄養について学ぶ保健教育セミナーだったり、表現力を高める演劇ワークショップだったり、売れるお菓子をつくる技術訓練だったり、いろいろな形がある。ICANの「地域開発プログラム」や「ノンフォーマル教育」は、らいおんのように「強くする」→エンパワーする場をコミュニティ住民や子どもたちに提供する仕事である。
「できない」と、しり込みする子どもに「じゃ、一緒にやってみよう」と誘いかける。「きっと君もできるよ」とはげます。すると、少しずつ「できること(ICAN)」が増えていく。ラチが、女の子を連れてこわい犬の前を通りすぎることができ、暗い部屋にクレヨンをとりに行くことができ、いすも持ち上げられることができるようになったように。そうしていつしか、ラチがらいおんとすもうをとって、とうとう勝ったように、私たちの想像を超えた力をコミュニティの人びとや子どもたちが発揮するようにもなる。
でも、ICANはらいおんに似ているけど、決してらいおんではない。だいたいらいおんのように、いきなり「どうだいぼくは強いだろう、君を強くしてやるよ」と言って現れない。気がついたら、そこにいて、さりげなく背中を押しているような形でないと、事業はうまくいかない。存在感が大きいといけない。それに、ICANはらいおんのようにかっこよくない。力をつけたラチに置手紙を書いて去っていくような、ICANはそんなドラマチックな英雄ではない。ICANとコミュニティあるいはICANと子どもたちの関係は、もっと相互的である。らいおんがラチに力を与え、ラチがそれを受け取るという一方的な関係ではなく、ICANもまた、コミュニティや子どもたちから力をもらっている。たくさん学んでいる。
らいおんはラチの「弱虫」という問題を解決するために現れたオタスケマンだが、ICANの場合、ラチの問題は、彼個人だけの問題ではなく、らいおん自身の問題でもある。コミュニティの問題、子どもたちの問題は、ICANの問題でもある。ICANにかかわる私たちひとりひとりの問題でもある。同じ地球上にいまここに存在するあなたの問題は、決してあなたひとりの問題ではない。私の問題でもある。あなたの問題は私につながっている。だから一緒に取り組もう。ラチとらいおんの間には共有された問題があり、それをともに解決するためにお互いに強くならなければならない。だから、ICANはらいおんではない。むしろICANもICANに関わる私たちひとりひとりも、ラチなのである。
私たちもまたらいおんのように強くなって、飛行士になれるだろうか。一緒に空をとべるだろうか。
―人びとの「ために」ではなく、人びとと「ともに」―
みなさんも子どもたちやICANと一緒にラチかららいおんになるプロセスに参加しませんか?
絵本「ラチとらいおん」は、ラチという子どもが、小さな赤いらいおんに励まされて、だんだん強くなっていく(エンパワーされる)お話しである。というか、ラチが自分の中にある強さに気づくプロセスを描いているともいえる。「らいんおんがついていなくても、ラチは強かったのです。」
このらいおんの役割は、ICANの開発事業の仕事にちょっと似ているところがある。社会的政治的経済的に「弱い」と信じられているコミュニティのお母さんたち、子どもたちに寄り添い、「いち にっ さん! いち にっ さん!」と一緒に訓練をする。訓練は、栄養について学ぶ保健教育セミナーだったり、表現力を高める演劇ワークショップだったり、売れるお菓子をつくる技術訓練だったり、いろいろな形がある。ICANの「地域開発プログラム」や「ノンフォーマル教育」は、らいおんのように「強くする」→エンパワーする場をコミュニティ住民や子どもたちに提供する仕事である。
「できない」と、しり込みする子どもに「じゃ、一緒にやってみよう」と誘いかける。「きっと君もできるよ」とはげます。すると、少しずつ「できること(ICAN)」が増えていく。ラチが、女の子を連れてこわい犬の前を通りすぎることができ、暗い部屋にクレヨンをとりに行くことができ、いすも持ち上げられることができるようになったように。そうしていつしか、ラチがらいおんとすもうをとって、とうとう勝ったように、私たちの想像を超えた力をコミュニティの人びとや子どもたちが発揮するようにもなる。
でも、ICANはらいおんに似ているけど、決してらいおんではない。だいたいらいおんのように、いきなり「どうだいぼくは強いだろう、君を強くしてやるよ」と言って現れない。気がついたら、そこにいて、さりげなく背中を押しているような形でないと、事業はうまくいかない。存在感が大きいといけない。それに、ICANはらいおんのようにかっこよくない。力をつけたラチに置手紙を書いて去っていくような、ICANはそんなドラマチックな英雄ではない。ICANとコミュニティあるいはICANと子どもたちの関係は、もっと相互的である。らいおんがラチに力を与え、ラチがそれを受け取るという一方的な関係ではなく、ICANもまた、コミュニティや子どもたちから力をもらっている。たくさん学んでいる。
らいおんはラチの「弱虫」という問題を解決するために現れたオタスケマンだが、ICANの場合、ラチの問題は、彼個人だけの問題ではなく、らいおん自身の問題でもある。コミュニティの問題、子どもたちの問題は、ICANの問題でもある。ICANにかかわる私たちひとりひとりの問題でもある。同じ地球上にいまここに存在するあなたの問題は、決してあなたひとりの問題ではない。私の問題でもある。あなたの問題は私につながっている。だから一緒に取り組もう。ラチとらいおんの間には共有された問題があり、それをともに解決するためにお互いに強くならなければならない。だから、ICANはらいおんではない。むしろICANもICANに関わる私たちひとりひとりも、ラチなのである。
私たちもまたらいおんのように強くなって、飛行士になれるだろうか。一緒に空をとべるだろうか。
―人びとの「ために」ではなく、人びとと「ともに」―
みなさんも子どもたちやICANと一緒にラチかららいおんになるプロセスに参加しませんか?
成長したラチのように、フィリピンの子どもたちやお母さんたちがなりますように。
私たち会員の力は、らちのように小さいですが、気持ちの面では、ラチを応援する「小さな赤いらいおん」であり続けようかと思います。