「おそれ」の文言を、修正して済むことなのか。集団的自衛権の行使容認

2014-06-22 11:39:15 | 日記

   「おそれ」の文言を、修正して済むことなのか。集団的自衛権の行使容認

 

前回20日のブログに、南相馬市の市議会において、「集団的自衛権の行使」をめぐる憲法解釈の強行に「ノー」を示す意見書が可決されたことを書いた。

そのブログ内容と重複するが、毎日新聞の記者は、署名付きで「自民市議によると、被災地感情として、自衛隊員が戦闘行為に巻き込まれないでほしいとの思いが強い」ということを書いていた。そこで、議長宛てに提出された「地方自治法第99条の規定による意見書」を取り寄せ記載を確かめた。

その内容を紹介する。「・・・・前文・・・略。本市は、大震災と大津波及び原子力災害による甚大な被害を受けているが、自衛隊の災害派遣・支援によって大いに助けられたところである。特に福島第一原発から30キロ圏内、20キロ圏内にいち早く捜索に入るなど、国民と国土を守るために身を挺したことに、心から敬意と感謝を表している。その自衛隊員が海外に出て行って武力を行使することは到底容認できない。よって政府に、集団的自衛権の行使を容認しないよう強く求める」。

この時期にあって、そして日本の自衛隊が、本来の任務とする専守防衛に徹するという本分を貫くことを求めた被災地の議会の決定は、重いものがあると受け止める。

しかし、一方、この自衛隊の上級幹部であった元海上自衛隊幕僚長・古庄幸一氏は明確にそのことを否定している。それが次の言葉である。

「軍事的合理性から言えば、専守防衛などはありえない。やられるという恐れがあったら先にやらなければ国民を守れない。これは世界の常識です。『やられてから、やりかえす』では遅いのです。『おそれの元』をさきにたたかなければなりません。」と。「例えば仮の国がミサイルの発射を準備し、着手の段階にあれば、そこを叩くことを意味します」。(6月19日フジテレビ・プライムニュース)

司会者が古庄氏に求めたのは「現場の最高責任者であった幕僚長」へのものであり、それに対する答えである。背広に着替えた、元制服幹部のこの答えをどのように見るかである。

今、自・公間で閣閣議決定にむけた討論がされている。何か公明党がキャッチングボードを握っているかの報道がされている。その根拠の一つに「『おそれ』の文言を『切迫した事態』と修正せよ」というのがある。これは、まさに言葉の遊びであるとしか言いようがない。

思い出してみよう。1999年に成立した有事法「周辺事態法」である。そこには明確に記載をされている。武力攻撃事態とは「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態、または事態が緊迫し武力攻撃が予測されるに至った事態をいう」とされている。(武力攻撃事態法案第2条【武力攻撃事態の定義】)

また、盛んに使われる言葉に「調整」というものがある。これも気に食わない、馴染めない表現である。隣組や親睦会のやり取りの調整ならわかる。しかし、それが政治問題の「政党間」で、そのような調整のやり取りで済むことなのかとなる。

文言の調整で、集団的自衛権の行使が容認され、それの法的裏付けとして「憲法解釈の変更」が成立したとすれば、それに加担した公明党の責任は免れない。党の歴史的汚点として残ることになるだろうと言いたい。

それにしても、「蚊帳の外」にある野党の存在、そして私たちがあまりにも静かでありすぎる。そこが、自らの身においても強く反省するところである。