6月19日『毎日新聞』「経済観測」より
「介護はビジネスか」
ビジネスという英語のニュアンスはさまざまだ。成句でメーク・ア・ビジネス・オブ・~は「~を商売にしている」でやや軽んじている。ビジネスライクは「キビキビした、効率的な」で好感だ。
極めつきは米国大統領クーリッジが就任早々「米国のビジネス(仕事)はビジネスだ」の発言でる。いかにも共和党代表らしい率直さだが、29年恐慌の導火線となった評がある。経済万能主義、成長至上主義者は後をたたぬ。
資本主義ではあらゆることがビジネスのタネとなる。個々の企業では間尺にあわず「それはお上(かみ)のすること」とワリ切っていた公共部門でさえ聖域ではない。
国鉄、電信電話、たばこ、郵政、はては刑務所まで民営化される時代である。国立大学も秒読みだ。
ただし、社名をローマ字に従業員を公務員から外せばすべてOKという保証はない。厚生族小泉小泉純一郎前首相も年金の民営化は唱えなかった。国民は救われた。
コムスンの問題も「介護をそう簡単にビジネス化してよいのか」である。東証一部上場、経団連理事まで行って何を今更だろうが、永続的にソロバンに乗るのかどうか、ジュリアナや居酒屋チェーンとは違うのだ。
人間の生命、健康にかかわることを金儲(もう)けの手段としてよいのかという素朴な疑問がある。企業家より為政者の道徳規準である。
具体的には介護に従事する人間に対する報酬が十分かどうかだ。3Kとまでゆかぬまでも老人・病疾者の介護は技術経験と忍耐力を必要とする。希望者の少なさ、定着率の低さが雄弁に物語る。ボランティア精神に期待するのは大甘である。ビジネスに感傷も夢想もない。 (三連星)
今、介護に従事する人たちは、その仕事を天職と心得て従事しているかどうか。
そこにしか就職口がなかったからという者は少なくない。そして低賃金と過酷な労働を余儀なくされている。
政府・自民党・財界などのいう「発展」「経済成長」が実現したとき、介護労働者の定着率はもっと悪くなり、人は集まらなくなり、ビジネスとしての介護の仕事は崩壊する。
次には老人は捨てられる。
蟻の如く税金に群がるが、高齢者が幸せに暮らせる仕組みになっているか。
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