幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

在日中国人向けの不動産購入セミナー盛況、本国の富裕層も視野

2010年06月05日 | 中国問題
サーチナ6月4日より)

  日本温州総商会(事務局・東京都台東区)などによると、4月14日に東京都新宿区内で開催した、主に在日中国人を対象にした不動産購入セミナーは、予想以上の大盛況だった。同様のセミナーは6月19日に、大阪でも開催。同商会は近い将来に、中国在住の富裕層の目を日本の不動産市場に向けたい意向だ。

  4月14日のセミナーは不動産コンサルタントの野中清志氏を講師に迎え、在日中国人に不動産の購入や投資に関するノウハウを紹介。HSBCの専門家も出席して、同行が2009年に始めた新たな不動産ローンを説明。日本における不動産ローンは通常、日本国籍者か永住資格保持者を対象にしてきた。HSBCの新しい不動産ローンでは、永住資格などがなくとも、1000万円以上の金融資産を持つ在日外国人ならば、融資の対象になる。

  セミナーには約130人が出席。会場は満席状態で、出席者から具体的な質問も次々に出されるなど、盛況だったという。6月19日には大阪市内で同様のセミナーを開催する。

  7月から、中国人に対しての観光ビザ発給がさらに緩和される。日本温州総商会は今後、中国在住の裕福層を招くなどで、日本の不動産市場に対する潜在的ニーズを掘りおこす考えだ。

天安門事件元学生リーダー来日、中国大使館侵入容疑で逮捕 中国帰国の狙い

2010年06月05日 | 中国問題
大使館侵入容疑で逮捕、ウーアルカイシ氏か


勿忘六四-1989年6月4日-天安門事件-北京紀?片

ウーアルカイシ氏の姿も。

RFUJ ウーアルカイシ氏から日本のウイグル支援者の皆様へ


【大紀元日本6月5日】6月4日午後、1989年6月の学生民主運動の元リーダー、ウアルカイシ氏が、東京都港区にある中国大使館に侵入した容疑で、警視庁麻布署に身柄を拘束された。21年前に中国当局に指名手配された同氏は、中国に帰国して潔白を証明するために、現在台湾在住の同氏は最近来日し、中国大使館を訪れて自首しようとしたが、対応を得られないために強行突入をはかったという。


中国大使館に強行突入しようとするウアルカイシ氏。柵の前で警察官に取り押さえられている(大紀元)



 1989年、当時の大学生は政治改革を求めて、全国各地で大規模な学生民主運動を起こした。6月4日、中国政府は天安門広場に集まっていた大勢の大学生に武力弾圧を行い、多くの若者が亡くなった。当時学生リーダーだったウアルカイシ氏は中国当局に指名手配されたが、難を逃れ米国に亡命した。

 その後、同氏はハーバード大学を卒業、台湾に移住した。

 同日朝、中国大使館の敷地内に突入する前に、同氏は柵の前で取材に応じた。祖国に帰るためにこれまで度々中国政府の在外公館に帰国許可を求めたが拒否され続けた。今回、在日中国大使館に自首することを決意して来日したという。


在日中国大使館を訪れ、自首しようとするウアルカイシ氏(大紀元)

「柵の内側は中国領土、外側は日本領土。日本の警察にこう告げられました。私はいま、この境界線に立っています。まさにこの一本の線が、私と祖国を離れ離れにしています」

 帰国したい理由について、「すでに21年間、両親、兄弟にずっと会えないでいます。家族に会いたい、中国政府と対話したい、それが実現できるならば、例え、自首しても構わない。逮捕されても監禁されても構わない。だから、私は今日、自首しに来ました」と語った。

 自首しようとするウルカイシ氏は、大使館からの対応を得られなかった。午後2時半頃、同氏は大使館前の柵を乗り越え、大使館に強行突入しようとしたが、警備する麻布署の警官に取り押さえられて、身柄を拘束された。


日本を「劣化」させたくない

2010年06月05日 | 民主党政権
産経新聞6月5日より)


【くにのあとさき】

 日本の政治家はおそろしく内向きである。国内政局では権謀術数の限りを尽くすが、詭計渦巻く外交の場では影が薄い。まして、4日開幕した韓国・釜山の国際会議場には、わが日本の財務相だけがいなかった。

 主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議である。実はこの日、財務相だった菅直人新首相だけではない。世界市場の安定を目指す大事な会議なのに、開幕時に補佐役の副財務相も政務官もいない。

 5日は日本が15年ぶりに議長国をつとめるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の貿易担当大臣会合も、ぎりぎりまで不透明であった。

 戦時と平時で異なるとはいえ、民主党が好きな英国の政治指導者は国益を何よりも優先する。

 1945年7月、英米ソが日本の降伏条件を協議するポツダム会談で、チャーチル首相は総選挙のさなかに出席した。保守党の党首であるチャーチルは、万が一の敗北を考えて野党・労働党党首のアトリーを代表団に加えている。

 開票結果は保守党の惨敗であった。アトリーはポツダム会談への出席ですべてを掌握していたから、外交の継続はかろうじて確保されていた。やはり、日英の指導者が抱く国家意識の違いだろう。国益より党益を優先しては、日本そのものが劣化する。

 今回の「鳩山おろし」も、失政続きの鳩山政権では「国を危うくする」との危機感からではなかった。民主党には自浄作用などハナからない。

 鳩山由紀夫首相が母親から巨額資金を提供されても、小沢一郎幹事長が政治資金を扱う元秘書3人が起訴されても、党内から辞任要求すら出ていない。

 ところが、議員がもつ生存本能が覚醒(かくせい)されると、メガトン級の力が噴出する。日教組出身の輿石東参院議員会長と自治労出身の高嶋良充参院幹事長が先陣を切ったのはさすがだ。労組のプロだけに職を失う怖さを知っている。

 有権者の怒りと違って議員の動機は不純だ。勢いあまって親分筋の小沢一郎氏まで、結果的に道連れにしてしまった。「鳩山おりれば、小沢までも」である。

 動機が憂国でなく雇用だから、政権公約への反省が少ない。鳩山政権の8カ月は、日本の繁栄と安全のために何が良くて何が悪かったか。検証がないまま、数日でバタバタと新首相をつくった。

 コラムニストの山本夏彦さんはかつて、高校全入を「浮薄の拡大だ」といったが、高校授業料無償化はその最たるものだ。自分の食い扶持は自分で稼ぐという自立の精神をそぐことになる。

 民営化の流れに逆行する郵政関連法案に至っては、衆院でわずか6時間の審議で強行採決している。ここは菅民主党が改心し、党名通りに「民主」的な手続き重視の党であることを望む。

 鳩山首相の“功績”は、駐留米軍がもつ抑止力にめざめたことであった。普天間飛行場を辺野古へ移設する日米合意現行案の微調整を決断した。

 菅氏が「本土移転」に傾斜しないことを祈るばかりだ。新首相のいう本土とは日本ではなく米本土だとの説があり、これでは社民党と変わらない。

 新首相はさっそくに「日米基軸」を口にした。米国は、鳩山首相のいう「トラスト・ミー(私を信じて)」の口先に不信感が強い。菅氏は責任を語り、かつ実行してほしい。(東京特派員・東京特派員・湯浅博)

リバゼミ「脱北女性が語る衝撃の真実~自由であることの大切さ」

2010年06月05日 | 災害・事故
映画『クロッシング』予告編


国基研シンポジウムのあとは、
夜19時半から東京正心館でのリバゼミに参加しました。


脱北女性が語る衝撃の真実
「自由であることの大切さ」


日時:6月4日 19:30~21:30
幸福の科学 東京正心館
講師:高政美


高さんは、東京正心館の礼拝堂に入られると、
まず大法輪の前で深々と合掌、拝礼されました。
あとで里村編集長がおっしゃったことですが、高さんは幸福の科学の信者ではなく、
またここは宗教団体だからと拝礼をお願いしたわけでもないのだそうです。

今日、この礼拝堂に最初に来られて大法輪の前に立たれた時に、
高さんは突然、ボロボロと涙が止まらなくなった。
そして、大法輪の前にひざまづいて拝礼をされたのだそうです。
一緒にいた職員の方もびっくり。


「1963年7月18日。この日さえなければ」
この言葉から、脱北者、高政美(コ・ジョンミ)さんのお話が始まりました。

1960年大阪生まれ。63年7月18日、帰国運動で北朝鮮に渡りました。
お母さんとおばあさんは、北朝鮮への帰国を迷っていたそうですが、
朝鮮総連の人が何度も家に来ては、
「北朝鮮は地上の楽園。大学も無償で行けるし何もかも自由」と帰国を勧めていたそうです。

北朝鮮へ着き、船をおりた瞬間、
それが嘘だとわかった。
だまされた。北朝鮮の人たちの臭い、貧しいみなり、頭はふけだらけ。

高さんはこの時3歳。
一緒に船に乗っていた6歳の兄が
「降りたくない。このまま、この船で日本に帰してほしい」
と泣きだした。

すると、「この子はちょっとおかしい」と、兄はどこかへ連れて行かれてしまった。

北朝鮮に着いた途端、私たち家族は一度も食事することもなく
あっというまに家族は離され、6歳の子どもだけどこかへ連れて行かれてしまった。
精神病院に入れられた、と聞いた。

5年後、自分が8歳の時に、はじめて家族全員で兄に面会できることになった。
兄はこの時、11歳。
病院に入院していると信じていたので、
母はお弁当を作っていった。
お世話になっている病院の人や、同室のほかの患者さんの分まで、
たくさんお弁当を作っていった。

ところが、面会に連れて行かれたのは、コンクリートの塀に囲まれた
山の中の建物。
これは病院じゃないとわかった。
まるで動物園のような、1m四方ぐらいの「おり」がたくさんあり、
中にはなんと人間が入れられていた。

兄に面会に行った両親、姉、自分は
いったいどこに来てしまったのか、わからなかった。
鉄格子の中に、大勢の人が入れられている。
小さなおりの中で、立つこともできないので、みんな四つん這い。
はじめは、人間ではなく動物に見えた。
よく見ると人間だった。
顔も手も真っ黒。髪は伸び放題でライオンのよう。
誰ひとりとして、表情がない。

おそろしくて、自分は母親の手をしっかり握っていた。
母親も、自分の手をしっかり握りかえしていた。
ブルブル震えていた。

おりの中に入れられた人間の髪をつかまえて、
顔をぐいっとあげ、兄を捜している。
父が兄をみつけた。
でも、動物のようだった。立ち上がることもできない。
3分ほどでその場を離れた。

その日から、家族は食事ものどを通らず、会話もなくなった。
父は平壌に行った。スパイ活動に従事するためらしい。
兄が収容所で亡くなったと、父が通知書を持って家に帰ってきた。
家族の目の前で、父はその通知書に火をつけて燃やし、
「誰にも話してはいけない」と言った。
一度だけ面会にいけたのも、例外的で、決して人に話してはならないのだと
言っていた。

この時、自分は11歳。
毎日、日本からの帰国者というだけで、壮絶ないじめを受けていた。
20人ぐらいから殴られ、肌の色が見えないほどだった。
日本から持って来たきれいな服を着ているので、
服をびりびりに破かれ、パンツ1枚にされてしまい、
恥ずかしくて家に帰れないので、真っ暗になるまで隠れて
夜になってから裸で家に帰った。

毎日、どうしたら自殺できるだろうかと
そればかり考えていた。
北朝鮮では、自殺すると政治犯になり、
残された家族も捕まってしまう。
だから自殺もできない。

家族に迷惑をかけずに自殺する方法を
ずっと探していた。

壮絶ないじめを受けていることは、母に隠していたが、
姉が母に相談したことで、わかってしまった。
母が学校に来た。
見ると、母が学校の先生の前に正座して、
「うちの娘を許してください」と謝っている。
日本から持って来た洋服や、いろいろな物を差し出して
土下座して、娘を許してくれ、いじめないでくれと頼んでいた。
先生は
「こんな親だから、子どもがいじめられても当然」と言っていた。

次の日から、自分は学校に行くのをやめた。
すると、52人もの人(学校の友達など)にアパートを取り囲まれ
迫害を受けた。

母は毎日、神様にお祈りしていた。
神様に守ってもらうしか、もう道がなかった。
子どもを守る言葉を書いて、「となえるだけじゃだめ。心からお願いしなければいけない」と母に言われた。
もうだめだと思った時は、この最後の3行を唱えなさいと言われて、
お祈りの言葉を覚えた。

のちに脱北に失敗して刑務所に入れられた時も
拷問を受けたときも、まるで死人のようになって横たわっていると、
「必ず生きて、しなければいけないことがある」という声が聞こえてきた。

歯を抜かれる拷問を受けたり、
手首を切って動脈を引きだして自殺をはかったこともある。
肉体的には10回以上は死んだはず。
なのに、どうしても死なない。不思議。

こうして日本に生きて帰ることができ、本物の人間になり、
こうしてここ(東京正心館)に来られた。
祈れば必ずかなう。本当に今日、かなった。
皆さんとお会いして、これで何かが変わる気がしている。

今まで何度も死のうとしたのに、死ななかった。
神様が守ってくださって、リバティと出会った。


<脱北を決めた動機>

自分は卓球で体育大学にすすみ、体育大学の教師になった。
1995年、北朝鮮で大量の餓死者が出た。
駅を出ると、道ばたにいっぱい、飢え死にした死体が転がっていた。

体育大学の学生が、この死体の片付けを命令された。
自分は体育大学の先生だったので、学生たちの監視役として
死体処理の仕事をした。

自分のように政治的な行事(体育大学の学生は、公的行事で踊りや競技をする)にかかわる人間には、食事やバスなど十分な援助が与えられていたので、
町でこんなに餓死者がでているなんて、まったく知らなかった。

外国人が来る地域だけでも、死体を片付けろということになり、
学生に白衣を着せて医者のふりをし、死体を担架に乗せ、病人を運んでいるようにみせかけて、駅の部屋にどんどん積み重ねていった。
あまりにもいっぱい死体があるので、部屋に詰め込んだ。

死体を重ねていくと、下のほうの死体から茶色くなっていき、
そのうち、人間の油がしみだしてきた。
夜になると、山に死体を埋めに行く。
人間の死体を、まるで物のように、
どこの誰かもわからないのに、どんどん投げて、大きな穴に埋めた。

自分はきっと地獄に堕ちるだろうという気持ちでいっぱいになった。
学生もどんどん倒れていった。
しかし、その場を離れると政治犯になるので、離れることはできない。
学生たちは「ここで死ぬ」と言っていた。

この死体処理にかかわったことで、自分の頭がくらっと変わった。
これは絶対おかしいと思った。
この仕事のあと、食事もとれなくなり精神病院に1カ月入院。

90年代には300万人の北朝鮮人が餓死した。
日本が食糧援助しているということを、脱北してから知った。
そんなものは、一切届いていない。
それどころか、北朝鮮は韓国に米を輸出していた。
餓死者がでているということなど、ニュースでも報道しないので、
北朝鮮の国民でも知らないはず。
自分も死体処理の仕事を命令されるまで、知らなかった。


川を渡って脱北し、中国で捕まる。
北朝鮮の収容所に送られ、すさまじい拷問を受ける。
顔がはれあがり、口や目や耳がどこにあるかもわからないほどだった。歯も抜かれた。

脱北して何をしようとしたのか、聞きだそうとしていた。
早く殺してほしかった。

1976年に、父も同じような拷問を受けている。
父は半年間、1m四方の穴に閉じ込められていた。
拷問の時に出され、拷問が終わるとまた穴に入れられる。
四つん這いで過ごしているうちに、手足の指先の肉が腐って落ちてしまった。
お尻の肉まで見えるようになってしまった。

20年後に、自分も同じような目にあってしまった。
でもどんなにひどい拷問を受けている時でも、
死人のように横たわっている時に
「あなたは絶対しなない。
 あなたはこのことを黙っていられますか。生きて話さなければならない。
 あなたには使命がある」
という声が、毎日のように聞こえてくる。

ここにいる皆さんなら、この話を信じてくださるでしょう。
刑務所の中で、そういう声が聞こえたことを。
神秘の力が、私を守ってくれた。
そうして今、ここに来ることができた。
ここにいる皆さんなら信じてくれると思う。

日本に来てはじめて、拉致被害者の存在を知った。
自分のように帰国事業で北朝鮮に渡った日本人のことは知っていたが、
無理矢理拉致された人がいることは、まったく知らなかった。
なぜ日本人が拉致されて、あんな恐ろしい北朝鮮に連れて行かれるのか
許せない。

なぜ日本の皆さんは、これを黙っているのか。
命がけで助けなければ。
今一番しなくてはならないことは、北朝鮮の人々に知らせること。
韓国人にも拉致被害者がいるそうだが、日本人ほどひどい扱いは受けていないらしい。
日本人が拉致されていることは、北朝鮮の国民は誰もしらないだろう。

日本人は本当は強いはず。
何かあったら心を一つにしてまとまると聞いている。
皆さんの力を信じています。何とかお願いします。

(最後にも、2回合掌拝礼して退場)


現実は、映画「クロッシング」の100倍ぐらいひどい状態だそうです。