時代を象徴する絵というものがある。例えば、安土桃山時代の豪華絢爛な《唐獅子図屏風》や江戸時代の情緒的な名所絵、とりわけ葛飾北斎の『富岳三十六景』と歌川広重の『東海道五拾三次』がそのイメージとして挙げられよう。では、近代へ進み、大正時代はどうか。おそらく、誰しもが彼の名前を挙げるに違いない。竹久夢二である。彼は「夢二式美人」なるスタイルを確立し、さらにその精錬されたデザインは、多くの若い女性や一部の美術学生にとても支持された。現に大正時代の土産物の絵葉書には、よく夢二風の絵が見られ、他者から真似をされるほどに一世を風靡した。
現在、茨城県近代美術館で「憧れの欧米への旅 竹久夢二 展」が開催されている。若き日のコマ絵から肉筆の軸物、屏風、そして雑誌や楽譜の装幀の仕事まで、彼の画業をほぼ網羅した内容である。時代を風靡するほどに人気を博した彼であるが、美術学校を出たわけでもなければ、特定の師についたわけでもなく、特定の団体にも所属せずに、自らの道を歩いて行った。49年の人生において、比較的自由に多くの仕事ができたことは、こうした縛りがなかったこととも関係しているのかもしれない。展覧会を見る限り、私としては装幀こそが彼の本領であったように見受けられる。もっぱら主となるのは女性であり、多彩な表情と、衣装やスタイルにおいて時代の要素をうまく取り入れて描くのが彼の特徴だ。それらは、ビアズリー風の細いペン画によるときもあれば、表現主義風のやや抽象がかった前衛美術を吸収したものも見ることができる。そうした彼の手による雑誌や楽譜は、国内における印刷技術の向上に伴って、数多くの人の手元へ渡ったことだろう。
アマチュア、という言葉を使うと、プロフェッショナルと比較して一段低く見られがちである。美術学校において、専門的な美術を学んでこなかった竹久夢二は、作家として扱うならアマチュアなのかもしれない。「夢二式美人」の細くて崩れてしまいそうな女性の姿は、アカデミックな視点で見れば素人の絵のように見えてしまうに違いない。だが、彼の仕事ぶりを見ていると、アマチュアとプロフェッショナルを比較すること自体がすでにナンセンスに思えてくる。どちらにしろ、最も重要なことは、世の中で生き残るには自分自身のスタイルを確立できるかどうかの1点にあるのかもしれない。彼の膨大な作品の数々がそれを物語っているように思える。
現在、茨城県近代美術館で「憧れの欧米への旅 竹久夢二 展」が開催されている。若き日のコマ絵から肉筆の軸物、屏風、そして雑誌や楽譜の装幀の仕事まで、彼の画業をほぼ網羅した内容である。時代を風靡するほどに人気を博した彼であるが、美術学校を出たわけでもなければ、特定の師についたわけでもなく、特定の団体にも所属せずに、自らの道を歩いて行った。49年の人生において、比較的自由に多くの仕事ができたことは、こうした縛りがなかったこととも関係しているのかもしれない。展覧会を見る限り、私としては装幀こそが彼の本領であったように見受けられる。もっぱら主となるのは女性であり、多彩な表情と、衣装やスタイルにおいて時代の要素をうまく取り入れて描くのが彼の特徴だ。それらは、ビアズリー風の細いペン画によるときもあれば、表現主義風のやや抽象がかった前衛美術を吸収したものも見ることができる。そうした彼の手による雑誌や楽譜は、国内における印刷技術の向上に伴って、数多くの人の手元へ渡ったことだろう。
アマチュア、という言葉を使うと、プロフェッショナルと比較して一段低く見られがちである。美術学校において、専門的な美術を学んでこなかった竹久夢二は、作家として扱うならアマチュアなのかもしれない。「夢二式美人」の細くて崩れてしまいそうな女性の姿は、アカデミックな視点で見れば素人の絵のように見えてしまうに違いない。だが、彼の仕事ぶりを見ていると、アマチュアとプロフェッショナルを比較すること自体がすでにナンセンスに思えてくる。どちらにしろ、最も重要なことは、世の中で生き残るには自分自身のスタイルを確立できるかどうかの1点にあるのかもしれない。彼の膨大な作品の数々がそれを物語っているように思える。
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