学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

短編で活字に慣れる

2018-01-31 19:32:47 | 読書感想
2週間ほど前から読み始めていた、エミール・ゾラの短編集『水車小屋攻撃』(岩波文庫)が読み終わりました。以前のブログにも書いた通り、しばらく小説を読んでいなかったため、本を読み進めるエネルギーが枯渇。少しずつ言葉に触れて、また小説の楽しさを味わいたい、それにはまず短編がいいだろう、と選んだのが本書だったわけです。

ゾラは不幸な結末で終わる小説のイメージが強いのですが、短編は必ずしもそうではありませんでした。全8編のなかで、私が特に好きなのは『シャーブル氏の貝』、『周遊旅行』、『アンジェリーヌ』です。前2作はユーモア、後1作はミステリー。もうひとつ『一夜の愛のために』は意外性のある小説で、これはこれで面白かった。この短編集だけ読むと、ゾラのイメージがちょっと変わりますね。

さて、もう少し頭を活字に慣れさせて、中編小説へ読み進めていきたいと思っています。次は何を読もうかな!
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体験できるアート

2018-01-29 21:00:01 | 展覧会感想
私たちとアートを結ぶものは視覚だけとは限らない。近頃は、といっても、もうずいぶん前からだけれど、ただ見るだけではなくて、さわったり、音を聞いたり、匂いをかいだり、人間の五感に訴えるような作品が多くなってきました。(さすがに味覚に訴えるアートは今まで体験したことがない)

今日は休暇を利用して、東京都の森美術館で開催中の「レアンドロ・エルリッヒ展」を楽しんできました。彼の作品としては金沢21世紀美術館の《スイミング・プール》が有名です。私も一人旅で金沢へ行ったときに、同作品を興味津々に見てきました。が、あれは1人より2人で見るほうが断然楽しい作品ではありましたが…(笑)

さて、森美術館の「レアンドロ・エルリッヒ展」は、まさに体験できる作品が目白押し。鏡によるトリックで、来館者の心をぐいぐい引き込んでいきます。でも、ただ面白いだけではなし。こうした作品の背景には、人間や現代社会に対する「Why」があって、それを私たちの目の前に広げて見せるのです。体験は体験として楽しめつつも、アートを通して、私たちが意識していなかった部分へと光を当てていきます。監視カメラを主題とした作品では、ジョージ・オーウェルの『1984』が現実のものとなりつつあることに、私は少し怖くなりました。

私はときどき現代アートを欲します。それは、ごちゃごちゃになった頭の中をほぐしてくれるから。とともに、新しいことに気づかされるから。前日の宇都宮美術館に引き続き、いい刺激になります。
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常設展をどう見せるか

2018-01-28 18:08:23 | 展覧会感想
休日を利用して、栃木県宇都宮市の宇都宮美術館へ出掛けました。この美術館の駐車場は、建物からやや低い位置にあって、美術館へは徒歩で公園を抜けていきます。先週降った雪がまだまだ残っていて、真っ白になった公園の芝生を見ながらの来訪です。

企画展「灰野文一郎」展を見たあと、もう1つの展示室へ。ここで面白い試みがなされていました。それは宇都宮美術館でコレクションしている美術作品のタイトルを自分たち(来館者)で考えてみようというもの。参考として、すでに何人かが考えた来館者のタイトルも表示されていました。

常設展は、その美術館の基盤であって、重要なコレクションを紹介するもの。でも、一般的に企画展より常設展は一段下と見られがちで、いつでも見られるから…という印象があるせいか、どうしても来館者の興味や関心を引きにくいところがあります。こうした宇都宮美術館の試みは、美術館のコレクションに興味や関心を持ってもらえるだけではありません。タイトルを来館者自身が考えるには、絵をしっかり見ないといけない。人と絵が対話する大切な機会になるのだと思います。

仕事柄、他館の美術館に行くと、展覧会を純粋に楽しむ以外にも、さまざまな刺激を受けます。自分だけの頭だけで考えることには限界がある。けれど、こうした外からの刺激をたくさん受け、それを自分なりに咀嚼して、新しいアイディアを生み出す元にする。宇都宮美術館で、とてもいい時間を過ごすことができました。
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金の招き猫

2018-01-27 20:46:23 | その他
先日は地元のお祭り。路の両側には、たくさんの屋台が並び、たこやき、やきそば、やきとり、近頃流行りのケパブなど、おいしそうな匂いが一面に広がっていました。食欲をそそられながらも、縁起物を売るお店までひたすら歩きます。

我が家は、いつも小さな達磨を買って帰るのが毎年の恒例です。が、今年はどういうわけか招き猫に妙にひかれました。招き猫といっても、いろいろな色付けがあり、白、黒、そして金。もちろん、どれも手作りです。私は招き猫をビニールの上から触らせてもらって、自分の眼で見、両手で持ち上げて、感覚にしっくりとくるものを選びました。

その結果、金の招き猫を買うことになりました。ちょっと奮発して、一番大きなもの。色に関しては、最近の私の好みが金だから。どうか福が舞い込みますように♪

帰りは、もちろん屋台巡り(笑)たこやき、ミートパイ、大判焼き、タイラーメン(変わっていますよね!)を食べて大満足。寒さ厳しい折の心温かくなるお祭りでした。
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発見されたもの

2018-01-25 21:38:44 | 仕事
以前、文化財の仕事に携わっていたとき、蔵を壊すので中を見てもらえないか、との問い合わせを受けて、よく拝見させていただいたものでした。いわゆる「おたから」が出ることはほとんどないものの、その家が辿ってきた歴史を示す資料が見つかり、みんなで手分けして調査をした経験があります。それらの多くは文書であり、私の専門である美術資料が出てきたのは2、3件程度。それでも、古い屏風に描かれた墨竹図などは谷文晁系の絵師が描いたもので、地域にゆかりのある作品として重要なものでした。

さて、数日前、とある家の地下から「あるもの」が出てきたので、見てもらいたいとの依頼がありました。出てきたのは、大量の版木。実は、この家に以前住んでいた人は、作家ではないものの学生時代に木版画を制作していることがわかっており、それは彼が制作した版画の版木だったのです。今からおよそ80年前のもの。状態は必ずしもいいものではなかったけれど、彫刻刀の彫り跡、版木に残された一部の色彩などは生々しいほどでした。これも「おたから」ではないものの、やはり郷土の人物を知る上での重要な資料になりそうです。

学芸員をしていると、ときどきこうした事案の仕事を手掛けることがあります。発見されたものを眺めていると、歴史と向き合っているような気持になりますし、それを制作した人と時間を越えて対話しているような気持にもなります。私にとっては至福の時間なのです。学芸員名利に尽きるというところでしょうか。ありがたいことです。
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『水車小屋攻撃』を読む

2018-01-22 18:20:30 | 読書感想
エミール・ゾラの『水車小屋攻撃』を読みました。ゾラは、いわゆる自然主義の作家であって、だいたい小説は悲しい終わり方をする。『水車小屋攻撃』という、現代作家でも書きそうなタイトルに惹かれて読んではみたものの、予想通りの結末に、ああやっぱりゾラだったか、と。

戦争は悲惨である、ということは痛々しいほどわかる小説、でも、もっと別な読み方はないのだろうか。例えば3人の主要な登場人物のうち、2人が最悪の結末になってしまうのだけれど、じゃあどうしたら2人は死なずに済んだのだろう。と考えると、いろんなところでターニングポイントがあることに気づきます。水車小屋が戦場の舞台になったときに、恋人2人は早く外に逃げれば良かったし(敵の兵隊が来る予兆はすでにあった)、水車小屋の戦闘を終えたあと、彼女は大胆な行動を慎むべきだったし、森で再開した2人はそのまま逃げれば良かったし(残ったもう1人の犠牲は出るけれど)、探せばもっとあるかもしれない。小説では登場人物たちのとった行動が裏目に出ることがしばしばで、どうにもやりきれない気持ちが残る小説でした。

ゾラの短編集なので、まだ残りの小説があります。気持ちがちょっと沈んだので、次の小説に期待したいですね!
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ウォーキングとバッティングとプール

2018-01-21 19:56:25 | その他
休日。家でのんびりと読書をするつもりが、温かい陽気に誘われて、体を動かしたくなりました。

まずはウォーキング、ときどきダッシュ。ダッシュは30歩あるいは40歩くらい。あんまり長いと疲れて嫌になってしまうので(笑)これくらいだと、体がポカポカ温かくなってすこぶる良し。

午後からは久しぶりのバッティングセンター。100キロの球で42球打つ。ほとんどが流し打ちになる。なる、なので、意図的に流したわけではないのです。ただの振り遅れ(笑)でも、気分は爽快です。

最後はプール。こちらも久しぶり。久しぶりすぎて、最初は25メートルが泳げませんでした。ただ、だんだん体が慣れてきて…といっても、最終的には50メートルまで。肩をものすごく動かしたので、これで少しは肩こりもほぐれたかな。水中ウォーキングも楽しむ。実は、今度論文で書きたいことがあって、文章をどういう構成でまとめていくか、あるいはもっと調査できることはないか、などを考えながら。水中ウォーキング、楽しんでないか(笑)。でも、体を動かしながら考えると、意外にいろんなことが浮かんできて、なんとなく考えもまとまりました。

さて、今日は随分と体を動かしました。いよいよ、これから読書です。途中で寝ないように頑張らなくては。
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短編小説で慣れる

2018-01-20 20:06:00 | 読書感想
先日、村上春樹氏によるレイモンド・チャンドラーの著書の翻訳が終った、との新聞記事を読んだことがきっかけで、ふいにその一冊が読みたくなり、図書館から『大いなる眠り』を借りてきました。

けれど、どうしたわけか、小説の中身がなかなか頭に入ってこない…。この小説は状況説明が多いから?なんて思い、他の小説に切り替えてみたけれど、どうも文字を読むという行為が億劫になっていて、頭のなかに物語のイメージがわいてこないことを気づきました。考えてみれば、ここのところ、小説を読むということ自体が久しぶり。仕事柄、論文は読んでいたのですが、創造的な小説の世界はまた違うようです。

中編小説を読むことに息切れがしてしまうので、いったんチャンドラーはあきらめて、短編小説で頭を慣れさせることにしました。そこで借りてきたのが、ゾラの『水車小屋攻撃』と『日本近代随筆集1』。これらのボリュームくらいなら大丈夫そう!

さて、明日は仕事が休みの予定なので、それらをゆっくり読んで過ごす予定です。
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仕事を分解する

2018-01-19 21:02:35 | 仕事
日常の仕事をどのようにこなしていくか、人それぞれにやり方があるのだろうけれど、私の場合は一気に片づけるというよりも、仕事を大きな一塊と捉え、細かく分解して、毎日少しずつ進めていくというやり方をしています。例えば、展覧会業務だったら、下記のようにバラバラにするのです。

0.調査・研究
1.企画立案
2.出品作品及び借用作品リスト作成
3.作品借用交渉
4.カタログ、チラシ、ポスター、チケット作成
5.カタログ等を関係者へ発送
6.看板作成
7.キャプション、パネル作成
8.展示図面作成
9.広報関係
10.展示作業

ざっと、こんなところでしょうか。これをさらに細かくバラバラにして、それぞれ期限を決めて、こなしていく。そうしていくと、少しずつ積み重ねたものが、大きな仕事として展覧会の開催につながります。

以前は一気にできるところまでガンガン取り組むやり方で進めていて、そうするとひとつの仕事に対する進捗度は高くなるのですが、他の仕事の進捗度が落ちて、バランスが悪くなることに気づきました。ですので、私が担当するいくつかの仕事を、少しずつでも毎日こなしていくスタイルに変えたわけです。そうすると仕事の中身も忘れにくくなりますし、仕事を切り替えることで気分転換にもなります。

学芸員は…というよりも、社会人は複数の仕事を同時にこなしていくスキルが求められます。私も未だに学ぶことばかり。でも、学ぶということは楽しいことでもあります。もっと、うまく仕事がこなせないか、日々考えながらの毎日です。



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姫路と明石、そして神戸

2018-01-17 22:24:08 | その他
関西の旅行から無事に帰り、今は歩き疲れてひどい眠気に襲われています。およそ3日間かけて、姫路、明石、神戸を巡ってきました。

私が好きな城も見てきたわけですが、それはまた後日に話をすることにして、大きな印象としては三都市の発展ぶりに驚かされました。神戸は言うに及ばずですが、特に神戸という大都市が近くにあるにも関わらず、姫路や明石がそれぞれ頑張っているということ。人がたくさん歩いているし、おしゃれなお店はあるし、街自体の雰囲気がひどく明るい。通常、大都市が近くにあると、人はみんなそちらのほうへ集まってしまい、周辺の都市の活気が無くなっていくというイメージがありましたが、ここはそうではなかったのです。なぜなのでしょう。そのあたり、興味のあるところです。

今日は阪神淡路大震災から23年目。私がこの時期に神戸へ行ったのも、何かのご縁でしょうか。震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
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