平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

生神様(2005年3月)

2005年04月01日 | バックナンバー
 「稲むらの火」が、新年度から小学六年の道徳副読本に再び掲載されるという。この物語は、安政元年(一八五四年)の南海沖地震で、紀伊半島を津波が襲った時の実話がもとになっている。

 紀州有田郡広村(現在は広川町)で醤油製造を営む濱口儀兵衛は、高台に住んでいた。地震の直後に海を見ると、海がどんどん後退してゆき、海底が露出していることに気づいた。これは津波の前兆にちがいない、と彼はすぐにわかった。低地に住む村人を救うためにはどうしたらよいか。儀兵衛は収穫間近の自分の田の稲むらすべてに火をつけた。火を見た村人たちは、火事だと思って儀兵衛の家に駆けつけてきた。そこに津波が押しよせてきた。儀兵衛の自己犠牲的行為によって、大勢の村人の命が救われたのであった。

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、死者二万人以上を出した一八九六年の三陸大津波の際に、新聞で濱口儀兵衛についての記事を読み、それをもとに「生神様」という作品を書いた。それがのちに、地元の小学校の先生の手によって、国語の教材「稲むらの火」として書き直され、教科書に採用されたのであった。

 今回、この物語があらためて教科書に採り上げられたのは、地震・津波に対する国民の防災意識を高めるためであろう。地震学者は、近い将来、東海地震や南海沖地震が発生する可能性を指摘している。災害時には、一人ひとりが瞬時にいかなる判断を下し、いかなる行動を取るかが、被害を大きくもし小さくもする。その意味で時宜にかなった決定である。

 ただし、この物語には、このような防災面以上の意義があるだろう。この物語が今なお感動を呼ぶのは、濱口儀兵衛(ハーンの物語や教科書では五兵衛)が、村人を救うために大切な稲を惜しげもなく燃やしたからである。

 濱口儀兵衛にかぎらず、日本には、歴史上の著名人や有名人物ではなくても、私財や時には自分の命まで投げ出して、人々や郷土のために尽くした人が存在した。たとえば、三浦綾子の小説『塩狩峠』では、主人公は坂道を暴走しそうになる列車を止めるため、自分の体を文字通り車輪の下に投げ出すが、その実在のモデルは、長野政雄というクリスチャン青年である。

 私たち一般人には、濱口儀兵衛や長野政雄のような行為はなかなかなしがたいが、そういう「生神様」が存在したということを知るだけでも、心が洗われ、高められる。私たちは、このような先人を持ったことを誇りにしてよいし、後世に語り継いでいかなければならないと思う。その意味で、今後もこのような物語を積極的に教科書に採り上げてもらいたいものである。

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昨年の新潟中越地震、スマトラ沖大地震に続き、3月には福岡県西部で地震が起こり、インドネシアでは再度、巨大地震が起こりました。明らかに、地球的規模で地殻が変動する時期に入ってきております。

人類はいたずらに恐怖するのではなく、あらためて大地や海をはじめ、地球世界に愛と感謝の念を捧げていく必要があると思います。江本勝さんの水の結晶写真が示しているように、水をはじめ万物は、人類の想念波動の影響を受けるからです。愛と感謝の祈りは、地球に蓄積された破壊的エネルギーを中和し、解消し、自然災害を小さくすませてくれるに違いありません。「地球さん、ありがとうございます」