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学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

戦後80年目

2025-08-05 20:34:31 | 読書感想
 今年の8月15日をもって、太平洋戦争が終わってから80年目となる。
 私の祖父は召集されて中国大陸へ出征した。そこでは前線へ物資を輸送する任務についていたらしい。幸いにも命を失うことなく帰国した。祖父は今から15年ほど前に亡くなったが、ついぞ孫の私にはそのことを語らず、葬儀の時に見つかったという、無造作に積んであった古い写真を見ていたときに、叔父と叔母が祖父の過去を教えてくれた。
 吉田裕氏の『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』(中公文庫、2017年)を読んだ。祖父のように、民間人で召集された人たちが戦地でどのような経験をしたのかを記した好著である。戦場での栄養失調、極度の緊張による精神病(自殺も)、蚊が媒介するマラリア、内部でのいじめ、そして戦病死と餓死。そこには祖父が経験した確かな「現実」があって、そこに悲惨さのあまりに本を閉じたくなる私の「現実」が重なる。祖父が中国大陸で何を経験したのかはわからないが、もう思い出したくもなかったのだろう。孫に語りたくても語れなかったのが正直なところだったのではないか。本書を読んでからそう考えている。
 まだ涼しさのある早朝、ある家の前を通りかかったら、親子とおぼしき2人が互いに冗談を言い合いながら、庭の手入れをしているのを見かけて微笑ましかった。そばの川に目を移すと、何人もの釣り人が川魚を狙って静かに糸を垂らしている。柵ごしに彼らの姿をにこやかに眺め、見守る初老の男性たちの集まり。近くの藪から鶯の威勢の良い鳴き声がする。これが戦後80年目の夏である。
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駒井哲郎

2025-07-09 20:57:35 | 読書感想
 7月。草木には、太陽の強い日差しなど一向に気にならないようで、むしろ、一層生命力を増すかのように青々と見える。散歩を日課とする私にとっては、歩道に一定の間隔で植栽された樹木の広い木陰が嬉しい。街のなかのささやかな清涼である。
 過日、ある作家から駒井哲郎の『銅版画のマチエール』を譲っていただいた。駒井による銅版画の詳細なテクストだが、執筆時、すでに本人は病におかされており、口述筆記も交えながらも校了したものの、ついに本人がこの自著を見ることはかなわなかった。駒井は東京美術学校の卒業生だが、すでに入学前から銅版画に関心を持ち、西田武雄の元でそれを学びつつ、作家としてはルドンをこよなく愛した。駒井の画集を開くとき、「現実世界が虚像に見える」との言葉どおり、それらの作品には作家の心象がしっかりと刻まれているのが分かる。特にアクアチントによる柔らかな線から構成される図案から、駒井の内面にある詩や音楽、哲学の厚みを私は感じる。日本においては、伝統的な木版に比べ、銅版自体の歴史が浅いため、駒井は自分なりに作品を支えるものを探し、作り上げることに苦心しなければならなかった。実際、駒井の30代の手紙を読むと、作品の制作に対し、極めて弱気な一面が何度ものぞく。だが、その後、自分なりに解を出し、立派な仕事をなしたうえ、最後には命を削って『銅版画のマチエール』を私たちに残した。
 それにしても、今日、こういう優れた作家が書いたテキスト自体が書店で売られているのを見なくなって久しい。読みものとして読め、作家にとってはひとつの指標になるようなものが。そこに文化の凋落を感じるのは、余りにもうがった見方だろうか。
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2024/02/19

2024-02-19 17:15:00 | 読書感想
 今日は家族と共に遠出をして、栃木県は日光市の駅で蒸気機関車を見てきました。現役の蒸気機関車を見るのは初めて。生きもののように煙を上げ、シュシュと音を立てる姿に驚きました。「古いものは新しい」、いわばオクシモロンのそんな言葉が思い浮かんだ次第です。
 前日から「天下人たちの文化戦略」を読んでいるのですが、豊臣秀吉の仁王胴具足が紹介されていて、これはインドに渡ったそうですが、仁王の姿を形どった肌色に塗られた具足だったそう。欠損前の写真も掲載されているのですが、薄気味悪いこと甚だし。仁王、というより、戦で死んだ人間の幽霊のような具足です。当世具足とは、ちょっと違う異質な…。晩年の秀吉のセンスは黄金の茶室やこういう具足を作らせたりと、私にはちょっと理解しがたいな、と改めて思いました。

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2024/01/22

2024-01-22 17:45:00 | 読書感想
 発熱の症状が出たため、病院で見てもらうと単なる風邪との診断。今年に入ってから、どうも体調を崩すことが多い。
 床のなかで多和田葉子氏の小説を流し読みする。あとがきに、インターネットはヘドロのようだ、と書いてあって、小説よりも、むしろ、その文言が強く印象に残った。語感に鋭い小説家の言葉だけに重い。
 午後になっても、どうも寝付けず、今度は岩波文庫のエリア随想抄を引っ張り出して読んでみたが、話の内容がいまいち良く分からない。そのうちに眠くなって来たので、これ幸いにと寝てしまった。これも読書の効用のひとつなのかもしれない。
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吉田健一「読める本」を読む

2023-03-30 21:57:09 | 読書感想
この頃、書店へ行くと、やたらと「教養」を銘打ったタイトルが目につき、出版社はどうも私たちをずいぶん教養ある人間にしたいらしい。そうした中で、いつの間にか「美術」の知識もその教養とやらに入っていて、そもそも美術というのは楽しいから作ったり見たりするのであって、教養として身につけたところで何か利するところがあるのかがよくわからない、と思っていたら、先日『読める本』(1966年)のなかで、吉田健一の次のような言葉にバッタリとぶつかりました。

「教養というのが、精神を快活にするものであるならば、その間に眠った方が体にも、精神にもよさそうである。」

吉田の場合は、教養のなかでも文学について述べているのですが、これを美術と言い換えても、というよりも、教養のために何かを学ぶということ自体が目的としてどうなんだろうか、と言っているように感じます。これが書かれたのが50年以上前ですから、教養という言葉が何かと使われやすいのは昔から変わっていないのかもしれません。

さて、私はこういう社会や文明を意識した文章を書く吉田健一の批評がとても好きです。『読める本』の中にある「人生に就ての一切を本から学んだと芥川龍之介が書いているのは、先ずその言葉を疑って差し支えない」という言葉にニヤリとさせられ、「或る本が読めるか、読めないかを決めるのに一番確かな方法は、その本が繰り返して読めるかどうか験して見ることである」という言葉にハッと気づかされるものがあります。吉田の批評は、慣れるまでに何度かの再読を要求しますが、それだけの価値があると思っていて、私の場合は美術で論文を書いている途中で行き詰まったとき、吉田の文章を読んで、頭のなかを一旦整理する(書きたいことの原点に戻る)という使い方もしています。吉田の著作とそんな付き合い方をしているのは私だけかもしれませんが、『読める本』もその一冊で、私にとってはなくてはならない一冊です。
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菊地信義『装幀百花』を読む

2023-03-24 22:08:55 | 読書感想
私がまだ仙台に居た時分、駅前にジュンク堂という大型の本屋があって、そこのある文庫本の棚が妙にきらきらとしていたことを思い出します。その棚こそが講談社学芸文庫の集まりで、様々な彩のある背表紙が、本を美しくしていたのでした。

それは手に取ると、とても優しい手触りのカバーがしてあり、表紙を見れば、グラデーションが上から下にかけられ、そしてタイトル文字の箔押しが目に留まります。とてもシンプルだけど、それがとても素敵。こうした装幀を手掛けたのが、菊地信義氏であって、1988(昭和63)年に創刊した同文庫の装幀を35年間にわたって手掛けられた方です。『装幀百花』は、昨年亡くなられた菊地氏の仕事を振り返るというもの。その性質上、この文庫にはほとんどないカラー写真がふんだんに盛り込まれています。

私が菊地氏の装幀で好きなのは、図像のタイプで、例えば森茉莉の『父の帽子』、坂口謹一郎の『愛酒樂酔』、幸田文の『ちぎれ雲』などが洒落ていて好きです。装幀を仕事にする人には、実際に本を読むタイプと、そうでないタイプがいるようで、菊池氏はどうだったのかは文章中に明記されていませんが、こういう装幀ができるのだから、やはり前者のタイプだったのでしょう。文字だけで表紙を構成する仕事は非常に難儀なところもあったと思いますが、かえって制限があるからこそ、これだけの仕事ができるのだから、プロの技というものに唸らされます。

ちなみに、この本の後半には1988年から2022(令和4)年5月まで、菊地氏が一手に担った講談社文芸文庫の目録が掲載されていて、このラインナップを眺めるだけでも楽しく、こんな本が出版されていたんだ、今度は何を買おうか、などと本が好きな人にとっては幸せな記録になっています。これから、どんな本が講談社文芸文庫で出版されるのか、私にとっては楽しみなことの一つです。
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春を楽しみに

2023-03-20 22:22:45 | 読書感想
今日は3月20日。前回ブログを更新したのが12月ですから、ずいぶん日が経ちましたし、それに暖かくなりました。今朝はウグイスの声で目が覚め、朝食の後に散歩をするとたんぽぽやつくしを見かけ、ぐすぐすする鼻水をすすりながら、今が春であることを実感しています。

年度末になり、仕事が落ち着いたので、久しぶりに読書でも楽しもうかと本屋へ立ち寄りました。手に入れたのは次の3冊。

吉田健一『文学の楽しみ』
柳宗悦『木喰上人』
笙野頼子『幽界森娘異聞』

いずれも講談社文芸文庫です。この文庫は、他の文庫と比べて、少し値段ははりますが、これでないと読めないラインナップが結構あるので、いつも気にして本屋の棚を見ているのです。ちなみに今回は3冊で5,000円とちょっと。本を読んでいるとき、幸せを感じるのであれば、このぐらいの金額は安いものです。

この頃は、どういうわけか、小説を読んでもなかなか頭に入らないことが多く、途中でバテることが多くなりました。不思議なことに学術論文を読んでも、そういうことは起こらないので、プライベートでの集中力が落ちてきた、あるいは保てなくなってきたのかもしれません。理由はわからず。そういうわけで、今回はあまり気負いせず、だらだらと小説を読むのを楽しんでみたいと思っています。

これから読書も楽しみですが、4月からまた新しい展覧会が様々開催されます。春。私にとっては楽しみなことがいっぱいな季節です。
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丸谷才一『初旅』を読む

2022-02-18 22:16:25 | 読書感想
私にとっては、20代前半のときに行った岡山・倉敷方面が初旅でした。路面電車、後楽園、岡山城、倉敷美観地区、倉敷民芸館、大原美術館などを楽しんだほか、鰈の煮つけ、鯛の茶漬けの味も忘れられない旅となりました。初めは見知らぬところへ行くことに不安はあったのだけれど、様々なところを歩くうちにだんだんと楽しくなり、気づけば不安が消えていました。今では大切な思い出のひとつとなっています。

丸谷才一の「初旅」は、記憶を無くした少年と、その彼を探しに行く少年による旅をテーマにした小説です。2人にとっての初旅は、私のように楽しいものではなく、記憶を無くした少年は飢えと疲れとだるさと不安に打ちひしがれ、もう一方の少年はいい加減な大人たちに振り回されてイライラが募る旅となります。記憶の無い少年の旅を読んでいくと思い出すのは、今から30年ほど前に「世にも奇妙な物語」というドラマがあり、深夜にサラリーマンが自宅に帰宅すると、何故か別な人の家になっていて、自分の帰るところがわからなくなるという話。ずいぶん怖かった覚えがありますが、この小説を読んだ時にそれと似たような感覚がありました。ただ、「初旅」では、そういう怖さを周りの大人たちの滑稽ぶりがカバーしていて、話がそれほど重たくならないところがうれしい。そして最後のオチも。

「女たちはたいてい、裾が地面とすれすれの、うしろが長く割れたコートを着てゐて、それは足の動きにつれて蝙蝠の翼のやうにひるがへる。」

70年代の新宿の街を闊歩する人たちの一場面を描写した表現。「蝙蝠の翼のやうに」という部分、その姿が目に見えるようで、とてもいいな、と思いました。対象への視点にうならせられた小説でもありました。
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河井寬次郎『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』を読む

2022-02-09 18:49:35 | 読書感想
10数年前、陶芸家河井寬次郎の展覧会を観たとき、どの器の底にも永遠の広がり、いうなれば、宇宙が広がっているかのような感覚を受けました。こういう作品を作る作家の精神性とはどういうものかを知りたいと思ったものです。

『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』(講談社文芸文庫、2006年)は、彼が残した文章をオムニバス形式で載せた本です。読んでいくと、すぐにわかることは、彼は手仕事だけでなく、機械による工業製品も「機械と手とが一つだ」と評価していること。今でも民藝のイメージは、手仕事による工藝であることが前提のような捉え方をなされがちですね。どうも彼の発想の源には「美」があって、手仕事による工藝でも、機械による工業製品でも、そこに「美」であれば、評価していいのではないかと考えていたようです。

もうひとつは「宗教的情緒」を持っていたということ。愛読書は仏書で「子供の頃には、家の中に神様も仏様も共におられるように感じました」といい、そういう宗教的情緒はずっと彼の心のなかに存在していたようです。私は2年前に亡くなられた曹洞宗の板橋興宗さんの著書をよく読むのですが、何事もからだが全てわかっている、という言い方をします。実は河井の『いのちの窓それ以後』や『手考足思』にも、それと似たようなことが書いてあり、もしかすると、ふたりは仏書を学ぶことで、からだを基準にして生きる精神性を有したと言えるのかもしれません。それが河井の器のなかに宇宙的なものを感じる理由なのでしょうか。

『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』は、河井の独特の言い回しや、陶芸の専門的な話がなかなかわかりにくいところもありますが、河井の精神性に多少なりともふれることができるような本です。また、参考資料として柳宗悦の「河井に送る」が掲載されているところもありがたい。いずれ日本民藝館にでも、河井の作品を観に出かけたいものです。
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須田努『幕末社会』を読む

2022-01-31 20:34:00 | 読書感想
私が小学6年生のときの修学旅行は会津方面でした。野口英世記念館を見学したり、五色沼をハイキングしたり、陶器に絵付けをしたりと色々な経験をしましたが、なかでも忘られないのが飯盛山で見た白虎隊の悲劇を表現した剣舞。当時の自分とあまり年の変わらない少年たちが戊辰戦争で亡くなったことに心が痛みました。

先日、須田努さんの『幕末社会』(岩波書店、2022年)を読みました。政治史を追いつつ、そのときどきの民衆の動きを取り上げ、当時の社会がいかなるものであったか、そしてどう変わっていったのかを辿っており、幕府崩壊への道のりがリアルに迫ってきます。特に井伊直弼による安政の大獄が、暴力による問題解決のトリガーになったという話はぞっとしました。それが白虎隊の悲劇にまでつながっていくのだとしたら?

本書は幕末社会という混沌とした時代を書きながら、読者を迷わせず、明快に進んでいく内容です。著者の先行研究への敬意は要所に見受けられますし、丹念なフィールドワークの成果が随所に見られる好著です。いつまでも手元に置いておきたい一冊となりました。
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