学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

芥川龍之介『煙草と悪魔』

2010-03-30 20:45:20 | 読書感想
今日は久しぶりに晴れました。ただ風は冷たし。明日はもう少し暖かくなってくれるといいですね。

久しぶりに芥川龍之介の『煙草と悪魔』を読みました。私は一時期、芥川に夢中になっていましたので、本はすでに書き込みとヨレでボロボロです(苦笑)この話の舞台は、約500年前の日本。ちょうど戦国時代のころですね。南蛮、紅毛人が日本に渡来し、様々な風俗や文物を伝えました。そんななか、「煙草」は悪魔が日本にもたらしたものではないか、とする芥川の問いかけから、この小さな物語は始まります。

全体の話はユーモアにあふれていて、のどかなリズムで進んでいきます。牛商人と悪魔との知恵比べはハラハラさせられますし、悪魔の失敗が結果的に成功だったという大逆転は面白いです。

「誘惑に勝ったと思う時にも、人間は存外、負けていることがありはしないだろうか。」

この台詞は妙に重いものがありますね…。芥川の南蛮ものは、漢字を続けざまに用いて読みにくいものもありますが、『煙草と悪魔』はさらっと読めてしまう小説です。ユーモアとアイロニーの小品をぜひ味わってみてはいかがでしょうか。

●『奉教人の死』『煙草と悪魔』他11篇 芥川龍之介 岩波文庫 1991年
 
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私にとっての豊かな暮し

2010-03-29 18:58:22 | その他
ブログのテンプレートを「さくら」に変えてみました。今日は天気のいい一日でしたが、相変わらず風は冷たく、桜が咲くまでもう少し日数がかかりそうです。せめて、ブログだけでも、先に「さくら」を開花させてみようと思った次第です。

雑誌を買ってきました。『Discover Japan』です。特集は「ニッポンのいいモノ美味しいモノ」。伝統工芸品の今、が紹介されており、とても興味津々で読んでいます。こうした伝統工芸品は「民藝」とはまた違いますけれど、歴史のなかから生まれたもので、日本の文化には欠かせないもの。けれども、いつまでも昔のものばかりを作り続けていたのでは、やがて需要がなくなってしまいます。過去のものを維持するのではなく、過去のものを踏襲して新しいものを作り上げる必要が出てくる。この雑誌で取り上げられているのは、まさにそういうところなのです。「伝統を守ることが美しいのではない。伝統を作り上げることこそ美しい」。マルク・シャガールの言葉が頭をよぎります。

雑誌を読みすすめていくと、モダンによみがえる伝統工芸品に心がとらわれます。もう、どれもが欲しい(笑)工芸品は、使えば使うほど味わいが出て、美しくなるもの。自分だけのお気に入りの陶器や磁器を使って食事をする。相手にお土産を買って来たときには、センスのよい風呂敷に包んで持ってくる。手紙を書くときには、てざわりのよい和紙を使う。何気ないことですけれど、私にとって贅沢とはこうしたことです。

本当に豊かな暮しとは何か、雑誌を読みながら、ふと考えた本日の休日でした。


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回想の一日

2010-03-28 21:22:39 | その他
久しぶりに親から電話が来ました。いい加減に顔を見せなさいと(笑)お正月以来、実家には帰省していません。そろそろ暖かくなってきたこともありますし、来月帰省しようと思いました。帰省していないせいかどうかわかりませんが、このところ、ちょっと疲れてしまいました。両親の顔を見に、久しぶりに仙台の空気を吸いに、そして美味しい牛タンを食べに帰りましょうか(笑)

思えば数年前の今頃、私は学芸員になって、この街に住み始めました。ついこの間のような気がします。光陰矢のごとし、ですね。私はときどき部屋の床に寝転がって、白い天井を見ながら、自分は学芸員としてきちんと職務を遂行しているのかな、と自問自答することがあります。自信喪失状態なわけではないのだけれど、たまには自分の内面と向き合う時間も、私には必要です。私はまだまだ勉強が足りず、知識を一杯詰め込もうと机に向かい勉強している間にも時間は刻一刻と過ぎてしまう。時間の流れは止められませんから、こればかりはどうしようもない。

ちょっと天気が悪かったせいか、暗い話になってしまいました(苦笑)明日はしっかり休んで、3月もあと残りわずか。最後の追い込みで頑張っていきましょう!

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高橋是清の伝記

2010-03-27 21:41:51 | 読書感想
あまりに寒い一日だったので、今夜はキムチ鍋にしました。まさか3月も末になって、キムチ鍋を作ることになるとは思いませんでした(笑)鍋のおかげで、今はぽかぽか温まっています。

とある友達から、面白いから読んでみたらいいと言われて『高橋是清』(中公新書)を図書館から借りてきました。近代史に疎い私には、高橋是清は財政家であって、「2・26事件」で殺害された人、というイメージしかありませんでしたが、彼の人生をたどっていくとまさに波乱万丈だったようです。特に若き日、アメリカにおいて奴隷として売られた話は壮絶…。そんな人が大蔵大臣にまでなるのだからすごい。まだ読みかけですが、これだけインパクトのある伝記はなかなかありません。今夜は読みふけりそうです。

明日もまた寒い一日になるよう。早く暖かい日になってもらいたいものですね。
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芸術新潮4月号「万葉集であるく奈良」を読む

2010-03-26 20:51:29 | 読書感想
書店に行くと、たくさんの美術雑誌を見かけます。私がよく読むのは『芸術新潮』、『美術手帖』、『月刊ギャラリー』、『月刊美術』、『版画芸術』など。ひとくくりで美術雑誌といっても、例えば『芸術新潮』ならば、日本だけでなく世界の美術全般を広くわかりやすく紹介する特集、『美術手帖』は現代アートという切り口からの特集、といったそれぞれの特徴がありますから、色々な分野の生の情報を得ることができます。今、美術の世界では何が注目されているのかを知り、今後それがどう変化していくのかを考えることは、学芸員という仕事を勤めるうえで最低限、身に付けておかなければならないことだと思っています。

今日は『芸術新潮』4月号を読みました。特集は「万葉集であるく奈良」。万葉集を片手に奈良をとことこ歩くなんて、とても贅沢な遊びではありませんか。ぜひやってみたいものです。私の住んでいるところから奈良は遠く、恥ずかしながら、まだ一度も訪れたことのない土地なのですが、本を片手に遠い過去に思いを馳せて…。私にとって雑誌は旅に出るきっかけも作ってくれるなあ(笑)

私は毎年、春と秋に旅行へ出かけています。雑誌を読んで、間違いなく、奈良は候補地の1つになりました。夢は広がりますね!
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関東大震災と美術

2010-03-25 22:01:44 | その他
関東大震災は、1923年(大正12)9月1日の正午に起こりました。死者・行方不明者の数は14万人を超えた大災害。人命と共に多くの建築物も一瞬にして失われました。実は、この震災を主題とした絵画もあります。日本画家速水御舟《灰燼》、洋画家萬鉄五郎《地震の印象》、版画家平塚運一の関東大震災シリーズなどです。彼らにとって、震災は絵筆を取って描かなければならなかったほど、衝撃的なものであったといえるのでしょう。

これは私の個人的な意見ですが、関東大震災を通して、この世は永遠でないことを強く実感した人がかなりいたのではないかということです。というのは、明治維新があって江戸の街並みは失われ、今度は関東大震災によって明治の街並みは失われる。そうして尊い人命も奪われる。目の前にあるものが、そう簡単に消えるわけがないと思っていたら、それがパッと消えてしまう。和辻哲郎は「関東大震災のおりに、いささか感ずる所あって、書かないで済むものは一切書くまい」と述べたそうですが、その「感ずる所」というのは、自分がいつ死ぬのかわからないのがこの世であり、そうしたなかでいい加減で無駄なものを書くことはできない、ということなのかもしれません。

時代はほんの少し進んで、昭和初期、木版画で「新日本百景」が制作されます。「新東京」とは、関東大震災から復興した東京の街並みのことです。震災後、すさまじい勢いで復興する東京の姿を後世まで残そうとして、恩地孝四郎、川上澄生、諏訪兼紀、平塚運一、深沢索一、藤森静雄、逸見享、前川千帆ら8人の版画家たちが集まって東京の景色を描きました。やはり彼らも関東大震災を知っていますから、復興してきたとはいえ、これも永遠に続くものではないと予感していたのかもしれません。いえ、予感していたからこそ、描こうと思ったのでしょう。現に、結局彼らが描いた東京の街並みも東京大空襲によってほとんどが失われます。やはりパッと消えてしまった。

パッと消えてしまう空間に生きる私たちは何をすべきなのか。どうも難しいことです。一日一日、責任を全うすることが大切なのかもしれません。(人によっては人間には時間がないとして、必死に勉強や仕事をする人もあるようです)関東大震災と美術。ちょっと意外なつながりですが、私なりに思っていたことを書いてみた次第です。
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癒しを埴輪に求めて

2010-03-24 20:15:29 | 読書感想
曇りが雨になって、雨が雪に変わる。春とは思えないほど、寒い一日でした。暖かい日がなかなか続きませんね!

今日の空模様の如く、目まぐるしく変わりゆく時代の流れ。近頃、心の癒しを求めに美術館に足を運ぶ人が多いそうです。おそらく、これから先も目まぐるしく、忙しい時代は続くのでしょう。今後、ますます癒しを求めに美術館へいらっしゃる方は多くなってゆくものと思います。

癒しのアート、といえば、思い浮かぶのが「埴輪」です。いわずもがな「埴輪」は、古墳時代(3世紀末から8世紀)に作られた素焼きの焼物ですね。死者の霊を慰めるために作られたとされ、古墳の周りを取り囲むように配置されました。教科書などで紹介される「埴輪」は人物や馬、家などの形象ですけれども、もっと調べてゆくと、鷹匠や道化師、巫女、動物では猿、鹿、鶏など多種多様でユニークなものがあります。これらの「埴輪」は、とにかくかわいらしい(笑)同じ焼物でも、縄文時代の土偶のような不気味さ、怖さがほとんどないんですね。また、「埴輪」の人物のなかには、人が笑った表情のものもあり、この古墳時代には一体どのような精神性を持った人たちが生活していたのか、とても興味が沸いてきます。私にとって「埴輪」は、まさに「癒し」です。

「埴輪」、特にその眼について、哲学者であり、文化史家の和辻哲郎(1889~1960)は『人物埴輪の眼』という随筆(本人は短文と読んでいたそうです)を書いています。弥生時代からの系譜が「埴輪」に見られ、眼は「魂の窓」であり、それがのちの「推古仏」にもつながってゆくのだと述べています。文化のバトンタッチ、といったところでしょう。

「埴輪」は一般的に美術館ではなく、博物館で見られるものですが、癒しを求めたい時にはちょっと会いに行くのもいいかもしれませんね!

●『和辻哲郎随筆集』 岩波文庫 1995年
 ※『人物埴輪の眼』は上記の本に収められています。
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鶴見俊輔『柳宗悦』

2010-03-23 16:48:10 | 読書感想
ここ数日、突如としてブログが編集できなくなってしまい、一週間近くご無沙汰になってしまいました。ブログを読んでいただいている方々にお別れも言わないまま、ブログを終了させなければならないのか…と心配していましたが、今朝方ようやく使えるようになりました。大変失礼を致しました。

この一週間のうちにいい評論を読むことができました。哲学者鶴見俊輔氏が著した『柳宗悦』です。私がこれまで読んだ柳宗悦論のなかで最も面白いと思いました。全10章から成り立ちますが、なかでも「白樺派の文体」については興味深いものです。

以前、このブログでも柳の文章について紹介したことがありました。柳の文体は、読む人に優しく手を差し伸べて、丁寧に論を進めていく特徴を持っています。また、実は柳に関わらず民藝運動に関わった人たちの文章は、誰しもが似たような特徴を持っているんですね。でも、彼らがどこでそのような文章の書き方を学んだのか、私のなかで謎でした。その謎が、なんと「白樺派の文体」で明らかにされていたので驚いたのです。

『白樺』とは、明治43年に創刊された文芸雑誌です。文学、美術、音楽など幅広いテーマを扱い、特に美術ではセザンヌやゴッホ、マティスなどをいちはやく紹介しました。『白樺』柳宗悦はその同人だったんですね。鶴見氏は里見の言葉をひいて『白樺』が文体上さけた3点を紹介しています。「いい子病」「意味ありげ」「知ったかぶり」です。そしてバーナード・リーチも一枚かんでいたこと(彼の存在が最も大きいよう)。柳の文体は、たしかにこの3点をさけているように思えます。彼の文体はここで鍛え上げられたのでしょう。

と、するのならば鶴見氏はここまで言及はしていませんが、若い濱田庄司や芹沢介らは間違いなく『白樺』を読んでいたことでしょう。もしかしたら彼らの文章は『白樺』から学んでいたとしたら…。私はとても納得がいく(笑)

このブログでは柳の「白樺派の文体」についてご紹介しましたが、鶴見氏は「民藝」のエリアのなかにどっかりと入り込まず、その外側から論を組み立てていますので、今までにない柳宗悦論ではないかと思います。柳宗悦に興味の或る方は必見の1冊です。

●『柳宗悦』鶴見俊輔著 平凡社 1994年
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太宰治の『人間失格』

2010-03-16 19:37:09 | その他
先日、数年ぶりに映画を見てきました。太宰治原作の『人間失格』です。ずいぶん前に小説のほうを読んだことがありましたが、私は大の苦手で…。一度読んだら読まなくてもいいなあ、と思いましたが、まさか数年後に映画で見るとは夢にも思いませんでした(笑)

『人間失格』といえば、高校受験をひかえた中学3年生のとき、担任の先生から「今の時期は読まないほうがいい」と言われたのを覚えています。読まないほうがいいと言われると、読みたくなるのが私なのですが、図書館へ行って、本の厚さを見て断念しました(笑)中篇ですから、それほど長くないのですけれどもね。読まないほうがいい、と先生が諭した理由はなんだったのか、自信を喪失するからなのか、死に誘われるからなのか、よくわかりませんでしたが、もしそうした理由ならば、芥川龍之介の『或る阿呆の一生』とか『歯車』のほうがずっと怖いと思います。

書店に行くと『人間失格』の本が山積みにされているのを見かけます。それだけ売れるからなのでしょう。『人間失格』が売れる現在とは、どんな時代なのか。考えさせられます。

肝心の映画の感想は、見てのお楽しみということで…。でも、私はウイスキーがやたら飲みたくなりました(笑)


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桜が咲くまでには

2010-03-15 18:21:05 | その他
ようやく暖かくなってきたものの、花粉症もひどくなってきて、どうも複雑な一週間を過ごしています。しかも、花粉症のせいか、ここ一週間、何かにとりつかれているかのように力が出てこない。(苦笑)仕事が終って、家に帰ると、とたんにくたりとなる。自分に甘えが出て、気持ちがたるんでいるのかもしれません。

美術館へ出かけて、心ゆくまで絵を眺めてみたい。本を開いて、物語のなかに心遊ばせてみたい。楽器を奏でたり、音楽を聴いたりして、音の響きを自由に追いかけてみたい。

私は気持ちにゆとりがなくなりそうになったら、こんなことをして自分と向き合います。自分と向き合う時間がないと、やっぱり息切れしてしまいますから。たまには、ゆるりとして。ただ、ゆるりとしすぎると、今度は自分に甘くなる。(笑)何事もほどほどに。

3月も中旬を向かえ、4月からは新年度になります。桜も咲きますね。いまはうまくセーブしながら、桜が咲くのを待つとしましょう!
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