学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

地方の書店をのぞく

2019-10-26 22:38:27 | その他
旅はいくつかの出会いであふれている。知らない街を見て歩くこと、美味しい食べものを楽しむこと、旅先の人たちから多様な価値観を学ぶこと。いずれも自分にとっては大きな出会いになる。だが、私の場合、さらに楽しみがあり、それは地方の書店へ行くことに他ならない。書店はどこも品ぞろえが同じ、と思ったら、それは間違いである。なぜなら、地方の書店には郷土の新聞社や出版社の刊行した本が売られているからだ。

このあいだ、長野県へ旅行に出かけた折、例によって私はある書店をのぞいてみた。長野県にはいくつかの新聞社や出版社があり、郷土本のコーナーはかなり広い。一般的に郷土本は、地元の視点で出版されたものが多く、文学や歴史、政治、グルメ、スポーツなどを幅広く扱う。これらは旅行者に縁のないものと思われがちだが、ある街を深く知りたいと思った時にこれほど頼もしい本はない。私は『城下町のまちづくり講座』(松本都市デザイン学習会、信濃毎日新聞社、2019年)を買い求めた。長野県松本市は、国宝の松本城、旧開智学校など歴史的な建造物が街の中心部にあり、また、それらの資源を活用する「まるごと博物館」を推し進めている。いわば文化に対して、とても関心の高い地域だ。過去の遺産を、未来の発展のためにどう活かしていくのか、私は興味がそそられたのである。

私は旅先でこうした本を買ってきては、宿泊先のホテルで読んで楽しむ。すると、不思議なことに自分が知らないはずの街なのに親しみが湧いてくる。そうして翌日、その街へ出かけると、自分なりの見るべきポイントができているので、旅をさらに楽しめるというわけだ。本から得られるものはとても多い。こうした旅の方法もまた一興であると思っている。

『「豊臣政権の貴公子」宇喜多秀家』を読む

2019-10-24 20:41:37 | 読書感想
ロールプレイングゲームには「経験値」という概念がある。これは敵を倒すほど値が加算され、それによってキャラクターの能力が上がるという育成システムだ。だが、ゲームの話にとどまらず、私たちが生きるうえでも色々な経験は必要である。なぜなら、経験は私たちがモノを判断する基準のひとつとなるからだ。例えば、以前こういう失敗をしたから今度は同じ間違いはしないようにする、という発想は経験に基づいた判断である。それは簡単な一例だが、こうした経験を積む場が少なくて滅んでしまった戦国武将がいた。宇喜多秀家である。

先日『「豊臣政権の貴公子」宇喜多秀家』(大西泰正著、角川新書)を読んだ。秀家は、豊臣五大老のひとりとして備前・美作国(現在の岡山県付近)を任せられていた。弱冠20代にして五大老となったのにはわけがある。彼の卓越した能力を評価されて、というよりも、権力者との婚姻関係が絡んでいた。そのため周辺のサポートが厚く、戦国武将として時代を生き抜く経験を積む機会があまりなかったという。彼の後ろ盾だった義父豊臣秀吉や前田利家を失うと、次第に宇喜多家は崩壊を始める。秀家は宇喜多騒動をまとめることができず、有力な家臣たちを失い、あてにならない一門衆と経験不足の家臣のなかで慢性的な人材不足に悩まされる。こうして宇喜多家にとって最悪な状況で関ヶ原の戦いに突入。秀家は敗軍の将となり、八丈島へ流され、そこで生涯を終えた。

彼の生涯から学べることがいくつかある。ひとつは経験の重要性である。世の中に無駄なことなどない。周囲に寄りかかることなく、色々なことに挑戦し、自分を構築していくことが人生の荒波を乗り切るうえで大切になるだろう。ふたつめは腹心の存在である。気心が知れ、優秀な腹心がいることの心強さはビジネスの世界でも大きな役割を果たす。秀家は宇喜多騒動をまとめられなかったが、優秀な腹心がいればこれを最小限のダメージで回避できたかもしれない。八丈島で最期を迎えた秀家の心情は如何ばかりであったろうか。その心情を示す資料はあまり無いようだが、屈辱的な気持ちは当然あったろうし、あるいは政から離れられることを安堵する気持ちもあっただろう。豊富な資料で秀家の実像に迫った本書は、とても読みがいがあり面白いのでお勧めである。

ある先生との思い出

2019-10-18 21:38:58 | 仕事
作家が亡くなっても、その作品は生き続ける。先日、とある美術館へ出かけたとき、かつて私がお世話になり、5年ほど前に亡くなられた先生の作品が4点ほど展示されていたのを見かけた。そこには創作ノートも展示してあり、抽象表現に関する先生の私見が達筆な字と図によって、隙間なく綴られていた。思わず先生の顔が頭に浮かぶ。

先生と初めて会ったのは、10年程前だった。ある作家の展覧会を開催するため、その調査で先生のところへ伺ったのである。もうすでに80歳を越えていらして、足元のおぼつかないところはあったが、とても達者で、ご自宅を訪ねるたびにその作家のことや一緒に活動してきたことの思い出を話して下さった。ご自分の作品のことはあまり語らなかったが、ときどき私に作品を見せて、どんなことを感じるかをお尋ねになることがあった。そのとき、「私の絵はどんな風に感じてもらっても構わない。どう見えるか、絵の見方は人の勝手です。」とおっしゃっていたことを思い出す。先生は、よく近所のお店へカツレツを食べに連れて行って下さった。先生の好物がまさにカツレツらしい。80歳を過ぎているとは思えないほど、食欲が旺盛であった。

最後に話をしたのは電話越しである。「あなたは引っ込み思案の性格だが、いつまでもそれではいけない。どんどん前へ出て、積極的に仕事をすること。自分にはちょっと困難な仕事だと思っても、あなたならこなせるはずだから自信を持って。」とアドバイスを頂いた。この言葉は今でも私の心の支えになっている。学芸員の仕事が、先生と私とを結び付けてくれた。先生のお墓は、見事な桜で美しく彩られるお寺の一角にある。ときどきお墓参りに行って先生に手を合わせる。この仕事に就いて本当に良かったと思う。

胃痛から思うこと

2019-10-17 20:12:04 | その他
このところ、胃が痛い。この胃の痛さの表現として「しくしく」という言葉の使われるときがある。実際、私の胃もしくしくとしている。この言葉を使うと、どうも胃が泣いているような気がして、自分の胃なのに気の毒になってくる。痛みの原因はよくわからない。私の母も胃痛がひどいので、おそらくは私もそれを受け継いだのだろう。子供は親の似てほしくないところが似る。子供のときに、母からよくそう言われた。

胃痛というと、私は夏目漱石のことが頭に浮かぶ。バケツ一杯分を吐血した、などと生々しい話も読んだことのある気がするが、彼は長く胃痛を患いながらも、大きな仕事を成し遂げた。胃の病で亡くなった作家としては、尾崎紅葉、島木赤彦、折口信夫らがおり、彼らも同じように苦しんだのかと思うといたたまれない。貝原益軒の『養生訓』によると、「胃の気とは元気の別名なり」とある。「病甚しくても、胃の気ある人は生く。胃の気なき人は死す」とあって、今のままでは私はどうも長生きできそうにない。では、胃の気を養うにはどうすればいいかというと、飲食を少なくすることと説く。暴飲暴食はもちろんだが、飲食を少なくして、絶えず胃に空を作っておき、その働きを良くしておくことが肝要らしい。

コンビニやスーパーに行けば、美味しそうな食べものがいくらでもあるのが現在の日本である。この環境のなかで節制をするというにはなかなかに難しそうだ。だが、健康を保つためには自分に規律を設ける必要がある。「しくしく」という痛さから逃れられるのであれば、私はそれもいとわない…と言いたいところだが、たぶんそれは私には無理で、ほどほどにが私らしい。何はともあれ、早く胃には元気になってもらいたいものだ。

台風のなかで

2019-10-16 21:16:34 | 仕事
天災とはつくづく恐ろしい。10月12日から13日早朝にかけての台風19号の甚大なる被害を目の当たりにするに、道路のいたるところは泥にあふれ、ゴミが散乱し、川の堤防の側面は大きく削れている。私が勤務する美術館はやや高台にあるので被害はなかったが、街のなかは被害が大きく、外へ出るたびにとても心が痛む。

全国津々浦々の美術館で水害にあったケースはあまり聞いたことがない。だが、これだけ天災が多いと水害へのリスク管理も見直されなければならないだろう。仮に美術館が洪水に見舞われたとき、最も懸念されるのが展示室と収蔵庫にある作品の被害である。そこで2018年の西日本豪雨で注目された大原美術館のリスク対応が参考になる。大原美術館は、倉敷美観地区の運河沿いにあり、常に水害のリスクにさらされている。そこで同美術館は、倉敷市のハザードマップを元に、防水壁を導入しているほか、万が一のときには地下に展示されている作品を収蔵庫に戻すといった対応をマニュアル化しているという。

おそらく、どの美術館でも水害を防ぐためのマニュアルはあるし、実際に私が勤める美術館にもある。今回の台風では、そのマニュアルに沿って、作品を守るために収蔵庫の施錠を再度確認したほか、部分的に作品を上階へ運んで被害を最小限度に抑えようと行動した。こうしたマニュアルも、いざというときに動けなければ意味がないし、さらに、より作品を安全に守る方法がないかどうかを適宜検討していく必要がある。大原美術館の防水への意識の高さを私自身も学ばなければならない、と今回の台風を目の当たりにして感じた。

『ゴールデンカムイ』の世界

2019-10-14 22:29:44 | 読書感想
近頃、書店へ行くと北海道、とりわけアイヌ文化に関する本や雑誌をよく見かけるようになった。私の身近なところで思い起こしてみれば、1、2年ほど前に茨城県立歴史館で「イカラカラ・アイヌ刺繍の世界」展を見に行ったし、今年はNHK総合テレビでも北海道の名付け親である松浦武四郎のドラマが放送されている。こうした世間でのアイヌ文化への関心の高さには、ある漫画が関係しているのをつい先ごろ知った。それは野田サトルさんの漫画「ゴールデンカムイ」である。

「ゴールデンカムイ」は、明治30年代頃の北海道を舞台に、主人公の杉本佐一がアイヌ民族の少女アシㇼパと共に北海道に眠る金塊を巡って繰り広げる冒険活劇である。実在の年代や地名を扱うには、その背後に社会が描かれなければならない。それは小説も漫画も同じことである。本作でも日露戦争後に向かい合わなければならなかった人々たちの想いや明治期の北海道のおける各都市の特長、そして、とりわけアイヌ民族の暮らしが詳細に描写される。私自身、北海道に行った経験がほとんどないうえ、アイヌ文化にもこれまでほとんど関心がなかったが、この本を読んで新しい文化のひとつにふれることができ、学ぶことへの良いきっかけになっている。

そして同本を楽しみつつ、私は中川裕さんの『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)を読んでいる。アイヌの人々の考え方、すなわち、すべてのものに魂があるという「カムイ」の発想や食べものへの感謝の気持ち、自然との向き合い方などがわかりやすく紹介されており、まさにガイドブックとして適切である。モノがあまりにも雑多にあふれ、生活の便利さと引き換えに環境破壊が大きな問題になっている今日、こうしたアイヌの人々の精神性から、我々が学ぶべきことは多いだろう。文化を学ぶ。ただそれだけならば、何の意味もない。自分のなかに取り入れてこその知識である。私も日々の生活のなかで、その精神性を取り入れていきたい。

竹久夢二のスタイル

2019-10-12 18:00:00 | 展覧会感想
時代を象徴する絵というものがある。例えば、安土桃山時代の豪華絢爛な《唐獅子図屏風》や江戸時代の情緒的な名所絵、とりわけ葛飾北斎の『富岳三十六景』と歌川広重の『東海道五拾三次』がそのイメージとして挙げられよう。では、近代へ進み、大正時代はどうか。おそらく、誰しもが彼の名前を挙げるに違いない。竹久夢二である。彼は「夢二式美人」なるスタイルを確立し、さらにその精錬されたデザインは、多くの若い女性や一部の美術学生にとても支持された。現に大正時代の土産物の絵葉書には、よく夢二風の絵が見られ、他者から真似をされるほどに一世を風靡した。

現在、茨城県近代美術館で「憧れの欧米への旅 竹久夢二 展」が開催されている。若き日のコマ絵から肉筆の軸物、屏風、そして雑誌や楽譜の装幀の仕事まで、彼の画業をほぼ網羅した内容である。時代を風靡するほどに人気を博した彼であるが、美術学校を出たわけでもなければ、特定の師についたわけでもなく、特定の団体にも所属せずに、自らの道を歩いて行った。49年の人生において、比較的自由に多くの仕事ができたことは、こうした縛りがなかったこととも関係しているのかもしれない。展覧会を見る限り、私としては装幀こそが彼の本領であったように見受けられる。もっぱら主となるのは女性であり、多彩な表情と、衣装やスタイルにおいて時代の要素をうまく取り入れて描くのが彼の特徴だ。それらは、ビアズリー風の細いペン画によるときもあれば、表現主義風のやや抽象がかった前衛美術を吸収したものも見ることができる。そうした彼の手による雑誌や楽譜は、国内における印刷技術の向上に伴って、数多くの人の手元へ渡ったことだろう。

アマチュア、という言葉を使うと、プロフェッショナルと比較して一段低く見られがちである。美術学校において、専門的な美術を学んでこなかった竹久夢二は、作家として扱うならアマチュアなのかもしれない。「夢二式美人」の細くて崩れてしまいそうな女性の姿は、アカデミックな視点で見れば素人の絵のように見えてしまうに違いない。だが、彼の仕事ぶりを見ていると、アマチュアとプロフェッショナルを比較すること自体がすでにナンセンスに思えてくる。どちらにしろ、最も重要なことは、世の中で生き残るには自分自身のスタイルを確立できるかどうかの1点にあるのかもしれない。彼の膨大な作品の数々がそれを物語っているように思える。

芥川龍之介『るしへる』

2019-10-11 21:12:26 | 読書感想
古来より日本人はあの世を意識して暮らしていた。この世で良き行いをすれば極楽へ行き、悪き行いをすれば地獄へ行く。特に地獄については「地獄絵」と呼称される絵も方々に残っている。「地獄絵」と聞くと、私は漫画家の水木しげるを思い起こす。彼がまだ幼かった頃、水木家のお手伝い(のんのんばあ)に連れられて地獄絵を見、恐れおののいたというエピソードがある。彼にとって、その体験は漫画の原点のひとつにもなっているようだ。かく言う私は本物の地獄絵を見たことはないものの、学校図書館にあった地獄絵の本を同級生と読み、恐れおののいた覚えがある。舌を抜かれ、窯でゆでられ、飢餓で苦しめられる。悪いことをすると、こんな恐ろしいところへ行くのかと怖くて仕方がなかった。

さて、私が見た地獄絵には「悪魔」というものがいなかった。そもそも悪魔の存在はキリスト教との関係で現れるためである。芥川龍之介は南蛮ものの小説のなかで、次のような特徴ある言葉を好んで使う。それは「はらいそ」、「いんへるの」、「安助」、「るしへる」と言った言葉だ。それぞれ「天国」、「地獄」、「天使」、「悪魔」という意味になる。これらの言い回しを使って、彼は『るしへる』という小説を書いた。元和期の『破提宇子』(はでうす)の古写本から抜粋するというかたちで、物語は文語体で綴られる。南蛮寺の伴天連である巴毗葊(はびあん)の元にひとりの夫人が訪れる。この頃、彼女の耳に欲望を掻き立てるような声が聞こえるという。巴毗葊は教えを説いて夫人を帰すが、彼の前に「るしへる」(悪魔)が現れる。巴毗葊は悪魔との対峙を試みるが、相手はさすがに言葉巧みで次第に圧倒され…。

『るしへる』の悪魔は弁が立つ。そして人間の心の隙間に入り込むのがうまい。人は誰しも何らかの欲望を持っている。その欲望が暴れ出さないようにコントロールするのが理性である。であれば、悪魔とはその欲望を暴れさす存在であって、まさに理性の天敵となるであろう。我々にとってみれば、この世には悪魔がおり、あの世には地獄があって、どうも八方ふさがりの体である。生きるにしろ、死ぬにしろ、どちらも厄介でしかない。それならば、せめては「はらいそ」へ行けることを願いたいものだ。

同期の仲間たち

2019-10-10 21:21:12 | その他
池井戸潤さんの小説『オレたちバブル入行組』に始まるシリーズの主人公は半沢直樹という銀行員である。テレビドラマでは堺雅人さんが演じ、劇中の「倍返し」のセリフは一躍有名になった。彼はバブル経済期に銀行へ入行し、責任を取らない上司や周辺、あるいは銀行そのものの不条理と戦う。大きな組織と戦うとき、彼の大きな味方となるのが同期入行の仲間たちである。半沢は、彼らから様々な意見や情報をもらうことで、相手との情報戦で有利に立とうとする。

私にも同期が15人程いる。私が配属されたのは美術館だが、同期たちは行政の様々な仕事に携わっている。先週、久しぶりに顔を合わせる機会があって、近況の話に花が咲いた。一言で同期といっても中途採用もあるから、年齢も違えば、社会人経験も違う。それでも気を遣わずに言いたいことを言い合える仲間たちで、お互いに情報交換しあうのはもちろん、悩みや困ったことがあればみんなで考えて解決策を出す。私は学芸員だから、よくお勧めの展覧会や美術のトレンドについて聞かれることが多い。実際、私がお勧めした展覧会を見に行って感想を教えてくれる人もいて、私としても、美術に興味を持ってくれることが、とても嬉しい。

一方、櫛の歯が抜けるように辞めていく同期が相次いだり、極端に仲が悪く一切口もきかない同期がいる世代もあると聞く。そうしたなかで半沢直樹の小説のように、良い同期たちに恵まれたことを、私はいつも感謝している。人と人との出会いには何かしらの縁があるのではないか。「袖振り合うも他生の縁」という言葉もある。これからもこの縁を大切にして、お互いに助け合いながら、一緒に歩んでいきたい。

世の中は美しいものであふれている

2019-10-09 21:56:50 | 読書感想
5、6年前、出張先で電車待ちをしているときにそれは突然やってきた。心臓が急にバクバクしだし、立っていられないほどのめまいがして、自分は死んでしまうのではないかという不安が一気に押し寄せてきたのである。そのときは幸いなことにホームで5分程度じっとしていたら、症状はすぐに収まった。私は季節が夏だったことから、始めは熱中症にかかったのだと思った。だが、その後もその症状はときどき起こり、しだいに熱中症でないことに気づき始めた。どうも私は仕事のストレスから神経が参ってしまったらしい。

マット・ヘイグというイギリスの作家が『#生きていく理由』(那波かおり訳、早川書房)を書いている。彼もまた何の予兆もなく、うつ、自律神経失調症、パニック障害になった。彼は当初死んでしまいたいと思っていたが、周りの人たちの支えがあって、さらにそれらの症状を和らげるためのいくつかの方法(ヨガや瞑想など)を継続することで症状と向き合うことができるようになった。私はときおり症状が出るくらいで薬も飲まずに日常生活を過ごすことができているから、彼ほど悩み苦しんだわけではない。だが、症状といい、症状を誘発するものといい、気分転換の方法といい、彼と私はよく似ていて、どうも他人事とは思えない。彼が私のために書いてくれたのではないかと錯覚するほど、この本に共感するところが多いのである。

現代社会はストレス社会だとよく言われる。心を不安にさせる情報は至るところに溢れているし、仕事ではスピードを求められ、こなしてもこなしても次々とやってきてきりがない。これでは体が壊れるのは無理もないだろう。私は美術館に勤めていることを何よりも幸せだと思っている。神経が参ってしまった時期はあったものの、やはりこの仕事は好きだし、つらいことがあったときには絵を見ていると心が落ち着く。アートセラピー、という言葉があるが、私も絵に随分に癒され、また、助けられている。

最後にマット・ヘイグが生き方について述べたアドバイスのなかから、私が気に入った文言をひとつ紹介しよう。


「どこにいても、どんなときも、美しいものを探そう。誰かの顔、詩の一節、窓から見える雲、小さな落書き、風力発電の風車。美しいものは心を浄化する。」


久しく忘れていたが、確かに世の中は美しいものであふれているのだった。