ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

鬼の小十郎・片倉景綱

2008年10月13日 07時59分37秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
歴史が苦手な方は、写真でも眺めて下さ~い。
一応、中学生でもわかるように書きたいと思います。
最近はゲームのキャラクターが人気で全国から女性のファンが見学に来ているようです。
確かに居ました! 普通、墓地には年配の歴史好きな方しか居ないのに、若い女性が観光タクシーで来てましたよ。 驚きでしたね!

片倉小十郎景綱「かたくらかげつな」 弘治3年(1557)~元和1年(1615)

景綱は米沢八幡神社の宮司の次男で、最初は、伊達輝宗(てるむね/政宗の父)の小姓と言う低い身分で伊達家に仕えていました。
(小姓【こしょう】とは=武家の職名で主君の側近、雑用をつかさどる武士)

19歳の時、輝宗に見出され9歳になる梵天丸(政宗の幼名:ぼんてんまる)の守役:近待(養育係)になりました。

また、姉の片倉喜多(きた)は、梵天丸の乳母(うば)を務めていましたのでその影響もあったのでしょう。

喜多についての記録は少なく、いつから梵天丸に仕えていたのかはわからないようです。
28歳も年上といいますから、母の義姫よりも年上の乳母だったのですね。
本によっては、片倉喜多子と記しているものがあり、戸惑っております。
喜多子についてはいづれまた・・・

政宗に取り立てられ重心となった景綱は「鬼の小十郎」の異名を取るほどに勇猛で、政宗の戦闘譜には常に彼の名前が刻まれいました。

しかも知恵者であり、戦場には「論語」を携えて読んでいたという教養人でもあったようです。

政宗の頭脳として大いに能力を発揮した人物です。

多くのエピソードもあり、後程紹介したいと思います。




黒釣鐘の旗


【黒釣鐘の旗】
片倉家の軍旗です。
先程説明した、景綱の姉の喜多がデザインしたと言われています。
この旗は、病気で大阪に行けなかった景綱が息子の重綱の活躍を祈って与えた旗です。

大阪夏の陣に出兵した伊達政宗の軍勢です。
先頭に片倉家の黒釣鐘の旗が見えますね。




つづく
『宮城県』 ジャンルのランキング
コメント (24)   この記事についてブログを書く
« しおがまさま 神々の月灯り... | トップ | 片倉小十郎景綱と独眼竜政宗... »
最近の画像もっと見る

24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今後の展開が楽しみです (酔漢です )
2008-10-13 11:05:18
遂に、このネタを!
「黒釣鐘」の旗の下。先陣を常に切ってでた「小十郎」でした。
はてさて、じっくり勉強させていただきます。
(この手の話題ですと「クロンシュタット様」「丹治様」お得意分野ですので、コメントの展開もいかに)

まずは酔漢。先陣を切りました!(いつも最後なのに・・)
酔漢さんへ (ひー)
2008-10-13 12:15:44
丹治さんに、チェック入れられそう……コワ!

出来るだけ、簡単に終わらせようと考えています。
しかし…難しい!
このごろ人気の (ぐずら)
2008-10-13 15:18:50
片倉小十郎・・・
3Dアクションゲーム『戦国BASARA』の人気キャラになったおかげで、
近ごろ白石への若い女性観光客急増だそうです。
ちなみに、このゲームのキャラ人気投票堂々二連続首位は、
主君政宗公であらせられますぞぉ~♪
ぐずらさんへ (ひー)
2008-10-13 16:44:02
どんなのか、ユーチューブで見て見ましたよ。
確か家にも似たようなゲームがあったかも?
ホントに女性人が多かったです。
片倉小十郎といえば… (ぱるえ)
2008-10-13 18:28:52
どうしても西郷輝彦の顔がちらつきます
ゲームは分からないけど・・・ (かにちゃん)
2008-10-13 18:34:17
戦国武将ブームと言うニュースを見て、すぐにひーさんの事、思い出しましたよ~(^∇^)
う~ん (維真尽(^^))
2008-10-13 20:33:00
文武両道~を極めたということですね

論語を戦場に~
道を極めるとは~たいへんなことです
ぱるえさんへ (ひー)
2008-10-13 20:40:29
大河ドラマですか?私は見ていないのです。
炎立つ も、あの頃忙しくて殆ど出てましたから。
今更、レンタルで見ようかなと思ってます。
かにちゃんへ (ひー)
2008-10-13 20:47:16
体調は如何ですか。土人形に手をかけているところを見ると良さそうですね。
CGの武将はカッコイイですからね。
維真尽(^_^)さんへ (ひー)
2008-10-13 20:52:42
私が見てもなかなかイキな武将ですね。政宗に忠告出来る武将は小十郎ぐらいなものだったのでしょう。

コメントを投稿

仙台藩と伊達家のお話し」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事