幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

中国・マスコミ問題研究会 第2回セミナーのお知らせ

2011年12月07日 | 自虐史観、謝罪外交
皆さんこんにちは!
いよいよ2011年も残すところ1カ月となりました。
今年の締めくくりとして、公開セミナーを開催いたします。
今回の特別ゲスト、元防衛大学の教授 山口康彦先生から、
「今だから知っておきたい『国防論入門』」と題して、
昨今の激動の国際情勢の中で、
日本人として知っておきたい安全保障・国防論の基礎を学ばせて頂きます。
ぜひ、多くの方にご参加いただければと存じます。

第2回 中国・マスコミ問題研究会セミナー

★主催:中国・マスコミ問題研究会
★共催:中国の脅威から子供の未来を守る会
朝日新聞の偏向報道から子供の未来を守る!会

■日時
2011年12月23日(金・祝)
13:00~15:30

■会場:
五反田文化センター
第1講習室

品川区西五反田6-5-1
・JR山手線「五反田駅」徒歩15分
・東急目黒線「不動前駅」徒歩7分
・東急池上線「大崎広小路駅」徒歩10分

★会場への地図
http://yahoo.jp/iWDEH_

※プログラムは変更になる場合がありますのでご了承ください。

【第一部】
13:00 司会挨拶
13:02 代表挨拶
中国・マスコミ問題研究会代表 矢内筆勝

13:05 研究発表

「朝日新聞が捏造した『南京大虐殺』」
矢内筆勝 中国・マスコミ問題研究会代表

13:50 基調講演
「今だから知っておきたい『国防論入門』」

山口康彦 氏
元防衛大学校教授(国防論教育室長)・元1海将補

14:50 休憩(10分間)

【第二部】
15:00 質疑応答
15:25 閉会挨拶
15:30 終了予定

※資料代として500円のカンパをお願いいたします
※写真撮影、録音は禁止させていただいております
※参加ご希望の方は、ご氏名、ご住所、ご連絡先(電話番号)を明記の上、事務局までお申込みください。

【事務局e-mail】 renraku.atmk@gmail.com

中国などに配慮? 自虐史観見直しに“待った

2011年03月30日 | 自虐史観、謝罪外交
2011.3.30 22:10 産経新聞

 教科書検定では歴史教科書などを中心に、育鵬社や自由社版教科書が自虐的歴史観を見直して記述したものに検定意見がつけられるなど、中国など外国に配慮したととられかねない例が目立った。

 育鵬社の歴史教科書では、東京裁判(極東国際軍事裁判)についてのコラムの中で、日米戦争を行った日本に、一定の理解を示したマッカーサーの証言部分に検定意見を付けた。

 米上院軍事外交合同委員会で、日本について「彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのこと」と証言した事実を掲載、戦勝国側が敗戦国を裁いた裁判をめぐる議論に一石を投じる内容だったが、検定の結果、削除された。

 また、日中戦争で日本が南京を占領した際について「中国の軍民に多数の死傷者が出たことが、のちに『南京事件』として宣伝されるもとになった」とした自由社の歴史教科書の記述にも、検定意見を付けた。これまで中国側の宣伝する犠牲者数などをあげ誇大に取り上げられてきた「南京事件」に疑問を呈する記述だったが、文科省は「南京事件について誤解するおそれがある表現」として修正を求めた。そのほか、中国のチベット弾圧や中台問題についても、検定意見がついた。

 教科書検定基準では、近隣のアジア諸国への配慮から教科書の修正を求められる「近隣条項」もあるが、文科省では「近隣条項に基づき検定意見を付けたものはない」と説明。他国への配慮で検定を行っていないことを強調している。

「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた

2011年03月14日 | 自虐史観、謝罪外交
2011/03/14 中央日報


 (1)待避所の譲歩 うどん10食、50人が「お先にどうぞ」

(2)人のせいにしない 恨んだり抗議する姿はテレビで見られず

(3)災害で手を取り合う 議員ら政争中断、作業服着て現場へ

(4)落ち着き冷静 日本全域で略奪報告1件もない

(5)他人をまず考える 「自分が泣けばもっと大きな被害者に迷惑かかる」

#「お先にどうそ」「いえ、まだ大丈夫です」

マグニチュード9.0の大地震と10メートルを越える津波が東日本を襲った後の11日午後6時、秋田県秋田市のグランティア秋田ホテル。停電で暗黒に変わったホテルのロビーでは奇異な場面が演出された。

ホテル側が、「電気が来るまで宿泊客を受け入れられない」と案内すると、すぐにロビーに集まっていた宿泊予約客50人余りが静かに列を作り始めた。誰も何も言わないのに老弱者らを前に入れた。暗黒の中に一筋の列ができた。順番を争う姿は一切なかった。しばらくしてホテル側が、「停電で夕食を提供できない」として緊急用にうどん10皿を持ってきた時だ。うどんに向かって駆け寄るどころか、誰もが他の客の空腹を心配して後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。被害が最も大きかった宮城県・岩手県をはじめ、日本全域で人のない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない。

#宮城県北東部に位置する南三陸沿岸地域。集落の大部分が消え、火災で黒く燃えた森の跡だけが残っている。津波で陸地に打ち上げられた船舶は船尾を空に向け逆さまに地面に打ち込まれている。今回の地震で最大被害地域のここでは、“行方不明者1万人”といううわさまで出回る。しかし大声や怨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余りの住民らは日本のメディアとのインタビューでも低い声で、「早く復旧するよう願うだけ」としながら“明日”を話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合ってお互いを慰める感動的な場面が電波に乗っている。

日本赤十字社組織推進部の白田課長は13日、「個人と企業から寄付と救護物資が殺到している」と話した。政府に向かっていつも吠えていた野党議員らも作業服に着替え国を救うために裸足で出てきた。危機の際に手を取り合う共同体意識は日本社会の底力だ。

#韓国で災害報道をする時に犠牲者を取材するのは普通だ。遺体が安置された葬儀室と病院の姿が時々刻々と現れる。しかし日本の大地震報道で日本メディアは違った。津波で家屋と車両が押し流される場面がテレビにしばしば映るが、どのチャンネルでも津波に巻きこまれる人の姿は見られない。“死んだ人もこの世に残る”という日本人特有の死生観のためだが、泣き叫んだりしくしく泣く姿もなかなか画面で見るのは難しい。テレビ朝日のある関係者は、「災害予防のための目的の他には一般市民に大きな衝撃を与える場面は最大限控えるというのが災害報道の暗黙的ルール」と話した。11日に地震が発生した後、津波警報が解除された13日明け方まで、すべてのテレビ番組の司会者はヘルメットをかぶっていた。このように地震の規模や被害の規模とは異なり、日本は恐ろしいほどに冷静で落ち着いていた。理由があった。

例えば東京副都心の新宿に位置した四谷交差点にある消防署。12階建ての建物の10階の外壁には目立つ線が引かれている。この線は地上から高さ30メートルを知らせる表示だ。そのそばには、「この高さは1993年の北海道南西部地震で奥尻島を襲った津波の高さ」という説明がついている。津波というものはいつでも自分に起こりうる問題だということを認識させ、普段の準備が必須ということを知らせるためだ。

日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで目を閉じてもできるほどだ。徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」という日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応するようにする秘訣だ。ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。

災害にあった日本人が泣き叫ぶことがほとんどないのも、「自分がそうした行動をすれば自分よりも大きな被害にあった人たちに迷惑になる」という極度の配慮精神のためだ。災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。


反日教育の果ての尖閣弱腰外交

2010年10月28日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/10/28産経新聞

 1950年代初め、日本共産党が火炎ビン闘争など武装闘争にうつつを抜かしていたころ、当時の共産党幹部の一人、志賀義雄は次のように批判したとされる。

 ≪教科書で共産革命は成る≫

 「なにも武闘革命などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育をほどこせば、30~40年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」

 そのころは、革命は暴力によってしか成就できないとする暴力革命論が国際共産主義運動の正統派の理論で、議会で多数を占めて平和的に革命が成し遂げられるとする考えは議会主義・修正主義として厳しく排撃されていた。だから、「教育で革命が達成できる」とする志賀理論は、後の構造改革論やユーロ・コミュニズムを先取りする「新しい」発想だった。

 実際、日本共産党は日本革命の拠点として日教組を重視し、教科書支配に乗り出した。その際に、最大限に利用したのは、教科書検定・採択制度だった。共産党は、ダミー団体を隠れ蓑(みの)にして歴史だけでなく国語、算数、理科、社会などの教科書をつくり、教科書会社に売り込んだ。教科書を採択するのは日教組五十万の教師だから、採択を通じて教科書の内容をコントロールすることができる。教師にはどの教科書を選ぶかの「採択基準」が与えられた。

 55年8月、当時の保守政党である日本民主党(今の民主党とは別の政党)は、「うれうべき教科書の問題」という52ページのパンフレットを発行した。その中で、「ソ連・中共をことさら美化・賛美し、自分たちの祖国日本をこき下ろすタイプ」の教科書として、周郷博、高橋●一、日高六郎らの執筆になる小学校社会科の教科書を例にあげ、その日中関係の記述について、次のように評した。

 「歴史の前半において、中国をまねし、学び、膝を屈し、貢(みつ)ぎ物を奉(たてまつ)った日本は、その歴史の後半において、一転して、東洋鬼子と化し、あくなき暴虐をつくして、中国人民をいじめぬいたと、この教科書には書きならべてある」

 ≪「日本民主党」は憂国訴え≫

 日本民主党のパンフレットは、当時の日本の保守勢力が、国際共産主義勢力と対決し、日本の教育を正常化しようとする意思のあらわれだった。次の一節にその危機感が表明されている。

 「他国の侵略とは、必ずしも武力によるものでないとするなら、教科書を通じて、疑いもなく、ソ連や中共の日本攻略ははじめられているのである。日本の教職員たちは、或(ある)いはそれに力を貸し、或いはぼう然とそこに立ちすくみ、或いはそれを知らずに、相たずさえて日本の教育の危機をつくっているのである」

 左翼勢力が教科書を支配する構図は、一定の紆余(うよ)曲折を経ながらもその後も基本的に維持され、日本民主党のパンフから55年目の今年、志賀の予言通りの大輪の花を咲かせた。今日、日本国民は、北朝鮮の拉致実行犯の助命・釈放を嘆願した首相と、サハリン残留韓国人を利用して戦後補償という闘争モデルを創始した官房長官と、慰安婦問題でソウルの日本大使館への反日デモを敢行した国家公安委員長からなる政府を戴(いただ)いている。志賀の属していたセクトと異なるだけで、人的構成から見ても立派な「革命政府」といえる。

 ≪一方的侵略史観を見直せ≫

 この度の尖閣事件は、中国共産党の指令を受けた海上民兵(ゲリラ)による日本の領土への直接侵略の準備工作だった疑いがある。国民が衝撃を受けたのは、現政権に侵略を阻止する意思も能力もないことが露呈したからだ。

 中国は「あしき隣人」だという、国民の標準的な思いを代弁しただけの党内の声にあえて反論して、仙谷由人官房長官は、「中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」とし、戦前の日本が「侵略によって中国に迷惑をかけた」と述べて中国を擁護した。反日・自虐史観によって洗脳され、「日本の支配者、指導者」となった人物の絵に描いたような姿がここにある。仙谷発言は、対中弱腰外交の根源に中韓隷属史観・日本侵略史観があることを明瞭に示している。

 暴力革命と平和革命の関係は直接侵略と間接侵略の関係に似ている。今日、暴力革命を公然と唱える政党はないが、平和革命は国家と社会の腐食・解体として長期にわたり深く進行している。同様に、中国の直接侵略を肯定する政党はないが、反日教科書や外国人参政権の形をとった間接侵略を受け入れ推進している政党が複数存在する。われわれは両方の形式の侵略を正視しなければならない。

 しかし、尖閣事件を契機にして国民の中国認識は劇的に変わりつつある。白を黒と言い張る暴虐無礼な中国の正体を知った国民は、戦前の日中関係についても、やがて一方的な日本侵略史観を見直すだろう。それをしっかりと形にできるかどうかは、歴史教科書の根本的改善にかかっている。

竹島に関する記述、韓国が撤回要請 岡田外相は応じず

2010年09月12日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/09/11朝日新聞

 【ソウル=牧野愛博】韓国外交通商省は10日、2010年版「防衛白書」に日韓両国が領有権を争う竹島(韓国名・独島)に関する記述が盛り込まれたことについて「我々の独島領有権を損なういかなる不当な企てにも断固対応する」として、記述の即時撤回を求める報道官の論評を発表した。

 ただ、韓国政府は「民主党は韓日関係重視の観点から、刺激的な表現を加えることを避け、例年通りの表現に収めた」(当局者)とも分析しており、昨年並みの抑えた対応にとどめた。

     ◇

 岡田克也外相は10日の記者会見で、韓国政府が防衛白書の竹島に関する記述の即時撤回を求めていることに対し、「表現は昨年と何ら変わっていない。わが国固有の領土であるということは従来から白書に書いている」と述べ、撤回しない考えを示した。

韓国人徴用者の体験談を聞き、真の歴史を学ぶ日本の高校生-韓国

2010年09月02日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/09/02サーチナ

  日本の私立高校に通う高校生たちが1日、ソウルにある「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者支援委員会」の会議室を訪れ、太平洋戦争中に勤労挺身隊として日本に強制徴用された韓国人女性と対面し、体験談に耳を傾けた。複数の韓国メディアが報じている。

  韓国メディアによると、この講演会を企画したのは、日本の高等学校に勤める歴史教師で、学生たちが日韓関係をしっかりと認識し、両国の歴史問題に関心を持つようにしようとするのが狙いで、韓国滞在中の3泊4日の期間中、このプログラムを用意したという。

  体験談を語ったキムさんは、1945年2月、富山の不二越軍需工場に徴用された。当時12歳の小学生だったキムさんは、日本人の教師に「日本に行けば中学校も進学でき、先に日本に行った姉さんにも会える」と言われ、両親の知らないうちに契約書に印鑑を押したという。

  しかし、待っていたのは辛い労働であり、8月に終戦したことも知らされないまま10月まで勤務させられていた。明け方は5時に起床し、午後7時まで航空機部品を組み立てる強行軍で、与えられる食事は拳ほどのご飯と味噌汁など質素なものだった。それら当時の体験談を、キムさんは強制動員の事実を証明する各種資料や新聞とともに、震える声で、時には語調を高めながら語った。

  質疑応答では、男子生徒が「日本にどんな謝罪を受けたいのか」を尋ねたところ、キムさんは「日本は誤りを認め、真に謝罪をして補償をしなければならない。あなたたちが日本に帰ったら、かわいそうなおばあさんがいたというこの話を伝えてほしい」と話した。

  女子生徒からは「今日聞いた証言は全て初めて聞いた話で、非常に衝撃を受け、驚いた。体が震えるのが止まらなかった。このような話を語って下さり感謝している。とても勉強になった」と感想を述べたと伝えられている。

  学生を引率した教師とキムさんはお互いに感謝の意を述べ、両手を握りしめた。 教師は「学生たちにとって今日の時間が、これからも歴史に対して勉強しなければならないと考えることができる機会になってほしい」と話したという。(編集担当:李信恵・山口幸治)

韓国政府が自爆!従軍慰安婦の正体を暴露

2010年09月02日 | 自虐史観、謝罪外交
Enjoy Korea掲示板
伝統文化・伝統芸能カテゴリより

masairyu様投稿
大爆笑!韓国政府が自爆!慰安婦の正体を暴露!(最悪)wwwwwwwwww


韓国政府が「慰安婦が強制連行された証拠Nida!」と自慢する資料です。
1944年と書いてあります。
「慰安婦を募集!月給300円以上!3000円まで借金が可能!」と書いてあります。



さて…。


1944年の貨幣価値です。
http://www8.plala.or.jp/shinozaki/s19-1944.pdf


…警察官(巡査)の初任給が45円でした。
現在の警察官の初任給は約20万円です。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/saiyou/keisatsu/keisatu.htm


200000÷45=約4444です。
つまり物価の上昇率は4444倍です。


月給300円×4444倍=1333200円…
なんと!慰安婦の月給は133万円以上だったのです。
更に1330万円の借金が可能だと書いてあります。


1円=10ウォンで計算すると、「月給1300万ウォン!1億3000万ウォンの借金が可能!」という募集です。
馬鹿が読んでも「売春の仕事だ」と分かります!
これが強制連行ですか?www

(転載もとはこちら



日韓併合100年、「日本政府は謝罪と賠償の法を作れ」-韓国

2010年08月30日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/08/30サーチナ

 日韓併合100年を迎えて『光復会』と『強制併合100年共同行動日韓実行委員会』など市民団体は29日、ソウルの各地で行事を行った。複数の韓国メディアが「国権剥奪の恥辱を再確認して未来を眺望する行事」だと報じた。およそ1500人あまりが参加したという。

  市民団体は、ソウル鍾路区(チョンノく)の独立宣言記念碑の前で「日韓強制併合100年、その100年の記憶と100年の未来」を主題に行事を進行。光復会は決議文で◆日本天皇の率直で具体的な謝罪◆日本政府の日韓併合条約の無効宣言◆安重根(アン・ジュングン)義士の遺骸探しに積極的に協力すること―などを日本政府に促した。

  日本と韓国の117の市民団体が参加した『強制併合100年共同行動日韓実行委員会』は、ソウルの南山公園にある元統監官邸の旧跡で、『統監官邸の場所』という記念碑の除幕式を行った。

  元統監官邸は1910年8月22日に大韓帝国の李完用(イ・ワンヨン)総理大臣と当時の朝鮮統監・寺内正毅が日韓併合条約を締結した場所。解放後に記録も残さず建物が破壊されていた。記念碑は「恥ずかしい歴史も歴史」との趣旨で再建され、市民団体が除幕式を行ったという。

  行事を主催した日韓実行委員会は続き、成均館(ソンギュングァン)大学の600周年記念館で「日韓市民共同宣言」を採択。宣言文は、「両国政府は植民地支配と侵略戦争による被害を糾明し、被害救済のために謝罪と賠償の法的措置を整えろ」と促した。また、「独島は韓国の領」とする内容も含まれている。韓国メディアは「日韓市民団体がともに、このような見解を公式に表明したのは初めてだ」と続々と紹介した。

  日韓実行委員会の和田春樹・東京大学の名誉教授は、「菅直人首相の談話内容が不十分だったのは日本側の努力が不足していたため」と指摘、特別な日に行事に参加できてうれしいとの感想を述べたこともメディアによって報じられた。(編集担当:永井武)

【中国ブログ】日本に見る、わが国が失った「他人を信用する力」

2010年08月19日 | 自虐史観、謝罪外交
サーチナは、「中国人が語る日本」というコーナーで、
中国人の生の声を翻訳して、連載しています。
日本独特の精神文化や、日本人の良さに気づいてくれている中国人も、確かにいるのです。

中国だけではありません。
フランスやアメリカ、カナダ、オーストラリアのブログからも、
日本人のマナーのよさや精神性の高さなどについての記事を、
日本語に翻訳して載せてくれています。
自虐史観という毒水に侵された日本人の皆さんには
かなり元気の出る、解毒剤(?)のようなコーナーです。


このサーチナ本社を、先日、友人が訪問したそうです。
その時のお話を、友人から伺いました。
中国ではマスコミがちゃんとした報道をしないので、
個人のブログによる情報発信が、ものすごく盛んなのだそうです。
あまりにも多すぎるので、ブログはほとんど検閲されていないとのこと。

勝海舟を尊敬しているというサーチナの社長は、
日中両国の正しい情報を伝えようという理念で、サーチナを創業したそうです。
今は、中国人ブロガーの生の声を和訳して、日本に伝えていますが、
今後は日本人ブロガーの声を中国人に伝えていきたい。
日中両国の架け橋になるような活動を目指しているそうです。


2010/08/18サーチナ

  新華網はこのほど、中国人ブロガー鬼今(ハンドルネーム)氏によるブログ記事『日本人の“重苦しさ”と“信用力”』を取り上げ、注目を集めている。ブログ記事によって紹介される、日本人による「他人を信用、尊重する習慣」が、多くの読者を引きつけているようだ。

  同氏のブログは、日本への留学経験のある友人の話をもとに構成されており、中国人と日本人との思考や行動パターンの違いなどに触れ、「日本人の行動には“重苦しさ”や“愚かさ”などを感じる一方、中国人がすでに失ってしまった“他人を信用する”という感覚がまだ残っている」などと説明している。

  具体的には、日本では、電車の中が「他の乗客の迷惑になるから」との暗黙の了解で静かに保たれており、携帯電話に入った連絡も、車中では早々に切る人が多いと指摘。中国人としては、日本人の他人に対する思いやりが「重苦しい」、「電話を早々に切る、という対応が、その後の人間関係に影響するのでは、と心配になる」などと語る。

  しかし同氏は、日本人の、見知らぬ相手を思いやる、という一見「重苦しい」行為が、「他人を信用する」という裏返しなのかもしれない、との持論を展開。場所を問わず、思いのまま振る舞う中国人の行為に対して、「“自由”の獲得が、相手を尊重するという道徳的拘束力の欠如を招いているのでは」などと警鐘を鳴らした。

  また、日本の農村地域によくある、野菜やくだものなどを販売する「無人販売所」の存在について、「誰も盗むはずない、と思っているところに“愚かさ”を感じる反面、中国ではもはや失われてしまった風景」などと称賛。日本に息づく「他人を信用する」力に驚きを示した。

  一方、同氏は、中国で聞いたという「道に迷った少女に声を掛けた警察官が、少女から警察官であることを証明するものを見せろと言われ、見せたら、それは本物なのか、と疑われた」という笑い話に、「薄ら寒さすら感じる」と述べ、「中国では社会において最低限信頼できるはずのものすら、崩壊の危機を迎えている」と、「何も信じられないこと」への危機感を募らせ、社会の今後をよい方に変えるためには、幼いころから他人に対する畏敬(いけい)の念や自制心を持つよう訓練すべきだと、強調した。

  同氏のブログ記事に対しては、日本の習慣を引き合いに出して、中国人の悪い習慣を指摘する同ブログに反発する読者が多く、「(著者は)自虐的だ」などの指摘もある。しかし、一方で「確かに今の中国が見習うべきことは多い」と冷静に受け止める声も上がっており、論争は今後も続くと見られる。

※他の記事

【中国ブログ】中国人が語る日本「同じ人間、悪い人も良い人もいる」(2010/08/17)
【中国ブログ】日本旅行で財布を拾った!「中国人の印象も変わるかな?」(2010/08/14)
【中国ブログ】我々は“悪いニュース好き?…米民間調査に「?」(2010/08/04)
【中国ブログ】中国人が語る「日本ほど良い国が世界のどこにある?」(2010/08/04)
【中国ブログ】訪日して知った日本人と中国人「人生の違い」(2010/07/23)

【米国ブログ】丹精込めて作られた日本食を食べることは「至福の喜び」(2010/08/10)
【米国ブログ】米国人に好評な「AKB48」は全世界に展開できるか(2010/08/09)
【米国ブログ】日本人の衣服には豊かな風土や文化を感じる(2010/08/03)
【米国ブログ】米国人が感激!宮崎アニメ「三鷹の森ジブリ美術館」(2010/07/28)
【米国ブログ】米国人旅行者が語る神戸の魅力「伝統文化と現代の対比」(2010/07/20)




世論を動かす方法が世論調査(中央日報)

2010年08月19日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/08/18中央日報「【時視各角】日本に奪われた文化財を取り戻す方法」より、一部転載)

<特に日本は「世論王国」だ。内閣支持率が落ちれば首相が代わる国だ。いくら正しい政策でも世論が反対すればできない。>

<世論を動かす方法の一つが世論調査だ。随時世論調査を通して、他人の文化財強奪は悪いこと、贓物取得は犯罪、返還は良いこと、であることを悟らせなければならない。>

全文はこちらから

日本の「武士道精神」は誇張だ(中央日報)

2010年08月19日 | 自虐史観、謝罪外交
韓国の中央日報に掲載されたコラムです。
なんてゆーか…ひどいね。(-_-;)

2010/08/18 中央日報より

 1957年の映画「The Bridge on the River Kwai」にはこういうセリフが出てくる。「お前らのような奴に武士道のことが分かるか!」。日本軍捕虜収容所長の斎藤大佐が英国軍捕虜に吐いた言葉だ。

作業を拒否する英国軍将校を射殺しようとする場面ではこういう言葉も出てくる。「非武装の人間を殺害するのが日本軍の行動規律(武士道)ですか?」。捕虜になった米国軍医官の抗議だ。 この言葉に斎藤はびくっとする。 映画の終始、斎藤は武士道で武装した日本軍人として描写される。

斎藤が見せようとした武士道は侍、すなわち武士階級の規律であり倫理だ。 忠義、礼節、勇気、名誉、信義、倹約を重視する。 日本人の自負心が凝縮された精神世界に拡大解釈されたりもする。 日本人特有の美学として包装する人もいる。

しかし深入りはしないでおこう。 それを本当だと信じれば純粋だ。 武士道は歴史的事実を根拠とする実体ではない。 神話や象徴操作に近い。 ひどく言えば‘はったり’ともいえる。

武士道を初めて体系化したのは日本の農学者であり教育者の新渡戸稲造(1862-1933)だ。 米国とドイツで修学し、米国人女性と結婚し、国際連盟事務次長を務めた日本近代の国際的知識人だ。 熱心なキリスト教信者でもあった。 数年前まで新渡戸の肖像は5000円紙幣に使われていた。 新渡戸が1899年に米国で英語で出版した本が『BUSHIDO:The Soul of Japan』だ。

序文には執筆の動機が簡単に出てくる。 新渡戸は「宗教教育をしない日本では道徳をどう教えるのか」というベルギー人学者の質問に対し、返答に窮したことがあった。 つくづく考えた結果、新渡戸は日本の武士道精神こそが日本人の道徳規範だという結論に達した。 日本にもしっかりとした道徳・倫理体系がある、西洋に騎士道があるように日本には武士道がある…。 新渡戸はこうしたメッセージを伝えようという強い思いを抱いて本を書いた。


 もっともらしく見えるが、実は西洋の騎士道や「ノブレスオブリージュ」を参考に、幼い頃に少し聞いた儒教的徳性や侍伝説を混ぜ合わせて作ったものだった。 新渡戸の想像力の産物だったということだ。 武士道というものが本当に日本の伝統として受け継がれてきたとすれば、何故よりによって侍の時代が終わった後に、しかも西洋の空気を吸った青年の手で、米国で英語で先に書かれたのか。

ところがこの本が出ると、米国はもちろん欧州でもベストセラーになった。 日本人はみんな武士道に基づいて行動するものと錯覚する西洋人も多かった。 西洋で有名になると、すぐに日本語にも翻訳された。 武士道が日本に逆輸入されたのがまさにこの時だった。 その後、武士道は日本人の意識の中に自分たち固有の道徳規範や美徳として刻印された。 ちょうど吹き荒れていた軍国主義の風も集団催眠を手伝った。 これは日本でも知る人はみんな知っている。 敢えて持ち出して話さないだけだ。

今でも武士道は日本人の意識で重要な比重を占める。 特に保守層が重視する。 国格を高めよう、国民意識を高揚させようという議論で必ず出てくるのが武士道の涵養だ。 屈折した自我陶酔だ。 自衛隊を海外に派遣する時、防衛庁の幹部が「武士道の国の気概を見せよう」と訓示したこともあった。 コメディーだ。

新渡戸は自分の本で「勇猛果敢なフェアプレー精神」として「義」を武士道の基本と考えた。 しかし武士道を崇敬していた日本軍国主義の蛮行を見れば、武士道が虚構だったことがよく表れている。 今の保守右翼も同じだ。 侵略戦争に対する反省と謝罪を惜しむ人たちのどこに武士道の風貌を見ることができるのか。 元々なかっただけに見えないのだ。

日本の保守右翼は菅直人首相が韓日強制併合100年を迎えて発表した談話に反発しているという。 私たちには今でも惜しまれる内容であるにもかかわらずだ。 彼らは侵略戦争に対する反省を「自虐的歴史観」と罵倒する。 武士道を崇める保守勢力であるほど過去の過ちを認めない。 侵略を反省するより敗戦を反省する。 これだから武士の体臭を感じるどころか、無責任で卑怯でずるく見えるのだ。 武士道を(言葉でのみ)崇める日本の保守右翼たちよ、新渡戸の本はいっそのこと破り捨ててしまえ。

NHK「日本のこれから ともに語ろう日韓の未来」

2010年08月16日 | 自虐史観、謝罪外交
日本のこれから  ~岡本行夫の妄言


NHK総合 8月14日(土)放送:午後8:00~
「日本のこれから ともに語ろう 日韓の未来」

日本のこれから ~韓国人の妄言 1/3


日本のこれから ~韓国人の妄言 2/3


此所が変だよ朝鮮人 の部 「ともに語ろう日韓の未来」前半より

細川護熙元首相「天皇は韓国訪問を」

2010年08月16日 | 自虐史観、謝罪外交
2010/08/16中央日報より一部転載)

 細川護熙元首相(72)は「菅首相の談話はもう少し先に進んだ内容を記せばよかった」と、14日の朝日新聞とのインタビューで明らかにした。それとともに「天皇が米国、ヨーロッパ、中国、東南アジアなどを(先に)訪問したことは順番が違う」とし「すぐにも韓国を訪問するほうがいい」と明らかにした。