学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

芥川龍之介『煙草と悪魔』

2019-09-30 20:02:20 | 読書感想
私は煙草を一度も喫ったことがない。だから、喫うとどんな心地になるのか、一向にわからない。父は私が中学校に入る頃まで喫っていたが、母から喫うたびに小言を食らうようになって、そのうち嫌気が差して辞めてしまった。小言も毎日繰り返されると意外なくらい効果を発揮するようである。

ひょんなことから芥川龍之介の『煙草と悪魔』を読むことになった。芥川のいわゆる南蛮ものとされる小説のひとつである。今から500年程前、日本はヨーロッパ文明との出会いを経験したが、その南蛮人たちが乗ってきた船の中には悪魔が一匹交じっていた。悪魔は人間の姿をしてひそかに煙草の栽培を始める。そこへ何も知らない牛飼いの男がやってきて、悪魔と賭けをすることになる。賭けるものが魂だとは知らずに…。

芥川の小説はフィクションだが、実際の歴史をたどると煙草は日本に大分普及したようである。それを示すものとして、今年、サントリー美術館で開催された『遊びの流儀』展に展示された風俗図は参考になるだろう。私は見に行けなかったが、カタログを観ると煙草を吸っている、あるいは煙管を手にした粋な人物たちがずいぶん描かれている。特に女性が多いように見受けられた。そういえば、日本で最初に煙草を吸ったのは淀君である、と聞いたことがある。今日、煙草は百害あって一利なしと、その評価は散々たるものだが、これも芥川の小説に従って悪魔の仕業だとすれば納得がいく。

アイルランド

2019-09-29 22:28:39 | その他
アイルランドといえば、私は2002年の日韓サッカーワールドカップでのドイツ対アイルランドの試合を思い出す。この試合、ドイツに1点を先行されたアイルランドは波状攻撃を仕掛けるが、ゴールキーパーの名手オリバー・カーンを中心とするドイツの堅い守りをなかなか崩せない。だが、後半ロスタイム、とうとうアイルランドはエースのロビー・キーンが劇的な同点ゴールを決めて貴重な勝ち点1を得る。アイルランドの持つ粘り強さにすっかり心を奪われた私は、それからずっとアイルランドというチームが気になっている。

現在、日本は自国開催のラグビーワールドカップで盛り上がっている。先日は優勝候補のアイルランドと日本が対戦し、日本がアイルランドに勝利を収めた。本来なら日本が勝って喜ぶべきところなのかもしれないが、私はどちらが勝った負けたということよりも、ラグビーという屈強な男たちがぶつかる競技で、手に汗握る勝負を見られたことが楽しく、また、とても嬉しい。前半のアイルランドの踊るようなパスワークは素晴らしかったし、後半のアイルランドの壁に真っ向から挑む日本のスタイルは勇気を与えてくれる。ワールドカップをきっかけにラグビーを知ることができて本当に幸せだ。

ふと本棚を眺めていたら『若き芸術家の肖像』が目に留まった。作者はジェイムズ・ジョイス。そういえば、彼もアイルランドの出身だ。彼の代表作『ユリシーズ』は色々な言語を組み込んだ前衛的な小説であるとされる。そして、本にはそれなりの厚みがある。私にとっては読みたくとも読めない高い山だ。私もアイルランドの粘り強さに見習いながら、いずれ『ユリシーズ』を読破してみたい。

まずは自分と向き合うこと

2019-09-28 17:37:43 | その他
書店の棚は世相を反映する。なぜなら、ベストセラーや新刊本のコーナーを見れば、世相がどんなことに関心があるのかわかるためである。近頃は、「私(性格)を変える」というテーマが多いように見受けられる。それだけ自分を変えたいと思っている人がいるのであろう。

かく言う私も20代の頃、自分に自信がなくて、毎日のように性格を変えたいと思っていた。前述したような本は当然読んだし、盛んに旅行へ行って「自分探し」なるものをやってみた。だが、何の実感も得られぬまま、30代になる。すると、それなりに年を重ねてきたせいか、だんだん性格が図々しくなってきた。それで自分を変えることに時間を費やすより、心配性で神経質なこの性格とうまく付き合っていくほうが得策だと考えるに至ったのである。

私の場合、自信がないことがそもそもの問題であった。だから、30代で図々しくなったのは、それなりに人生の経験を積み、自信を得てきた成果なのだろう。性格は変わらないが、その向き合い方が変わったのである。変化を期するならば、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームと同じで、色々なことに挑戦して経験値、すなわち自信の積み重ねが最も大切なのかもしれない。とすれば、まんざら、20代の読書や旅行も無駄ではなかったようである。これからも自分の性格と正直に向き合いつつ、自信を高めてゆきたい。

ノーサイド・ゲーム

2019-09-16 20:41:16 | その他
今年はラグビーワールドカップ2019年日本大会の年。9月20日がいよいよ開幕戦です。折角の機会だから、ラグビーの事をもっと知りたい。そう思っていたときにTBSドラマ『ノーサイド・ゲーム』が放映され、さらに気持ちが高揚してきました。

滅多にテレビを見ない私だけれど、池井戸潤さん原作のドラマだけは欠かさずにチェックしています。先日、最終回を迎えた『ノーサイド・ゲーム』も期待以上の面白さでした。低迷するラグビーチームの優勝という目標と社内での立ち位置を巡る攻防が、らせん状に絡み合って進んでいくドラマです。ラグビー競技やそのプレイヤーたちを通して、成長を遂げていく主人公の姿を観るのが楽しみでした。また、ラグビーというのがどういう競技なのか、例えばパスのルールや得点の違いなど、基本的なことが全く分かっていなかった私にはいいきっかけになったと思っています。

ドラマの中で私が印象に残ったこと。

1.沢山の人たちに関心を持ってもらうことの重要性。

2.地域の人たちと共に喜びを共有し合うことの大切さ。

3.マンネリ化していれば勇気をもって改善に取り組む。

そのまま私の仕事、美術館の仕事として活かせるようなことです。


開幕戦まであと少し。日本代表を応援しつつ、各国の素晴らしいプレーを期待しています。とても楽しみです!

休日の過ごし方

2019-09-09 15:09:10 | その他
私の職場は基本的に毎週月曜日が休みです。平日が休日のメリットは、どこかしこ、とても空いていてゆっくりできるのが良いところ。いつもは土日曜日に混んでいるレストランもカフェも、並ばずに予約なしで食事を楽しめる。ただ、博物館や美術館などは同じく休日のため、見に行きたい展覧会に行けないのが悩ましい。

こうした休日に何をして過ごすか。私の場合、前日の夜に明日やるべきことを手帳に記しておき、休日の朝からすぐに動き始めます。要するに基本的には仕事の日と変わらないのです。陶芸家のバーナード・リーチは、毎朝TODOリストを作って柳宗悦に内容を確認してもらっていた、と日記に書いていたように記憶していますが、それと同じです。やるべきことがないと、どうしてもだらだらと過ごしてしまう。私はどうもそれが性に合わないのです。計画的な休日の過ごし方は自分を律することにもつながって、心身をよく保つのにも有益であるし、スキルを磨いて仕事にもいい作用を及ぼしている(ような気がする)と考えています。

今日は部屋の掃除、庭の草むしり、本の『五足の靴』、北原白秋『フレップ・トリップ』を読み、来年の手帳を買って、今の時間に至ります。そうして、これから明日の仕事のシュミレーションをする予定です。1日1日を大切にして、これからも充実した休日を過ごしていきたいと思っています。

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」

2019-09-08 19:10:06 | 展覧会感想
岸田劉生は日本近代美術を代表する作家のひとりです。作風としては、38歳という人生のなかで、後期印象派、北方ルネッサンスを矢継ぎ早に吸収し、そして東洋の美へ向かっていきました。また、ヒュウザン会や現代の美術社(草土社)にも関わり、彼のカリスマ性とその作風は多くの人を惹きつけたことで知られています。

私自身、岸田劉生の作品はどこかしこで見たことはありますが、同一会場でまとまった点数を見たことがなかったため、今回の東京ステーションギャラリーで始まった「岸田劉生展」はとても楽しみにしていました。

作品展示はほぼ年代順で、10代の水彩画から始まり、自画像、肖像画、風景、静物、麗子像へと続いていくため、作風がどのように変化していったのかがとてもわかりやすい内容になっています。そのなかでもやはり圧巻なのが《道路と土手と塀》で、角度のある坂下から切通しを描くという難しさをよくこなしていますし、ぬらぬらとした感じのするマチエールに絵そのものが生きているような心地がしました。また、《静物(手を描き入れし静物)》の神秘的、宗教的なイメージも面白く、今は塗りつぶされ、完成した時にはあったという林檎を狙う「手」を想像しながら見るのもまた一興でした。

私は岸田劉生について詳しくはありませんが、作品を眺めてきて思ったのはその宗教性でした。特に聖書との関係が気になります。展示室内の解説にも、彼がキリスト教の信者であったことは一文ありましたが、主題がずばり聖書のもの(特にペン画やエッチングなど)、妻を聖母に見立てたり、風景画における大地の役割など、作風自体は後期印象派や北方ルネッサンスから吸収したとはいえ、その思想のなかにはずいぶん宗教性が感じられました。彼の精神性という部分を考えるうえでのきっかけを与えられたような気がします。

展覧会は10月20日までとのこと。機会があれば、二度行ってみたい展覧会です。


さようなら、池内紀さん

2019-09-07 20:23:33 | その他
ドイツ文学者の池内紀さんが8月30日に78歳で亡くなられました。もう池内さんの新しい文章を読むことができないと思うと、とても残念な気持ちで心がいっぱいです。

今から15年ほど前、私は友人を通してフランツ・カフカに興味がわき、白水社出版の『城』を読みました。その訳者が池内紀さんで、そのなじみやすい文体は、カフカの小説に新しい命を吹き込んでいるようでした。以来、カフカを含むドイツ文学を読みたいと思ったときは、池内さんが翻訳をしているかどうかが基準になるほど。近年では、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(河出書房新社)を池内訳で読むことができたことは、とても嬉しいことでした。また、池内さんはエッセイも得意とし、岩波新書の『ぼくのドイツ文学講義』も忘れられない本のひとつです。

池内さんは亡くなられましたが、その言葉は残り続けます。フローベール曰く「人間は無、仕事こそすべて」。池内さんに想いを馳せて、改めて著書や訳を読んでみたいと思いました。

できることを少しずつ

2019-09-01 19:23:24 | その他
今日から長月です。暑さもだいぶ和らいできましたが、戸外へ出るとまだ湿気を肌で感じます。なかなか快適な陽気になるには時間がかかりそうですね。

近頃ぐうたらな生活を送っていました。仕事から帰ってくるともう何もやる気がなく、晩御飯を食べたら、あとは寝っ転がっておしまい。このところ、新しい展覧会を立ち上げたり、講演会の講師を引き受けたりで慌ただしい毎日を送っていましたが、先日いずれも無事に終了し、その反動で何もやる気がでないようです。人間である以上、1年365日、常にバリバリ働くことなどできませんし、たまにはやる気のない日、つまり休息の時間があっても罰はあたらないだろうと思うのです。おそらく体が休めと言っているのですね。

ただ、あまりぐうたら生活を満喫していると、それこそ体がなまってくるので少しずつ体を動かし始めました。部屋の掃除、書類や本の整理、ストレッチなどをしてだんだんギアを上げていきます。私のなかでは、ちょっと面倒くさいなあ、と思うことをするのがベスト。さぼりたがる感情をあえて無視して、とにかく体を動かします。体本位というところでしょうか。助走をつけて、段階的に難しいことにチャレンジしていく…予定です。

明日は月曜日で美術館がおやすみ。ぐうたらな生活を送らないよう、今夜の内からやるべきことをメモします。明日がまた充実した一日でありますように🎵