学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

球速は135キロ

2015-08-30 20:57:26 | その他
最近はどうも雨の日が続きますね。

昨年ぐらいから、ストレス解消のためにバッティングセンターに通っています。

通い始めたばかりのころは、恥ずかしながら、80キロの球速がやっと…。隣で100キロをバンバン打っている小学生に驚きました。

そんな私でも、何とか110キロくらいまで打ち返せるようになり、とてもとてもうれしい。

今日は初めて135キロに挑戦!!

初の135キロは早いのなんの…5球くらいはバットにかすりもしない。

これは球の速さに目を慣らさなくてはと、球を打つというよりも当てる作戦に変更。それも確実に当てるために送りバントをすることにしました(笑)

周りの目を気にしながら、数球を送りバントで目を慣らします(笑)

すると意外と目は慣れるもので、最後には何とかゴロ程度は返せるようになりました。

打ち終えた後、言い知れぬ満足感が…(笑)


明日からまた仕事、現実に戻りますが、頑張ります!

日記と記録

2015-08-23 12:22:04 | 仕事
お盆が過ぎて、高校野球の決勝が終わっても、日中はまだ暑い。けれども、秋はちゃんと近づいていて、日が暮れれば大分涼しいし、心地よい虫の音が耳に入るようになりました。

今、私はある展覧会の企画を担当していて、その調査のために江戸時代の医師がつけた日記を読んでいます。読むといっても、私は古文書がさほど読めないので、古文書担当のスタッフが活字にしてくれたものを読ませてもらっています。ありがたいことです。

さて、その医師の日記。読み進めていくうちに思ったのは、個人的な感情が一切書かれていないこと。具体的には誰々の命が助かって良かったとか、往診に出かけようとしたら雨が降ってげんなりした、とか、そういった喜び、笑い、悲しみ、怒りなどの個人的な感情がないのです。ただ淡々と書かれている。

○月○日 雨。○○来ル。○○ヘ行ク。夜半、○○ト共ニ酒ヲ供ス。

およそ、上記のような調子で、延々と続くのです。日記というより、記録に近いかもしれない。

私は「私」というものが介在しない日記というものに興味が湧いてきて、同時代(その医師と同年代)の武士の日記を調べてみました。すると、やはりそう。同じような調子で続いていく。個人的な感情は出てこない。

私はこの2つの例しかまだ知らないのですが、どうも今の日記とは捉え方が違うのだなあと感じました。そもそも日記とは、どういう意図があって書かれるのだろうか。個人的な感情が入ることと入らないことで何が違うんだろうか。

江戸時代の日記と、現代の私たちがつける日記の比較が、しばらく頭の中で続きそうです。


ロゴマークを考える仕事

2015-08-21 20:43:43 | 仕事
ひょんなことから、ロゴマークを考える仕事を仰せつかりました。

これは弱ったなあ、というのが、初めの正直な気持ち。

私は美術館で働いていた経験はありますが、デザイナーではないのです。すなわち、筆は持てても、絵筆は持てない。

この仕事を仰せつかってから、朝昼晩とロゴマークのことばかり考えています。当然、お風呂のなかでも(笑)

何か浮かびそうな浮かばなさそうな…。

締め切りは平成28年3月です。

弱ったなあ、と思いつつも、だんだん考えることが楽しくなりつつある今日この頃。

クリエイティブな仕事はなかなか遣り甲斐がありますね。

新しい仕事に縁を感じつつ、みなさんに素敵だと言われるロゴマークを考えたいと思います。

美術をやってたのにセンスがないね、などと言われないかが怖いのですが…(笑)

戦国時代の変り兜

2015-08-20 21:51:00 | 読書感想
先日、調べものをするためにふらりと図書館へ行ったら、とある本が目に付きました。

それは『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(橋本麻里著 新潮社 2013年)です。

この本は戦国時代もしくは江戸時代の武士たちの兜のデザインに注目したもので、兜といっても単なる兜ではない。兜の装飾は、ムカデ、トンボ、ウサギ果てはゾウといった生きもののほか、「タワー型」と称される背の高い兜、「マジンガー型」と呼ばれるメカニックなイメージの兜など、ありとあらゆる変わった兜を集めた本なのです。

私自身、狙い撃ちされても目立ちたいという武士たちの命がけの変り兜には魅力を感じていて、それなりに本でデザインを見てきたつもりでしたが、ぱらぱらとめくってみると、初めて見た兜もあって、家でじっくり読みたいと図書館から借用してきました。

思わず笑いたくなるデザインの兜が多々ありますが、なかでも驚かされたのは国立歴史民俗博物館で所蔵している眼鏡(ゴーグル)付の兜。誰がこんな兜を考えたんだろう、そしてなんて面白いんだろうかとにやりとしてしまいました。

各兜には、著者の橋本さんの軽妙な解説もついていて、それがまた興味を増幅させてくれます。

変り兜、改めて面白いものだと感じました。

大地の芸術祭(もぐらの館)

2015-08-19 21:20:07 | 展覧会感想
今日からブログは、再び「大地の芸術祭」です。

《下条茅葺きの塔》を見ていたとき、ボランティア解説員から強く勧められたのが《もぐらの館》でした。なんでも、その解説員が仲間たちと酒を酌み交わしたときに、今回の「大地の芸術祭」は《もぐらの館》がすごい、と大盛り上がりになったらしい。解説員のアドバイスをありがたく頂戴するとともに、地元の人たちがアートをつまみに酒を交わすことの豊かさに驚かされました。

私たちは解説員から勧めていただいた《もぐらの館》へ向かいました。

街道から外れて、山の中をうねうねと入ると、閉校した小学校へたどり着きます。

校舎の前に、まるで学校の主のような存在感を持つ大平和正さんの《風環元「球体01」》が、でんと構えています。

ぜひ近くで見てみなければ、と車から降りると、やはりすさまじい暑さ。暑くて頭がくらくらする。

じっくりと見たいのですが、体調と相談して、まずは屋内から。校舎の廊下及び壁面は土だらけ。まるでモグラの巣のなかへ入って行った気持ちになる。各教室ごとに作品が展示されていて、「土」という素材の可能性をどこまでも感じさせてくれます。特に《土壌モノリス》は、いくつもの土地ごとの地層を縦長のケースに取り入れて作品にしたもので、私たちが踏みしめる土壌の色彩、風合いなどに意識を向けさせてくれるものです。

屋内を巡った後、再び《風環元》のもとへ。間近で見ると、やはり大迫力。円でありながら、転がるような不安定さというものはまったくなく、どっしりとしています。かといって、決して我が強いわけではなく、木材の風合いが周りと調和して、あまり違和感なくそこに存在している。不思議…。

解説員からお勧めいただいた通り、とても楽しむことができた場所でした。

次は光の館周辺をご紹介したいと思います。

あれから70年

2015-08-16 09:35:49 | その他
来るまでは長くて、来たらあっという間に終わるのが連休の常で、私のお盆休みも今日で終わりです。

ここ数日、ブログで「大地の芸術祭」を書いていましたが、今日は休題させていただきます。

さて、昨日の8月15日で終戦から70年となりました。戦争を体験した人が年々少なくなっています。

私の祖父も太平洋戦争で戦地へ赴いたらしい。らしい、というのは、祖父から戦争の話を直接に聞いたことがないからです。

子供の時分、家系のなかで先の戦争で亡くなった人はいたのかと父に聞いたことがあったのですが、そのときに教えてくれたことは2つ。

祖父が戦争へ行った(らしい)、祖父の兄弟?が戦死した(らしい)、と話してくれました。

らしい、ばかりなので、父もあまり知らなかったようです。

祖父が戦場に行っていたことがわかったのは、亡くなった後に出てきた古い写真からでした。

具体的な日付や場所の記載はありませんでしたが、背景に写っている写真などを見ると中国の戦線で撮影されたよう。

終戦時、祖父の年齢は26歳。確かに写真の祖父は若い。

その写真を見て、父が思い出して言うには、戦場の最前線に食糧や弾薬などを調達する係をしていたとか。

祖父がどんな思いをして戦場へ行ったのか、今はもはや知る由もなし。

父が話してくれた、戦死したらしい祖父の兄弟について。

戦後、祖父は農家としてお米やりんご、さくらんぼなどの栽培を続けながら、一方では歴史が好きで家系図を作っていました。

それが今でも残されていて、それを見ると祖父の父の兄弟が戦争で亡くなっているようでした。時期でいえば、日露戦争でしょう。


昨夜は花火大会へ出かけてきました。人で大賑わい。空に舞ういくつもの花火をいつまでも見ていました。

戦場から無事に戻ってきた祖父と大変優しかった祖母への感謝を心に浮かべながら。

大地の芸術祭(JR下条駅周辺)

2015-08-10 21:35:00 | 展覧会感想
昼を越えて、新潟の日差しはますます強くなってくる。熱中症になるまいとドリンクをごくごく飲む。飲めば汗はだらだら流れる。水分が胃を通さずに、そのまま皮膚から流れ出ているような感覚でした。

キナーレから20分ほど車を北へ走らせて、JR下条駅周辺の作品を見てきました。

天野行雄さんの《物怪観光妻有之荘》。天野さんが地元妻有の方々に聞いた不思議な妖怪たちの話を作品にしたもの。私は水木しげるさんの絵が好きで、水木さんの絵を通して大体の妖怪を知っているつもりだったのですが、見たことのないような妖怪の姿もあって興味津々。

JR下条駅の前へたどり着くと、とんがった茅葺の屋根をした作品があります。みかんぐみ+神奈川大学曽我部研究室の《下条茅葺の塔》です。ここでは地元のボランティアのおじい様が作品の解説をして下さいました。

「大地の芸術祭」の嬉しいところは、こうした地元の方々と話をする機会が多いということ。色々な話を伺うことができます。

さて、ボランティアの方に、茅葺のなかは涼しいから中に入ってごらん、と言われ、半信半疑ながら中に入ると…涼しい!生き返るようでした。この作品は妻有の歴史をベースに制作されており、塔のなかの内側側面には様々な民具が展示されています。一見したところ、川で魚を取る道具が多かったように見受けられたのですが、妻有の人々の生活が伝わってくるようでした。


さて、次は少々山のほうへ歩を進めます。

大地の芸術祭(十日町市周辺)

2015-08-09 08:35:35 | 展覧会感想
私たちはキナーレを後にして、十日町市内周辺を歩きました。

市内の中心商店街は、北から南にかけて、ひさしのついた歩道がずっと続いていて、直射日光を避けられるのが嬉しい。

地方の商店街はシャッター通りになってしまっているところが多いのですが、十日町市内はそうではなくて、それなりに店は開いていて、人の通りがある。もちろん、商店街を離れたところには、大型のモールはあるのだけれど、むしろそちらよりも、商店街のほうが人通りがあったような気がしました。


十日町市内では、ホアン・スーチェさんの《合成ミクロコスモス2015》を見ました。

中は薄暗く、窓には暗い特殊なフィルムが貼られていて、自分たちが異空間にいるような感覚に…。

さらに電気仕掛けで、会場側面の壁にあるビニール(ダンサーの足の形を思わせる)が上がったり、下がったりする。

なんだかネオンに照らされた、アメリカの古い映画を思い出すような作品でした。

会場はかつてのバーだったところから、そうした過去の賑わいを演出したものなのでしょうか。


このほかにも、見ごたえのある作品はあってご紹介したいのですが、1点1点紹介するのは難しく、さらに私の筆が立たないので、写真を使わずに現代アートを説明するのがなかなか難儀でして…。

次は「うぶすな」方面のことを書きたいと思います。

大地の芸術祭(キナーレ)

2015-08-08 21:59:08 | 展覧会感想
昨日、新潟県の十日町市周辺で開催されている「大地の芸術祭」に行ってきました。

新潟県は標高が高い、高ければ暑さはしのげるだろう。

そう私は勝手に考えていたのですが、照り付ける日差しはなかなかどうして暑いもの。

汗がだらだらと流れ落ちる。ただ、時折、街を吹き抜ける風がなかなか涼しい。

一体暑いのだか、暑くないのだか、よく体がわからないまま、まずは十日町市のキナーレへ。

入口から迎えてくれるのが、蔡國強さんの『蓬莱山』。

3年前に展示されていた作品もそうだったのですが、キナーレの中央吹き抜けに展示される作品は、どれもダイナミック。

本作は蓬莱山から霧や川が流れる仕掛けを作り、その周囲を藁で編んだ空母、飛行機、ヘリコプターなどがぐるりと巡っています。

何か昨今の社会情勢を匂わせるものですが、空母などが藁で編まれているのが滑稽で、深刻な感じは受けません。

ユーモア、もしくはアイロニー、そうした要素を私は感じました。

美術館内に入って、2階から外を眺めると、藁の飛行機などが水平に見えるのも、なかなか面白し。


展示されている作品は3年前とあまり変わらなかったけれど、クワクボリョウタさんの作品はまた見れて嬉しい。

クワクボさんの作品は、鉄道模型の電車の前にカメラを仕掛けて、電車が動くたびに様々な風景が影絵となって壁面に現れるというもの。

何度見ても、わくわくして、子供のころに帰ったような気持ちになる。


まだまだ書き足りないのですが、とりあえず、お昼にキナーレの食堂でピザをほおばり、十日町市の街を歩きました。

その続きはまた明日…。

小説家の阿川弘之さん

2015-08-06 22:03:23 | 読書感想
今朝、ニュースを見ると、小説家の阿川弘之さんが亡くなったと報道されていました。

書籍を読んだことのある小説家が亡くなるのは、長い付き合いのあった友人を失ったかのように悲しい。

私が阿川さんの名前を初めて知ったのは、中学生の時分のこと。

遠藤周作さんのエッセイに登場する阿川弘之さんでした。

それは遠藤さんと阿川さんの恐怖体験で、2人がそろって幽霊を見たので、怖くなって外に飛び出して逃げたような話だったと記憶しています。

そのときは、なんだか愉快な2人だなあ、と思うのみで。

それから数年がたって、初めて読んだ著作が『井上成美』でした。

井上成美は海軍大将。阿川さんは取材を元にして、井上の評伝を書き上げたのでした。


一時期、私は自分はどうあるべきなのか、必死に悩んで毎日暮らしていた時期があります。

そのとき、手に取った本が『井上成美』だったのです。

阿川は井上の武勇伝ではなく、人間、そして教育者としての井上にスポットを当てています。


広く世界を見渡して物事を考えることの出来る良い意味での国際人にならなくてはいけない。

人間はジェントルマン、あるいはレディでなければならぬと、日頃の立ち振る舞い、言葉遣いを徹底する。

英語を学ぶことで、視野が広くなる。ゆえに文法から発音に至るまで基本を叩き込む。

人生には笑いとゆとりが必要である。ガチガチの指導は生徒が委縮する。


こうした阿川さんの筆で書かれる井上像には、随分教えられることがありました。

『井上成美』は私にとって大切な本となったのです。


阿川さんに心から感謝をするとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。