大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録12章1~25節

2020-09-27 15:29:21 | 使徒言行録

2020年9月27日大阪東教会主日礼拝説教「神は報いられる」吉浦玲子
【聖書】
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。
神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
【説教】
<壊滅的な打撃>
 教会に次々と大きな試練がやってきました。そもそも、ペンテコステの後、最初に教会が立ち上がったとき、教会は周囲の人々から好感をもって受け入れられていました。当然ながら教会は反ローマといった政治的過激思想を持った集団でもなければ、反社会的な存在でもなく、ただ熱心に神を信じる人々の集まりと捉えられたからです。最初の迫害は、そのような民衆の教会に対する好意に嫉妬したサドカイ派である祭司たちから起こりました。しかし、当時は民衆の支持を得ていたので、大きな迫害とはなりませんでした。しかし、その後、ステファノの殺害に象徴される迫害がギリシャ語を話すユダヤ人たちによって起こりました。ギリシャ語を話すユダヤ人は、主として外国から帰って来たユダヤ人でした。彼らは祭司たちだけでなくファリサイ派も巻き込んで教会を迫害したのです。そして今日の聖書箇所では、ヘロデ王による迫害が起こったことが記されています。この迫害はヘブライ語を話すユダヤ人にも支持されました。つまり、いよいよ迫害がユダヤ人の主流の人々をも巻き込む状況になって来たといえます。
 まず最初に、「ヘロデ王が教会のある人々に迫害の手を伸ばし」とあります。このヘロデ王は、かつて主イエスがお生まれになった時、幼子イエスを殺そうとしたヘロデ大王の孫にあたります。このヘロデ王家は純然たるユダヤ人の血筋ではなかったと言われます。ローマの支配下にあって、支配者であるローマに気に入られることはもちろん大事でしたが、同時に純然たるユダヤ人ではないヘロデ王は、ユダヤ人たちからも信頼を得る必要がありました。その思惑の中でキリスト教徒への迫害は、ユダヤ人から評価されることでした。そして迫害においては、特に目立つ人間を迫害したと考えられます。今風に言いますと、「迫害をやってる感」出す、パフォーマンス効果を狙っていたと考えられます。そこで、教会の中の中心的な使徒であるヨハネの兄弟ヤコブが殺害されました。主イエスと共に宣教活動をした最初の12弟子のひとりであり、そのなかでも特にペトロやヨハネと並んで重要な使徒であったヤコブが殺されたのです。それがユダヤ人に喜ばれたので、さらにヘロデ王はペトロをも捕らえ牢に入れました。「過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった」というのは、ちょうど主イエスが十字架にかけられたときのことと重なります。過越祭は、ユダヤ人がエジプトから解放されたことを記念する大きな祭りで、ユダヤ人の民族主義が燃え上がるときでもあります。その祭りの熱気に乗じて、ユダヤ主義とは異なる考えを持つキリスト教徒を迫害するのは効果的であると考えられたのでしょう。
 当然ながら、教会には大きな動揺が起こったでしょう。さきほども申しましたように使徒の中でも特に中心であった三人のうちのヤコブが殺され、ペトロまで捕らえられ、まさに教会は壊滅的な打撃を受けていたと考えられます。一方、捉えられていたペトロもまた過越祭の季節にかつて十字架にかけられた主イエスを牢の中で思っていたかもしれません。先に殉教したステファノのことを思ったかもしれません。神の御国を信頼しながら、なお、この地上の命運のあやうさを思ったかもしれません。
<祈る教会>
 「教会では彼のために熱心な祈りがささげられて」いました。キリスト教徒が、試練の中で祈りを捧げるというのは、ある意味、なんら不思議なことではありません。ここで、教会の人々は、祈ることしかできなかったから祈っていたのではありません。あるいは祈ることが義務だったから祈ったのでもありません。ペトロを助けてほしい、ペトロが無事でありますように。素朴に、そして熱心に祈りは捧げられました。
 結果的にペトロは救い出されます。では、もし人々が祈らなかったら、ペトロは助からなかったのでしょうか?教会の祈りを神が聞かれてペトロに奇跡が起こったのでしょうか?ではヤコブが殺されたのは、それまでの教会の祈りが足りなかったからでしょうか?さらにさかのぼっていえば、ステファノが殺されたのも祈りが足りなかったからでしょうか。実際に、そう解釈してこの箇所を祈りの奨励として読む人もいます。しかしそれは間違いです。少し説明の仕方が難しいのですが、教会の人々はたしかに熱心にペトロの無事を祈りました。私たちもまたたしかにさまざまな願いをもって神に祈ります。しかしそれは祈るという自分の行為によって何事かがなされることを期待しているのではなのです。あくまでも主体者は神なのです。主権は神にあり自分が無力であることを知っているから祈るのです。祈りの熱心さによって何事かがなされるのではありません。熱心に祈ったから私たちは義とされるわけではないのです。
 この世的に見れば、ペトロは、時の権力者ヘロデの手の中にありました。牢の中で、鎖につながれ複数の見張りがいました。それは絶対的に動かない現実でした。しかしその現実を越えた現実があることを信じることが祈りです。人間の現実を越えた神の支配、神の現実があることを知って、神の前で徹底的に無力な存在として、ひたすら神に期待したとき、おのずと出てくるのが祈りなのです。神のご支配への期待が祈りなのです。
<幻なのか?>
 さてペトロは、厳重に鎖でつながれ、番兵に見張られていました。牢破りなどは到底できない状況でした。そこに天使が現れました。彼を起こし、鎖を外し、彼を導きました。たいへん不思議なことが起きました。ペトロ自身、「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」のです。
 手の鎖が落ち、すぐそばで見張っていたはずの二人の番兵たちに気づかれず、当然見張りがいたはずの第一、第二の衛兵所も通り抜け、町に通じる門の扉までひとりでに開きました。この記述を見て、作り話めいていると感じられる方もいるでしょう。しかし、神は奇跡を為さる方であり、その奇跡は人間にとって理解不能な出来事なのです。当事者であるペトロ自身、幻のようだと感じた出来事でした。我に返った時、「主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」と分かったのです。通常はこれは奇跡だ、と思っていた出来事が、われに返った時、奇跡でも何でもないことだったと分かるものです。しかし、この場合、その逆でした。最初は幻のように見えたことが、我に返ったとき、神のなさったことだと分かったのです。私たちの人生においても、その時は、たまたま運が良かったとか、偶然だと思っていたことが、あとから思い返すと、どう考えても神がなさったことだったと理解できることがあります。
 教会の人々にしてもそうです。救い出されたペトロ本人が門の外に来ているにもかかわらずロデと言う女性はペトロだと分かったら門を開けもせず皆に告げに行きます。皆はその女性のいうことを信用せず、門の外に締め出されたままのペトロは門をたたき続けるという、少し滑稽な状況が展開されます。当事者のペトロが神の業を幻のように思ったくらいですから、この出来事は、人びとには到底理解できるものではありませんでした。神の出来事は、少なからぬ混乱を人間の側にもたらすのです。神の出来事を前にしてすぐに人間は状況を把握できるわけではありません。
 そしてまたここで分かることは熱心に祈っていた人々は、どのようにしてペトロが助け出されるのかに関して確信は持っていなかったということです。いや実際のところ、助け出されること自体にも確信は持っていなかったのです。不安と動揺の中、祈っていたのです。神のなさることを人間があらかじめ予想して確信を持てるわけがありません。そういう意味で、祈りはいつも弱い人間の祈りで、確信を持って祈るというより、不安や動揺の中で祈るというのが自然な祈りなのです。
<神に栄光を帰す>
 一方で禍々しいことも記されています。ヤコブを殺害し、ペトロをも捕らえ殺そうと目論んでいたヘロデ王の最期です。ヘロデに取り入らざるを得なかったティルスとシドンの人々がヘロデ王を訪ねたときのことです。ヘロデ王は王の衣装をつけて座に着き演説を始めたとたん、急死したのです。このことは歴史学者ヨセフスの「ユダヤ古代誌」にもほぼ同じ内容が記載されている歴史的事実です。
 しかし、この事実を、立派に信仰を持っていた人は救われ、信仰を持っていない悪い人間は報いを受けるというキリスト教的勧善懲悪の物語というように解釈してはいけません。そもそもここでは救われたペトロも、最期は、殉教したのです。使徒言行録の後半で大きな働きをするパウロもまた殉教をします。
 一方、今日の聖書箇所の最後のところには「神の言葉はますます栄え、広がって行った。」とあります。ヤコブの死やペトロの逮捕といった試練に遭いながら、なお、教会は広がって行ったのです。神が広げてくださったのです。そしてまた広げるために神に従って仕えた人々もさらに起こされたのです。バルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰ったとあります。このマルコが「マルコによる福音書」の著者となるマルコと同一人物かどうかはわかりませんが、バルナバとサウロの片腕となる新しい伝道者がここで立てられたのです。キリスト者は試練の中でむしろ力を与えられたのです。それは試練の中でも、かならず安全に守られるからではなく、試練の中でなお神の力を見るからです。神の恵みを知らされたからです。
 パウロはコリントの信徒の手紙Ⅱで「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と神に語られたことを記しています。自分の病を癒してほしいと何度も切実に願ったにも関わらずパウロは病を癒されませんでした。その代わりこの言葉をいただきました。私の恵みはあなたに十分である、というのは贅沢言うな、いまある恵みで我慢しろ、「足るを知れ」ということではありません。むしろ、弱いままのあなたにあって、わたしの力は十分に発揮されるのだと神は語られました。人間が強い時、神の力は発揮されません。人間が弱い時、神の力は発揮されます。
ヘロデは撃ち倒されました。「神に栄光を帰さなかったからである」とあります。自分の力を誇っていたからです。しかしこれは信仰者にも起こることです。人間の信仰的な行為を誇る、誇らないまでも信仰的行為にこそ価値があるように思うことがあります。それは、神に栄光を帰していないのです。
私たちは、ただ弱い人間として神の前に立ちます。そして人間を越えた神の支配を信じます。そこにこそ私たちは神の恵みを見、神の偉大な力を見ます。私たちの喜びは、神の支配の中で、神の業を見せていただくことなのです。



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