平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1945 75年目、長崎 原爆の日

2020-08-09 09:51:14 | 日記

今日8月9日は、75年前の11時過ぎに長崎が原爆を投下された日。6日の広島に次ぐ2発目。
毎年、広島・長崎の原爆忌が来ると、「1945年8月5日以前にポツダム宣言を受諾していたら」
と残念に思う

(1) 1942年、アメリカはマンハッタン計画で、原爆を開発。1945年7月16日、原爆実験成功。
(2) (その後ソ英仏中なども開発成功。)
(3) 1945年7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届く。
(4) 1945年8月6日、広島に、原爆投下。
(5) 1945年8月9日、長崎に原爆。この日、日ソ中立条約を結んでいたソ連が対日参戦。
(6) 1945年8月14日、「無条件降伏のポツダム宣言受諾」を通告。
(7) 1945年8月15日、「玉音放送」で、国民に終戦宣言。
(8) 1945年9月2日、米戦艦ミズーリ上で、降伏文書に調印。9/2迄、ソ連は満州・4島などに侵攻。
(9) 1945年11月に予定されていた九州南部上陸作戦、1946年3月に予定されていた関東地方
上陸作戦が中止となる。終戦で更なる犠牲者を出さずに済んだことが、米・原爆投下正当性の根拠に。

その後朝鮮戦争・ベトナム戦争・中東戦争などあったが、核爆弾は使われなかった。
現在、人類を何回も滅亡できる13000発余の核兵器が、ロ・米・中国中心に世界に散在
日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いた時、政府は「無視」。
マスコミは、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、軍部と一緒になって、東京はじめ各都市の
大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、軍部の鼻息を伺って、国民を煽っていた

政府もマスコミも完全に冷静な判断力を失い、国民を欺き続け、国民を塗炭の苦しみに落とし込んだのです。
大きな犠牲を払って得た平和。75年間、戦火を交えること無く、他国の人々を殺すことも、国民を戦争に
巻き込むことも無かった

「平和」の尊さを骨身に感じている私達日本人は、世界平和のために、
「武力で紛争を解決しない、戦う前に冷静に話し合う」ことに身体を張って、訴え続ける必要がある

安倍政権は、防衛のためとして、敵基地攻撃を検討する。太平洋戦争の真珠湾奇襲をまたやる気?許せない
ウォーキング中に出会った花々。ノアザミ、サルビア、ヤブミョウガ、ガザニア


8月9日「今日は何の日カレンダー」より
長崎原爆記念日、野球の日(ミズノ)、ハリ・灸の日
▲ラクダ、日本に初登場(1821)▲士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」の太政官布告発布。チョンマゲから
 ザンギリ頭へ。始めなかなか実行されず、東京でも断髪が完全に実施されるのは10年後(1871)
▲歌舞伎、最初の夜芝居(1878)▲イギリスの推理作家コナン・ドイルにサーの称号が贈られる(1902)
▲11時2分、長崎に原爆投下。死者6~7万人。翌日、政府はポツダム宣言の受諾を決定(1945)
▲第一回国体夏季大会開く(1946)▲古橋広之進、水泳400m自由形で世界新記録達成(1947)
▲国産ジェット機F86-F,初飛行(1956)▲シンガポール、マレーシア連邦より分離独立(1965)
▲三木首相、首相として初めて長崎原爆記念式典に出席(1976)▲形状記憶合金についての研究報告(1982)
▲細川内閣発足(1993) ▲国旗・国歌法成立、日の丸と君が代が正式に決まる(1999)▲美浜原発、蒸気噴出
事故、5人死亡(2014)▲長崎原爆忌に、初めて国連事務総長が参列(グテーレス事務総長)(2018)