東電の安全管理に不安をもつ・二名の死亡災害を考える

2015-01-21 15:10:32 | 日記

  東電の安全管理に不安をもつ・二名の死亡災害を考える

 

  1月10日のブログに「福島第一原発の災害増大に思う・危険と背中合わせ」ということを書いた。

  そして、今般2名の死亡災害が発生した。(1月20日)事故の詳細は不明であるが、基本作業が守られていなかったことは事実である。それが作業者本人の不注意によるものとするなら、一寸まてよと言わなければならない。

  まず一人は「高所作業床からの墜落災害」(高さ10メートル)である。東電の管理者は「なぜ安全帯を使用していなかったのか」と述べ、首を傾げている。高所作業とは高さ2メートル以上の作業床で作業する場合を言う。事業者は「墜落防止の手すりを設け、労働者には安全帯を使用させなければならない」となっている。その実施義務は原則として事業者に求められているのにもかかわらず、日常的な指導・徹底が省略されていなかったかが問われるだろう。

  また、もう一人は「挟まれは災害」である。重量700キロの容器の重心はどこにあったのか。重心の位置によって左右に振れる、傾く。あるいは回転するということは当然のことである。止めていたボルトを緩めるということは、容器が移動することを意味する。だからクレーンで吊ることが必要であった。しかし、そのことを省略してしまった。

  このどちらの災害死に対しても、東電の管理者は「首を傾げ、何故対策を講じなかったのか」と述べているが、そのこと自体に安全統括管理責任の立場にある東電の常識を問いたい。

  作業員の急増が要因の一つだという。それでは「雇い入れ時の安全教育」及び「入場者教育」の実施はどうであったのか。作業変更時も含めた「始業前安全ミーテング」はなされていたのか。作業手順書が整備、徹底されていたのか。統括安全管理者による「安全協議会」が実施されているのか、などなどを明らかにしなければならないだろう。

  以前から言われていたことであるが、「電力会社は売電会社である。工事に対する技術の蓄積がない」と。その意味では東電も同様であろう。とりわけ、現地収束作業は建設・土木を中心としたものになっている。その中で特に安全管理の蓄積は少ないことを東電管理者は知るべきではなかろうか。

  当該作業場はまさに「荒れた現場」であろう。「昨日は何事もなかったのに、何故」の言葉は通用しない現場であり、何時、何が起きても不思議ではない。さらに原発事故後の現場であるだけに、一寸した不注意による事故が、大変な災害に結び付きかねないという危惧が常に付きまとう。それだけに徹底した未然防止策が求められる。

  あらためて再度提起したい。現場の労働者の皆さん、決して事故を隠さないでください。些細なことでも報告する勇気を持ってください。

  そして現場管理者の皆さん。労働者が、自由にそして安心して報告できる職場の雰囲気づくりに努めてください。報告が大事にされる習慣をつくってください。

「悪夢」を招来させてはならないためにも。