昨年の暮れから 香川県(讃岐)の偉人についてインターネットで調べて
ブログに書き始めました。
1回目は2014-12-24のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「坂出塩田の父」久米通賢
2回目は2014-12-30のブログ:香川県(讃岐)の偉人 「讃岐糖業の父」向山周慶
今回は 香川県(讃岐)の偉人 「香川漆芸の父・漆聖」 玉楮象谷(たまかじぞうこく)について調べました。
香川漆器が全国的に有名なことは、丸亀勤務に
なった友人が萄醤(きんま)細工を習って神戸の
展覧会で見たことや 親戚の人で有名な人がいて
その作品が何点か家内の家にあることなどで知っ
ていました。
左の画像は家にあって、たまにしか使わない銘々皿を
デジカメで撮って 背景を付け直してPhotoscape
で編集したものです。 いろいろな虫が上手に
彫ってあり、きれいなものです。
同じ植田如僲さんの作品で、高級な様で家に眠っている
茶びつをデジカメで撮って編集したものと、インターネットで
見つけた香川漆器の作品を合成したものです。
玉楮象谷(たまかじぞうこく)は高松市に1806年に生ま
れ、明治2年(1869)に64歳で亡くなりました。
玉楮象谷は、中国の彫漆を模した技法や、南方漆器の
技法を 独自の技法に消化した作風を開拓、象谷塗・
讃岐彫とよばれる 今日の高松漆器の源流をつくりあ
げ、今日特産品として名高い 高松漆工芸の基礎を
築き「香川漆芸の父」と称されます。
讃岐漆芸は、高松藩の漆彫司 玉楮象谷に始まる。
当時、江戸や京都では蒔絵が主流であったが、
象谷は父からうけついだ篆刻の技術をふるい、
あえて蒔絵によらず、京都の東本願寺や大徳寺に
伝来していた堆朱、堆黒、存清など中国から舶載した
唐物漆器、あるいは茶人の間で珍重された《キンマ手》
とよばれる南方渡来の藍胎漆器に着目し、
これらを摸して地方色豊かな漆器を作り出した。
彫漆(ちょうしつ)、萄醤(きんま)、存清(ぞんせい)の
三技法が その特色であり、彫漆は、色漆を厚く塗ね、
文様を彫り表す技法。 萄醤は、剣と称する彫刻刀で
文様を彫り、その彫り口に色漆を埋め、平らに研ぎ出す
存清は、色漆で文様を描き、輪郭や細部に線彫りを
加える手法である。
香川漆器(かがわしっき)は、讃岐漆器あるいは高松漆器とも呼ばれることがある。
江戸時代末期、玉楮象谷(たまかじぞうこく)は大陸伝来の彫漆(ちょうしつ)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)などの研究から 独自の技法を創案し、やがて香川漆芸の礎を築きあげた。
現在では彫漆、蒟醤、存清、後藤塗、象谷塗の5つの技法が国の伝統的工芸品に指定されている。
玉楮象谷(たまかじぞうこく)によって確立した香川漆芸は彫刻刀や剣による彫りの技術と色漆の使用が
特徴であり、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)「香川の3技法」といいます。
インターネットで調べていると「一角印籠」という面白い記事を見つけました。
象谷が34歳のときに殿様に献上した印籠は「一角印籠」と呼ばれるもので、高さ8.6センチ、幅5.5センチ、厚さ2.9センチの 偏円筒形の印籠表面に、なんと1086点の彫刻をしているそうです。
まさに神業としかいいようがありません。
象谷が彫ったけし粒ほどの動物たちは、今にも動き出しそうに生き生きとしています。
しかし、象谷の真価は微細な彫刻よりも独特の塗りの技法にあるといわれています。
ベンガラを混入した生漆を塗りこむ技法は象谷塗と呼ばれ、今日まで香川漆芸として受け継がれています。
Word → PDF → JPG にしました。