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学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

仙台市博物館

2025-08-16 13:50:00 | 展覧会感想
 帰省の合間をぬって、数年ぶりに仙台市博物館を訪れた。この博物館は、中心市街地から西へ、広瀬川にかかる大橋を渡ったところにある。かつての仙台城跡の一角にあり、今でも水堀をかかえ、往時を偲ばせる。
 特別展「伊達を継ぐもの」のトータルな部分は別にして、1点ごとの資料そのものが魅力にあふれ、特に伊達綱宗の指面は極めて奇妙なものだが、そこに藩主の趣向が色濃く出ているし、堀田正敦が編集した『禽譜』は実見した鳥類の姿をできるだけ丹念に写しとり、そのときの状況を細かく記録したもので、博物学としてのまとまりがあって面白かった。また、山家清兵衛の怨霊を描いたとされる軸ものもあったが、いわゆる幽霊の姿ではなく、武者の兜を高台に乗せる図案で、怨霊を描くのに見立ての手法を用いていることに驚かされた。
 さて、一方の常設展は、いつの頃からか黒を基調としたシックな展示室に変わっていた。以前から足を運んできた私には寂しさもあったが、幸いというべきか、コレクション展示室1や慶長遣欧使節団の部屋は以前のまま残しておいてくれたことが嬉しい。この両展示室は資料が部屋を選ぶ。最適な空間を残しておいてくれたことに感謝したい。子どもが遊んで学べるプレイミュージアムも健在だ。仙台に来たら、ぜひ訪れて欲しい施設のひとつである。
 
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論文との付き合い

2025-08-14 21:07:44 | 仕事
 学芸員は、ある事柄を調査したら、その成果を論文におこし、対外的に示すことで、社会、しいては文明の進展に寄与する。よって、常日頃から、自分の感度を高く保ち、美術館に足を運んだり、画集を眺めたり、あるいは社会についての問題意識をもって過ごしていかなければならない。とはいえ、これはなかなか容易なことではない。
 私自身、学芸員となって数年間は普段の仕事をこなすのが精一杯で、論文を書く余裕が全く無かった。だが、あるとき、当時の館長から「論文を書かない学芸員は存在していないのと同じだ」と痛烈な言葉をいただいた。論文を書く書かないは仕事の問題ではない、自分自身の問題なのだと。普段は温和な方だっただけに、その言葉の重みを強く感じて、私は大いに反省した。以来、どんなに忙しいときでも、たとえ5分間しか時間が取れなかったとしても、少しずつ文章を書き進めて、年1回は必ず論文を出すようにしている。論文を書くことは体力も時間も使う。だが、執筆活動は自分の能力を高めることにもつながるし、調査の中で新しいことを誰よりも早く発見する楽しみもある。それに、その結果が対外的な評価を受けることで、独りよがりの考え方にならぬよう、自分への意識付けにもなる。
 過日、このたび自分が執筆した論文の抜刷を、その元館長へ近況報告も兼ねてお送りしたところ、わざわざ葉書で過分なお褒めの言葉をしたためてくださった。ご高齢になられ、公職からは引退されたが、今でも独自に研究を進めておられる。そういう研究者に出会えた縁に心から感謝したい。 
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戦後80年目

2025-08-05 20:34:31 | 読書感想
 今年の8月15日をもって、太平洋戦争が終わってから80年目となる。
 私の祖父は召集されて中国大陸へ出征した。そこでは前線へ物資を輸送する任務についていたらしい。幸いにも命を失うことなく帰国した。祖父は今から15年ほど前に亡くなったが、ついぞ孫の私にはそのことを語らず、葬儀の時に見つかったという、無造作に積んであった古い写真を見ていたときに、叔父と叔母が祖父の過去を教えてくれた。
 吉田裕氏の『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』(中公文庫、2017年)を読んだ。祖父のように、民間人で召集された人たちが戦地でどのような経験をしたのかを記した好著である。戦場での栄養失調、極度の緊張による精神病(自殺も)、蚊が媒介するマラリア、内部でのいじめ、そして戦病死と餓死。そこには祖父が経験した確かな「現実」があって、そこに悲惨さのあまりに本を閉じたくなる私の「現実」が重なる。祖父が中国大陸で何を経験したのかはわからないが、もう思い出したくもなかったのだろう。孫に語りたくても語れなかったのが正直なところだったのではないか。本書を読んでからそう考えている。
 まだ涼しさのある早朝、ある家の前を通りかかったら、親子とおぼしき2人が互いに冗談を言い合いながら、庭の手入れをしているのを見かけて微笑ましかった。そばの川に目を移すと、何人もの釣り人が川魚を狙って静かに糸を垂らしている。柵ごしに彼らの姿をにこやかに眺め、見守る初老の男性たちの集まり。近くの藪から鶯の威勢の良い鳴き声がする。これが戦後80年目の夏である。
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ある絵師を追って

2025-07-25 19:56:00 | 仕事
 今冬の企画展に向け、1年以上前からある絵師の作品を追っている。その絵師は江戸後期に生まれ、大正の終わりと共に生涯を閉じた。作品を所有するのは、かつての旧家で公的機関には一切ない。そのため、さまざまな情報をたどりながら、20件近いお宅に調査へ伺わせていただいた。1点ずつ作品と向き合い、主題や筆、色使いを間近で確認し、コンディションや来歴などについて聞き取ってゆく。来歴については世代が変わり、不明なことが多くなってきているものの、その家の歩みを聞くことによって、この街の過去が立ち上がる。
 これまでに50点近くの作品を確認することができた。地域の絵師・作家を調査し記録する行為は、その美術館が担うべき重要な役割で、館の存在意義にもつながる。郷里の作家を大切にし、作品を残してゆくこと。それが地域の文化の層を厚くする。さらに、こうした調査の積み重ねがあってこそ、展覧会は開催されるべきものになる。このことは学芸員にとっての基本であるが、とかく忘れられがちで、熱量が少なく観念ばかりが先行する展覧会はあまり褒められたものではない。展覧会は学芸員の熱量によって支えられる。このことは常に意識しておきたい。
 7月も中頃になり、子どもたちも夏休みに入ったせいか、街全体がゆるやかな雰囲気になっている。これはおそらくお盆くらいまで。社会人にとっても怠惰への誘惑が続くが、アウグスティヌスは「労苦によってはじめて身体の栄養を得る」と述べた。展覧会に向けての作品の調査はまだしばらく続く。自分に一定の規律を課して、この夏を乗り切りたい。
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駒井哲郎

2025-07-09 20:57:35 | 読書感想
 7月。草木には、太陽の強い日差しなど一向に気にならないようで、むしろ、一層生命力を増すかのように青々と見える。散歩を日課とする私にとっては、歩道に一定の間隔で植栽された樹木の広い木陰が嬉しい。街のなかのささやかな清涼である。
 過日、ある作家から駒井哲郎の『銅版画のマチエール』を譲っていただいた。駒井による銅版画の詳細なテクストだが、執筆時、すでに本人は病におかされており、口述筆記も交えながらも校了したものの、ついに本人がこの自著を見ることはかなわなかった。駒井は東京美術学校の卒業生だが、すでに入学前から銅版画に関心を持ち、西田武雄の元でそれを学びつつ、作家としてはルドンをこよなく愛した。駒井の画集を開くとき、「現実世界が虚像に見える」との言葉どおり、それらの作品には作家の心象がしっかりと刻まれているのが分かる。特にアクアチントによる柔らかな線から構成される図案から、駒井の内面にある詩や音楽、哲学の厚みを私は感じる。日本においては、伝統的な木版に比べ、銅版自体の歴史が浅いため、駒井は自分なりに作品を支えるものを探し、作り上げることに苦心しなければならなかった。実際、駒井の30代の手紙を読むと、作品の制作に対し、極めて弱気な一面が何度ものぞく。だが、その後、自分なりに解を出し、立派な仕事をなしたうえ、最後には命を削って『銅版画のマチエール』を私たちに残した。
 それにしても、今日、こういう優れた作家が書いたテキスト自体が書店で売られているのを見なくなって久しい。読みものとして読め、作家にとってはひとつの指標になるようなものが。そこに文化の凋落を感じるのは、余りにもうがった見方だろうか。
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花見へゆく

2025-04-06 17:24:37 | その他
先月だったか、自然系を研究している在野の先生から、今年は野鳥の数が極めて少ない傾向にある、と聞かされた。そのときはあまり関心がわかなかったのだが、4月に入って桜は咲けどもウグイスの声をほとんど聞かない。3月の末に、自宅近くの山からちょっと鳴いた声が聞こえたくらいである。毎年うるさいほど鳴くのであるが。

週末、子どもにせがまれて家族で花見に出かけた。天候は晴れ、川沿いに桜並木がずらりと並び、大勢、といっても東京の上野に比べれば、全然いない、互いの肩がぶつからないくらいの人手で、ゆっくりと花見を楽しむことが出来た。屋台で焼きそば、焼きイカ、かきごおりを買い、適当に腰をかけて、肝心の桜を背に、川の流れを見ながら食べる。たくさんの子どもたちが川の浅瀬で遊んでいて、その奥には菜の花が横一列に並び、黄色が映えて見える。ふだん、コンクリートの箱のようなところで働いているから、自然のなかにいると心地よいことこのうえなし。帰り際、キジとヒヨドリが元気に鳴く声を聞いた。少しずつだが、野鳥たちも戻ってきているのかもしれない。

さて、家に帰ってから、どうにも鼻がむずむずして、くしゃみが出て仕方が無い。なんだか花粉症が悪化してしまったらしい。新しい論文を書こうとしたが、まったく集中できないので、10分程度で筆を置いてしまった。幸せな時間を過ごした代償かしらん。明日は少し症状が落ち着くといいのだけれど。
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不可解な出来事

2025-03-30 11:29:58 | その他
このところ、私の周辺の書店から「講談社文芸文庫」だけが消えるという謎の現象が起きている。

ことの始まりは、1年程前、私の家から最も近いA書店にあった10冊程度の講談社文芸文庫が一斉に消えたことである。そのときは、まあ、あのレーベルは高いから売れなかったのだろう、ぐらいに思っていた。次にその半年後、大手のB書店が撤退した。B書店は、街中で最も講談社文芸文庫を置いていた店で、そのショックはかなり大きかった(そのときは1万円札を握りしめ、閉店前に買えるだけの冊数を救出した)。さらに話は続く。B書店ほどではないにしろ、C書店にもそこそこ置いてあって、それが唯一の救いだったのだが、先日久しぶりに行ったところ、なんと文庫が棚ごと消えていたのである。

これは私をおとしめるための何者かの陰謀??????

私の周辺にD書店の存在はない。よって、講談社文芸文庫を手に入れるためには、県外にまで出なければならなくなった。

この状況は極めてよろしくない。なぜなら、このレーベルを買って読むことが私の人生の楽しみになっているからである(妻にはまったく理解されていないが)。カラフルな装幀、表紙の金銀の文字、活字の組み方、紙質、さらにほぼ外れなしのラインナップ。金額は高くても、身銭を切っても読みたいほどの価値がある(そういっても妻は理解しないが)。

これからの頼みはA書店とC書店が再び文庫を入荷してくれることだが、望みは薄いかもしれない・・・。春は出会いと別れの季節。再び街中で講談社文芸文庫を買える日が来ることを願っている。心から。
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2月のある日

2025-02-20 21:00:44 | その他
この1週間ばかり、頭痛、胃痛、胸痛と体中が痛いところばかりでどうしようもない。精神は若いつもりだが、体は順調に年を重ねていて、少し無理をすると、この通りである。精神と身体のバランスを取るのはなかなかに難しい。

仕事の関係で、藤森照信氏の『建築探偵の冒険』(ちくま文庫)を読んでいる。歴史を重ねてきた近代の建築の、ひとつひとつのストーリーが面白い。後日談として、調査当時にあったものが今は無くなってしまった事もちらほら紹介されているが、そこに著者の悲観的な言葉は一切ない。私なぞは、ヨーロッパ各国と比較して、これだから日本というものは、とやりたくなるところだが、メンテナンスの経費、家族の様々な事情、社会の移り変わりなどを考えてみれば、歴史ある建物は残して欲しい、というのは、何の責任もないから気軽に言えるのであって、自分の浅はかさにあきれかえる。

昨日はちらほら雪が降った。まだ寒い日はしばらく続きそうである。
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炎暑

2024-08-19 21:47:37 | その他
 今夏も35度近い気温が続き、我々は怠惰の誘惑にさらされている。常日頃、いかに精神を鍛錬しているかが個々に問われるだろう。酷暑、の言葉をテレビや新聞、雑誌で頻繁に見かけるようになった。暑さが酷い、とはよく言ったものだが、永井荷風の『断腸亭日乗』(岩波文庫、2024年)を引くと、彼はこういうときに炎暑の言葉を使う。燃え上がる炎のような暑さ。レトリックは言葉に一層の膨らみを持たせる。
 茨城県近代美術館のコレクションに安田靫彦の≪鴨川夜情≫(1932年)があって、この絵は、いつまでも眺めていられるほどの魅力を持っている。これは鴨川にかけた四角い縁台のうえに、髷を結った男性3人が座ったり、寝そべったりしている、ただそれだけの絵である。しいていえば、縁台の端に乱れず直立した瓢箪と盃、その下には静かでゆるやかな鴨川が流れ、ところどころ誇張された川原石が愛らしい。あとはぽっと照る提灯が描かれるのみ。画面の大半は余白がしめ、余計なものが一切ない。安田は、いわゆる歴史画を主題とした作品を数多く残した。だから、この3人も歴史上のある人物であることは間違いない。だが、彼らが一体誰なのか、そして、どんな関係性なのかを考えることは、もはや野暮でしかない。この絵そのものの魅力を楽しめばいいことで、それは、ゆたかな時間の流れに尽きる。江戸の趣味というものを、表層的に捉えたのではないところの。
 この美術館の北側には、千波湖がいつもゆたかな水をたたえていて、この日は暑いながらも涼を求めて多くの人が散歩を楽しんでいたし、美術館の中も子どもから大人まで多くの人たちが絵を楽しんで見ていた。湖の対岸には水戸藩主徳川斉昭の造園した偕楽園がある。偕楽園は、人が皆で楽しむ園と書く。実際、ここは斉昭の意向によって、武士だけでなく、庶民にも大いに開放され、多くの人がここで風流を楽しんだという。そういう水戸の精神のようなものが、この美術館にも息づいているように感じられ、また心持ちが良くなった。
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迎え盆

2024-08-13 21:01:13 | その他
 両手いっぱいに黄や白の花を抱えた年配の女性と、おそらくはその娘、さらに孫らしい女の子が、狭い歩道を一列に並んで、暑さに顔をしかめながらもしっかりと歩いている様子を見かけた。今日は迎え盆。ご先祖様があの世からこの世へやってくる日である。
 子どものとき、お盆は必ず東北の両親の実家へ行って、墓参りをするのが常だった。みなで墓参りを済ませると、蝋燭の火の種を家紋の入った提灯にうつし、それを消さないように用心しながら家まで持ってゆく。それから仏壇の蝋燭にその火をうつし、これでご先祖様を家にお迎えしたことになるのだった。仏壇の前にはたくさんの料理が並び、祖父母、両親、親戚一同20人くらいが、一同に会食する。お酒も出たが、ご先祖様の前だからか、みなたしなむ程度。子どもながらにいつもの食事とは異なる厳かな雰囲気を感じていた。それが私にとってのお盆の光景である。今から30年近く前の。
 祖父母や親戚の多くがもう亡くなってしまったせいなのか、または社会人になって盆休みが無くなったせいなのか、あるいはそういう時代のせいなのか、季節と共にあったはずの年中行事から、年々縁が遠くなってしまっていて、ゆえに墓参りに赴く女性たちの姿を見かけたとき、今を生きている実感というものが心の中にこみ上げてきた。日常のなかで忘れられがちな、こういう「今」への感覚は大切にしてゆきたい。
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