平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

2005年4月の投稿

2005年04月30日 | Weblog
4月1日 生神様(2005年3月)
   2日 バグダッドでの平和行事(5)――後日談
   3日~6日 イスラム教との対話(1)~(4)
   7日 韓国への祈り
   8日 ローマ法王の謝罪(2000年5月)
   9日 ダライ・ラマ 平和を語る(2000年4月)
  10日 中国への祈り
  11日 百匹目の猿(1996年3月)
  12日 英紙タイムズの報道
  13日 中国の民主化
  14日 夜回り先生(月刊『致知』2005年4月号より)
  15日 夜回り先生(続き)
  16日 母の力――月刊『致知』(2005年5月号)巻頭言より
  17日 中国人の苦悶(1989年6月)
  18日 天安門事件と東欧革命
  19日 世界的に落ち目の無神論(宗教新聞2005年3月20日より)
  20日 新しいローマ法王
  21日 「幸福は最良の薬」を裏付ける研究成果
  23日 祈りの力――月刊『致知』(2005年5月号)の鈴木秀子さんの言葉より
  24日 ワシントン・ポストの見解
  25日 ローマ法王の過去
  26日 過去を水に流す(2001年9月)
  29日 みどりの日(1989年4月)

みどりの日(1989年4月)

2005年04月29日 | バックナンバー
4月29日の「みどりの日」は昭和天皇の誕生日です。昭和天皇は1989年1月に崩御なさいましたが、その年にこの日が「みどりの日」に制定されました。

五井先生も昭和天皇をとても敬愛なさっていました。とくに終戦の御聖断は、イエス・キリストの十字架にも匹敵する人類救済の大偉業だとたたえていらっしゃいました。日本人がこのように、まがりなりにも平和で豊かな日本に住むことができるのは、昭和天皇のご恩を受けているからなのです。私たちは昭和天皇に心から感謝の念を捧げなければならないと思います。

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「もしも世界的な協力体制が整わなければ、地球救済への時間的猶予は、数十年どころか数年しかない」――ワールド・ウォッチ・インスティテュートが発表した『世界環境年鑑一九八九年度版』は、私たちにこう警告している。石油や石炭などの化石燃料の使用によって増え続ける二酸化炭素は、宇宙空間へ放射されるべき温熱を地球圏に閉じこめ、地球の平均気温を上昇させていると言われている。スプレーや冷蔵庫といった日用品ばかりではなく、半導体などの先端技術製品の製造過程でも用いられるフロンガスは、大気圏のオゾン層を破壊し、地表に到達する有害な紫外線の量を増大させるが、これは皮膚ガンを増加させるものと予測されている。海に流された有害な化学廃棄物は野生動物を奇形化させ、死滅させている。人類の滅亡は、核戦争という一挙の破壊によってではなく、知らず知らずのうちに進行する地球環境の変化によって生ずるのかもしれない。

 人類は自然界の中に生を営んでいる生物であるから、良好な自然環境なしには生きながらえることはできない。ところが近年の科学・技術の発展は、自然を破壊する方向に進み、また自然界の中には本来存在しなかった物質を大量に生産しつつある。これらの人工物質は自然界のリサイクル過程によって分解されることなく、そのまま地球に蓄積され、自然環境を変えてゆく。科学・技術によって人間は一時的な便利さを手にいれることができたが、そのかわり、自らの生存の基盤である自然環境を狂わせつつあるのである。

 私たちはこの辺で、目先の便利さの追求よりも、生命の母体である自然界の恩恵にもっと深く目を向けなければならない時代にさしかかりつつあるようだ。このような時に、昭和天皇の誕生日が「みどりの日」という国民の祭日にされたことはたいへん時宜にかなったことだと思う。昭和天皇は生物学者で、野の一木一草にまで深い愛情を注ぎ、「雑草などという草はない」とおっしゃる自然愛護の精神にあふれたお方であった。この日、国民一人ひとりが、植樹なり、生活排水の浄化なり、スプレーの使用の抑制なり、物品のリサイクルなり、あるいは砂漠緑化のための募金なり、自分が自然保護のために何ができるかを考え、実行するならば、この日の意義も生きてこよう。地球環境を保護するのも、破壊するのも、結局は一人ひとりの人間の生き方の集積で決ってくるのである。

過去を水に流す(2001年9月)

2005年04月26日 | バックナンバー
昨日、ドイツ人・ローマ法王の過去のことを書いたので、それに関連したバックナンバーです――

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 この夏、ドイツのボンとベルリンを再訪する機会があった。私が留学していたころは、ボンは旧西ドイツの首都であったが、現在では首都機能がほとんどベルリンに移される中、のどかな地方都市に戻りつつあるとの印象を受けた。

 ライン川のほとりを散策していると、以前は見かけなかった事物に出くわした。地面に、イスラエルの国旗にも使われているダビデの星の形をした岩が置かれている。近くの碑文を読んでみると、その場所には以前シナゴーグ(ユダヤ教会堂)があったのだが、一九三八年の暴動で破壊されたそうである。ナチスの蛮行を忘れないために、五〇年後の一九八八年にこの記念碑が造られたという。私がボンを離れたのは一九八〇年であるから、見ていないはずである。

 統一ドイツの首都となったベルリンはあちらこちらに建築現場が見られた。その中でもとくに大規模なのが、ベルリンの中心ブランデンブルク門のすぐそばにあるホロコースト記念碑の敷地である。これはまたライヒスターク(国会)の近くという位置でもある。首都のど真ん中に、自分たちの過去の犯罪の記念碑を作ろうというわけである。

 ごくわずかの観察しかしていないので正確なことは言えないが、最近のドイツではこの種の記念碑や記念館が増えているように思える。

 過去を反省することは大切である。しかし、過ぎ去った悲惨な出来事の記憶をいつまでも保存し続けることが、はたして人間性の本質にかなったことなのだろうか。現在のドイツ人の大部分は戦後生まれで、戦争ともホロコーストとも無関係である。そのような人々に、先祖が行なったおぞましい犯罪の証拠写真を突きつけ、いつまでも反省を迫るということは、その人々への威圧にもなりかねない。一度犯した罪はいつになったら許されるのであろうか。父が犯した罪の責任は子孫が未来永劫に担わなければならないのであろうか。現在のドイツと過去のナチスを結びつけるのはもういい加減にしてほしい、というのが一般のドイツ人の正直な気持ちであろう。

 その中でもとくにいきり立った人々が、「ホロコーストはなかった」と主張し、ユダヤ関係の施設や墓を冒涜する行動に出る。そうすると、さらにまた、ドイツ人は過去を反省していない、という非難が加えられる。ユダヤ人が自分たちの受けた被害を強調しているかぎり、ドイツ人も許されたと感じることができない。そこにいらだちが生まれ、かえってユダヤ人への憎悪が蒸し返される。こうして、反ユダヤ主義という過去の亡霊が、ネオナチとなって実際に再び呼び出される。一種の悪循環である。

 過去をどこかで断ち切らなければ、人間は過去に縛られたままである。それは被害者であるユダヤ人にとっても不幸なことである。「過去を水に流す」という日本の言葉は、実は深い意味があるのではないか。

ローマ法王の過去

2005年04月25日 | Weblog
新法王が若いときにヒットラー・ユーゲントに入っていたということで、イギリスのメディアが大騒ぎをし、これに対してドイツ人が怒っています。

こういうことがいつまで続くのかと、悲しくなります。

ドイツ全体がナチス体制のもとにあったとき、10代の一青年がヒットラー・ユーゲントに入らないことは不可能です。ラツィンガー氏のそういう過去が責められるのであれば、同じ年代のドイツ人はすべて有罪ということになります。

欧州でももう戦後60年がたっているのです。いつまで過去を引きずるのでしょうか。そんなことに何の益があるのでしょうか。

変えられない過去の事実をほじくり出し、他国を責め、自国を優位に置いて優越感にひたっているのは、愚かな所行です。ドイツ人が怒るのは当然です。

こういうときにイスラエルの政治家やユダヤ教ラビが、「カトリック教会はすでにユダヤ人迫害の過去を謝罪した。新法王は、ドイツ人ではあるが、ナチスとは無関係である。新法王はユダヤ教徒とキリスト教徒の和解のために誠実に努力している立派な方である」(事実そうなのです)という声明を出せば、

(1)イギリスの愚かなマスコミが沈黙する。

(2)ユダヤ人が過去を赦す広い心の持ち主であることを世界に示すことができる。

(3)ドイツではイスラエルに対する感謝の念が高まり、現在もドイツにくすぶる反ユダヤ主義的な風潮をなくすことができ、ドイツとイスラエルの真の和解になる。

(4)カトリック教会も真にユダヤ人と和解できる。

という光明の連鎖反応が生まれるに違いありません。

否定的な言葉には暗黒波動が、愛と赦しの言葉には光明波動が返ってくるという単純な事実に、人類はいつになったら気づくのでしょう。

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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20050425k0000m030071000c.html

【ベルリン斎藤義彦】ドイツからは、950年ぶりにドイツ人法王が誕生するとあって、24日の新法王就任ミサにはシュレーダー首相など要人が軒並み参加したほか、10万人とみられる大信者団が駆けつけた。一方、英紙など海外メディアは法王がナチスにかかわった過去を批判し続けており、独国内では戸惑いと怒りが広がっている。

 ドイツでは、正午に全カトリック教会で鐘が鳴らされ、ドイツ人法王誕生を祝った。また、主要テレビ局が特番を組み、就任ミサを中継した。

 一方、英紙など海外のメディアは執ように法王の過去を追及している。新法王に選出されたヨゼフ・ラツィンガー氏は当時参加が義務化されていたナチスの青年組織「ヒトラー・ユーゲント」に一時所属。

 16歳の時にミュンヘンで自動車工場を守る高射砲隊を約1年間、手伝った後、故郷近くの独南部の町トラウンシュタインで歩兵部隊に参加。終戦間際の45年4月に脱走し、米軍に拘束され終戦を迎えた。法王はこの経歴を伝記などで公表している。

 英大衆紙サンは20日、「ヒトラーの若者が法王になった」と1面で報じたほか、大衆紙が相次いで法王の過去を報道。さらにインディペンデント紙は22日、45年5月にトラウンシュタイン周辺で、ユダヤ人など数千人が強制収容所から別の町に護送され、途中で数十人が射殺された事件を報道。「法王も当時この町にいたかもしれない」と法王が虐殺に関与したかのように報じた。

 ドイツ大衆紙ビルトは「法王への侮辱」「おろかな歴史観」「英紙はもう黙れ」と反撃。一般紙も「法王は国籍とは無関係なはずなのに」(南ドイツ新聞)と戸惑いを見せている。


ワシントン・ポストの見解

2005年04月24日 | Weblog
小泉首相はインドネシアで胡錦濤主席と握手をしましたが、中国側はあくまでも反日暴動への謝罪を拒みました。

日中間の危機について、ワシントン・ポスト紙は、非は完全に中国にある、としています。

http://kobachan.exblog.jp/ より――

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 中国はしぶしぶ日本に応じる素振りを見せたが、2国間の危機は、完全に中国がつくったものである。教科書問題を大げさに騒ぎ立て、北京や上海での大使館や日本料理屋に攻撃するデモを許可し、激励したのは胡錦濤政権である。
 人民の爆発した日本への敵意は本物だった。共産党は人民を煽り、愛国心を利用することを決めた。日本が国連安保理メンバーになることを妨害し、共産党独裁政権を延命させるために愛国心を利用している。
 デモが制御できなくなり、反政府運動に転換するかもしれないという懸念が、胡錦濤の「無許可デモは許さない」との、デモ制圧を決断する動機になった。しかし、中国はより大きな教訓を得たようには見えない。日本・香港・台湾に対する嫌がらせは、中国による「平和の発展」だけではなく、中国がより大きな影響力を持つことへの道筋でもない。
 これは、アジア諸国とアメリカが団結し、中国の好戦的な態度を抑止しようとする動きにつながり、米国、中国、アジア、世界の安全に悪影響を及ぼす。これを回避するかどうかは、胡錦濤が過ちを認識することができるかどうかにかかっている。
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その他の欧米のマスコミの多くも、問題は、日本にではなく、中国にあることを徐々に理解しはじめています。

反日を手段にして生き延びている中国共産党の一党独裁体制が崩壊しないかぎり、日中間の真の友好は困難でしょう。

【関連投稿】
4月 9日 ダライ・ラマ 平和を語る(2000年4月)
  10日 中国への祈り
  12日 英紙タイムズの報道
  13日 中国の民主化
  17日 中国人の苦悶(1989年6月)
  18日 天安門事件と東欧革命

祈りの力――月刊『致知』(2005年5月号)の鈴木秀子さんの言葉より

2005年04月23日 | Weblog
クリスチャンである鈴木秀子さんは、文学療法・エニアグラム・アクティブリスニングなど、多彩な活動にたずさわっています。臨死体験の持ち主でもあり、御著書もたくさんあります。

http://www.enneagram.gr.jp/sispro.html

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 実は渡米時もう一つ印象的なことがありまして、ある時私のいた教会に、大学病院に入院する重度のがん患者40名ほどの名前が配られたんです。この人のために毎日祈ってくれって言われて、祈り続けました。
 半年後、病院内で、同じレベルの症状の患者さんは75%が亡くなってしまったけれど、祈られていた患者さんたちはどんどん回復して、亡くなったのはたった4人。彼らには毎日「教会で毎日あなたのために祈っていますよ」と伝えていたそうです。信仰ある人にとって祈りがいかに力を与えるか。人間の力を超える何かが自分を支え守っていてくれる。「だから大丈夫、安心だ」と確信をもった時、人は生き延びていくんだなって思ったんです。
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鈴木さんは、祈りの効果を、「人間の力を超える何かが自分を支え守っていてくれる」という安心感にあると見ているようです。

もちろん、人々が自分のために祈ってくれている、とか、神が私を守ってくれている、という精神的支えが、健康回復によい影響を与えることは論をまちません。

しかし、最近の研究では、自分が祈られているということを知らなくても、祈りの効果があることが明らかになりつつあります。祈り自体にエネルギーがあるようなのです。

しかし、祈ってもらっていることを知ったほうが、精神的な安心感も高まりますし、祈りのエネルギーをキャッチしやすくなり、治療効果も大きくなるのでしょう。

「幸福は最良の薬」を裏付ける研究成果

2005年04月21日 | Weblog
hotwiredより


「喜び」や「感謝」を強く感じている人は、否定的な感情が多い人よりも10年も長生き。不幸せな人と幸せな人とでは、健康状態に大きな影響を与えるホルモンであるコルチゾールの濃度に32%の差があった。


 これはコメディアンにとって嬉しい知らせだ。笑いは健康にいいということが、ほぼ公式に認められたからだ。また先月にも、メリーランド大学ボルチモア校医学部の研究者たちが、笑いは血管の健全な機能と関連があるとする研究を発表している。

 この研究では、被験者に映画の笑える場面と緊迫した場面を見せたところ、笑いを誘う場面は血管内皮細胞(血管の内側の組織)を明らかに拡張させ、血流量が増加したことがわかった。

 同様に、精神世界への傾倒や宗教も健康にプラスの働きをするようだ。4月9日(米国時間)から16日にかけてフロリダ州マイアミビーチで開催された、米国神経学会(AAN)の年次総会では、エルサレムのサラ・ヘルツォーク・メモリアル病院で神経治療の責任者を務めるヤキル・カウフマン氏が、精神世界に触れることや宗教の実践によってアルツハイマー病の進行が緩和される可能性があるとする研究結果を発表した。

 「高いレベルの精神世界や信仰を持つ患者は、認知機能低下の進行が著しく遅くなることがわかった」と、カウフマン氏は述べている。

 UCLの新しい研究は、精神世界や宗教の効果にまつわる謎の解明につながるかもしれない。

 「信仰が人生につきもののストレスや辛苦を和らげることについては、ある程度証拠もあがっている。そう考えると、われわれが研究した幸福が健康をもたらすプロセスと、信仰には関連性があるのかもしれない」と、ステプトー教授は語る。

 マーモット教授も同じ意見で、「われわれの研究では、精神的プロセスが生理的反応に大きな影響を及ぼすという結果が出ている。精神世界も、脳が神経内分泌系と連動して重要な影響を及ぼすことを示す、1つの例かもしれない」と述べた。


詳しくは:
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20050421304.html


新しいローマ法王

2005年04月20日 | Weblog
 ヨハネ・パウロ2世の後継者には、482年ぶりにドイツ人が選ばれました。ラツィンガー枢機卿はベネディクト16世として265代目のローマ法王になります。

 すでに78歳の高齢であることから、「つなぎ」役の法王と見られています。

 昨日投稿した新聞記事にもあるように、ヨーロッパでも霊性への目覚めは、伝統的キリスト教への回帰ではない形で生じています。カトリックの将来は必ずしも明るいものではありません。とくに、神父の後継者不足は深刻のようです。

 新法王も、ヨハネ・パウロ二世が切り拓いた宗教間対話の道をより拡大してくれることを祈ります。

世界的に落ち目の無神論(宗教新聞2005年3月20日より)

2005年04月19日 | Weblog

UPIの記事の翻訳

 無神論にとって悩ましい問題は2つある。第一に、無神論が科学的根拠を失いつつあることだ。第二に、世界の数億人が無神論の下で被った不幸な歴史体験だ。〔・・・・〕

 筋金入りのヒューマニストだった英国の哲学者アンソニー・フルー氏は、年来の〔無神論的〕信念を覆す決心をした際に、次のように述懐した。「1例だが、単一の細胞がブリタニカ百科事典の全情報に勝るデータを保持しているという事実を、進化論で説明することはとうてい不可能だ」
 フルー氏はまだ聖書の神を受け入れていないが、ウィリアム・デムスキー氏ら学者が提唱する「インテリジェント・デザイン」理論の説明は妥当だと考えている。〔・・・・〕

 数年前に米国ハーバート大学とデューク大学が合同研究の成果として、信仰や祈りと病気治癒の相関関係を発表した時、欧州の科学者たちは忍び笑いをしたものだった。しかし、ドイツの学術誌『最新心理学(Psychologie Heute)』は、その後、世界中の研究機関が発表した1200件の研究・調査報告が、同様の結論を導き出していることを指摘する。

 ウィーン大学神学部のポール・ズレーナー学部長は、宗教社会学の世界的権威だが、次のように語っている。「欧州で無神論の信奉者は極めて少数のグループになってしまい、社会学の研究対象として扱うには不十分なほどだ」

 しかしズレーナー氏は、欧州の国々でキリスト教の復権が起きているわけでは必ずしもないことに留意している。「我々が目撃しているのは異教的信仰の台頭だ」(同氏)

天安門事件と東欧革命

2005年04月18日 | Weblog

天安門事件が起こった1989年は、世界の大きな変わり目でした。

1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、ペレストロイカと呼ばれる政治・経済の改革に乗り出しました。共産党の総本山における改革の開始は、ソ連に支配されていた東欧諸国の民衆に大きな希望と勇気を与えました。ゴルバチョフが行くところ、いたるところで民衆の熱狂的な歓迎が彼を待ちうけていました。

それは中国でも同じでした。1989年5月に中国を訪問したゴルバチョフは、中国の学生・若者たちに民主化の旗手として熱烈歓迎されました。その熱気の中で、6月4日の天安門事件が起こりました。

中国では民主化要求は武力で圧殺されましたが、東欧圏では見事に、ルーマニアを除いては無血で成功しました。ベルリンの壁が開く直前に書いたコラムを紹介します。

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東欧圏の自由化(1989年11月)

 東ヨーロッパが急速な勢いで変化しつつある。ポーランドでは共産党員ではない、自主労働組合「連帯」の首相が登場した。ハンガリーでは共産党が解体され、社会党になり、国名も「人民共和国」から「共和国」に変わった。東欧圏の中では最も保守的と目されてきた東ドイツでも、若者の大量出国がきっかけになって、長年にわたって最高権力者として君臨してきたホーネッカー国家評議会議長が退陣した。政治学者やジャーナリストは、現在の東欧圏には信じられないようなことが次々に起こる、と言うが、昨今のこの地域の変貌ぶりはまさに奇跡的とさえ言える。

 こうした一連の出来事は、言うまでもなくソ連のゴルバチョフ書記長のペレストロイカがきっかけになって開始されたのであるが、ゴルバチョフ氏自身でも、事態のこれほどまでの急展開は予想していなかったであろう。これまでソ連の軍事的圧迫のもとに抑え込まれていた東欧諸国民の自由への願望が、ソ連の改革を契機に、いま表面に一気に浮かび上がり、怒涛のごとく国家体制を変革させつつあるのである。この動向の行き着く先には、東西の分裂がない一つのヨーロッパという姿が見えるが、それはまた米ソの軍事的対立のない平和世界への第一歩ともなるであろう。

 これまで文字通り鉄のカーテンとして東西を分断してきた戦後のヤルタ体制が、今になって急激に崩壊してきたのはなぜであろうか。政治的・経済的には、社会主義経済の行きづまり、という理由があげられるであろうが、もう一つ考えなければならないのは、人びとの自由を求める願望の高まりである。たとえば、東ドイツの若者たちは経済的には他の東欧諸国民よりもずっと豊かな生活を送っている。彼らにとっては、西ドイツに移住することは、それまで築き上げてきた地位や財産をすべて捨てることを意味する。それまでして彼らが手に入れたかったのは、人間としての自由である。この自由への願望が共産主義を拒否させる。しかし、今になってこのように自由への願望が高まってきたのはなぜだろうか。

 イソップに「北風と太陽」という物語がある。北風のように風を厳しく吹きつけるよりも、太陽のように体の中から温めてやる方が、旅人がまとっているマントを脱がせることができる。共産主義という誤ったイデオロギーを脱がせるのにも、共産主義を敵視し、攻撃するよりも、内部から温めてやるほうがはるかに効果的である。温めるとは、人間の本来的な願望である自由への願いを強化してやることである。その方法が祈りということになる。

 人間は本来神の分霊として自由に生きたいと願う存在である。私たちの世界平和の祈りは、東欧の人々の本心に神の光明を流し込んで、彼らの自由への願いを強め、社会体制を根本から変革させつつあるのである。東欧の変動の原動力は、実は目に見えない祈りの力なのである。
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東欧革命は、共産党政権が、民主化を要求する民衆を武力で弾圧しなかったからこそ、平和的に達成されたのです。

しかし、東欧の共産党政権は、なぜ民衆に銃口を向けなかったのでしょうか? それさえすれば、彼らは自分たちの権力の座を守れたというのに?

それは、彼らが、天安門事件のあまりのむごたらしさにショックを受け、自国で同じことをすることに躊躇したからだと言われています。中国の若者たちの犠牲が、東欧圏の無血平和革命を助けたのです。世界の人類は、天安門事件のことを決して忘れず、犠牲となった中国人のみたまに深い感謝の祈りを捧げなければならないと思います。

中国人の苦悶(1989年6月)

2005年04月17日 | バックナンバー
中国では反日暴動が各地に飛び火しつつあるようです。

私は、この反日暴動は1989年6月4日に起こった天安門事件に端を発していると考えています。お若い人の中には、天安門事件が何かということを知らない人もいると思いますので、まずそのとき書いたバックナンバーを紹介します。

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 天安門の虐殺――より公正な政治と腐敗の追放を求める中国の学生や市民の民主化の要求は、銃と戦車によって無惨に踏みにじられた。この報道に接した世界各国の人々は、一様に深い悲しみと憤りにおそわれた。それ以上に、自由で豊かな将来を夢みていた中国の若者は、言いようのない絶望を感じたことだろう。

 最近読んだ『中国人の苦悶』(カッパ・ブックス)という本は、中国のジャーナリストが自国の病状を客観的に抉り出したレポートであるが、そこには若い人たちが国を捨てて外国に逃げる事情や、暗躍する闇屋の姿や、猛烈な住宅難など、一般大衆の悲惨な生活が赤裸々に描かれている。この本を読むと、学生たちが改革の要求をするのも当然という気がする。

 この本はまた、「中国人は、法律が自分の生活をどう保障しているのか、自分がどんな権利を持っているのか知らない。……一人の人間の人生が、指導者のツルの一声や政変で、一瞬にして無になるというのは、悲惨なことである。中国人は過去、このような事態の再発を常に恐れてきた。というのも、中国にはそのような事態の再現を防ぐ法律がないからである」と指摘している。この文章はまさに天安門広場の事件を予言していたとも言える。

 しかし、一部指導層や特権階級がどれほど自分たちの立場を守ろうとしても、国民大衆の自由な生活への要求は抑えきれないだろう。なぜなら、中国はもう自由主義諸国との接触を行ない、将来の指導者層を形成することになる知識人はすでに外の世界を見てしまっているからである。日本や欧米などの先進諸国と比べれば、自国の立ち後れは歴然としたものがある。中国の近代化のためには、先進諸国の援助が必要であることは、頑迷な老人たちでさえ知っている。今回の事件によって、中国の民主化と自由化は何年も遅れてしまったことは確かだが、より自由で、より開かれた社会への動きは、とどめることのできない歴史の流れであろう。

 ソ連でもペレストロイカが開始されたのは、革命後七十年もたってからのことだった。中国の民主化にも時間が必要なのだろう。だが、人間は本来神の分霊として、自由な存在、自由に生きたいと願う存在である。そういう人間の本然の欲求を抑圧する社会体制は決して長続きするはずがない。私たちは、隣人である中国の人々が、一日も早く平和と自由の中で生きられるよう、世界平和の祈りとともに中国の平和と天命の全うを祈り続けている。
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天安門の若者たちの民主化要求は、戦車によって弾圧されました。

私は、1990年の初めに、学会で北京に行きましたが、そのとき天安門広場の観光が許されました。広場中央の記念碑には生々しい弾痕が残っていました。

中国共産党指導部は、このようなことが二度と起こらないように、思想教育を徹底することにしました。そのために導入されたのが、愛国教育=反日教育です。

中国の歴史教科書では、4分の1が日本の侵略戦争の学習に当てられているそうです。異常です。中国各地には、1990年代半ばから抗日記念館が100カ所以上建設され、そこでは、偽造写真、絵、人形などによって、鬼のような日本人兵士が、中国人を虐殺する場面を描いています。生徒たちはそこで日本に対する憎悪をかき立てられます。

そうやって育てられたのが、いま反日暴動を起こしている若者たちです。

中国共産党がなぜ反日教育が必要か、もうおわかりですね。自分たちに向けられる民衆の怒りをそらせるスケープゴートが日本なのです。反日教育なくして、中国共産党の権力は維持できないのです。

しかし、このような卑劣なやり方がいつまでも続けられるはずがありません。日本に向けられている憎悪は、いずれ共産党に向けられるでしょう。自分の発したものは自分に返ってくるのが、宇宙の理法です。

私たちは、真実を知らされていない一般の中国人が反日洗脳から一日も早く目覚めるよう、無限なる愛の祈りを送り続けましょう。

中国が平和でありますように
中国人即神也

母の力――月刊『致知』(2005年5月号)巻頭言より

2005年04月16日 | 最近読んだ本や雑誌から
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 母に愛された記憶こそ、一人ひとりの生きる力の根源である。その母の力こそ、ひいては日本という国を支えた根本である。そう思わないわけにはいかない。

 近年、母の力の衰えが感じられてならない。虐待、養育放棄、果ては子殺し。頻出する事件はその突出した表れのようである。かつて児童福祉施設は親を失い、寄る辺ない子どものための施設だった。だがいまでは、虐待する親から子どもを引き離し、守るための施設と化しているという現実が、母の力の衰えを端的に示している。

 規範を失い、混乱する現代の世相の根本にあるものは、母の力の衰弱と無関係ではない。母の力の覚醒が求められてならない。
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夜回り先生(続き)

2005年04月15日 | 最近読んだ本や雑誌から
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 だから僕はいままでリストカットをする子たちに「やめろ」と言ったことはありません。それは薬物を使う子どもたちにも同じです。問題はリストカットそのものではなく、なぜするのか、ということでしょう。なぜ薬物を使うのか。その元にある問題に蓋をしたまま、彼らを捕まえて罰を与えても何の解決にもならないから。(13頁)

 いま、子どもを全然抱いていないでしょう。保育園に預けても、数人の先生では子どもを全員十分に抱くことはできない。車ではチャイルドシートなんかに乗せて、全然抱いていないですよ。たとえ十代になっても二十代になっても遅くはないから、お母さんに彼らと触れ合って、抱き締めてほしいとお願いするのです。
 抱き合えばいいんです。触れ合えばいいんです。言葉は要りません。大人たちは頭を使い過ぎますよ。子どもたちが待っているのは、考えてもらうことじゃない。そばにいてくれることです。それを頭で考えて、言葉でこね繰り回すから、むしろ言葉で子どもたちを傷つけ追い込んでいる。(13頁)

 子どもたちは花の種です。でもその花は決して夜の世界では咲かない。温かい太陽の下でしか花を咲かせることができないのです。昼の世界が優しくて、自己を認めてくれて、受け入れてくれるならば、どの子が夜の世界へ行きたいか。どの子がリストカットをするか。本当はどの子も夜は温かい家で、優しさに包まれて、安心して眠りたいのです。それを用意するのがわれわれ大人の仕事です。(15頁)
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水谷修先生の「夜回り日記」(毎日新聞のサイト):
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/yomawari/


『ミリからの贈り物』はこう語っています。

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親は、子供に
愛とぬくもりを
与えてあげればいいんだよ。(57頁)
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関連する投稿――
 子育てに関する皇太子様の言葉:2005年2月25日
 インディゴ・チルドレン:2月20日
 ミリからの贈り物:3月9日~11日

夜回り先生(月刊『致知』2005年4月号より)

2005年04月14日 | 最近読んだ本や雑誌から
非行や薬物中毒の青少年を救うために、毎夜、繁華街を回っている高校の先生がいます(今は教員をおやめになりました)。水谷修さん、別名「夜回り先生」。以下はそのインタビュー記事の一部です。

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 夜の世界に行きたくて行く子はいません。誰だって昼の世界で認められたいんです。本当は親や先生に「おまえのここがいいよ、ここが素晴らしいよ」と褒めてもらいたい。でも、昼の世界の大人たちは決して彼らを認めなかった。
 そして夜の世界へ追いやられてきた子どもたちはふてくされ、非行、犯罪を繰り広げる。あるいは、悲しいかな、援助交際などという名のもとに一晩の男の優しさに救いを求め、さらに傷ついていきます。
 これまで夜の街で数え切れない子どもたちと出会ってきました。僕と出会い、人生をやり直した子もいましたが、さらに深い闇に沈んでいった子もいた。負けた回数のほうが多かったんじゃないかと思います。(10頁)

 日本で一番薬物についての本を出しているのは誰だと思います? 僕ですよ。一高校の社会科教師が専門書まで書いて、日本の第一人者と呼ばれている。それが日本の薬物の現状です。まともに薬物依存症の治療ができる医師は全国に十数名しかいません。
 しかし、対照的に若者の間ではわれわれが太刀打ちできないほどの速さで薬物が広まっています。いま第三次覚せい剤乱用期と呼ばれ、警察庁の発表では、日本のあらゆる薬物の乱用者は160万人といわれています。日本国民の70人に一人の割合です。
 専門家の間では、「薬物は大人は点で広がるが、子どもは面で広がる」といわれます。大人は見つかるとヤバイから隠れて使う。しかし、子どもたちは集団で使うからどんどん広がっていく。「子どもの薬物使用は感染症だ」と言った人もいました。(11頁)

 大人はずるい。いやなことがあっても、酒を飲もうが、夜の街で遊ぼうが、いくらでも鬱憤晴らしができる。でも、子どもには昼の学校と、夜の家庭しかないんです。そこで追いつめられたら心がパンク寸前ですよ。
 ここで子どもは二派に分かれます。
 ある程度心の強い子は、夜の闇に沈んでいく。でも、その何十倍もの心の優しい子どもたちは、「私が悪い」と自分を責め、一人で悶々と苦しんでいるのです。両親に怒られるのは私が悪いから、学校の先生に怒られるのも私が悪いから、友達にいじめられるのも私が悪いから……。自分を責め続け、イライラして夜も寝られない。そこでカミソリを持つわけです。(12頁)

中国の民主化

2005年04月13日 | Weblog
昨日の投稿へのコメントで、杉さんが紹介している萬晩報の記事は

http://www.yorozubp.com/0504/050411.htm

です。

テレビの映像を見ても、今回の反日デモは、学生を中心とする若者たちが主体であることがわかります。そして、警察官がまったく取り締まる気がなかったこと、政府当局がバスを用意していたことなどもよくわかります。

中国の若者たちが反日デモに参加したのは、

(a)若者たちが、江沢民体制のもとで強化された、徹底した反日教育を受けて育ってきた。

(b)若者たちがケータイやパソコンなどを使っているので、情報の伝達が早い。

(c)大学卒業生が大量に生まれ、大学卒でも就職できない状況が生じ、若者たちの不満が高まっている。

というような要因が考えられます。

今回は反日メールがあっという間に広まりましたが、次回は反共産党メールや民主化要求メールが広まらないとはかぎりません。

1989年の東欧革命は、東ドイツをはじめ東欧圏の民衆が、テレビを通じて、西ドイツをはじめ西側世界の自由で豊かな生活を知り、共産党の公式宣伝が嘘であるということがわかったことが基盤にあって起こりました。そこにゴルバチョフのペレストロイカが火をつけたのです。

中国はテレビや新聞は規制できても、今やインターネットを止めることは困難です(現在は制限していますが)。中国でも今後、否応なしに海外の情報へのアクセスが進み、個人個人は、党が流す情報に踊らされず、自分の頭でものを考え、何が正しく何が間違っているかがわかるようになるでしょう。ケータイやパソコンでは、共産党にとって都合の悪い情報でも、止められなくなります。

いずれにせよ、共産党の一党独裁という硬直した政治体制は、人類と地球の進歩に合いませんので、いずれは崩壊していくことは必然です。