平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1085 「戦争がうんだ子供達」

2018-03-15 10:39:37 | 日記
  平和への希い1085 戦後73年 
「戦争がうんだ子供達」  2018.3.15.
今朝の、NHKラジオ「明日へのことば」で、元戦争孤児の会会員星野光代さんが、昭和20年3月10日の
東京大空襲で妹弟と3人で孤児になった体験と、孤児の会会員の方々の体験などを基に、「戦争がうんだ子供
達物語(絵本)」を書き、「語りべ」となって、戦争が生んだ孤児の悲惨の状況を語りつぎ、「戦争は絶対して
はならない」、
と各地の小学校で講演している、とのお話を伺い、胸が締め付けられる思いでした。
82歳だそうです。いつまで、戦争が生む悲惨と戦争絶対反対の語り部を続けられるか、とポツリ。
「狩り込み、と呼ばれた行政による強制的な浮浪児の保護収容では、『1匹、2匹』と動物のように数えられ、
当時10歳で浮浪児となり、上野駅で狩り込みに捕まった女の子は、30人程の子供達と一緒にトラックの荷台
にのせられ、そのまま夜の山奥に『捨てられた』そうです

「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなく、焼け跡で家族を捜しても見つからず、
日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。
同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と
言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて
家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」

講演で、小学校2年生の女の子から、『何で、そんな可哀相な子ども達が出てしまう戦争したのですか』と
聞かれ、答えに困ったけれど、どんな理由があっても、戦争をしてはいけないのです」

私達が傾聴訪問している方々も、昭和一桁代前後の方々です。
戦争がもたらす悲惨さを体験し、絶対戦争をしてはならない、という強い思いの方々が少なくなりました。
現在も、シリアなど内戦で難民となって逃げる途中、船から落ちて亡くなる子供達、食べる物が無くて亡く
なる子供達など、戦争が生む悲惨が続いているのです。

憲法9条の「紛争を解決すために武力を使わない」ことこそ、
「悲惨な子ども達を生む戦争」を世界から無くすことが出来るのです。

ウォーキング中に、春の花に出会えるチャンスが多くなりました。

3月15日、「今日は何の日カレンダー」より
靴の日(日本靴連盟1932)、世界消費者の日、万国博デー、お菓子の日(毎月)
▲マゼランがフィリピンに到達(1521)▲初の国産靴工場、できる(1870)▲ロマノフ王朝滅亡、ロシア2月革命
成立(1917)▲金融恐慌、始まる(1920)▲東京で銀行取付け騒ぎ。昭和恐慌(1927)▲横浜・山下公園完成(1927)
▲共産党員1600余人を検挙。3・15事件(1928)▲35区に分かれていた都を、整理・統合。芝、麻布、
赤坂区などが港区に統合。牛込、淀橋、小石川、本郷、下谷、浅草、荏原、大森、蒲田、滝野川、王子の区名が
消滅(1947)▲衆議院で原水爆禁止決議(1957)▲日光東照宮薬師堂焼失(1961)▲新幹線新大阪~岡山開業(1972)