住民の、意識の間隙をぬって進める「原発再稼働」の狙い
本日も、昨日に続き原発問題に触れてみたい。
昨日、わが市の6月市議会の開催を前にした会議に参加した。補正予算の審議を主要な議題とする議会ではあるが、当然にして徐せん問題も討論になるだろう。
徐せんの実施が叫ばれてから久しいがその進捗度は鈍い。徐せん作業者の確保が困難というのが大きな理由であると説明されている。よく見ると県外ナンバーの車両が目につく。
この徐せんには、地権者の同意が必要である。しかも、その所有が「共有名義)であれば、その双方の同意を必要とする。その同意が得られないというケースが多くなりつつあるのも原因の一つとなっている。10軒の家屋がある。この例を紹介すれば、そこで同意をしたのは5軒。内持ち家が2軒、3軒が不在地主の貸家である。同意をしなかった5軒すべてが持ち家である。ここでも明らかなように、徐せんをしてそこから出た廃棄物を敷地内に埋設(平均して2〜3メートル平方)されるのでは困る。それが大きな理由である。全員の同意がないこともあって、私道である通路は側溝を含めて徐せんはできない。このような事実は今後も拡大するだろう。つまり「仮置き場」が決まらないからである。
前記の会議であるが、放射能問題について「仮置き場の設置を急ぐ」が発言の口火となった。しかし、討議はもっぱら「低線量1ミリシーベルト/年」をめぐる実現の可否、そして甲状腺がんをはじめとする健康不安の論議に終始された。住民の関心は、もっぱら徐せんであり、健康不安であるが、それだけで済むのかという危惧を持つのが次の理由である。
本日の朝刊(地方紙)をめくる。そこには中間貯蔵施設の建設と、減量施設の建設についての住民説明会の報告が記されている。この中間貯蔵施設であるが容積が決められている。県内から集める廃棄物は東京ドームの23杯とも言われている。それとて見通しがつかない。当然にして、減量化を図らなければならない。それが減量施設である。さらに、「一歩進んだ仮置き場」とも言われる「管理型処分場」の設置がある。これら全てが、住民の同意を得ることが困難であるという報道になっている。八方塞がり、前に進まない。
しかし、一方では、避難地区の自治体が、首長を中心に「住民の帰還実現」に向けた取り組みが進められている。確かに一部で帰還者も実現している。狭い仮住まいから大きな我が家へ。だが、それは高齢者であり、家屋の損傷が少なかった家である。多くが「戻れない、戻らない」。この3年を超える期間は、新しい生活の道を求めても不思議ではない期間を意味する。
そして、政府の姿勢に危険を持つ。この帰還方針に対する全面的な後押しである。「福島から学び、福島を繰り返さない。福島の復興が無ければ日本の成長はない。その成長のためにも、二度と再び繰り返さない万全の体制で原発を再稼働する」ここに狙いがあると考えるがどうだろう。
健康不安も徐せんにも取り組まなければならない。また重要な課題である。しかし、その道は長く困難が伴う。さらに補償問題がともなえば、尚のこと住民間の対立と混乱が生じる。全国的な風化もある。その間隙をぬって進められる政府の「原発稼働容認」の巧みな動きに私たちはどう対処するのか。
あらためて考える必要があり、その時期にあるのではないかと提起したい。