その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

春隣り

2012年02月06日 | Weblog

 

***

春隣り

***

 

暦の上ではもう春です

そしてタイミングが悪くて書きそびれてしまった季語

「春隣」とは、冬の終わり頃

春がもうすぐ近くまで来ていると感じることです

「春近し」ともいいます

「隣」には、手で触れらるほどの近さが感じられます

蕾が膨らみ始めた街路樹や梅の木に気づいて

春の日差しの暖かさを人よりもひと足早く受け止めている

草花に教えられているような思いがします

氷点下の冬を過ごす北国の人にとっては

待ちにまった春の到来です

雪の下には春を待つフキノトウ

川には清涼な雪解け水が流れ

生き物たちは目を覚まします

同じような意味を持つ季語に「春待つ」がありますが

こちらは主観的で「春隣」や「春近し」よりも

春を待ちわびる気持ちが強い言葉です

・・・

「叱られて目をつぶる猫春隣」 久保田万太郎

・・・

ぽつりぽつりと蕾もほころんできました

間もなく甘い香りとともに可愛い花が開きます

今年は少し遅れているようです

 

 

 

 

ぱふぱふの別館ブログ  Focus Time5入口

(画面隅のブックマークからも行けます)


土曜トピックス 18

2012年02月04日 | Weblog

 

***

土曜トピックス 18

***

 

毎週土曜トピックスにお付き合いいただきありがとうございます

あてもなく始めた土曜特集は

いざとなるとネタ不足で~(汗)

右左の話がそこそこ好評なのででしばらく

その話題でつないでゆこうと思います

今日は意外と気にもしないけれど

よく意識して見ると「そういえばそうだね~~」という話

 

喫茶店やレストランでコーヒー注文すると

可愛い女性が或いはおばさんが(笑)

コーヒーカップの把手(とって)を左に向けて

テーブルの上に置いてくれるお店がときどきあります

すると客はおもむろにその把手をつかんで右に回して

コーヒーを味わいながら飲みます

これが日本の作法だと思っている人もいますが

何か変だよね?って言う人もいます

海外ではそんな作法の国がないですね

アメリカでもイギリスでも最初から把手は右側です

これは何故かというと

明治時代に生まれた日本独特の作法です

明治時代に日本に入ってきたコーヒーを

当時の人々は飲むマナーが分からなくて

特に女性は把手を持つという頼りなさにとまどいました

当時の女子教育の第一人者の下田歌子さんが

明治30年師範学校の教科書に

「女子普通礼式」の中で紹介しているのがこの方法でした

茶道でお茶碗を回す作法を参考にして

カップの把手を回すことにしたんです

従ってハイカラ女性も

安心してコ-ヒーが飲めるようになったそうです

やがて師範学校の卒業生が全国に広め

現在の喫茶店まで受け継がれたのだそうです

最近ではあまり見かけないですが

今度コーヒーショップに行った折には

しみじみと明治の時代を想像してください(笑)

 

 

 

 ぱふぱふの別館ブログ  Focus Time5入口

(画面隅のブックマークからも行けます)


ひきつける

2012年02月03日 | Weblog

 

***

ひきつける

***

 

「ひきつける」と書くと何をイメージしますか?

漢字にすれば「魅」

辞書で調べると「化けもの」「妖怪」

「人の心を引きつけ迷わすこと」と書いてある

文字の構造も「未だ鬼にあらず」と読めるから

魅力と・・・続ければ

やがて鬼になるであろう妖怪が人を怪しくひきつける

「理屈を超えた力」のことを指しているのかもしれませんね

心ひかれる合理的な理由が明らかな場合は「魅力」と

表現するべきではないのかもしれませんね

誰が見ても美しい女性に

美し故にひかれているのであれば

たんに「美しい女性」といえばいいのですね

明るく素直なやっしい性格にひかれているのであれば

「明るく素直で優しい女性」といえばよい

ところが決して美人ではなく、性格も複雑にゆがんで

冷静に数え上げればどこといって秀でているところがない

それでもなぜか心ひかれてしまうような場合には

「魅力的な女性」という表現が許されるのではないでしょうか

魅力が支配するのは女性ばかりではなくて

世の中になぜこのような・・・というものがあります

私の知り合いにおびただしい数の石鹸を

押し入れいっぱいに並べている人がいます

魅力は魔物の仕業です

夢中になっている本人さえもなぜだかわからないほど

心奪われてしまう素晴らしさを感じるのでしょうね

又逆に特別な対象に理屈抜きで嫌悪感を持つのも

魔物の力が働いているのは間違いないです(笑)

 

漢字一文字 「魅」 も

こんなこと考えていると

あっという間に時間が過ぎてしまいます

 

 

ぱふぱふの別館ブログ  Focus Time5入口

(画面隅のブックマークからも行けます)


二月

2012年02月02日 | Weblog

 

 

***

二月

***

 

 そこかしこ小さな春が息づきます

気温が15度を超えると人は春を感じるといいます

今年はまだまだその気配がなく遅れている春

晩冬(小寒から立春の前日頃まで)の季語にも

「春隣る(はるともる)」というのがあり

すぐそこまで春が来ている感じを表現しています

実際暦の上では2月3日ころが寒明けになりますが

まだまだ寒い日が多い二月です

「冬芽」は秋のあいだに生まれ冬を越す芽のこと

長い冬を梢の先で身を堅くしてジッと春を待ち続け

二月ともなると見た目には変化がなくても

冬芽自身の中では若葉の季節に向けて

胎動が始まっているのです

山では雪が解け始め

北国では凍てついた土が緩み

森からは小鳥のさえずりが聞こえ

冬から春へのかすかな動きが

そこかしこで感じられる季節

それは身も心も「和む」ような動きです

しかし

今年はまだまだその気配が二月になってもない

遅れている春が待ち遠しいですね

 

 

ぱふぱふの別館ブログ  Focus Time5入口

(画面隅のブックマークからも行けます)


風花

2012年02月01日 | Weblog

 

***

風花

***

 

青く晴れた日に寒風に交じって

突然ちらちらと舞い降りる雪や雨のことを言います

冬の終わりの淡い日の中で

無数の光が輝く大変繊細で優美な季語です

今年はまだまだこの風花が舞う日が多そうですね

雲ひとつない空から雨や雪が降ることを表す

「天泣(てんきゅう)」という言葉がありますが

この言葉もロマンチックですよね

遠くの山で降った雪が

強く冷たい風に乗って はるかな街まで運ばれてくる現象

群馬県上州では「吹越」と呼ばれ

雪の多い山脈を背後にした地方や

山の多い北国でよく見られます

積もることはなくほとんどが濡らすこともなく舞う

天からの贈り物は

見慣れた日常の幻想のベールをふわりとかけます

・・・

「風花の大きく白く一つ来る」 阿波野青畝

 

 

(画面隅のブックマークからも行けます)