1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

過程3

2010-10-26 20:53:54 | 雑談の記録
学童五輪の走幅跳びの強化選手に選ばれたのは1ヶ月ほど前のこと。
各競技種目については各クラブから1名しか出場できないという決まりになっているから、先ずはクラブで代表権を得る必要があるのだけれど、最近、愚息が通っている陸上クラブは選手層が厚くなって出場希望者も増えているから大変。昨年の大会覇者だからといって無条件で出場できるほど甘くないのだ。事実、補欠選手として幅跳びの練習を一緒にやっていた選手はリレー選手として100mを14秒台で走るスピードスターで、平均的な跳躍精度は彼のほうが上だった。これはボクの憶測だけど、愚息が幅跳びの選手に選ばれた理由のひとつには、おそらくリレーの正選手になれなかったことに対する指導陣の温情があったのだと思う。まぁ、とにかく、大会選手になれたことはよかった。練習は週2回になり、幅跳び専門のコーチが指導にあたってくれたようだった。

強化選手に選ばれたとき、ボクは愚息に目標を尋ねてみた。
パッとしない返事に思わずどついてしまった。
いろんな理由があるけど、ボクは愚息に4mの目標を設定した。
それは、昨年同時期の記録にプラス50cmの距離で、また、過去の記録をひもといてみると4mという距離が3位内に入る平均的なものだったからだ。

実は、ボクは走幅跳びについては殆ど何も知らない。
だけど、距離を伸ばすための重要項目はわかっているつもり。
それは何かっていうとジャンプ力と空中バランス。

愚息には、大会の3、4日前まで毎日、膝の角度に注意しながら本気の垂直跳びを25回くらいやってみるように提案した(もちろん、準備体操とかやったうえで)。壁の上のほうに白紙を貼って、何日かに一度は中指に朱肉をつけて跳んでみるよう促したりした。この練習をやってみてわかったことだけど、壁を汚さずにキチンと真上に跳んで所定の場所にタッチするのって案外難しいってこと。
そして最終的に取り組んだのは空中姿勢の練習。今夏、97歳で無くなった祖母さんが使っていたベッドのマットレスを譲ってもらって、それを使って室内でズイブン練習をした。
愚息も自分なりにいろんな工夫をしてやっていたみたいだった。高価なマットレスが壊れなくてよかった。

大会の二日前と前日は休養日として軽い運動にとどめ、前日の夜は約30分のマッサージを施術した。右足太腿の奥の筋肉にほんの少しだけ張りが残っていたけど問題はなさそうだった。それとマッサージを行いながら「関節フリー」の感覚を再確認してもらった。そして、十分な睡眠を心がけた。

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過程2

2010-10-26 08:29:37 | 雑談の記録
そもそも、愚息が陸上競技で、なんで幅跳びをするようになったかというと、低学年時代に出場したある大会での「棒幅跳び」とかいうヘンテコな競技で優勝したのがキッカケだったのではないだろうか。

陸上経験のある野球オヤジがボクにこっそり教えてくれたこがある。
「なんでもいいから、子供にはタイトルをとらせることが一番」
他人の不幸はナントカと言われてるけど、勝利の味は子供にとってはそりゃぁもう蜜どころではない別格な味らしいのだ。とにかく、小さいうちに勝利の味を憶えさせるのが上達への近道というのが、そのオヤジの持論だった。

だから、低学年のころは精神修養も兼ねて競技者の少ない跳躍競技に出場させていたとそういうことなのだ。熊本には熊本市陸上記録会というのが年に4、5回ほどあって成績上位者の名前が新聞に掲載されたりして、そういうのが発奮材料になっていたのも確かなことだけど、結局それが跳躍力を伸ばす結果となり、いつの間にか走幅跳びが得意種目になったとそういうことなのだ。と、ボクは思っている。
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