幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

どこかで聞いた話だと思ったら

2012年04月08日 | 動画

・中国人の被災地ビザ 7月めど(2012/04/08 毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20120408k0000m020096000c.html

・7月めど数次ビザ発給=被災地訪問の中国人向け-政府‎(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&rel=j7&k=2012040700315


小説『205X』より

 一度目の首都圏大震災は関東大震災と同様、東京を中心に神奈川、埼玉、千葉の近接する地域に大規模な被害をもたらした。土木、建築に関わる産業から福祉や健康、観光にウエイトを移していた日本社会にとって、都市の再興は大変厳しい試練となった。

 (中略)

 それでも、最後の力を振り絞るように、地方からの救援隊に支えられて、少しずつ復旧が進んでいった。ところが、首都圏大震災の3年後、ちょうど首都復興の目途が立ち始めた矢先だった。追い打ちを掛けるように、首都圏から東海地方の太平洋岸を関東東海大地震が襲い、臨海部の被害は関西にまで達した。(中略)もはや日本には、首都を再建する気力と体力は残っていなかった。敗戦の痛手から勇気を持って立ち上がった、あの誇り高き日本民族の不屈の闘志は、この時に喪失してしまっていた。

 それを最も端的に表したのが、政府の態度だった。
 中国政府は悲劇の極みにある日本に対し、「貴国には、首都を再建する力はもう残っていないでしょうから、わが国がお金を出して、新しい都市建設をしてあげましょう」と、言葉巧みに三平党政権に近づいてきた。既に沖縄を奪われていたにも関わらず、アジア経済連合で中国の国家主席と仲良くなった的山新太郎総理は、渡りに船とばかりにその甘言に飛びついた。

 臨時政府は中国の勧めに従い、何も考えずに福岡に置かれた。しかしその選択は、沖縄を統治下に置き、本土支配を企む中国に、好餌さを与えたようなものだった。


(※この小説は、東日本大震災発生の3カ月前、2010年12月に発刊されました)



『205X』水野 武光 (著)  幻冬舎(発行)
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