学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

北原白秋の短歌

2019-10-05 21:09:19 | 読書感想
これまで生きてきて、短歌というものにはほとんど縁がなかった。短歌で知っていることといえば、5、7、5、7、7のリズムがあって俳句よりは長い文節であること、俵万智さんのサラダ記念日がとても有名であること(これは学生時代に教わった数少ない短歌の記憶である)ぐらいだろうか。けれども、このたび縁あって北原白秋の歌集を調べることになった。縁あって、というのは、要するに仕事が関係しているのである。仕事が関係すると、受動的な見方から能動的な見方に変わる。そのせいか、短歌の持つ深みを今さらながら感じている。

白秋の歌集のなかでも『桐の花』(1913年)は、彼自身が若いせいか、かなりの欲が出ていて、それが人間らしくて面白い。


・あまりりす 息もふかげに燃ゆるとき ふと唇をさしあてしかな

・くさばなの あかきふかみにおさへあへぬ くちづけのおとのたへがたきかな

・洋妾(らしゃめん)の 長き湯浴をかいま見る 黄なる戸外の燕のむれ

・すっきりと 筑前博多の帯をしめ 忍び来し夜の白ゆりの花

・なつかしき 7月2日しみじみと メスのわが背に触れしその夏


この辺りの短歌はとてもエロティックな印象を与える。美術と同じで文学にも「隠喩」というものがある。これはつまり、エロティックなものであれば、いやらしい文言による直接的な表現を避け、比喩を用いることで読み手のイメージをいっそう膨らませると手法だ。もちろん、この隠れた比喩を知らないと文字の上辺だけしか見えないことになる。私は堀口大学『月下の一群』の文庫本を初めて読んだとき、まるでちんぷんかんぷんであったのだが、その解説を読んで隠喩の面白さについて教わった。要するにエロいことをエロく言わないテクニックだ。これを応用して白秋の短歌を読んでいると、何となく彼の隠れた声が聞こえてくるようで、また、その表現力に驚かされるのだ。

さて、私が最もお気に入りの短歌は次のものである。


・君かへす 朝の鋪石さくさくと 雪よ林檎の香のごとくふれ


「さくさく」とは雪を踏んだときの音と、林檎を食べたときの音にかけている表現である。そして「林檎の香」と来る。林檎のような甘い香りをした女性が「君」だったのだろう。さすが白秋と言わざる得ない。