日本に最初に外国人地方参政権の部分的許容説を紹介し、最高裁判決における「参政権付与を講ずる措置は憲法上、禁止されていない」という「傍論」部分に影響を与えたとされる長尾一紘中大教授のインタビュー記事を、先日ご紹介しましたが、産経新聞の記事に掲載しきれなかったインタビューの全体像が、
阿比留記者のブログにアップされていました。
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Q 先日の外国人地方参政権国民集会で日大の百地章教授が、外国人への地方参政権付与を認める部分許容説を日本に最初に紹介した長尾教授が、「違憲だ」と認めたと発言している、事実関係は
長尾氏 事実です。この問題につきまして、私、昔、ドイツに参りまして、20年ぐらい前です。ドイツの書店で単行本がずいぶん出ていました。外国人の選挙権、まだ、(連邦)憲法改正問題が起こってなかったんです、ドイツとEUの関係で。その問題は表面化しておりません。そのときに、何冊か買いまして、読んでみたんですが、ブレアという先生がおりまして、その先生が許容説なんです。
国政選挙については違憲論が99.9%です、これは話になりません。地方選挙には日本にもドイツにも学説3つありまして、一つは禁止説です。憲法上、導入が禁止されている。もう一つは要請説と、導入することが憲法上の要請だと、もう一つが許容説と申しまして、これは導入しても導入しなくても構わないと、国会が決めることだと。禁止説と要請説と許容説がございまして、要請説は無理がある。憲法15条に、公務員に選定罷免権は、国民固有の権利であると、国民の中に外国人を入れないと要請説は成立しない。
国民の権利だと書いてある。国民という言葉に外国人が入ることはどうしても不自然なんです。ですから、要請説はだいたい、在日の方が選挙訴訟起こすときに、禁止説だともともとだめで、許容説はどっちでも構わないですから、どうしても要請説を採らざるをえない。弁護士さんが無理してそういう議論つくる。ですから、まともな学説というわけにはいかない。
やっぱり、学説というのは許容説と禁止説と。ドイツは圧倒的に禁止説が強い。EUにおいて、EU相互で地方選挙権保証し合おうじゃないかということになった。ところが、連邦憲法裁判所が違憲だって判決出してるんです。外国人選挙権は違憲だと。それで、やむを得ず、ドイツは憲法改正しているんです。フランスもそうです。ですから、憲法改正して、じゃあどうしたかと申しますと、EU市民に限って、地方選挙権を与えることができると。従いまして、今でも、憲法改正の後でも、EU出身以外の外国人に選挙権与えることは、憲法違反。禁止説がずっとつづいております。
それで、私、ちょうどそのころ、まあ、走りと申しましょうか、許容説の本を読みまして、なかなかおもしろいと思ったんです。その論旨は単純で、300ページぐらいある本ですが、骨子は1ページぐらいでまとめてできます。どういうことかといいますと、民主国家というものは、国民の意思に基づく政治が必要なんだと。国民の意思以外の支配、例えば外国人とか、それから君主とか、外国とか、それは民主主義に反するんだと。国民主権に反するんだと。これが、大原則です。そうしますと、地方選挙であっても、外国人が入りますと、国民主権に反するじゃないかと、これがドイツの通説です。
これに対して、少数説は、連邦議会、あるいはラント(州)議会も国家ですから、ドイツは。連邦議会、ラント議会、これは純然たるドイツ国民の選挙なんだと。従って、法律は州レベルでも、連邦レベルでもドイツ国民の純粋な意思によって成立したんだと。これが一つです。もう一つ、条例はどうかといいますと、仮に地方議会、市長村ですね、ドイツは郡てありまして、市町村と郡、2段階になっております。地方公共団体がですね。その市町村と郡レベルで外国人の住民に選挙権与えた場合どうなるかと申しますと、そこで市町村なり郡の議会に外国人が入り込みます。そうすると、できあがった条例の中に外国人の意思が混入します。それは憲法違反じゃないかと、いう問題が起こります。
それに対し、少数説のブレアさんは、違憲とは言えないんだと。なぜならば、州なり、連邦なりの法律は、ドイツの意思なんだと。条例と法律が衝突した場合、法律と条令が矛盾すれば、矛盾した限りにおいて無効にになってしまう。ですから、あくまでも法律が優位するんだと。従って、法律と違っていても、それは最終的には無効になるから、国民の意思は貫徹するんだという理屈です。で、これを二重の正当化論というんです。下からの住民の、地方権力の正当化とそれから地方政府につきましては、ドイツ国民の民主的な正当化と、二つの正当がぶつかった場合には、民主的正当化が必ず勝つんだと、優位すると。従って、民主主義は貫徹する、国民主権は守られると、そういうことなんです。それを私なるほどな、と思い書いてみた。
それが最初に書いたのが、日本評論社の芦部(信喜東大教授)さんの編集された「別冊法学教室」がありまして、たまたま芦部さんから電話がかかって来て、じゃあ書いてみようと、それで書いてみた(「外国人の人権――選挙権を中心として」)。その後、10本ほど書きまして、本にしたのがこれ(「外国人の参政権」)なんです。で、これ10年ほど前なんです。そのうち許容説がだんだん強くなって参りまして、それでもやっぱり禁止説の方が多いと思います。確かに出された本を見ますと許容説が多い。だいたい本を出すという場合には、通説と違うから本を出すんです。同じこと本にしてもしょうがない。実際に外国人の選挙権について、論文や本を書いてない先生の話を聞くと、だいたい禁止説です。ですから、こういう単行本だけ見てると許容説が多い。
(中略)
実際は禁止説の方が多い。で、私、この本、この論文を書いたときもそうですが、政治的に反対だという意見です。つまり、法解釈論としては合憲が成立している。しかし、政策的に許容説とった場合は、しなくてもいいわけですから。じゃあ、賛成、反対かといえば、私は反対です。それが、ここでも(小学館文庫「『国家を見失った日本人』田久保忠衛編著」)最後で書いています。
昔から、憲法学者にはイデオロギー的な弱点がありまして、共産党系の先生は共産党系の学説を発表して、社会党系の先生は社会党的なもの出して、自民党系の先生は自民党系の仮説を出すと、それが嫌でして、自分は学説は政治的な意見とは無関係に考えるべきであるという側に立ってまして、解釈上は許容説で、賛成か反対かといえば、大反対というのが私の理解だった。百地先生はすっきりしてまして、違憲で反対ですね。
ところが、前から反対は反対だったんですが、去年から妙な動きが出てきまして、鳩山さんの、鳩山内閣のことですが。これにつきまして、深刻に受けとめまして、もういっぺん、文献読み直してみたんです。それにつきまして、二つの結論に至りまして、第一点が、
従来の許容説の立場から見ても、鳩山さんの法案は憲法違反だと。許容説、私は変更したんですが、今、禁止説なんですが。許容説の立場に立ったとしても、憲法違反だと。これは非常に大事なポイントです。なぜかと申しますと、学説のおそらく3分の1ぐらいか4分の1ぐらいが許容説になっている。最高裁も特別な意見出しまして、傍論で許容説の立場を示しております。ですから、許容説の立場から見ても、鳩山内閣は憲法違反だと。
(続く)