平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ポリトコフスカヤ女史とリトビネンコ氏

2006年11月29日 | Weblog
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 【ロンドン=蔭山実】亡命先のロンドンで死亡したロシア連邦保安局(FSB)の元幹部、アレクサンドル・リトビネンコ氏の尿から毒性の高い放射性物質ポロニウム210が検出された事件で、捜査当局は25日、同氏が生前、立ち寄った先の調査に加え、市内各所にある監視カメラの映像を分析し、容疑者割り出しを急いでいる。

 これに先立ち英政府は24日の緊急治安会議で、国民への影響やロシアとの外交関係を中心に協議。また、駐英ロシア大使に対し、捜査に必要な情報を提供するよう露政府の協力を要請した。

 プーチン大統領は、事件への関与を否定しながら捜査には協力する用意があるとしている。しかし、今後の対応次第では深刻な外交問題に発展する可能性もある。

 英紙タイムズは25日、英政府高官の一人が「外国人の工作員による暗殺とみられる」と語ったと伝えた。

 英当局はリトビネンコ氏の自宅と1日に同氏が立ち寄ったロンドン市内のホテル、すしバーを捜索、すべての場所で放射性物質の痕跡を確認した。ただ、英保健当局は「一般市民へのリスクは小さい」としている。

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 ポロニウムは放射性元素の中で最も毒性が高いとされ、極めて微量でも体内に入った場合、腎臓や脾臓(ひぞう)に重大な影響を与え、死に至らしめる。その一方で、ポロニウムが出すアルファ線の届く距離は数センチと短く、紙1枚でも遮ることができる。

 安斎育郎・立命館大教授(放射線防護学)は「ポロニウム210は化学的に液体にすることができ、試験管やプラスチック容器に入れて運搬も問題がない」という。もっとも、純粋な形での入手は困難で、放射線実験施設や原子炉、加速器などの設備が必要になる。

 また当初、タリウムが食事に混入されたのではとされたが、尿からタリウムでは見られないアルファ線が検知された。

 安斎教授は「食事に混入していれば、便で検知される。尿だけに出たというなら、11月1日より前に注射された可能性が高い。ポロニウム210の半減期は約4カ月間ある。体内でアルファ線によって臓器が破壊されたのだろう」と推測している。(杉浦美香)
(産経新聞) - 11月26日8時2分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061126-00000000-san-int

リトビネンコ氏はKGB(その後FSB)でプーチンの部下だった人で、プーチンがしてきたことをすべて見てきました。そういう実体験と調査に基づき、プーチン大統領の陰謀と独裁を告発してきました。彼によると、現在のロシアは民主国家ではなく、ソ連時代とあまり変わらない暗黒国家だといいます。生命の危険を感じた彼は、イギリスに亡命していました。

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「アンナを殺したのは、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンその人です」

リトビネンコ氏が、暗殺未遂事件の約2週間前の10月19日に出演した"frontline"の会見映像を紹介します。プーチン大統領が、アンナ・ポリトコフスカヤの友人を介して彼女を脅迫していたことなどが語られています。リトビネンコ氏は容態が悪化して、現在集中治療室に入院中。回復の見込みは五分五分とする英メディアの報道もあります。リトビネンコ氏とアンナは3年来の友人でもありました。

「ロシアはFSBによる厳格な統制下にあります。アンナのような立場のジャーナリストが、プーチン大統領本人の許可なく抹殺されるということなど、まったくありえません・・・ですから、アンナはプーチンに殺された、それがロシアの知るべき真実です」
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http://chechennews.org/

ジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤ女史は、ロシア政府によって、チェチェン人のテロだと発表されているモスクワでのアパート爆破事件(200人以上死亡)が、実はロシア政府の仕業による「官製テロ」あることを暴露しましたが、今年10月に何者かによって暗殺されました。

リトビネンコ氏はそのアンナ・ポリトコフスカヤ女史の死の真相を追い、それもプーチンの陰謀である、と暴露しました。

ポロニウムというのはきわめてまれな核物質で、国家レベルの施設でなければ入手困難だそうです。誰が両者を殺害したかは自明です。

無知が犯罪と不正と独裁を生み出します。ロシア人は真実を知り、自国の政治体制をより民主的なものにすべく立ち上がらなければなりません。

ポリトコフスカヤ女史もリトビネンコ氏も、正義と平和を求め、不正と勇敢に戦ってきました。彼らの肉体の命はついえましたが、その犠牲はロシアとチェチェンにやがて真の平和をもたらすことになるでしょう。二人のみたまに、そしてチェチェン紛争で亡くなったすべての人々に心から祈りを捧げます。



ダライ・ラマ『思いやり』(6)

2006年11月24日 | 最近読んだ本や雑誌から
空と並んでダライ・ラマが重視するのは菩提心です。

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単に空に瞑想するだけでは、解脱を得るの因とはなっても、一切智の境地〔簡単に言えば仏陀の境地〕に至るための因とはなりません。密教の修行をするのであれば、それは大乗の教えであり、一切智の境地を成就するための教えなのですから、一切智の境地を得るための因を作らなければならず、それには「菩提心」が絶対不可欠な要素となっているのです。・・・
菩提心がなければ、密教の修行とはなりません。(63~64頁)
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空の瞑想ではたしかに解脱(低い悟り)は得られるが、一切智(高い悟り)にまでは至れないのだそうです。一切智にまで到達するためには、「菩提心」が必要だ、とダライ・ラマは説きます。

ダライ・ラマは常に、「因―果」の枠組みで議論しています。空を体得するためにはあらかじめ空の因を作らなければならないように、一切智を達成するためにはその因が必要で、それが菩提心だと言うのです。

それでは菩提心とは何でしょうか。それは「利他行(一切衆生を救済するための実践)への強い熱望を因として、その手段として自分が悟りを得ることを強く願う心のこと」です。

自分が悟りたい、ということよりも、一切衆生を救いたい、という願いが先で、その利他行を行えるためには自分が悟りが必要だ、という発想です。

それではどのようにしたら利他行への熱望を持つことができるか。それには「他者に対する慈悲の心」が必要です。それでは、どのようにしたらそのような慈悲心を起こすことができるか。それは「遍在的な苦」を認識することによってです。順番に書けば、

遍在的な苦の認識→慈悲心→菩提心(利他行への熱望)→一切智

となります。こうして、空と菩提心が密教修行の土台である、とダライ・ラマは説きます。

日本人からすると、ダライ・ラマの(チベット仏教の)議論は実に論理的というか理屈っぽいという感じがしますが、密教というものが超常的な領域に触れるものである以上、こういう正しい道筋を歩むことが大切なのでしょう。超常的なものに憧れて密教修行をするなどというのは、そもそも出発点が間違っているというわけです。

五井先生はもっとわかりやすい道を説いています。発心、つまり道を求める最初の出発点は、遍在的な苦の認識である必要はありません。苦を逃れたいという消極的な理由でも、自分が悟りたい(解脱)という小乗的な願いでも、人々を救いたい、あるいは世界を平和にしたいという大乗的な願い(菩提心)でもかまわない、と五井先生は言います。というよりも、個人の中には、ダライ・ラマ(チベット仏教)が説くような発展段階があるのではなく、人によってその比率は異なっていても、様々な要素が混在しているというのが現実のあり方だからです。個人の中には、病気や貧困のような現実的な苦しみもあれば、世界全体、人間世界全体に対する絶望感もあります。そして、そういう苦から逃れて、安らかで清らかな世界に生きたいという願いもあるし、わずかではあっても、自分だけでなく、世界全体の幸福を願う心もあります。中には超能力を得たい、という欲望もあるかもしれません。

その各々の欲望が、実は、究極の自由自在心への憧れの部分的な現われなのです。表面的には肉体的・物質的欲望を追いかけているように見えたとしても、その奥には実はあらゆる束縛から脱却して、自由な心に到達したいという願いが働いているのです。その願いを祈りのまで高めると、欲望=煩悩は浄化されて(空になり)、仏心が表に出てくるのです。

ただし、その時、菩提心が根底に必要なことは、まさにダライ・ラマが言うとおりです。菩提心がない宗教修行では、結局のところ、自分が救われたい、自分が悟りたい、自分が超能力を得たい、という「自分」から離れることができません。自分が残る以上、空も一切智もありえません。その自分を、自分と他人、つまり自他一体感に広げていくところに、菩提心が生まれ、「一切智」の因が作られるのです。

しかし、凡人には菩提心を起こすこと、そのことがなかなか困難です。ところが、誰でも菩提心を起こす簡単な方法があるのです。それが世界平和の祈りです。「世界人類が平和でありますように」という祈りを祈ることは、個人の幸福、個人の悟りも含めて、人類全体の救済を願う、まさに菩提心そのものです。ダライ・ラマ式に言うならば、世界平和の祈りとは一切智の因ということになります。

ダライ・ラマの本を読んで、世界平和の祈りは、仏教の段階的な修行のすべてをうちに含んだ、空と一切智の行法であることをあらためて確認した次第です。


ダライ・ラマ『思いやり』(5)

2006年11月22日 | 最近読んだ本や雑誌から
ところが、この「空」の説明がなかなか難解です。

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密教の主な修行とは、本尊に瞑想することにあります。
 そして、本尊に瞑想するということは、何もない空間に本尊のお姿をいろいろ思い浮かべてそれに瞑想する、というだけでは何の意味もなく、瞑想の目的を何も果たすことはできません。(60頁)
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ここで言っている瞑想とは、一種のイメージングのようです。本尊の姿を空間にありありとイメージし、思い浮かべる――それだけでもなかなか至難のわざだと思われますが、ダライ・ラマは、そんな瞑想ができたとしても、それだけでは意味はない、と言うのです。なぜなら、そこに出てくる本尊は、汚れた心――五井先生の用語を用いれば業想念――が作り上げた主観的な幻影にすぎないからです。ちょっと瞑想の訓練をやってみて、目の前に仏菩薩が出てきたり、光が見えた程度で、自分は悟ったとか見神したと思ったら、大間違いだというのです。

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 それでは、本尊のお姿を瞑想するためにはいったい何が必要なのでしょうか。
 それには、仏陀のからだとなるべき特別の因を作り出さなければなりません。「一切智の境地」に住する仏陀のからだを瞑想するには、仏陀の心、つまり空を直感として体得する智慧と本質が同じからだが必要なのです。(61頁)
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わかりやすく言うと、仏陀は空の存在だから、その仏陀の真の姿を瞑想によってキャッチするためには、自分自身でも同じ空の本質を生起させておかねばならない、というわけです。自分が空になってはじめて、空に住する仏陀にまみえることができるのであり、空になっていない自分がいくら眼前に仏菩薩の像を見たとしても、そんなものは本物ではない、ということです。

真の仏陀にまみえるためには、

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今このときから、「空を理解する心を本尊として生起させる」という練習を積むことが必要になります。
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しかし、練習によって「空を理解する心を生起させる」ことが可能なのでしょうか? 「心を生起させる」こと自体が、空とは異質ではないか、という疑念が生じます。

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もちろん現在の私たちには、空を理解したときの心を本尊として生起させることなど、実際にできることではありませんが、将来そのようなことが本当にできるようになるために、今から想像力を使って練習し、空を理解する心を本尊として生起させる、という瞑想の訓練を積まなくてはならないのです。(61頁)
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ここでは、ダライ・ラマは一種の循環論法に陥っているように思われます。空を体得するためには、そういう心をあらかじめ「因」として生起させておかなければなりません。しかし、汚れた心の持ち主である私たちには、「空を理解するの心」をイメージすることは不可能です。しかし、それを「想像力を使って練習」すればいい、というのです。けれども、その「想像力」でイメージした空が、本当に空の因であるかどうかはわかりません。やはり空と思い込んだだけの錯覚かもしれません。

五井先生の教えでは、こんなややこしい道を通る必要はありません。人間は本来、すべて空の世界に住しているのです。ただ業想念が空を体得することを妨げているだけです。その業想念を消滅しさえすれば、おのずと空に至るわけです。業想念を消滅するために守護の神霊に感謝し、世界平和の祈りを祈り、印を組めばいいわけです。

ダライ・ラマ『思いやり』(4)

2006年11月20日 | 最近読んだ本や雑誌から
小乗には四聖諦、三十七道品、三学というカリキュラムがあるわけですが、大乗の波羅蜜乗には「布施」「持戒」「忍耐」「精進」「禅定」「智慧」という六波羅蜜があります。ダライ・ラマは、「三学」や「戒律」という小乗の教えが修行されていなければ、大乗の教えを実践することは困難だ、と言います。さらに、

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大乗仏教の修行である六波羅蜜の修行や、愛と慈悲、そして菩提心を育む修行がされていない状態で密教の修行に入ろうとしても、それは、まったく不可能なことでしかありません。・・・
 チベット仏教は、小乗、大乗、密教の教えをすべて備えた修行の道であると言われますが、密教の修行をするためには、顕教という小乗と大乗の修行を段階的に実践しておくことがまず必要です。(58~59頁)
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と言います。つまり、小乗は大乗の土台、大乗(顕教)は密教の土台であり、その段階を踏んで修行しなければならないというわけです。

法然・親鸞によって開花した日本の浄土門は発想が根本的に違います。法然・親鸞は、小乗(そして大乗)の教えをそのまま実践することは、専門的僧侶でさえとうてい不可能だと考えて、念仏一念という易行道を開発しました。そこには小乗→大乗→密教といった段階的プログラムはありません。チベット仏教は、法然・親鸞以前の専門的僧侶の養成プログラムなのです。ですから、チベット仏教を修行するということはたいへんなことなのです。すべてをなげうって修行一筋に邁進しなければ、とうていものになるはずはありません。

五井先生の『阿難』にも書かれているように、仏陀の時代から、専門的僧侶には厳しい修行が課せられていました。チベット仏教は、そのような仏陀時代からの修行内容を密教にまで拡大して受け継いでいると言えるでしょう。仏教大学でちょっと勉強したきりで、あとは肉食妻帯し、ぜいたくで安易な生活をしている日本の多くの仏教僧侶は、チベット仏教から見たら、僧侶の名に値しないということになるでしょう。

さて、私は深く研究してはいませんが、チベット密教にはチャクラを開いたり、クンダリーニを覚醒させる様々な瞑想法があるようです。それがチベット仏教の今日人気の源泉になっているのでしょう。しかし、そういう修行を中途半端に行なうと、人によっては一種の霊能力に目ざめることもありますが、それは人格を歪め、かえって危険になる場合もあります。麻原彰晃やオウム真理教がその典型です。

そういうことを避けるために、ダライ・ラマは、密教の修行を開始する以前に、小乗と大乗の教えをきちんと学び、実践しておかなければならない、と強調しているものと思われます。その中でも彼が最も重視しているのが、空の理解と菩提心です。

ダライ・ラマ『思いやり』(3)

2006年11月18日 | 最近読んだ本や雑誌から
(2)「空」を理解する心

書き忘れましたが、《「空」を理解する心》という講演は、2005年に金沢の仏性會という集まりで行なわれたものです。おそらく僧侶向けのお話で、そのため内容が専門的になっているのではないかと思います。

さて小乗、大乗、密教の関係ですが、

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チベット仏教には、「小乗仏教」「大乗仏教」「密教」のすべての教えが説かれているという点で、とても重要な意味をもっていると思います。
 ですから、パーリ語で説かれている小乗仏教の教えを修行せずに、サンスクリット語で説かれている大乗仏教の教えから修行を始める、というようなことはありえません。はじめにパーリ語で説かれた小乗の教えを修行し、これを土台として、サンスクリット語で説かれた大乗の教えを積み重ねていくことが必要です。
 そして大乗仏教には、顕教としての教えである波羅蜜乗と密教の教えである真言乗(金剛乗)があり、大乗の教えに関しても、まず顕教の教えをすべて学んで修行したうえで、密教の修行を積み重ねていかねばならず、顕教の修行という土台なしに突然、密教の修行に入る、ということはできません。(51~52頁)
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3つの教えをまとめますと、

小乗仏教
大乗仏教――顕教(波羅蜜乗)
      ―密教(真言乗、金剛乗)

ということになります。ダライ・ラマは、3つの教えを段階的に学んでいくということが大切だ、と強調しているのです。

彼がこのように言う背景には、日本における密教の流行への懸念があると思います。密教は一種の神秘力と関わってきます。そのような神秘力を売り物に密教を宣伝する教団があります。その典型が例のオウム真理教です。

ダライ・ラマは日本で痛い想いをしたことがあります。

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数々の宗教テロを実行したオウム真理教に、ダライ・ラマの権威を利用され、教団の実情を知ってか知らずか音響機器や光学製品を寄贈され受け取ってしまったことがある。この時、教祖の麻原彰晃とツーショット写真を撮った為、それを教団の宣伝に使われてしまった。

1995年3月、来日の際、成田空港で記者達よりそのことについて質問ぜめにあってしまった。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E14%E4%B8%96#.E3.82.AA.E3.82.A6.E3.83.A0.E7.9C.9F.E7.90.86.E6.95.99.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

ダライ・ラマは立派な聖者ですが、五井先生のような霊覚者ではありません。自分に近づいてくる人々がどの程度の霊格であるか、たちどころに見抜くまでには至っていません。つまり、ダライ・ラマも真の悟りを得ていない、修行中の身であるということです。

麻原彰晃は、いわば小乗と大乗(顕教、波羅蜜乗)をすっ飛ばして、いきなり密教に走ったために、道を誤ってしまったわけです。ダライ・ラマはその危険性を指摘しているわけです。



ダライ・ラマ『思いやり』(2)

2006年11月17日 | 最近読んだ本や雑誌から
(2)「空」を理解する心

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 四聖諦、三十七道品、三学の教えはみな、小乗仏教の経典で説かれている教えです。これらの小乗仏教の修行を土台として積むべき、菩薩の乗り物(菩薩乗)とも呼ばれる大乗仏教の修行には、愛と慈悲に基づいて菩薩心を生起する修行や六波羅蜜の修行があります。 そしてさらに、これらの修行のうえに積み重ねるべき真言乗、すなわち密教の修行とは、密教に特有の「止」と「観」の双入による禅定を成就することであり、これらの修行をいち早く達成するために密教の教えが説かれたのです。(51頁)
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仏陀直伝の教えは小乗仏教です。日本の仏教は、観無量寿経や法華経などの大乗仏教に強い影響を受けていますが、これらは仏陀の死後に生まれた経典です。

小乗仏教には実に細かい修行カリキュラムがあります。

■四聖諦
「釈迦は成道の後、鹿野苑(ろくやおん、ベナレス)において、初めて五比丘のために法を説かれた(初転法輪)。この時、釈迦はこの四諦を説かれたといわれ、四諦は仏陀の根本教説であるといえる。
 四つの真理とは、
  人生は苦であるという真理と、
  その苦の原因は人間の執着にあるという真理と、
  この苦を滅した境地が悟りであるという真理と、
  その悟りに到達する方法は八正道であるという真理である
であり、これを順に苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦と呼ぶ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

■三十七道品
 四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七支覚・八正道の三十七の悟りへの手段のこと。煩瑣になるので説明は省略。

■三学
 戒律、禅定、智慧の三つ。

これらをきちんと実践すれば、仏の悟りを得ることができる、と仏陀は教えたのです。

しかし、このようなカリキュラムは、仏道に専門的に取り組む僧侶でなければ実践できません。社会生活を送る一般人にはとうてい無理です。それは狭い道、一部の人しか乗れない小さな乗り物、小乗仏教と呼ばれるようになりました。そこに、在家信徒でも悟りに入れる道、大勢の人が乗れる乗り物としての大乗仏教が生まれました。

しかし、大乗仏教でも悟りに至るには長い時間がかかります。それをさらに短縮し、肉体を持ったまま仏になる、即身成仏の手段として、密教(真言乗、金剛乗)の修行システムがあみ出されました。



ダライ・ラマ『思いやり』(1)

2006年11月15日 | 最近読んだ本や雑誌から
ダライ・ラマが11月10日に国技館で講演会を開きましたが、私は行きませんでした。以前、ダライ・ラマの講演を聴いたことがありますが、だいたい毎回同じことを話している印象がありますので、とくに聴きたいという気も起こりませんでした。

最近、ダライ・ラマの『思いやり』(サンマーク出版)という本を読みました。これは、2005年4月に日本で行なった講演の筆記です。その中から、いくつかの言葉を紹介し、感想を述べてみます。

(1)愛と執着について
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 本当の意味での愛と慈悲とは、偏見のない心です。しかし、執着は偏った見方をする心なのです。さらに、愛と慈悲との心は智慧と密接に結びついていますが、執着は煩悩に、究極的には無明に結びついているのです。・・・
 執着は偏見に基づいた心なので、ある特定の人にだけ執着をするわけですから、その他の人たちに対しては距離を置いていることになります。そこで、執着と怒りとは同時に起こってくるのです。・・・
 本当の意味での愛と慈悲は、決して怒りの心とともに起きてくることはありません。本物の愛と慈悲は、現実を広い目で巨視的に見ているため、偏見をもつことはなく、怒りの心が生じる余地もありません。(17~18頁)
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真理の言葉ですね。五井先生と同じことを説いています。

それでは、どのようにしたら執着を捨て、愛と慈悲の心を自分のものにすることができるでしょうか。一般人対象のこの講演会でダライ・ラマが勧めるのは、「他人へのやさしさと思いやり」です。こういう心は本来、誰の心の中にも存在しているのだ、とダライ・ラマは言います。

もちろんその通りでありますが、やはり観念的という印象を避けられません。世間の人々は、「やさしさと思いやり」などそっちのけで、執着だけで生きています。この「無明」の闇をはらうには、「やさしさと思いやり」の勧めだけでは、あまりにもきれいごとという感じを否めません。「いいお話を聴きました」でおしまいでしょう。「やさしさと思いやり」だけでは、学校のいじめ一つなくすることさえできないでしょう。

ダライ・ラマ自身は「やさしさと思いやり」を実行できる聖者です。彼は、チベットを弾圧する中国に対しても愛と慈悲をもって対処している聖者です。彼は自分のからだから光明を放射し、言葉を超えて人々に安らぎを与える力ももっています。それは彼の長年の仏道修行から生まれたものです。しかし、彼の一般人向けの講演を聴いたり本を読むと、彼が説く道はあまりにも観念的、という印象をいつも禁じえません。

煩悩にまみれた凡夫がいかにして愛と慈悲の心に到達できるのか。そのことを真剣に考え、その道を求めたのが、法然・親鸞という浄土門の聖者でした。法然・親鸞は、ダライ・ラマのように僧侶にならなくても、誰でも日常生活の中で行なえる念仏一念という方法をあみ出しました。念仏の中にすべての煩悩、業想念を投げ入れるという道です。そして五井先生は念仏を「世界平和の祈り」という現代的な形に甦らせました。世界平和の祈りの中から、おのずと執着が薄れ、やさしさと思いやりの心が育ち、ついには偏見のない愛と慈悲の心に到達するというのが、誰でもが歩むことのできる無理のない道だと思います。



隠蔽国家

2006年11月11日 | Weblog
耐震偽装隠蔽問題にかぎらず、つくづく日本はあらゆる面で隠蔽国家だと思わされます。最近、隠蔽の事実が次々と明らかになりつつあることはよいことではありますが。

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 文部科学省の委託を受けた大学教授らによる研究会が2002年、全国の大学生を対象にした調査で、16%の学生が高校時代に必修科目の世界史を履修していなかったとする結果をまとめ、同省に報告していたことが8日、わかった。

 この調査は、高等教育学力調査研究会が01年11月~02年2月にかけて、大学生の学習意欲について調べるために実施。その結果、回答のあった全国の335大学の約3万3400人のうち、約5400人が世界史を履修していなかった。理系学部ほど未履修だった割合が高く、歯学部の31%、医学部の26%に上った。文学部は10%、外国語学部は9%だった。この結果は報告書としてまとめられ、02年6月、同省にも30部が届けられていた。
(読売新聞) - 11月9日3時5分更
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061109-00000201-yom-soci

必修単位未履修問題は、現場の先生も、教育委員会も、文科省の役人もみな知っていたに違いありません。知っていながら、ばれなければいいだろう、と放置していたわけです。

いじめ問題も同じです。文科省の発表によれば、ここ数年、いじめによる自殺の件数はゼロでした。ところが、福岡県や北海道滝川市で自殺事件が起こり、詳しく調査してみると、いじめによると思われる自殺がかなりあったらしいことが明らかになりつつあります。学校当局によって実態が隠蔽されていたわけです。

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 文部科学省が、99~05年度にかけて児童・生徒のいじめによる自殺がゼロとしていた統計の見直しを決めた。調査方法や統計の見直し方については、文科省が近く設置予定のいじめに関する有識者会議(座長・梶田叡一兵庫教育大学長)で検討する。
 いじめ自殺の統計については、毎日新聞が同期間のいじめが原因の疑いがある自殺が少なくとも16件あったと報じるなど、「統計は実態を反映していない」との批判が相次いでいた。
 文科省は、毎日新聞の4日朝刊の報道を受けてメールなどで該当する各教育委員会に再調査を指示。堺市教委は99年10月に飛び降り自殺した市立高校1年女子生徒(当時16歳)に関し、00年3月、大阪府教委に「原因不明」と報告した。しかし、その後関係者の聴取を進めた結果、01年1月、「いじめが原因」と判断を変更。だが当時、文科省に報告したり統計修正を求めたりはしていなかった。今回の指示を受け、7日に同省に連絡した。
 また、北海道滝川市の小学校で昨年9月、小学校6年生の女児(当時12歳)が自殺未遂をし、その後死亡した問題でも、滝川市教委は先月、自殺原因を「いじめであると判断する」と変更している。【高山純二】
(毎日新聞) - 11月11日3時8分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061111-00000014-mai-soci

福岡県の事件では、いじめを煽った先生が批判されましたが、いじめグループは自殺事件のあとでも別の子供にいじめを繰り返していました。

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 中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。
 複数の関係者によると、新たないじめを受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。暴力的な行為はないものの、言葉によるいじめだったという。
 男子生徒の自殺後、間もなくいじめグループが別の男子生徒を対象にしたいじめを始め、見かねた他の同級生が保護者に相談し、保護者が学校側に通報した。学校側はこの保護者に「実際に新たないじめがあるかどうか調査中」と説明しているという。
 同級生の保護者によると「いじめのやり方は亡くなった男子生徒と全く同じと聞いている。学校は一体何をしているのか」と憤っている。
 自殺した男子生徒は自殺直前に7人の生徒からいじめを受けていたことが判明している。同中にはこの7人を含む多人数のいじめグループがあり、新たないじめもこのグループの生徒が繰り返しているという。
 男子生徒は死の直前まで「消えろ」など言葉によるいじめを繰り返し受け「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」などと記した遺書を残し、先月11日に自殺した。自殺した男子生徒の父親(40)は「また息子と同じようないじめが起きているとすれば許せない。つらい思いをするのは私たちで十分だ」と話している。【船木敬太、高橋咲子】
(毎日新聞) - 11月3日3時6分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000011-mai-soci

「実際に新たないじめがあるかどうか調査中」というのは、何もしないことの言い訳でしょう。実態は、加害生徒の親も学校側もこのグループを補導することなく、放置していたわけです。それは、いじめグループが地区の出身者であることと関係していると見られていますが、同和問題はマスコミのタブーなので、マスコミは報道しません。

大人はことごとに嘘をつき、隠蔽しています。嘘は泥棒のはじまり、という諺がありますが、そんな嘘つき大人が子供をまともに教育できるはずがありません。

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<やらせ質問>タウンミーティングの半数弱で疑い

 塩崎恭久官房長官は7日の記者会見で、タウンミーティングの「やらせ質問」問題について「信頼感を損ないかねないことが起き、大変遺憾だ」と述べ、制度を抜本的に見直す意向を表明した。しかし、内閣府の担当者は小泉内閣で実施された174回の半数弱で「やらせ」があった疑いが強いとの認識をいったんは示しており、信頼回復には時間がかかりそうだ。
 内閣府が調査結果を報告し陳謝したのを受け、塩崎氏は「明らかに行き過ぎがあった。工夫して国民の率直な意見が出やすい仕組みをすでに考え始めている」と述べた。タウンミーティングは小泉内閣が「国民との対話の場」と銘打って01年6月に開始。高支持率に一役買ったと見られており、政府は運営方法を見直して存続させたい考えだ。
 一方、内閣府タウンミーティング担当室の幸田徳之参事官は7日、記者団に「174回のすべてで行われているわけではない。半分も行われていない感じだ」と語った。同担当室は同日夜、この発言について「何の根拠もなく申し上げたものであるため、訂正いたします」との文書を出したが、半分弱で「やらせ」があった可能性があることには変わりなさそうだ。【平元英治】
(毎日新聞) - 11月8日2時0分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061108-00000005-mai-pol

教育改革を行なおうとしている政府も、まさに嘘によって世論を誘導しようとしていたわけです。教育の改革が必要なことは誰も否定できないでしょうが、平気で嘘をつく政府に教育改革を語る資格があるのでしょうか。嘘によって事を進めようというのは、根本が間違っています。そんな「改革」がよい成果を生むことができるはずはありません。

アメリカ中間選挙は、嘘は結局いつかはばれること、そして、嘘をついた本人が責任を取らなければならないことを示しています。

大人はまず嘘をやめることから始めなければなりません。自分にとってどんなに不利でも悲惨でも、現実をさらけ出し、直視しなければ、それを立て直すことはできません。嘘から始まったことは、事態をますます悪化させるだけです。子供たちは、命をかけて大人たちの偽善に警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。


あるアメリカ人の中間選挙の感想

2006年11月10日 | Weblog
アメリカの友人から、中間選挙に関する感想が送られてきましたので、翻訳して紹介します。

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国民の投票反応には、これほどひどい敗北を予想していなかったホワイト・ハウスが驚いただけではありません。国民自身も驚きました。国民は、イラク戦争に関してどれほど多くの人が彼らの指導者(ブッシュ)に激しい怒りを感じうんざりしているか、ということを認識していませんでした。

この国の人々は愛国的です。指導者が戦争に行け、と言えば、それは義務だと考えて指導者に従います。

彼らは愛国的なので、指導者たちが嘘をついていた、ということがわかったときは、彼らは口に出して話しません。黙っているのです。

唯一の例外があります。その例外が2日前の選挙の日でした。彼らは話す機会を与えられ、そして話しました。たくさんの、たくさんの人々がです。

とても興味深いのは、選挙当日まで人々は、この国のどれだけ多くの人が、まさに自分と同じように感じていたのだ、ということに気づいていなかったことです。彼らは、ほかのみんなも自分と同じように指導者に怒りを感じていた、ということを知らなかったのです。

昨日、選挙の翌日ですが、私はこの国の波動を観察しました。それはとても穏やかでした。国民は、起こった出来事について考えに考えています。それは、指導者に対する信頼が失せたことをはっきりと示しています。

昨日、国民が考えていたとき、この国は海を漂う船のようでした。船の操縦がなくなったのです。

今日、船は相変わらず操縦されていません。国民は、起こったばかりのことを咀嚼しています。選挙は、国民が指導者に対する信頼を失ったという発言でした。

ブッシュは大急ぎでラムズフェルドを追っ払いましたが、そういう行為ではダメージを修復することはできないでしょう。国民はブッシュに背を向けました。

ブッシュは今日、下院の新しい指導者になる女性議員と会いました。この女性は簡潔な言葉で語る力強い指導者です。彼女はイラクの混乱が修復されることを欲しています。8兆ドルの赤字が修復されること、経済が修復されること、等々を欲しています。彼女は率直な言葉で語り、行動を期待しています。

これから起こることを見守りましょう。
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この女性議員はペロシさんという方です。

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 【ワシントン=貞広貴志】7日の米中間選挙で民主党が下院の過半数を獲得したことで、女性初の下院議長に就任することになったナンシー・ペロシ下院民主党院内総務は9日、ホワイトハウスでブッシュ大統領との昼食会に臨んだ。

 選挙後、初めての顔合わせで、大統領が「(選挙に)勝てば、国のため最善を尽くす責任を負う」と“反対野党”を脱するよう求めたのに対し、ペロシ議員も「信頼を醸成できるよう協力するつもりだが、私たちには違いがある」と発言。満面の笑顔の裏で、お互いの出方をけん制するやり取りを交わした。
(読売新聞) - 11月10日11時34分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061110-00000002-yom-int

アメリカ人は、嘘で塗り固められたブッシュ政治にノーを突きつけました。ただし、アメリカが今後どのような方向に進むかは、まだ定まっていません。ヒラリー・クリントンでは、たいした変化は生まれないでしょう。民主党に清新な指導者が出現することを期待します。


ブッシュ政権の終わり

2006年11月08日 | Weblog
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 【ワシントン8日時事】ブッシュ米政権のイラク政策を争点に行われた米中間選挙は8日未明(日本時間同日午後)、開票が進み、野党・民主党が下院で過半数を制し、12年ぶりに多数党の座を奪還した。与党・共和党はブッシュ政権下の国政選挙で初の敗北。上院では接戦が展開されたバージニア、モンタナ両州で集計に手間取っており、勝敗確定になお時間がかかる見通しだ。
 共和党の敗北は、イラクで泥沼化する戦争への有権者の批判の強さを反映したものとみられる。民主党はブッシュ大統領にイラク政策の変更を強く迫る方針だ。また、大統領の残り任期2年の「レームダック(死に体)化」が進み、2008年の次期大統領選に向けた動きが加速する可能性もある。 
(時事通信) - 11月8日21時1分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061108-00000117-jij-int

「大量破壊兵器」に関する嘘から2003年3月に始まったイラク戦争。いよいよブッシュ政権はそのツケを払わされることになります。2003年2月1日に起こったスペースシャトル・コロンビア号の墜落事故は、明白に「戦争を起こすな」という警告をアメリカに発していました。宇宙からのメッセージに耳を傾けなかったブッシュ政権が、やがて敗北することは必然でした。宇宙の法則に逆らう者は自滅するだけです。

誤りに気づき、選挙で自分たちの意思を明確に示したアメリカ国民に心からの敬意を表します。



広島のダライ・ラマ

2006年11月04日 | Weblog
11月初めにダライ・ラマが広島を訪れました。今まで日本のマスコミでは、ダライ・ラマとチベット問題に対する報道自主規制が行なわれ、ダライ・ラマの来日についてほとんど報道されませんでした。言うまでもなく、中共に対する阿諛追従のためです。今回、毎日新聞が詳しく報道したことは画期的なことです。以下にその記事をまとめておきます。

※ちなみに朝日新聞のサイトにはダライ・ラマの訪広についての記事は一つもありませんでした。「反戦平和」が大好きな朝日新聞が、3人ものノーベル平和賞受賞者の来日について触れないというのはなぜでしょう?

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 ◇中区で開幕「世界は一つの家族」
 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が出席する「広島国際平和会議」が1日、中区加古町のアステールプラザで始まった。ダライ・ラマは、グローバル化の中でこそ互いに思いやる心を持つ必要性を指摘。「現代の世界を考えると、国や民族などを中心に考えず、世界を一つの家族として考えないといけない時代に入っている。一人一人が普遍的な責任について考えることが大切だ」と訴えた。
 学者や広島青年会議所などでつくる実行委員会の主催で、約1000人が参加。実行委によると、宮島の弥山開創1200年記念法要などに出席するため来広するのに合わせ、ダライ・ラマが「広島を訪れる機会を利用して平和の会議を開きたい」と、いずれもノーベル平和賞受賞者で南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさんに呼びかけて実現した。
 ダライ・ラマは「広島は悲惨な体験から人間性を考え直す機会を得て、二度と繰り返さぬようにと世界にメッセージを発信している。この3人が集まって広島で世界平和について話す機会を持つことは特別な意味があり、世界から完全に武器をなくすことにつなげたい」と語った。【吉川雄策】
11月2日朝刊
(毎日新聞) - 11月2日16時2分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061102-00000267-mailo-l34

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<ダライ・ラマ>胡政権は現実的 チベット帰還を楽観視

 インドに亡命中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が2日午前、訪問中の広島市内で毎日新聞などと会見し、「最近の中国は胡錦濤政権下で民主化が進み、政策が現実的になった」と評価した。自らのチベット帰還の可能性について「私たちは独立を望んでおらず、外交と国防以外の自治を求める現実的な方策を主張しており、(帰還を)楽観している」と述べた。
 ダライ・ラマは胡政権の進める「調和社会」政策について「地方の草の根レベルで民主化が進んでいる」と述べた。だが、チベット自治区の現状に関しては「僧侶は政治学習を強制され、依然、宗教や報道の自由が厳しく制約されている」と人権抑圧を批判した。今年7月の青蔵鉄道のラサ開通についても「中国人(漢族)が大勢来て危険になると喫茶店で話しただけでチベット族が拘束されたとの情報がある」と述べた。情報の真偽は不明。
 ダライ・ラマのチベット帰還などを協議する亡命政府と中国政府との直接交渉は02年9月に再開され、今年2月に北京で5回目の協議が開かれた。だが、中国側にはダライ・ラマがチベット独立を望んでいるのではないかとの警戒があって進展せず、第6回の協議開催を待っている状況だという。ダライ・ラマは「胡政権は用心深い。当局には私を敵視する見方もある。私は政治的地位は何ら望んでいない」と述べた。【吉富裕倫】
(毎日新聞) - 11月2日13時46分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061102-00000053-mai-int

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チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が2日、広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。
 他に南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさん。3人は、政治や宗教などの壁を超えて平和を模索しようと、広島青年会議所などでつくる実行委が同市で開催した「広島国際平和会議」に出席。「広島の街が核兵器による破壊の後に持った、報復をせずに許すとのメッセージを人類すべてが注目してほしい。あなたのグループ、街、国の中だけでなく世界全体に思いやりを与えてください」などとする共同宣言を読み上げた。【吉川雄策】
(毎日新聞) - 11月3日10時9分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000003-maip-soci

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 ◇「寛容と和解の心を」
 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世らノーベル平和賞受賞者3人が出席して中区加古町のアステールプラザで開かれた「広島国際平和会議」は2日、閉会した。同日の座談会ではダライ・ラマが「思いやりと愛情を持とうとするのは、世界中のすべての宗教に共通する。寛容と和解、相手を許す心を持って(民族や宗教、文化などの)違いを乗り越えることが大切だ」と訴えた。
 座談会では、ダライ・ラマと、南アフリカのデズモンド・ツツ元大主教と北アイルランドの平和運動家、ベティ・ウィリアムズさんのノーベル平和賞受賞者3人が、それぞれ広島や日本への期待を発言。「日本で不満を述べるだけでなく、世界に出かけて、一人一人が持つ技術や技能を生かして手助けをして」(ダライ・ラマ)、「原爆投下の不正義を経験した日本だからこそ、世界中の貧困や飢餓などの不正義をなくす先頭に立って」(ツツ元大主教)、「飢えに苦しむ子どもを抱くと『なぜこんなに苦しいの』と目で訴えてくる。経済大国に復興した日本には一人でも多くの子どもを助けてほしい」(ウィリアムズさん)とメッセージを残した。また県被団協の坪井直理事長も壇上に立ち、「3人の生き方や考え方は、私たち被爆者の思いとほぼ同じで力強さを感じた」と3人に感謝を述べ、花束を渡した。最後に3人で共同宣言を読み上げた。
 会議後の会見で、ダライ・ラマは米同時多発テロ以降の世界情勢に触れ、「一人が殺されると周囲の家族や友人らが悲しみを味わい、憎しみも広がりかねない。テロに対する報復活動はやめて非暴力による対話が大切だ」と語った。【吉川雄策】
11月3日朝刊
(毎日新聞) - 11月3日13時1分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061103-00000191-mailo-l34

「広島の街が核兵器による破壊の後に持った、報復をせずに許すとのメッセージを人類すべてが注目してほしい。あなたのグループ、街、国の中だけでなく世界全体に思いやりを与えてください」

ダライ・ラマは広島の使命を正しく認識しています。以前も掲載したことがある文章ですが、バックナンバーを再度紹介いたします。

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希有の出来事(2005年11月号)

 今年の八月、NPO法人「聖地のこどもを支える会」の招きで、イスラエル人六名とパレスチナ人六名の学生が、七名の日本人学生とともに広島・長崎を訪問した。このプロジェクトは、ベツレヘム聖誕教会のイブラヒム・ファルタス神父(フランシスコ会)の発案による。神父は、二〇〇二年春の聖誕教会包囲事件の際に、イスラエル・パレスチナ双方の仲介者として、話し合いによる平和的解決に尽力した方である。

 周知のように、イスラエルでは長年、両民族の間で血なまぐさい紛争が続いている。それでは、両民族は闘争相手のことを知っているかというと、相手の民族の人と一度も会ったことも話したこともない、という人々が大部分なのである。生身の相手のことを知らずに、互いに恐怖し、憎悪しているというのが実情である。一昨年、広島を訪れた神父は、「紛争のために出会うことすらできない聖地の若者たちに、この地においてこそ、直接に対話をさせたい」と願った。

 イスラエルとパレスチナの若者は、日本という外国で、相手の民族の若者と初めて出会うことができた。最初のうちは隔たりもあったようだが、すぐに仲良くなり、最後はお互いに抱きあって別れを惜しんだという。このような人間的交流ができただけでも、この行事は素晴らしい成功だったと言えよう。

 それに加えて、日本ではもっと多くの学びがあった。彼らは、両市の平和祈念式典に参加し、市長と面会し、被爆者の体験談も聞いた。広島・長崎の原爆資料館はとくに衝撃的であったようだ。

 あるイスラエル人学生は、「日本に来て『許す』ということを知った。アメリカは原爆を落としたのに、日本はアメリカを許した。イスラエルに帰り、このことの意味をよく考えたい」と語っている(朝日新聞長崎版)。

 日本はアメリカを許したのだろうか? 「許した」、と意識的に思っている日本人はそれほど多くはないだろう。しかし、被爆者たちはたしかに、アメリカを憎むことはしなかったのである。

 ある被爆二世の方は、ご両親や祖父母から、「原爆を落としたアメリカが悪いからアメリカを怨め」という言葉は一度も聞いたことがなかった、それに対して、いちばん多く聞いたのは、「もう二度とあのようなことをしてはいけない」という言葉だった、と語っている。

 広島・長崎は、そして日本は、原爆という未曾有の破壊を受けながらも、それを敵に対する憎悪に転化することをしなかった。それは人類の歴史上において希有の出来事ではなかっただろうか? 日本人はその意義をもっと理解し、日本に与えられている世界平和への使命をいっそう深く自覚すべきであろう。



皇室の慶事(2006年10月)

2006年11月02日 | バックナンバー
 九月六日に秋篠宮様ご夫妻に親王様が誕生された。皇太子殿下、秋篠宮様に次ぐ、第三の皇位継承権者の誕生である。

 皇太子殿下には愛子様以外、お子さまがいらっしゃらないし、第二子誕生の可能性も小さい。そこで、女性にも皇位継承を認めるように皇室典範を改定すべきではないか、という議論が起こり、首相の私的諮問機関が、女性や女系にも皇位継承を認める意見を答申した。ところが、その直後に紀子様ご懐妊の報があり、国会での皇室典範改定の議論はペンディングになった。そして今回の男のお子さまの誕生によって、この問題の議論は当分遠のくことが予想される。

 しかしながら、現在の皇室に今後も必ず男子が生まれつづけるという保証はどこにもない。皇位継承を男系男子に限定しているかぎり、いずれまた皇統断絶の危機が起こることになる。皇位継承の問題は今後も国民各界がよく議論して、皇室の伝統とも調和させながら、国民的合意を形成していく必要がある。

 歴史的には帝政や王制の国は決して少なくなかった。というよりも、過去の政体はほとんんどすべてがそうであったが、敗戦や革命によって、近代に多くの帝室や王室が消滅した。皇帝や王は強大な権力を握る政治的存在であったから、国内外の政治情勢の変化によって打倒されてしまったのである。日本の皇室は、武家政治の中で政治的権力を失い、権力とは遠い立場にあったことによって、そのような変動をまぬがれることができた。皇室が、数千年の歴史を乗り越え、しかも未曾有の敗戦にもかかわらず、現在も存続しているということは、一種の奇跡である。語弊のある言い方になろうが、いわば「世界遺産」のような貴重な存在であり、それだけでも維持してゆく価値がある。一国の経済力や軍事力はごく短期間でも獲得することができるが、長年の歴史と伝統は一朝一夕では形成されないのである。

 今回の親王様御誕生は、日本国内で大きな慶びをもって歓迎されたばかりではなく、世界各国でも大々的に報道された。日本の皇室だけではなく、世界の王室も何かと人々の話題と注目の的になる。民主主義という政治理念においては、人々の間には生まれによる貴賎の差別はあってはならないことになっているのだが、人々の心の中には、皇室や王室を崇敬したり憧れたりする気持ちが相変わらず働いているようだ。

 王室が残っている大部分の国でも、王はかつてのような権力者ではなく、立憲君主である。とくに日本の皇室は国民統合の象徴として重要な役割を演じている。日本人は今後、皇室を中心に心を一つにして、日本を世界平和に貢献する立派な国にしていかねばならない。