学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

『竹取物語』

2011-07-29 18:37:21 | 読書感想
『竹取物語』は、かぐや姫のお話で、もうおなじみの古典ですね。平安時代に成立した物語です。

『竹取物語』の読みどころで面白いところは、やはり貴族たちの求婚でしょう。かぐや姫は、求婚する貴族たちに対して随分な無理難題をふっかけます(笑)。5人の貴族にそれぞれ「仏の御石の鉢」、「蓬莱の玉の枝」、「火鼠の皮衣」、「龍の頸の玉」、「燕の子安貝」を見つけてくるように言うわけですね。とても手に入りそうにないものを真剣に考える貴族たち。本気で探しに出かける貴族、偽物を作る貴族、部下たちに探させる貴族…、とても滑稽なところですが、ここに人間という生き物の魅了が表れているような気がします。

『竹取物語』は、かぐや姫が月に帰っておしまいになります。でも、ちょっとだけ続きがあって、かぐや姫は月へゆく前に天上人から「天の羽衣」と「薬壺」を譲られるんですね。かぐや姫は「天の羽衣」をまとって天へ帰り、「薬壺」は下界に置いて行った。その「薬壺」は不死の薬なんです。それをどうしたかというと…人間が飲んだわけではない(笑)。大臣が駿河国にある高い山に置いてくるように部下に命じるわけです。そうして部下は高い山の頂きに「薬壺」を置いて火で焼いてしまう。そうして名づけられたのが「ふじのやま」、つまり「富士山」というオチです。

『竹取物語』は薄い本で、古典の苦手な人でも『竹取物語』の物語自体を知っている人が多いと思いますので、読みやすいのではないかと思います。かぐや姫が月へ上ったのは8月。この夏、かぐや姫のことを想いながら、『竹取物語』を読むのは一興かもしれませんね。


鴨長明『方丈記』

2011-07-27 22:45:15 | 読書感想
夕方からまた雨が降りました。晴れたり、雨が降ったり、近頃は忙しい天気が続きます。仕事に関しては、展覧会が立ちあがったこともあり、やや落ち着いた日々が続いています。でも、この落ち着いている時期に、仕事を先に進めておくと、あとで慌てることがないのですよね。しっかり気は引き締めなければと思います。

鎌倉時代、鴨長明の『方丈記』を読みました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の出だしから始まる有名な古典ですね。もうご存じの方が多いと思いますが、時間は留まることなく流れてゆく、栄えた家もいつの間にか没落してしまう。『方丈記』は世の無常を書いたものとして知られています。物語は初めに京での度重なる災害について書き、その後、作者自身の隠遁生活が書かれていきます。人の世を離れて、質素な生活のなかで孤独に生きる。

「世にしたがへば、身苦し。したがわねば、狂せるに似たり。」

このあたりの件は、夏目漱石の『草枕』を彷彿とさせるものがあります。というよりも、漱石は『方丈記』を意識しながら『草枕』を書いた?と想像をしてみました。

作者の隠遁生活、どんな住まいだったのかも具体的に書かれているのですが、とても質素で無駄のない家であったようです。また、この住まいでどんな生活を送っているのかも書いているのですが、その場面を書いた文章は美しいの一言。私は文章を読んで感動することは滅多にないのですが、これは滅多にないうちのひとつ(笑)長すぎるので引用しませんが、とても良いものです。

『方丈記』、日本の古典ではぜひ読んでおきたい一冊です。

『伊勢物語』

2011-07-26 21:53:39 | 読書感想
日中は太陽が照りつける暑い一日でしたが、夕立があって、今は涼しい北風が吹いています。ここ数日は日中が暑くとも、夜になると大分涼しくなるので、それほど寝苦さは感じず。近頃は暑さよりも地震のほうで目が覚めてしまいます。少しの揺れでも反射的に起きてしまうのですよね…。

今日は『伊勢物語』をご紹介しましょう。『伊勢物語』の成立は平安時代、あの『源氏物語』よりも前に書かれていることがわかっています。歌人在原業平(ありわらのなりひら)の歌物語で、125段の短編から構成されています。「昔、男ありけり」と文章の出だしが特徴的です。

この『伊勢物語』、文章自体は短いのですが、読むときに少しやっかいなところがあります。それは125段の短編すべてに歌が詠まれており、この意味がわからないと内容がさっぱりわからないということ。現代語訳のついた『伊勢物語』で読み進めていくのがベストな読み方ではないかと思います。

本書を読んでしだいに分かってくることは、在原業平のプレイボーイ(この言葉も古いような気がするけれど!)っぷり。とにかく多くの女性と関係しています。京だけでなく、東の武蔵国や陸奥まで出かけても、それはおさまることなし。物語の第47段では、女性からあなたのプレイボーイっぷりはよく聞いていて知っているとまで言われています(笑)何時の時代もそういう話は世間に広まりやすいらしい(笑)

『伊勢物語』で私の好きな場面は、在原業平らが三河国を訪れた時、たくさんの川が流れていて、八つの橋が掛けられている。そうして、橋のそばには、いくつものかきつばたが咲いているというところです。とても素敵な情景!

でも、実は後年、この場面を想像して屏風や工芸に取り入れた人がいるんです。それは江戸時代の絵師、尾形光琳です。現在国宝になっている《八橋蒔絵螺鈿硯箱》がそうなんですね。かきつばたの花が螺鈿になっているのがまたにくいところで(笑)。おそらく《燕子花図屏風》も『伊勢物語』からの着想でしょう。尾形光琳も『伊勢物語』が好きだったようです。

在原業平のプレイボーイっぷりだけではない『伊勢物語』の魅力ですね。

芥川龍之介の俳句

2011-07-25 20:02:17 | 読書感想
昨夜はぐっすり寝ていたところを、2度の地震でたたき起こされ、朝は睡眠不足。大型台風がようやく去ったと思ったら、最近になってまた大きな地震が多くなり、天災は緩むことなし。何事もない平和な時間が、どれだけ貴重なものであるのかを考えさせられます。

昨日7月24日は、アナログ放送終了の日。私はテレビを見ないので、特にどうということもなし。私にはラジオがあれば十分なのです。

そうして、同日は小説家芥川龍之介の命日でもある。1927年(昭和2年)、とかく蒸し暑い夏の出来事だったそうです。享年35歳。若いですね…。

近年、芥川の俳句が注目されているようです。すすめられて読んで見ると、なかなかに素敵です。

この夏、口に出して読んで見たい芥川の俳句。

●湯上りの庭下駄軽し夏の月
 一日の汗を流して、夕涼みといったところでしょうか。
 月明かりに照らされ、うちわを片手に月を見やる芥川が見えるようです。

●花火やんで細腰二人楼を下る
 細腰、ですから女性二人なんでしょう。
 花火を見ながら、二人でどんな話を語り合ったのか。
 朝の連続テレビ小説のワンシーンにでも出てきそうですね(笑)

●夏山に虹立ち消ゆる別れかな
 一雨降って、夏山に虹がかかったのかもしれません。
 「消ゆる別れ」なので、寂しい感じもしないでもありませんが、
 また虹が出てきて欲しいと願う気持ちがほうが勝っているように感じられます。


オススメの夏の3句を挙げてみました。ただの季節の描写ではなくて、色々な想像が膨らむような俳句です。この俳句を取っ掛かりに短編小説にでも書けそうなほど。芥川が亡くなってから、今年で84年目の夏。84年の歳月は早いのか、遅いのか。


●『芥川竜之介俳句集』加藤郁乎編 岩波文庫 2010年

上田秋成『春雨物語』

2011-07-24 21:35:10 | 読書感想
昨日、虹を見たせいかはわからないけれど、ともかくも今日の美術館のイベントは無事に終わりました。イベントは展覧会に関する講座。講師の先生をお招きしての講座でしたが、とても興味深いお話をして下さいました。担当である私自身もメモをしながら、講座を聞いていましたが、話の内容もさることながら、私は先生の話し方にも注目してメモを取っていました。本日お招きした先生は、大ベテランの先生であるだけに話し方が上手く、私も話し方のテクニックで取り入れられるものは取り入れたいとの想いがありました。

話すスピード、間の取り方、適度なジェスチャー、時折混ぜられるユーモア。

日々、勉強です。早く、人前でこれだけ上手く話が出来るようになりたいものです。もちろん、話すべきことがきちんとあってのことですけれど。



夏の夜の涼しい風に吹かれて、江戸時代の読本作者である上田秋成の『春雨物語』を読みました。上田秋成といえば『雨月物語』。私自身、書店へ行くまで『春雨物語』の存在を知りませんでしたが、面白そうだったので読んでみました。

『春雨物語』は10編の短編小説から成り立っていて、上田秋成が75歳のときに原稿が完成しました。ちなみに代表作の『雨月物語』は43歳のときに書かれており、これは脂の乗り切った年ですね。『春雨物語』はさすがに晩年だけあって、それほど怖くておどろおどろしい話はありません。私としては、ちょっと首をひねりたくなるような理不尽な話だらけなんですけれども(笑)10編のなかでも「樊噲」(はんかい)という小説が面白いものでした。タイトルを聞くと、難しそうな話なんですが、ある人間の一生を描いたもの。殺人、強盗、恐喝を続ける恐ろしい男のあまりにも意外過ぎる末路。こんなオチがありなのかとも思うのですが、ありなんでしょう…(笑)

『春雨物語』と『雨月物語』を比較した場合、話の面白さは『雨月物語』に軍配が上がると思いますが、怖い話が苦手な人には『春雨物語』がほど良い調子かもしれません。読み方としては、原文を読んで、現代語訳で内容の確認をするのがオススメです。原文はそれほど難しくありませんので。古典を勉強するテキストとしてもいいのかもしれませんね。


●『春雨物語』上田秋成 井上泰至訳注 2010年 角川文庫

夏目漱石『二百十日』

2011-07-23 20:09:55 | 読書感想
今日もとても涼しい一日。帰宅の途上、東の空に虹が見えました。久しぶりの虹。とても綺麗でした。明日、いいことがありますように。

昨日ブログで書いた『十六夜日記』、旅の動機は土地の紛争問題のためであったようです。原文ではなかなか分からなかった(泣)。ただ紛争問題であるならば、作者の文章に緊張感があっていいはずだし、ましてや京を離れて東へ向うのだから、相当の覚悟があったはず。でも、文章からはそうしたものがなかなか伝わりません。憂鬱だったら、あれだけ周りの土地の印象に気持ちが向かないと思うのだけれど…。当時の作者がどんな気持ちだったのか、もう一度『十六夜日記』を読む必要がありそうです。

さて、今日は夏目漱石の『二百十日』(にひゃくとうか)です。「二百十日」とは、立春から数えて210日目、9月1日頃を指します。この時期は台風の襲来がありますから、農家にとっては厄年にあたる。漱石は、災難の意味でタイトルに使ったのかもしれません。

この小説はとにかく変わっていて、文章のほとんどが会話文から成り立ちます。話は圭さん、碌さんが、九州の阿蘇へ旅し、山を登るというもの。会話文が中心なので、2人の軽快なやり取りがとても面白いです。落語を聴いているよう。漱石は落語が好きだったといいますから、それがこの小説の流れになっているのかもしれませんね。話のキーは豆腐屋対華族、金持ち。いわゆる上流階級へのアイロニーです。小説のいたるところに、この会話が出てくるから、漱石が相当主張したかったことに違いありません。

ごく個人的なこと。私、とある場所へ旅行をしたときに持っていった小説が、この『二百十日』でした。そのせいか、『二百十日』を読んでいると、旅行先の記憶がよみがえるのです。マドレーヌを食べて、記憶が呼び覚まされる『失われた時を求めて』に似ているかもしれない。似ていないですね(笑)

これもまた、気楽に読める本です。

『十六夜日記』

2011-07-22 15:27:55 | 読書感想
今日は仕事がお休みです。台風が去ったあとの涼しさで、昨日、今日と過ごしやすい日が続いています。何だか秋のような感じもして、苦しかったあの暑さが多少恋しくもなる。おそらく、あと数日で今までの暑さが戻り猛暑となるのでしょうが、そしたら今の涼しさがきっと恋しくなるはず。私の気持ちも随分いい加減なものです(笑)

鎌倉時代の日記『十六夜日記』を読みました。これは同時代の女流歌人阿仏尼が書いた東海道の旅日記。

私は古典を好んで読みますが、完璧に内容が分かるほどではありません。『十六夜日記』の旅のきっかけがよく分かりませんでした。(心の悩みから旅を決意する?)ただ、どうも『土佐日記』や『更級日記』と違って、国司の転地などの関わりはなさそうなので、自発的な旅であるようです。京から逆に鎌倉を目指す。『更級日記』とは逆方向への旅になるわけですね。

作者の阿仏尼は、歌人というだけあって、土地の景観は和歌で詠まれます。和歌で詠まれると、作者の心情と土地の景観が組み合わさって、情緒豊かな印象が伝わります。また、自発的な旅のせいなのか、道中ではあまり京を懐かしがるような和歌は見当たらないことも、少し気付いた点として挙げておきます。

無事、鎌倉に到着して、阿仏尼はそこに住み始めたようです。

「浦ちかき山もとにて風いとあらし。山寺のかたはらなれば、のどかに、すごくて、浪のおと、松の風たえず。」

阿仏尼は海の近くに住んだようですね。ここでは和歌のやり取りが目立ち、少しばかり京を懐かしむ気持ちも出てきています。


「故郷は遠きにありて思うもの」

これは室生犀星の詩の一部ではありますが、そうした心は昔から変わらぬようです。


『更級日記』よりも『十六夜日記』は詠みやすいものです。鎌倉時代の東海道を旅したい方はぜひ。

『更級日記』

2011-07-21 22:28:14 | 読書感想
平安時代、菅原孝標(たかすえ)の娘が書いた日記。日記の始まりは13歳位からで、作者の晩年と思われる50歳代前半までの出来事が書かれています。「日記」と言っても、日々の出来事を綴ったわけではなくて、印象に残ったことを後年になってから書いたというもの。ですから、13歳から日記を続けていたわけではなし。むしろ自叙伝に近いものなのかもしれません。

物語は、一家が上総国(千葉県中部)から京へ目指すところから始まります。陸地版の『土佐日記』といったところでしょうか。当時13歳の作者は、本がとても好きだけれど、周りには読むべきものがなくて残念がっています。そこで薬師仏に京へ行ったらありったけの本を読ませて欲しいとお願いするような子供でした。京へ向う道中に見た景色の描写は『土佐日記』にはなかなか見られなかったもの。山が屏風を立てているように見えるとか、富士山が色の濃い紺青の衣に白いあこめを着たように見える、といった言葉で彩られます。(夜になると富士山の頂から火が燃えるのが見えるとも!)京についてからは、薬師仏への願いがかなったか、夢にまで見た『源氏物語』を読むことが出来て、昼は日が暮れるまで、夜は目がさめているときまで、ひたすら読んだようです。

ただ…序盤の明るさに比べて、次第に日記は悲しい方向へ。火事にあったり(猫の不思議な話があります)、姉が亡くなったり、最後には夫も他界します。どうも作者の晩年は寂しいものであったよう。現在でもありそうな話ですが、晩年の夢の中に仏様で出てきて、その仏様は作者以外の人間には見えない。作者は非常に恐ろしくなったけれども、仏様は「今日は帰るとして、また今度来よう」と言って消えてしまう。ようするにお迎えに来たけれども、今日のところは帰りますということなのでしょう。ちょっと怖くはありますが…。

『更級日記』は平安時代を生きた一女性の姿が書かれています。作者の生涯は置くとして、景色の描写がことさら綺麗な日本語で書かれている点が、私の好きなところです。『更級日記』も『土佐日記』同様に手軽に読める本。平安時代に旅しているような気分にさせてくれる作品です。


夏目漱石『草枕』

2011-07-20 21:37:36 | 読書感想
明治の文豪、夏目漱石の『草枕』を読みました。

『草枕』は主人公の画家が、旅の途上でミステリアスな女性と出会い、心がさまざまに揺れ動くという物語。前作の『我輩は猫である』や『坊っちゃん』の軽快さと比べると、ややとっつきにくいところがありますが、あまり気にせずに読み進めていくと、それほど違和感はなくなってきます。

『草枕』の解説には、近代文明への批判、理想主義への苦悩などが表わされているとありますが、そうした解釈は多くの文学者が試みていることなので、ブログでは私なりの感想を書きます。

「私なり」というのは、美術館学芸員としての視点からです。(それほど大げさなものでもないのですけれど)

この小説は主人公が画家であるせいか、日本の絵師や西欧の画家の名前がいくつも絡んできます。運慶、雪舟、岩佐又兵衛、伊藤若冲、長沢芦雪、葛飾北斎。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ターナー、ラファエル前派のミレー。漱石は日本の絵師だけではなくて、西欧の画家も相当知っていたことになります。『草枕』が書かれたのは1906年(明治39)ですから、当時の日本人でこれだけの名前を知っていた人は一握りだったのではなかったのでしょうか。私の持っている漱石の年譜には、大英博物館やルーブル美術館に行ったという記載はないのですが、これはロンドン留学の際にパリに立ち寄っていることやロンドンでの(本人は相当苦痛だったようですが…)海外時代に得た知識なのでしょう。主人公が画家なので、これぐらいの知識はあってしかるべき、と漱石は思ったのかもしれません。


もうひとつ。ミステリアスな女性、那美の存在です。那美の設定は、離婚して実家に戻ってきた女性というもの。周りの人たちからの評判はあまり良くない。唯一、地元のお寺の和尚様には素直な心を見せていたよう。那美は、主人公に対しても翻弄するような態度や言動を発します。主人公はそれに対抗しようとしますが、結局は彼女に翻弄される(笑)漱石の小説でミステリアスな女性といえば、『三四郎』の美禰子を思い出します。彼女は男の耳元で「ストレイシープ」と意味深なことを言ったりするわけです。こうした女性像はイギリス小説から影響を受けているのかわかりませんが、私は漱石の小説に登場するミステリアスな女性像は好きです。登場人物の魅力が増して、小説に厚みが出てくるような気もしますし。


『草枕』、読みづらいところもところどころありますが、主人公が床屋で無理やりマッサージをされるところなど、笑える部分も多々あり(笑)漱石のなかでもオススメの1冊です。


紀貫之『土佐日記』

2011-07-19 20:17:55 | 読書感想
本棚を整理していたら、奥から『土佐日記』(岩波文庫)が出てきたので、久しぶりに読んで見ました。

『土佐日記』は平安時代に書かれた日本で初の仮名文の日記。紀貫之が4、5年にわたる土佐国(現在の高知県)での国司の職務を終え、土佐国から帰京するまでの出来事が書かれています。紀貫之一行の交通手段は舟。京までの道程を妨害するものは強風と高波、「さはる事」(物忌み)、海賊…。平安時代の長旅というのは、いかに大変であったかがわかります。

『土佐日記』、多少は脚色はなされているようですが、もちろんドラマティックな展開はありません。例えばロビンソン・クルーソーの如く、舟が難破し無人島でサバイバル生活を送るとか、海賊に襲われるものの紀貫之の古歌によって相手がたじろいだとか(笑)

私が好きな場面は、夜中の航行で海が荒れ、舟に乗っていた人々が恐れおののいた時、舵取りが舟歌を歌って、みんなの緊張を和らげるところ。人間の温かみが感じられて、とても良い心地がします。

『土佐日記』は、もちろん帰京して終わりとなります。読み手からすれば、最後は無事に着いてホッとして終わりになるわけです。けれども、紀貫之はそうではなかったよう。実は土佐の出立前に、まだ幼い娘を亡くしていたからです。本当であれば、幼い娘と一緒に帰京するはずだったのに…、『土佐日記』は亡き娘のことを思うひとりの父親の姿が描写されて終わりとなります。ここは読み手と書き手の感情がややすれ違う部分ではないでしょうか。

平安時代の古典は『源氏物語』、『枕草子』、『紫式部日記』など、数多くあります。そのなかでも『土佐日記』は内容も短めですし、比較的容易に読むことが出来る古典です。(『源氏物語』はあまりにも難しくて原文読みは挫折しました…)古典に触れたくなったときに、ちょっと気軽に読んでみるのも、いいかもしれませんね。