三流読書人

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銭形平次とモーツアルト

2006年02月05日 11時42分23秒 | 教育 
銭形平次とモーツアルト
 今年はモーツアルト生誕250年とかで、世界中で様々な催しが行われるようである。どれか一曲をと言われれば瞬間的に旋律がうかんでくるのは交響曲第40番(ト短調K550)であるが、モーツアルトについて語られた評論というか文章で印象に残るものを紹介してみたい。
 古くは、長谷川一夫、最も長く演じたのは大川橋蔵である。北大路欣也、若山富三郎、風間杜夫なども。今は、村上弘明。ご存じ銭形平次である。女房はお静、子分はガラッパチの八五郎。お静、八五郎を演じて人気を博した役者も多い。ライバルは三ノ輪の万七。
 この原作者は野村胡堂である。が、野村胡堂はまた、野村あらえびすという筆名を持つ大変な音楽通であり、収集家であり、評論家でもあった。彼の著『紙上音樂会』(音樂の友社 音樂文庫 昭和25年刊)で述べられている「モーツアルト禮讃」が凄い。以下引用。

「モーツアルト禮讃」
 モーツアルトこそは永久に吾等のものであり、世界のものであるだらう。彼は國境を越え人種を超え傳統を越えて、千萬年の後までも、人間の生活に不斷の新鮮なるオアシスを點ずるものであらう。
 モーツアルトは古典の形式美の最後のゴールに達した人である。美しさの絶頂に立つ人であると言っても宜い。モーツアルトに一點一劃を加ふることは、美しさ、高貴さの分水嶺を越えて、崩壊への第一歩でなければならない。考へやうでは、モーツアルト以後の音樂は夥しき夾雑物に混濁されたものと言へるだらう。それは文學的な情操である場合もあり、哲學的な觀念である場合もあり、甚だしきに至っては、音藝術の約束を越えて、冷たい理論と小ざかしき技巧の遊戯に墮した場合さへあったのである。理論はどのように築かれるとしても、正直のところ、我等は最早モーツアルト以後の器樂曲に、心からなる愉悦を享受し得ないことを泌々と感ずるだらう。
 理論や傳統のなんの煩いもなく、直ちに我等萬人の胸に飛び込んで、情緒をかき鳴らさずには措かないといふ音樂は、モーツアルトの器樂曲とシューベルトの歌謡の外には無いと言ひ切ることが、果たして我々の偏見と言へるだらうか。ルービンシュタインは、バッハとベートーヴェンとシューベルトを音樂の三大巨峰と言った。私は全く違った觀点から、モーツアルトとシューベルトこそは、古今の音樂史上に燦然たる、二つの大天才であると言ひ度い。バッハとベートーヴェンは、單なる天才ではない。バッハはあまりに高貴であり、ベートーヴェンはあまりに人間臭い存在である。
 モーツアルトを愛するの心は、万人共通の健康な耽美的趣味であると言っても差支はあるまい。モーツアルトの音樂には、東洋的な色彩は些かもない。その美しさは悉く歐羅巴的でありその藝術の言葉は十八世紀の中歐の宮廷語である。併し、それにも関わらず、モーツアルトの藝術の訴へは、時も場所も、人種も国境も超越する。それは、この世にある限りの藝術のうちで、モーツアルトの音樂は最も純粋な美しさを持って居るからである。
 藝術がこれだけ純粋の形式に於いて表現された例は、かつて人類社会には無かったことであらう。モーツアルトの芸術の透明度は、大氣の如く、水の如く、純粋である。大氣が春風となり、木枯らしとなり、水がせせらぎとなり、怒濤となるような、モーツアルトの藝術の種々相は、端睨すべからざるものがあるにしても、その透明度に於いては何んの変わりもない。

 モーツアルトの音樂の光と愛と歌とに充ちた特質も、モーツアルトの天才と氣質に由来するものであらう。モーツアルトは「自分は百年に一人しか生まれない天才である」と信じた人である。その強大な自信の力が、やがて音樂に於ける傍若無人の美しさとなったのであらう。その耽美的な存分な生活が、強大な自信と相俟って、彼の玲瓏たる藝術を築きあげたのであらう。モーツアルトの音樂には、遅疑も澁滞もない。彼の戀愛や嗜好がさうであったやうに、あらゆるものを賭けて悔ゆることを知らない態度が、稀代の天才を燃燒させて、古今未曾有の「美しき音樂」を生んだのであらう。

 旧仮名遣ひ、旧字体ほとほとくたびれたのでやめやうと思ひます(なんかうつってきたな)が、野村あらえびす氏のモーツアルト禮讃はまだまだ続くのです。平次、お静、八五郎、三ノ輪の万七の生みの親凄いです。


野村胡堂・のむらこどう(1882-1963) 岩手県紫波郡大巻村( 現紫波町)生まれ。