ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

四国八十八ケ寺の65番の札所としまなみ海道に行って来ました。(2021-12-5)

2021-12-07 | お出かけ

11/20 11/21に四国八十八ケ寺の24番から29番 39番から43番 54番から56番
の札所にお参りして全部のお寺を回ったと思っていたのですが 四国中央市にある
65番の三角寺が残っていました。家内の友人と一緒にお参りしてしまなみ海道を通って
耕三寺と平山郁夫美術館を見て、福山SAで昼食にして瀬戸内自動車道で帰って来ました。

 左の画像は12/5の日曜日に行った
 四国中央市の四国八十八ケ寺の
 65番の札所からしまなみ海道を
 通って耕三寺から福山SAから
 瀬戸内自動車道経由で多度津に
 寄ってから帰ってきました、

 下の画像はしまなみ海道です。

  


        下の画像は四国88カ所65番三角寺です。

    
  
 
第65番札所 由霊山 慈尊院 三角寺

  

 三角寺の歴史・由来

 江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」
 と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。
 伊予最後の霊場で、標高は約360m、平石山の中腹にある静かな境内。

 縁起では、聖武天皇の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために
 開創したと伝えられる。
 その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。
 さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と
 万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。
 この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、
 寺院名の由来ともなっている。
 また、嵯峨天皇の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、
 七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。

 だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、一部の堂宇を焼失した。
 現在の本堂が再建されたのは嘉永2年で、昭和46年に修復されている。

 本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。
 ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、
 子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。
 子供を授かった後に、 新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。

 三角寺の見どころ

  三角の池・薬師堂・延命地蔵菩薩立像(昭和52年再建。高さ7m銅造。)


        

    

         

    

        

    

 

 

         

        


   

      

         

    


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