鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

外部的なシルシ(声など)でなく形のない思想が同時性のシルシとなる:考えのコーラス(GLASS3-7)

2008-03-23 09:42:34 | Weblog
 「何か言うとすぐ皆がそろって私を責めるんだからもう何も言わない!」とアリスは考えた。考えただけなので今度は乗客たちの声がコーラスのように何か言うことはなかった。ところがアリスが驚いたことに乗客たちがコーラスのように考えた thought in chorus 。(実はここで「コーラスのように考える」とはどういう事態か説明できないとアリスが告白する。アリスは出来事の生起がわかったがその説明ができないのである。)乗客たちは「まるっきり何も言わないほうがいい。言葉は1語1000ポンドの価値があるから!」とコーラスで考えた。
 さて論点が二つある。①もし1語1000ポンドもするなら何も言わないほうがいいとはどういう意味か?これはすぐわかる。たとえばスーパーでその日トマト1個1000円なら買わない方がいいのと同じようなことだろう。
 もう一つの論点、②「コーラスのように考える」とはどういう意味か?これは難問。声のコーラスなら外部的な声が同時性のシルシとなって複数の乗客たちのコーラスを可能にする。ところが考えのコーラスには同時性を確認させる外部的なシルシがない。どうやって複数の乗客たちは考えが同時的に生じている=コーラスをなしているとわかるのか?
 彼らが同じことを考えることはあるがそれが同時に考えられるかはまた別問題である。彼らが同一の考えを抱いたとしてその同時性を可能にするものは何か?日常的には心の世界は外部的なシルシ(声など)なしに相互にであうことがない。しかし鏡の国では心の世界(考えなどが)が外部的な媒介(声など)なしに相互に出会えるのかもしれない。乗客たちの間に同時性を確認させる思想が発生してそれによって考えのコーラスがきっと可能になるのだ。アリスは日常世界の構造しか知らないから「コーラスのように考える」とはどういう事態か説明できない。アリスの告白は当然である。鏡の国では外部的なシルシ(声など)でなく形のない思想が発生しそれが複数の乗客たちに同時性のシルシとして認識され考えのコーラスが起こるなどアリスには思いつかない。複数の乗客たち(主観)の間に同時性を確認させる外部的・客観的でない思想形象が発生しそれによって考えのコーラスが可能になる。鏡の国は不思議である。