ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

出雲の国譲りの真相、出雲から追われた人々・アラハバキとは 二話

2013年07月22日 21時48分45秒 | みちのく文化研究&歴史
阿弖流為(茨城県・鹿島神宮蔵)

一話はこちら

津軽を中心に東北のアラハバキ神社を調べて行くと、御神体は殆どが鉄鉱石である。
岩木山神社もアラハバキを祀っているが、御神体は黒い鉄のような石だ。
十三湊に近い洗磯崎神社も鉄鉱石を御神体にしている。
鉄を発掘する者にとって、最初に掘りだした大きな鉄の塊は、そこがどれだけの山かの目安となる大事なものだ。
南部藩のため働いた山師の間でも、最初の鉄塊を神として祀る風習があったらしい。

出雲の八岐大蛇の神話も、鉄鉱石を製錬するタタラから溶けて流れた鉄のから連想されたと考えられる。
八岐大蛇の八つ首は、やっつの鉱山から流れでる炎の象徴ではないかという説である。

大国主命の別名は大穴持命(おおあなもちのみこと)なので、大きなあなを持っている神とも読める。
つまり鉱山の持主だったから付けられた名前ではないのだろうか。
大国主命は相当古い時代に龍の伝承を持って日本にたどり着いた一族の末裔であり、彼らが得意としたのが鉱山開発だったのだろう。

映画化されて有名になった『砂の器』という松本清張の小説がある。
秋田の亀田辺りらしい訛りを話す犯人を刑事たちが追い追いつめていく。捜査の過程で島根県に亀嵩(かめだけ)という場所があり、秋田の亀田そっくりの言葉を使っていることが分かる。
その亀嵩はまさに八岐大蛇伝説のある場所だ。 亀嵩を含む島根の人たちが故郷を追われ、やがて東北に定着したに違いない。
出雲から北へと逃れ、新たな民族を形成していったのが東北人のルーツなのである。

陸奥あるいは奥州という呼び名は、支配する側の呼び方であって、東北の本来の呼びは「ひのもと」だった。
実際、伊達政宗が東北の一大勢力になった時、家康や秀吉は政宗を「ひのもと将軍」と呼んでいる。
「ひのもと」は「日の本」と書く・日本と表記したために元の意味が曖昧になってしまった。
坂上田村麻呂の配下、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が蝦夷の本拠まで大軍を進めていくと、そこに蝦夷の国の中心地だということを示す「壺の碑」があった。
石碑には「日本中央」と刻まれていた。

これを後世の人たちが「ひのもとちゅうおう」では無く「にっぽんちゅうおう」と読んだため、さらに混乱が生じた。

「壺の碑」は東北を表す歌枕として多くの歌に詠まれているが、これは私が何度か記事にしている多賀城碑で「ひのもとちゅうおう」の「壺の碑」と別なのです。

多賀城多賀城の記事はこちらに纏めています。

綿麻呂が見つけた「壺の碑」は、あくまで蝦夷による「ひのもと」中央碑ある。
東北はかつて「ひのもと」と呼ばれていた。
そのルーツは亀嵩である。
「ひのもと」とはおそらく八岐大蛇がいた斐伊川の「もと」という意味だ。つまり斐伊川の「もと」という意味だ。
つまり斐伊川の源流の辺りが「ひのもと」だった。

出雲から東北へ追いやられた者達が、我々は「ひのもと」の民だということを忘れないため「日本」の名称を使ったのだろう。


「日本」・・・・
「蝦夷はもともと出雲に暮らしていた。出雲の斐伊川流域が蝦夷の本拠。斐伊を本(もと)とするゆえ斐本の民(ひのもと)と名乗った。
それがいつしか日本と変えられて今に至っておる。宮古や玉山金山の辺りを下閉伊と呼ぶのもその名残」
なるほど、と阿弖流為たちは傾いた。
「大昔の話ゆえ俺もよくは知らぬ。祖父や親父は俺が物部を継ぐからにはと、たびたび聞かせてくれたが、そんなのんびりとした世ではなくなっていた。 昔のことがわかったとて朝廷に勝てるわけではない。それでもそなたより多少知っている。
天鈴は蝦夷と物部の繋がりを話した。     天鈴=この物語では物部一族の大棟梁
「出雲を纏めた大国主命が蝦夷の祖先に当たることは俺の親父から聞いておろう」
阿弖流為は首を縦に動かした。
「その大国主命の子に長髄彦という者がいて大和を纏めていた。一方、我ら物部の先祖はニギハヤヒの神に従って海を渡り、この国にやってきた。ニギハヤヒの神は今の天皇の遠祖と言われるスサノオの命の子であったらしい。本来なら大国主命と敵対関係にある。なのにニギハヤヒの神は長髄彦の妹を妻に娶って大国主命の親族となった」
「なぜにござる」
「強引に国を奪うをよしとさなんだのであろう。どこに今の天皇の祖先たちが乗り込んできた。大国主命を幽閉し、力で国を奪わんとしたが、長髄彦は激しく抗った。結局、長髄彦は敗れてツガルへと逃れた。ニギハヤヒの神は同族であったがためになんとか処刑を免れ、我ら物部も朝廷に従うことになった。しかし、一度は敵対した物部への疑念はいつまでも晴れぬ。冷遇が目立つようになり、ついには都を追われた。ツガルを頼るしかはくなったとき、そなたらの祖先らは我ら物語を喜んで受け入れてくれた。以来、物部と蝦夷はしっかりと手を結んでいる」
「この国のすべてが、もともとは我らすべてのものであったと?」
「そうだ力で奪ったくせして朝廷は出雲の民から継承したものだと言っておる。蝦夷を執拗に憎むのは、己の罪を認めたくない心の表れであろう。獣に近い者ゆえに追いやって当たり前と己に言い聞かせておるのだ」

                   (「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)



下閉伊郡付近



右端の赤丸は龍泉洞(鍾乳洞)です。以前記事にしています。
左側に書いたメモですが、この辺に高島忠夫さんのお爺さんがいまして名を斉藤三平と申します。
三平汁の考案者です。郷土料理ですね。
後に北海道の開拓に行ったそうです。

この下閉郡ですが、歴史関係の本を書いている著者が近所に居るのですが、この辺りには京都弁を話す集落があるといいます。
それは平家の落人を思わせます。ここまで逃げ着いたのだと思います。
平家の落人の記事も書いています。宮城県の定義如来周辺です。この記事を読みたい方はこちらをクリックして下さい。
定義如来落人の里

今回はアラハバキについてあまり触れませんでしたが、興味のある方は以前の記事をご覧ください。


「アラハバキ」

あらはばき神と謎の古代史

古代出雲に興味のある方は、古代出雲帝国の秘密
最後にアラハバキと繋がります。

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10 コメント

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おもしろい! (ハム姉さん)
2013-08-01 11:55:37
星野之宣さんの漫画 宗像教授シリーズ読んだみたいです。
宮崎アニメのもののけ姫も頭でリンクしたなぁ~
はっきりいって お馬鹿な頭ですが面白かったです。

でっ…私はひのもとの民とヤマト民族のハーフって事?

あっ!母の実家が竜爪山の麓だけど…関係ないか(●^▽^●)
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ハム姉さんへ (ひー)
2013-08-01 13:35:12
どうもです!
かなり古くから混血が進んだと考えます。
一般的に大陸や朝鮮半島を想像しますが、実は南の島などからも多いようです。
これは、簡素な船で実験積みです。
それから、モンゴルの上の方の人たちとDNAの一致が見られます。
アメリカや南方の島に縄文人が船で移動したという考えもあります。青森の遺跡から出てきた縄文式土器が発掘されています。これも丸木舟で検証済みです。海流に乗ればたどり着きます。あの地震の瓦礫でさえ漂着していますからね。
返信する
漫画にも出て来る (JBL4312)
2015-05-13 04:28:39
安彦良和の(ナムジ)(ジンム)も出雲が舞台。古いのでコミック文庫でしか手に入らず
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JBL4312さんへ (ひー)
2015-05-13 06:08:59
コメントありがとうございます。
古事記の神話は、脚色されていますが、実話を変形させた物だと思っています。漫画も古事記等の歴史の流れから作者がアレンジして行くのだと思います。
所詮歴史は勝者によって書き綴られたものですから都合のいいように手が加えられ、都合の悪いのは消されて行くものです。
本当の歴史を知りたくて色々書き留めています。ただ古代史は考古学以外は想像でしか歴史を組み立てられません。 人間のあっという間命では、何千年もの古代を調べるなんて不可能なのかも知れませんね。
返信する
通りすがりさんへ (ひー)
2015-11-19 15:36:24
まだコメントは読んでいません。
後ほど読みます。これだけの文章を書くのならご自分のページを作ったらいいと思います。
もう持っていられるのでしょうか?

ネットの情報を自分の記事には基本的に書きません。
このコメントにある内容の本があれば買って読みますのでタイトルと出版社又は著者を教えていただければと助かります。

返信する
通りすがりさんへ (ひー)
2015-11-22 20:11:03
氷川神社の件は自分の記事で「隠されたアラハバキ神の謎/氷川神社編」http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/c183422b781212abf1d9d241cf688404 で触れています。
「客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧」のサイトはかなり前から存知上げています。
私のHPはご覧いただけましたでしょうか?
http://sanpomichi114.web.fc2.com/arahabaki.html
このページに地域別に神社の数だけ書いていますが、神社名を省いただけでこの神社のことはしっていました。読んでいただければわかると思います。
この記事にも最後にリンクしてあります。
古事記に関する本は4冊くらいありますが全部中途半端に読書しています。読み切っていません。

古事記の成り立ちを知っていれば、古事記が絶対の書ではないことはご存知だと思います。
まだ漢字の読みのルールが決まっていない時代に口語伝承を稗田 阿礼が漢字にしたものでしたね。
現在はほぼ訳されていますが、何度も私の記事の中で記載していますが、歴史は勝者によって書き換えられます。 日本書紀もそうです。 アラハバキは、古事記になどに出てくる神(渡来系の民族)と関係ないと考えています。古代史を見ていると所詮想像だけでしか
物事を考えることしかできません。 勿論私もです。
ですからこんな研究はやめようかと何度も考えました。答えが無いからです。逆にだから面白いとも言えますが。
古代の神は自然崇拝です。山・水・石・巨石・月・星etc
現在の祭神は江戸期辺りにつけられたものが多いです。 それ以前の場合でも結局、置き換えられてしまいます。権力者だけで無く地域の人も関係がしてきます。
鉄を打つとき鞴(ふいご)は足を使います。火を見ていると目を悪くします。そうすると鉄に関係する神様を祀っていると「足や目にいい」と広まって行くのです。
難しく考えることは無いと思います。
私が実際回って来た秋田や会津、多賀城のアラハバキ神社は名前を変えていない神社です。
漢字は当て字ですから違ってきますが、どこもアラハバキ神社です。勿論ご覧になったと思いますが、http://sanpomichi114.web.fc2.com/arahabaki01.html
http://sanpomichi114.web.fc2.com/arahabaki2.html
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/616b798543b5534cfe74c0d1ac372420
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/9d0dec6492e3e5845ac2fa3cac548094

祭神は、絶対ではないと思います。
鹽竈神社でさえ、はっきり決まっていなかった祭神を伊達家が決めています。これは「しおがまさまの不思議」
に記載しています。 
古代史は考古学が証拠を出さないと証明できないのがなかなか難しいところです。天孫族は渡来してきた集団です。自分が考えるアラハバキは原日本人で縄文時代からあった神だと考えます。
古事記は奈良時代くらいのものですし、奈良時代の貴族はほぼ渡来人ですね。
書き換えられた祭神や古事記に出てくる神に追われ境内の隅っこに追いやられた元々の神はかわいそうに思えてきます。ですから私は神社に行くと摂社を気にするようにしています。
古事記は日本で一番古い本ですから、そこから色々なものを読み解くのは面白いと思いますし大事なことだと思います。
これからも研究を進めて下さい。

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大元出版の旧出雲王国の2王家(富王家 、神門臣王家)サイドの情報について (アマゾン大元出版ファン)
2017-09-14 05:50:25
吉田大洋さんの謎の出雲帝国には、本来富家の伝える史実内容とは、大幅に違った内容のものだらけです。(伝承内容 、歴史年表 、富氏から聞き出したとされている系図 、富氏が語ったとされている内容・・・)

それらの経緯に触れてある、大元出版 出雲と蘇我王国がまずお勧めです。

大元出版の本の事を、多くの人に知って頂きたいので、こちらにも投稿させて頂きました。

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出雲の絡みとかでネット検索すると、必ずと言っていいほど目にしたこちらのブログ。(ひーさん・・・ひーさん・・・、焼き付いています。)

私は2015年春頃から新情報を得ることになり、それ以前に考えていた事が、かなりずれていた事に気が付いたような次第です。

新情報とは、大元出版という出版社から出ている著書の事で、旧出雲王国(~紀元250年頃)の東西2王家側の史実情報が記されたものです。

複数冊出版されていますが、これらの本をお読みになった事はありますでしょうか?

こちらのブログがネット検索で表示されたものを、かいつまんで読んだ事があるだけですので、事情はよく分かっていないのですが・・・。

もし大元出版の事を知らなかった・・・、読んだ事が無い・・・、などありましたら、ぜひ一度読んでみて頂きたいなと思っております。

(大元出版)
出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、古事記の編集室 、親魏和王の都 、サルタ彦大神と竜(幸の神と竜) 、・・・などなどです。

出雲神話ねつ造の関連は、古事記の編集室が詳しいと思います。(大げさ・・・、突拍子もない・・・、大体ホヒの子孫 出雲国造が絡んでいますね。)

出雲国譲りのエピソードは親子血縁関係を含め、基本ウソです。

旧出雲王家側の伝える史実では、
オオクニヌシは8代目西出雲王(主王)、コトシロヌシは8代目東出雲王(副王)、2王家とも大祖先クナトノ大神の子孫の家で、親子ではない。タケミナカタはコトシロヌシの息子で、母は沼川姫。沼川姫はオオクニヌシ・・・ではなく 、コトシロヌシのお后。(オオクニヌシ:八千矛王のこと 、コトシロヌシ:八重波津身王のこと。)

これらの方々が生きたのは、紀元前220年前後で、譲るも何も、広域出雲王国は17代目出雲王の時代まで続きました。(四百年以上経ってから敗戦した。)

出雲大社(杵築大社)は、奈良時代716年正月創建。
ホヒ国造家から旧出雲王家に申し入れた話だった。

創建当初は、旧出雲王家が目を光らせていたので、本殿の八雲之図は8つの雲が描かれていた。・・・・・、時は流れ、ホヒ国造家の先祖の力が増してからは、7つの雲に変えてしまった。(信仰上の聖なる数の違い。)

大元出版の本、ぜひ御検討くださいね。

(関連検索ワードメモ)
出雲の龍蛇神 出雲井神社 、熊野大社 亀太夫神事 、神魂神社 穴 、熊野大社 56 、熊野大社 うんせき 、出雲大社 うんせき
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アマゾン大元出版ファン (ひー)
2017-09-17 21:10:51
いつもコメントありがとうございます。
もちろん大元出版は知っていますよ。タイトルだけでも興味があるものばかりです。
少しずつ直していきたいとおもいます。
古代出雲は多くの出版物があり、何がいいのかわからなくなりテンションも下がっておりました。次世代の後継者が本を出していたとは知りませんでした。あれだけ口伝を守ってきたわけですからね。とりあえずおすすめのから読んでみましょう。大元出版の本は一冊持っていたはずですが、見当たりません。何せ本やら紙やら沢山あるもので・・・。
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羽盡神社 (きんごろう)
2019-11-04 00:11:37
埼玉県川口市の羽盡神社の総代さんからアラハバキにつきまして話を伺うことができ、資料もいただけましたのでコメントさせていただきます。

荒波波喜社を氏子さん達は「ハバキ様」と呼んでいて、羽盡神社が祀られる前から住人が建立した「土俗社」とのことでした。以前は近にある須賀神社から神様を神輿に乗せて来る神事もあったそうです。スサノオにとって祭神の手摩槌足摩槌は義父母に当たりますから年に一度挨拶に行くことも自然な神事に思えます。

1300年代の本殿再築の際には大宮氷川神社から木材の給付を受けたとの記録がありました。しかし境内には氷川神社との繋がりを感じさせるものはありませんでした。もしかしたら大宮の荒波々機社からの木材給付だったのがいつしか氷川神社から・・に変わってしまったのではないかと妄想してしまいました。
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Unknown (きんごろうさんへ)
2019-11-04 09:48:38
いつもコメントありがとございます。
やはり埼玉県は、多いですね。
再度訪問したいと考えていますが、何時になるかはまだ不明です。
いわれは基本的に、どこもそうなのだと考えます。
江戸期までは、自由に祀られていた物を明治になり古事記などに出てくる神に変えられたのでしょう。 しかし、政府の目から免れた神社か地方の隅々に残っているのだと思います。
祭祀を管理する神主さんは正当化された神々の歴史を学びますが、当然そこには(アラハバキ)は無く。 神主様が個人的に過去の神社に纏わる歴史を勉強なされ、後世に受け継がれて行くのは素晴らしい事だと思います。
情報ありがとうございました。
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