平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

イスラム教との対話(1)

2005年04月03日 | Weblog
3月31日に「未来構想フォーラム」という集まりで、「文明と宗教を探る:イスラム教リーダーとの対話」という催しが開かれました。これは、アメリカ人のイスラム教徒のグループが来日したので、彼らを招いて行なわれた行事です。

この催しには、駐日スーダン大使のオマール氏や、福岡在住のパキスタン人のムガール氏なども参加しました。

ムガール氏は、かのムガール帝国の末裔だそうで、『イスラムは日本を変えるか?』(文芸社)という本の著者です。
http://www.mughal.net/japanbook/

テレビの討論番組にも出たことがあるそうですが、私は見たことがありません。

オマール氏もムガール氏も日本語が堪能でした。とくにムガール氏の饒舌ぶりはたいへんなもので、日本語から英語への同時通訳の方が、もう少しゆっくり話してくれないと困る、と言ったほどでした。

明治以降、欧米文化を積極的に導入した日本人は、キリスト教については比較的知識がありますが、イスラム教のことはあまり知りません。イスラムというと、911同時多発テロ、自爆テロ、ジハード(聖戦)などといった物騒なことばかりを連想します。この日の集まりでは、イスラム教に対するそういう否定的な先入観を改めてほしい、というイスラムの人々の熱意が感じられました。たとえば――

・イスラムというのは「平和」という意味。
・妻を4人まで持てるという一夫多妻制は、歴史的に必要があって生まれたもので、必ず第一夫人の許可が必要。
・イスラムは平和的な宗教で、決して異宗教の信徒にイスラムを強制したことはない。ムハンマドはキリスト教におけるイエスのような神の子ではなく、預言者であり、イスラムは多くの時代に色々な預言者が出現することを認めている。イスラムが求めているのは、異宗教との対話と共存である。
・今アメリカではキリスト教からイスラム教に改宗する人々が毎月1万人いる。それは、家庭崩壊、アル中、麻薬、ホームレスなどといった問題に、イスラムが具体的な解決策を提供するからである。

このように、イスラムがいかに素晴らしい平和的な宗教であるかが強調されました。

これに対して参加した非イスラム教徒(日本人と日本人以外の方)からは、

・それではなぜ自爆テロが起こるのか。イスラム教徒自身がやめさせるように説得すべきではないか。
・同じイスラム教徒どうしで戦ったり殺しあったりしているのはなぜか。
・イスラムは死後生についてどう教えているのか。
・イスラム圏ではなぜ民主主義が定着せず、腐敗がはびこっているのか。
・イスラムが武力やジハードを認めるのはなぜか。
・なぜ女性が解放されていないのか。
・日本でもイスラムの女性がヴェールをかぶっているのは、「郷に入っては郷に従え」という日本のルールに反しているのではないか。

という質問が出ました。それに対してもそれなりの答えが行なわれました(答えがなかったものもありました)。

たとえば、「イスラムというのは原理原則である。原理原則は包丁のようなものである。包丁は料理にも使えれば、人殺しにも使える。包丁は本来料理に使うべきもので、人殺しに使うのは犯罪者であり、間違っている」というような答えです。

また「コーランが一夫多妻制を認めているのは、この世では貧しくて妻を持てない男性に、死んだら天国で4人の妻を持てると教えれば、未来に対して希望を与えることができるからだ」「イスラム初期に、戦争で多くの男性が死んだので、残った未亡人や子供たちを庇護するという歴史的意味あいがあったが、今はそういうことは必要ないし、そういうことをする人も少ない」「サウジアラビアの王族は大金持ちだから多くの妻を持てる。それは日本でも金持ちが2号さん、3号さんを持っているのと同じだ。コーランは決してサウジアラビアの王族のようなことを勧めているわけではない。イスラムの正しい教えからすると彼らは間違っている」というような答えです。

しかし、どうも核心からずれた答えが多く、質問者は必ずしも納得していないようでした。時間も足りなく、議論が深まったとは言えませんでした。