三流読書人

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ドングリ小屋住人 

藤の花ぶさみじかければ

2011年05月07日 08時04分28秒 | 徒然なるままに


  瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

正岡子規 病床にあってのたうちまわりながらの歌。
明治35年5月5日から新聞『日本』で『病床六尺』の連載を始める。
その直後から凄まじい激痛に襲われ、生死の境をさまよう。
そのころの『病床六尺』の文章に、
「余は今まで禅宗の所謂悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、悟りといふ事はいかなる場合にも平気で生きていることであった」と。この当時の歌である。

小生はこの歌「それがどうしたの」という歌の典型であると思っていたのだが、
カリエスの病巣から吹き出す膿は、数カ所に空洞を作り、生き腐れの状態で麻痺剤、モルヒネに頼り、果てしない苦痛と戦っていた。じっと、藤の花ふさを眺めておれるような状態ではなかったはずだと書いている人もいる。
「それがどうしたの」ではなかったのだ。
俳句には、

  藤の花長うして雨降らんとす

がある。ずいぶんと違うように思う。状況が違うのだろう。

この時期、藤が咲くと子規を思い出す。
近所の雑木に咲く花である。山の手入れが悪くなるとこういうツル性の植物が跋扈する。
しかし、花はきれいである。




中公新書『俳句的生活』(長谷川櫂 著)からの引用・孫引き・盗用が多い。けしからんと思われる方もいるだろうな。