東京に縁もゆかりもない私ですが、駒場東大前駅には親しみを感じています。なぜなら、一時期この駅をよく利用していたためで、と書くとなんだか私が東京大学に通っていたかのような誤解を与えてしまいますが、私が通っていたのは日本近代文学館のほうで、調べものをするために開館と同時に入室し、昼ごはんも食べずに夢中になって閉館近くまで調査をしていたものでした。
今回の目的は日本民藝館で、こちらは約10年ぶりの再訪です。建物の前で日本民藝館を眺めると、相変わらず威厳があって、その風格に圧倒されそうになります。けれど、玄関(入口)の戸をがらがらと開けて室内に入ると、目に入るのが左右に分かれる階段であって、それが「あなたを待っていました」と話しかけてくれているような気がしてとてもうれしい。
日本民藝館は基本的に1階が2室、2階が5室程度の部屋に別れていて、それぞれのテーマに基づいて作品が展示されています。他の博物館や美術館と違うのは建物があって作品がある、というよりも、作品があって建物があるという調子のところで、「民藝」のコンセプトのなかで建物と作品の調和が見事になされている点にあります。また、展示作品として軸ものや陶器、染織、版画などを扱う割にはガラスケースを多用していません。ゆえに私たちと作品との物質的な距離が近く、細かいところまでじっくり観ることができます。私などは作家との精神的な距離も近くなったような気持ちになります。キャプションも極めてシンプル。タバコの箱よりも小さな黒い板面に、タイトルと作家名、制作年などの必要最低限の情報だけが朱書きされています。日本民藝館に来ると、不思議な事に解説が無くても違和感がありません。もしも日本民藝館に、この作品は云々、と解説があったのなら、なんだか野暮ったく感じるかもしれない。日本民藝館の主であった柳宗悦の目が、今も行き届いているかのようです。
さて、肝心の展覧会の中身についてはまだふれていないのですが…今日はここまでにして、後日書くことにいたしましょう。
今回の目的は日本民藝館で、こちらは約10年ぶりの再訪です。建物の前で日本民藝館を眺めると、相変わらず威厳があって、その風格に圧倒されそうになります。けれど、玄関(入口)の戸をがらがらと開けて室内に入ると、目に入るのが左右に分かれる階段であって、それが「あなたを待っていました」と話しかけてくれているような気がしてとてもうれしい。
日本民藝館は基本的に1階が2室、2階が5室程度の部屋に別れていて、それぞれのテーマに基づいて作品が展示されています。他の博物館や美術館と違うのは建物があって作品がある、というよりも、作品があって建物があるという調子のところで、「民藝」のコンセプトのなかで建物と作品の調和が見事になされている点にあります。また、展示作品として軸ものや陶器、染織、版画などを扱う割にはガラスケースを多用していません。ゆえに私たちと作品との物質的な距離が近く、細かいところまでじっくり観ることができます。私などは作家との精神的な距離も近くなったような気持ちになります。キャプションも極めてシンプル。タバコの箱よりも小さな黒い板面に、タイトルと作家名、制作年などの必要最低限の情報だけが朱書きされています。日本民藝館に来ると、不思議な事に解説が無くても違和感がありません。もしも日本民藝館に、この作品は云々、と解説があったのなら、なんだか野暮ったく感じるかもしれない。日本民藝館の主であった柳宗悦の目が、今も行き届いているかのようです。
さて、肝心の展覧会の中身についてはまだふれていないのですが…今日はここまでにして、後日書くことにいたしましょう。