平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫と2・26事件(2)

2005年11月29日 | 三島由紀夫について
 『憂国』は、2・26事件に際して、武山信二という中尉が、反乱軍と鎮圧軍が「皇軍相撃」の事態になり、自分も友を殺さざるをえなくなることを潔しとせず、割腹自殺をとげる、という内容です。

 しかし、この作品は2・26事件そのものを描いたものではなく、筋らしい筋もありません。武山とその新妻の交情場面と、武山の切腹の場面が生々しく描かれるだけです。

 この武山には具体的なモデルがあります。2・26事件当時の新聞には、輜重兵中尉青島健吉が割腹自殺をし、その妻もまた後追い自殺をしたというが記事が出ました。また、岡沢謙吉という軍曹が、反乱軍の中に自分の恩師がいるので、心苦しく思い、拳銃自殺をした、という記事もありました(松本清張著『二・二六事件』)。三島はこの二人を合体させて、武山という人物像を創りあげたものと思われます。

 三島はとくに青山の切腹に関心をもち、彼の検死をした医師に細かい状況を尋ね、それを作品中に利用していると言われています。切腹の場面描写が非常にリアルなのもそのためでしょう。この場面を読んで、私は気分が悪くなりました。こういう記述をする三島は、かなりマニアックな性格であると言えるでしょう。

 2・26事件においては、反乱軍が帰順したことによって、実際には「皇軍相撃」という事態は起こりませんでした。そのことを知らず、事件収拾の前夜に割腹自殺した武山中尉は、ひたすら生きることを尊しとする人命尊重の立場から見れば、死を早まった愚か者ということになります。しかし、三島の評価はまったく逆です。

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『憂国』は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない。かつて私は、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と書いたことがあるが、この気持には今も変わりはない。(新潮文庫版・解説、昭和43年9月)
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 三島は「エロスと大義との完全な融合と相乗作用」と書いていますが、「大義」の中には「死」も含まれています。

 『憂国』は、エロスと死を融合させる三島美学の極致だと言えるでしょう。このような美学がどこから生じてきたのか――ここでは、それは三島自身の個性ということにしておきますが(その背後にはおそらく彼の特殊な生い立ち、とくに過干渉の祖母の存在があったと思いますが、ここではそこまで立ち入る余裕はありません)、彼はその美学を山本常朝の『葉隠』に見出しています。

三島由紀夫と2・26事件(1)

2005年11月28日 | 三島由紀夫について
 2・26事件というのは、1936年(昭和11年)2月26日に起こった皇道派青年将校らによるクーデター事件です。

 その当時、陸軍の中には、対外問題(満州問題、対米英問題)と国内問題(貧富の差の拡大、とくに農村の疲弊)をめぐって、統制派と皇道派と呼ばれる二つの派の対立がありました。統制派(軍幕僚ら)は、官界・財界と連携しながら、軍主導による国家改造を目指しましたが、皇道派(主として青年将校)は、官界・財界と天皇取り巻きの重臣らこそが腐敗の元凶であるとして、既存支配体制を打倒し、天皇親政の「昭和維新」を目指しました。皇道派の理論的背景は北一輝の『日本改造法案大綱』だと言われています。

 昭和天皇はこのクーデターに激怒し、クーデター軍を反乱軍と見なし、鎮圧を命じます。結局、クーデター軍は天皇に否認され、2・26事件は失敗に終わり、首謀者らは非公開の軍事裁判で極刑に処せられます。しかし、この事件をきっかけに、軍部の政治介入がいっそう強まり、議会制民主主義は完全に息の根を止められ、日本は戦争に突入していくことになります。

 三島由紀夫は2・26事件に関心をもち、この事件に関係した作品を数篇書いています。彼は1966年(昭和41年)に、『英霊の声』、『憂国』、『十日の菊』という、2・26事件関係の3篇を合わせた本を河出書房から出していますが、この本は今年、河出文庫版『オリジナル版・英霊の声』として刊行されました。

 この本に三島は、「二・二六事件と私」という解説文をつけています。

 これを読むと、2・26事件が起きたとき、三島は11歳で、学習院初等科の生徒でした。彼は子供心に、蹶起将校らを「英雄」として憧れ見ていたようです。

 ちなみに、三島は大正14年=1925年生まれで、彼の年齢は昭和の年号と同じになります。まさに昭和とともに生きた作家でしたが、あとでも述べるように、彼における最大の問題は昭和天皇その人であったのです。

 文学者になってからも、彼は2・26事件に関心をもちつづけ、ときどき関係文献に目を通していたようです。その彼がこの事件と本格的に取り組むようになったのは、4部作の長編『豊饒の海』を書き始めたときだと、「二・二六事件と私」(1966年)に書いています。

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たまたま昨年〔1965年、昭和40年〕からかかった四巻ものの長篇の、第一巻を書いているうちに、来年からとりかかる第二巻の取材をはじめた。たわやめぶりの第一巻「春の雪」と対蹠的に、第二巻「奔馬」は、ますらおぶりの小説になるべきものであり、昭和十年までの国家主義運動を扱う筈であった。それらの文献を渉猟するうち、その小説では扱われない二・二六事件やさらに特攻隊の問題は、適当な遠近法を得て、いよいよ鮮明に目に映ってきていた。
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 しかし、彼の2・26事件関係の最初の本格的作品である『憂国』は、それ以前の1960年に書かれています。戯曲『十日の菊』は1961年の作です。『英霊の声』は1966年です。

三島由紀夫の割腹事件(3)

2005年11月26日 | 三島由紀夫について
瀬戸内 あれが掲載された『文藝』の編集長の寺田博さんも、当時、「原稿をもらって怖かった」と言ってましたよ。三島さんは、寺田さんにも、やはり「何かがのり移って、自分じゃないものが書いた」って言ったそうですよ。

美輪 三島さんが亡くなった後、お母さんが、「公威さんが公威さんじゃなくなったのは、『英霊の声』あたりからです」と、おっしゃったの。私が霊視したときのことはご存じないのに、偉大な母性本能の直観でわかったんですよ。

※三島由紀夫(ペンネーム)の本名は、平岡公威(ひらおか・きみたけ)。

瀬戸内 でも、三島さんは美輪さんが霊視なさったことは信じたんでしょ?

美輪 いや、そのときは半信半疑だったんじゃないですか。私が、「これは大変なことになるからお祓いしましょう。でも、これをとるのはもの凄い霊能力が必要ですよ」と言うと、その席にいた女優の村松英子なんか、「丸山さん――当時、私は丸山だったから――、なんとかしてあげて。三島さんにへんなことがあったら大変だから」と泣きだしちゃった。けれど、奥さんの瑤子さんに「冗談じゃない。そんなお祓いなんかされたら、『楯の会』も解散することになるかもしれない。制服もつくったばっかりでお金もかかっているのよ」と冗談にされてしまったの。で、私もしょうがないなと思ったから、「そうですね、余計なお世話ですね」と、それ以上は言いませんでした。

瀬戸内 そのとき、楯の会を解散してたらよかったのにね。

美輪 でも、私、気になったから、三島さんのところに何度も電話をするわけ。それまで通じないことはなかったのに、全然通じないの。で、「三島さんが、ずいぶん、丸山さんのところに電話しているらしいよ」ということを共通の友達から聞いたのに、その電話は一度も私には通じなかったんです。

 そして、結局、会ったのは一年後。三島さんが死ぬことを覚悟して、最後の別れに日劇に見えたときでした。結局、悪霊のほうが強かったんですよ。私の力が足りなかったんですね、あのとき。

瀬戸内 一緒に亡くなった森田という人には悪霊は憑いてなかったんですか。

美輪 憑いてなかった。森田さんは、前世で三島さんとやはり因縁があった人なんでしょうね。霊というのは、三島さんみたいに純粋な人に取り憑きやすいのね。あの人とずっとつき合っていて感じたのは、本当に純粋で、幼な児みたいな魂の持ち主だってことなんです。
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 この本では、美輪明宏さんは、ほかにも三島由紀夫のエピソードをたくさん語っています。美輪さんが三島由紀夫を心から敬愛していたことがうかがわれます。

 美輪さんが霊視した「磯部」というのは、2・26事件の首謀者の一人で、死刑になった磯部浅一(いそべ・あさいち)という人です。以下では、三島由紀夫と2・26事件の関係を簡単に述べてみます。

三島由紀夫の割腹事件(2)

2005年11月25日 | 三島由紀夫について
 事件のあと、週刊誌には、三島の背後に悪霊がついていた、という記事が出ました。五井先生のお話を聞いていた私は、好奇心に駆られて週刊誌を買って読みましたが、古雑誌は今ではもう捨ててしまいました。

 週刊誌でそういうことを語っていたのは、俳優の美輪(丸山)明宏さんです。美輪さんは霊能者で、ときどき霊も見えるということです。

 美輪さんと瀬戸内寂聴さんの対談『ぴんぽんぱん ふたり話』(集英社)に、三島由紀夫事件のことが語られています。その当時、週刊誌に出ていたのと同じ内容です。以下では本から該当箇所を引用してみます。(107~113頁)

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瀬戸内 三島さんは、霊的なものは信じた方なんですか。

美輪 初めは信じなかったから、私の言うことは聞いてくれなかったんです。鼻で笑ってました。

 実は、亡くなる一年ほど前のお正月に三島さんの家に行ったときに、天草四郎の霊を霊媒で呼び出したときのテープを持っていったんです。それを聞かせてもまるっきり信じなかったんだけれど、そのとき、三島さんが私をからかい気味に「この中の誰かになにか憑いているのがいるか?」とおっしゃったの。で、私はぐるりと見回して、「あなた」と言ったら、冗談だと思ったらしく、「うわあ、おっかねえ、おっかねえ」と。「じゃあ、どんなのが憑いてるんだ、おれには」と笑ったんです。

 私には三島さんに、戦時中の憲兵みたいな格好している男が憑いているのが見えたんです。カーキ色の服を着て、帽子をかぶっていた。三島さんに「思い当たる節はない?」と聞いたら、「ある」と。「思い当たる人をあげて」と言うと、三島さんは、小林、甘粕と名前をあげたけれど、磯部と言ったときに、その男の姿がパッと消えた。その人が憑いてたんですね。二・二六事件の反乱軍の将校の一人で、天を恨み、国を恨み、親を恨みと呪いに呪いまくった遺書が出てきた人だと言ってました。

 奥さんの瑤子さんが、「そういえば、この人、どんな長編を書いてもやつれることはなかったのに、『英霊の声』を書いたときに、書斎から出てきたら、幽霊みたいに痩せこけて大変だったのよ」と言ったんです。そしたら、三島さんも「おれも心当たりがある」と。

 あの人は、原稿は必ず夜中の十二時に書き始めて、少しでも眠くなれば、脇に置いてある長椅子に横になって、五分でも十分でも寝て、それから改めて書くようにしてたらしいの。眠気を催しながら書くことは、自分として許せなかったんですって。それが、『英霊の声』を書いてるとき、眠くて眠くてしょうがないのに筆だけが闊達に動いた、と。そして、自分の表現でも言葉でも書体でもないから書き直そうとしても、絶対書き直せないある力が働いた」とおっしゃったの。

瀬戸内 磯部の霊というのはわかる感じがするわね。私は、『英霊の声』を読んだとき、なんかすごい迫力で、とても感動したんですよ。それで、三島さんに「今度の『英霊の声』もすごい」とファンレターを出したの。そうしたら、三島さんが、「ほんとうに自分じゃないような力がのり移って書いた。瀬戸内さんはひいきの引き倒しだ」と、そうおっしゃいました。

美輪 不本意だったんですね。自分は推敲して書き直したいと思っているんだけれども、それをさせない力が働いた。

(引用つづく)

三島由紀夫の割腹事件(1)

2005年11月23日 | 三島由紀夫について
 昨日11月22日は、私の師である五井昌久先生(大正5年=1916年生まれ)の89歳の誕生日です。

 五井先生のご生前は、11月23日(祭日)に、市川市中国分にあった聖ヶ丘道場で、五井先生のお誕生祭が開かれたものです。その五井先生が昭和55年(1980年)8月17日に肉体界を離れてから、もう25年です。本当に月日の流れるのは速いものです。

 ところで、三島由紀夫が東京市谷の自衛隊駐屯地に乗り込み、自衛隊員にクーデターへの決起を促し、割腹自殺をとげたのは、昭和45年(1970年)11月25日、五井先生のお誕生祭の直後でした。今度の25日で事件から35周年となります。三島由紀夫は今でも右翼の人々の間には、愛国者として絶大な人気があります。11月25日は「憂国忌」として毎年、記念行事が行なわれています。

 私は事件の日のことをよく覚えています。

 この日は東京都内のある会館で白光の集会がありました。講師はSさんという方でした。Sさんはもとはお坊さんでしたが、僧侶をやめて白光の職員になっていました。仏教の造詣の深い理論派の講師でした。

 私が会場に少し早めに着くと、まだあまり人気のない和室でSさんは夕刊紙を床に広げて読んでいました。私の顔を見ると、「今日、三島由紀夫が自殺したんですよ」とSさんは言いました。私はその夕刊紙を見せてもらい、彼の割腹自殺を知り、驚きました。

 著名な作家で、ノーベル文学賞の候補にもなっていた三島由紀夫が、自衛隊に乗り込み、切腹をし、介錯を受けて首を切られたという猟奇的事件に、日本中が驚愕しました。

 次の聖ヶ丘統一会のとき、さっそく五井先生に対してこの事件について質問が向けられました。その当時、五井先生は、「何か質問はありませんか」と会場から質問を受け、それに答えるという形で講話会を進めていました。五井先生のお答えは、当時の私には驚くべきものでした。

「これは自殺ではありません。いわば他殺ですね。三島由紀夫の背後にある霊がとりついていて、その霊が彼に割腹自殺させたんです。切腹というのは、普通、腹を横に切るんですよ。しかし、三島由紀夫は、横に切ったあと、さらに下から上に縦にも切っていますね。そんなこと、苦しくて普通では絶対にできません。ものすごい力です。じゃあ、なぜそんなことをしたのかというと、自分の力じゃないんです。彼の背後にいた霊が切腹したくてしかたなかったんです。その霊は二二六事件のとき、恨みを残して死んだのだけれど、いさぎよく割腹自殺できなかったんです。それで、三島の肉体を借りてその思いを遂げたんです。だから、これは自殺じゃない、と私は言うんです。皆さんは、そういうよこしまな霊にとりつかれないように、いつでも守護霊・守護神に感謝し、世界平和の祈りを祈ることが大切ですね」

というようなお話でした。

 五井先生の本願は、人間の本心開発、霊性の開発であり、憑依などの霊的現象については、めったに具体的なお話はなさらなかったので、この話は強く印象に残りました。

国際フォーラム・新しい文明を築く(6)

2005年11月22日 | Weblog
〇トーク・セッション2
「Science(科学)とSpirituality(霊性)」

・参加者:ラズロ、村上和雄、オーディー、西園寺昌美
・進行:龍村仁(映画監督)

 最初にラズロ博士が、スライドを使いながら、人類の文明の「マクロシフト」と、宇宙が量子真空場においてつながり合っていることについて説明した。

マクロシフトについて:
http://www5f.biglobe.ne.jp/~seseragi-s/sub63.html
量子真空場について:
http://blog.goo.ne.jp/heywa/e/a63972625a58db742962aad0e006abe3

 村上先生は、遺伝子情報を書き込んだ偉大なる叡智「サムシング・グレート」について、そして「笑い」という心の作用が遺伝子のオン・オフに関係していることについてお話しした。

 私はすでに村上先生の講演は何度も聞いたことがあるし、また著書も数冊読んでいるので、内容的にはすべて知っていることばかりであった。しかし、この日のお話には、それまでとはまったく違った印象があった。いつもの村上先生のお話にはユーモアと笑いがあふれているのであるが、この日のお話には厳粛さが感じられた。あたかも村上先生を通して「サムシング・グレート」そのものが語っているような感じがしたのである。私は深く感動して、思わず涙がこぼれた。

 人間はすべて親から生まれる。親もまたその親から生まれる。その親の親の親の・・・親は、ただの石ころであるはずはない。私たちの命の元は大親、偉大なる何か、「サムシング・グレート」と呼ぶことができる――いわば神を、自分たちとつながっている大親と見るこのような神観は、ユダヤ・キリスト教・イスラム教という超越的一神教にはない。仏教にもない。神道的な見方である。

 そのような神道的な神観が、現代科学の最先端の遺伝子の用語を借りて語られ、英語に通訳されて、参加していた海外の学者たちに伝えられた。彼らは村上先生のお話をどのように受けとめたのであろうか。

 西園寺昌美氏は「個人の意識改革からすべては始まる」とセッションをまとめた。

 龍村氏の巧みな司会もセッションを盛り上げた。最後に、龍村氏とピーダーセン氏が両セッションをまとめた。「現状がどんなに悲観的に見えようと、私たちの命の親であるサムシング・グレートが、人類を滅ぼすようなひどいことはするはずはない」という龍村氏の言葉には、様々な困難を不思議な導きによって乗り越えて、『ガイア・シンフォニー』を撮りつづけてきた、氏の体験から生まれた宇宙への深い信頼感がにじみ出ていたように思う。

 最後はサックス奏者の渡辺貞夫氏と栃木県の中学生、高校生の楽しく力強い演奏で、行事は終了した。

国際フォーラム・新しい文明を築く(5)

2005年11月21日 | Weblog
〇トーク・セッション1
「Sustainability(持続可能性)とSystems(システム)」

・参加者:ゴルバチョフ、サトゥリス、ヘンダーソン、北川正恭(前三重県知事、現早稲田大学教授)
・進行:ピーター・ピーダーセン(イースクエア)

※ピーダーセン氏は、LOHAS(Lifestyles Of Health And Sustainability)という言葉を最初に日本の紹介した人です。
http://associate.jp/archives/2005/04/lohas_1.html

 最初に、ピーダーセンさんが、スライドを使いながら、北川正恭氏らとともに行なった「サステナビリティの科学的基礎に関する調査プロジェクト」の最新研究成果の報告を簡単に行なった。

※このプロジェクトについて:http://www.office-kitagawa.jp/rsbs/

 ピーダーセン氏は、すでに地球環境問題に関する様々な研究や報告に示されているように、地球の「エロロジカル・フットプリント」はすでに1.2を超え、人類は環境に多大な傷を与え、地球環境を食い尽くし始めていることを示した。

※エコロジカル・フットプリントとは
http://www.geocities.jp/byakkou51/essay/2004.htm#6

 その後、4人によるパネル・ディスカッションが行なわれた。その中で、ゴルバチョフは「私はこれまでこのような会議に何百回も出席してきた。様々な立派なアイデアが語られたが、世界は少しも変わっていない。私たちはアイデアを行動に移さなければならない」と語った。

 ゴルバチョフ氏もサトゥリス氏もヘンダーソン氏も、その言葉の端々に、省エネ技術先進国としての日本に大きな期待をかけていることがうかがわれた。その期待は、産業第一主義をいまだ脱却することができず、景気てこ入れのために、国土破壊の公共事業を続けている日本の環境政策の貧困さを知っている私たちには、あまりにも大きすぎるように思えた。

 北川氏は、「環境問題を倫理の問題とするのではなく、環境重視がビジネス的にも有利であるというビジネス・モデルを日本で作り上げ、それを世界に発信していかなければならない」と述べたが同感である。

 以下は個人的感想――

 日本は、3氏から寄せられた期待に応える国にならなければならないであろう。かつて厳しい排ガス規制のマスキー法をクリアーしたことによって、日本車は世界を制した。現在も、燃費のよい日本製ハイブリッド・カーが人気である。車だけでなく、あらゆる面で環境適合的な技術のほうが有利になるように、社会のシステムを変更してゆくのである。日本が、国民一人一人が物質的にも精神的にも満たされた、真に環境調和型の経済と社会を実現することができたら、それは世界の模範となることができるであろう。

 そのためには、法律や税制の変更も必要である。それには既得権益集団の巨大な抵抗が起こると予想される。日本においてこそ、ゴルバチョフ氏のような明確な未来展望と強力なリーダーシップを持った政治家の登場が望まれる。

国際フォーラム・新しい文明を築く(4)

2005年11月19日 | Weblog
●メイン・フォーラム(午後)

〇西園寺裕夫理事長
 キーワードとしての4つのS。Sustainability(持続可能性)、Systems(システム)、Science(科学)、Spirituality(霊性)。

 Sustainability(持続可能性)とは、地球環境問題、地球の物質的側面、いわば(生命圏の問題も含まれるので言い方に語弊はあるが)ハードとしての地球を問題としている。

 Systems(システム)は、地球に生きる人類の政治、経済、社会などのあり方、いわばソフトの面を問題にしている。

 新しい文明の創造のためには、Science(科学)が重要な役割を演じる。今日までの科学が多大の益と同時に、多くの問題を生み出していることも事実。しかし、科学を一方的に否定しても問題解決にならない。新しい科学の必要性。

 これまでの科学は精神性、Spirituality(霊性)を排除してきた。しかし、心とモノは本来補い合うものであるはず。この両者の関係を明らかにすることが新しい科学に道を開くだろう。

 トーク・セッションを二つに分け、第1は「Sustainability(持続可能性)とSystems(システム)」、第2は「Science(科学)とSpirituality(霊性)」について、語り合っていただく。

 次に、地球環境問題に取り組んでいるローマ・クラブ(この行事の14の協賛団体の一つ)のメンバーである現ヨルダン国王のビデオ・メッセージの紹介。また、出席した約50カ国の大使(代理)と高円宮妃殿下も紹介された。そのあと、元ソ連大統領のゴルバチョフ氏の講演。

〇ゴルバチョフ氏の基調講演
・様々な提言がなされてきたが、世界は一向に変わっていない。なぜか? 政治が変わらなければ、世界は変わらない。しかし、現在の政治の世界には、平和な未来へ向かう明確なリーダーシップが欠如している。
・今年はペレストロイカ開始20周年である。ある講演会で「ペレストロイカは勝ったのか負けたのか」という質問を受けた。私は「ペレストロイカは勝った」と答えた。ペレストロイカは、2度の陰謀によって中断させられたが、世界を後戻りできない地点にまで推し進めた。20年という時間はペレストロイカの成果を総括するにはまだ早すぎる。
・21世紀の我々は「新思考」を必要としている。ケネディ米大統領は、彼の求める平和は、アメリカの利益になる平和ではない、すべての人々にとっての平和だ、と述べたが、我々はこのような平和を求めなければならない。

国際フォーラム・新しい文明を築く(3)

2005年11月16日 | Weblog
そのほかの午前中の講演:

〇ヘイゼル・ヘンダーソン(経済学者)
 経済はこれまでもっぱら勝つか負けるかという競争的・敵対的視点で語られてきた。そしてすべてが貨幣という数量に換算され、貨幣に換算できない自然という基盤、そして主として女性が家庭の中でになう「愛の経済」が無視されてきた。量ではなく、生活の質のほうが重要。世界で最も省エネ技術を進めている日本はその方向に動きつつあるのではないか。それをさらに推し進め、経済の脱物質化を目指すべきだ。

※ヘイゼル・ヘンダーソンさんは、経済を勝ち負けでとらえるのではなく、参加者みんなが得をする「Win-Winゲーム」にすることができる、と唱えた人です。
著書:『地球市民の条件―人類再生のためのパラダイム』(新評論)

〇ジェームズ・オーディー(ノエティック・サイエンス研究所)
 アインシュタインは宇宙はゼリー状の存在であり、一切が互いにつながっていることを明らかにした。人間の信念(belief)が決定的に重要である。

※ノエティック・サイエンス研究所というのは、もと宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルが設立した、人間の精神的力を科学的に研究するための組織。ミッチェルが月と地球の間でテレパシーの実験をしたことは、立花隆氏の『宇宙からの帰還』にも述べられています。

〇作文コンテストの受賞者の発表
 子供の部はモルドバのミハイ君、青年の部はバングラデシュのハックさんが受賞。

〇西園寺昌美
 作文コンテストで若者たちの高い意識を知り、地球の未来は大丈夫との意を強くした。今まで人類は、不幸の責任を他人に転嫁し、地球規模の問題の解決を国や国連などに期待してきたが、これからは個人の責任が問われる。他にすがる甘えを捨て、一人一人が利己的な生き方から利他的な生き方に転換し、人類全体の利益を考えて行動しなければならない。選択の基準を、個人の欲望ではなく、世界平和におかなければならない。すべては個人の意識改革から始まる。

国際フォーラム・新しい文明を築く(2)

2005年11月15日 | Weblog
その次に講演が続きました。

最初は、エリザベット・サトゥリス(進化論生物学者)でした。要旨――

・我々はどこから来て、どこへ行くのか、それを解明したくて生物学を学んだ。

・人類は常に世界に関する一定の物語(世界観)を前提にして生きている。かつての物語には神(々)や霊という存在がいたが、デカルト、ニュートンに端を発する近代科学は、霊的存在を追放して、すべてを偶然で説明するという新たな物語を創造した。

・マルサスは、人口増が世界の食糧不足を招くと予測し、「食うか食われるか」という物語を作った。ダーウィンの適者生存理論は、マルサスの人口論の影響を受けている。

・しかし、ポスト・ダーウィン(ダーウィン後)の進化論は、生命が競争的・敵対的であるばかりではなく、協力的・調和的であることも解明している。

・自然(生命)は、順調なときは保守的であるが、危機においては革新的である。それがDNAの進化を引き起こした。

・たとえば、地上の原初生命バクテリアが光合成によって酸素を大量に吐き出し、いわば環境汚染を引き起こしたとき、酸素を消費する新たな生命が誕生した。

・生命はDNAを地球的規模で交換するWorld Wide Webを形成した。

・サナギが蝶に変身するとき、サナギにとって蝶の免疫システムは異物として危険であるし、蝶にとってもサナギの免疫システムは危険である。しかし、両方のシステムがうまく共存することによって、サナギは蝶になることができる。

サトゥリスさんの講演は非常にわかりやすく、興味深いものでした。とくに、サナギと蝶の話は面白かった。現在はまさに、物質文明(サナギ)から霊文化(蝶)の移行期にあたり、その二つが混在しています。表面的に考えると、この両者は相反的で、一方は他方を否定することになります。しかし、両者を対立的にとらえるのではなく、両者を共存させつつ、巧みに物質文明を霊文化に移行させることこそ、人類に求められている叡智ということになるでしょう。個人のレベルでいえば、現実生活と霊的・宗教的生活を両立させつつ、個人人類同時成道を目指すということになります。

行事の後のパーティーでサトゥリスさんと少し話しましたが、

「私はこのような講演を大学でやりたいと思っているが、大学という世界は非常に硬直的で、いまだに古いダーウィン的パラダイムにとらわれていて、私を受け容れてくれない」

と言っていました。

サトゥリスさんの本はまだ邦訳されていないようですが、どこかの出版社が早く出してくれるといいですね。

国際フォーラム・新しい文明を築く(1)

2005年11月14日 | Weblog
11月12日に、国際フォーラム「新しい文明を築く」という行事が開かれました。

http://www.goipeace.or.jp/japanese/event/forum2005/index.htm 

色々と興味深いお話を聞くことができました。ここでは私の印象に残ったポイントのみを記しておきます。

行事は午前と午後の二つから構成されていました。

●プレ・フォーラム(午前)

〇アーヴィン・ラズロ博士とWorld Wisedom Council
 世界賢人会議というのはラズロ博士の集めたグループのようです。ラズロ博士とメンバーが登壇し、会議の成果を宣言として発表するとともに、メンバーが一言ずつスピーチしました。

 ラズロ博士は、「問題を作ったのと同じ発想では、その問題は解決できない」というアインシュタインの言葉を引用しつつ、人類の危機的問題を解決するためには、新しい発想、すなわち智慧が必要であることを説きました。

 メンバーの中でとくに印象に残ったのは、NPO法人「フューチャー500」の木内孝氏のお話でした。

 「先のスマトラ沖大地震のとき、ゾウや猿などの動物は事前に危機を察知して逃げ、一匹も死ななかった。また、震源地のすぐ近くのアンダマン諸島には、原始的な生活をしている人々がいるが、彼らも全員逃避した。ところが、文明化した人間だけが災害に巻き込まれて死んだ。今日の人類は生き残りの本能を失っているのではないか」

※ゾウは人間が聞くことができない超低周波を聞くことができ、それによってコミュニケーションしていることがわかっています。地震による超低周波を感知して、危険を知ったものと思われます。

 ラズロ博士は、
 「World Wisedom Councilとは、賢い人の集まりではなく、Wisedom(智慧)に献身している人々の集まりである。世界はカオス状態であるが、カオスはまたチャンスでもある。智慧に目覚める人がcritical mass(臨界質量)に達すれば、世界はよい方向に変化することも可能だ」

と結びました。

国連改革

2005年11月09日 | Weblog
11月3日の「市民国連創出フォーラム」では、以下のような宣言が出されました。

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市民国連創設宣言文

かつてないほど母なる地球の崩壊が加速しています。

人間の争いが、大規模な戦争を誘発し、人間の生活が地球環境を壊し、美しい惑星である地球は その輝きを失いつつあります。未来の主役である青少年達の瞳も、輝きを、失いつつあります。

今や、地球的規模での問題解決に取り組むことは急務の課題でありますが、各国政府は その山積する諸問題の解決を国連に依存し、国益に適わなければ国連に背を向けています。

先日、アナン事務総長に「国連は死んだ!」と嘆息せしめるほど、国連の組織までもが崩壊する危機に陥っています。

わたくしたちは、これまで多くの市民 NGO NPOと協働し、美しい地球、麗しい社会、子供達に夢を取り戻すために活動して参りました。

この活動の実績を共有し、「市民国連創設」として、さらにグローバルな視野から共同の活動方針を打ち出し、地球市民の一人、あるはグループとして、この問題の解決に向けて積極的に取り組んで行くことを、ここに 宣言するものであります。
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もちろん、こういう宣言を出したからといって、すぐに市民国連なるものができるわけではありませんが、市民国連は面白いアイデアだと思います。

この宣言にもあるように、現在の国連は明らかに機能不全におちいっています。各国とも、都合のいいときだけ国連を利用します。都合が悪ければ、国連を無視したり、常任理事国は拒否権を使います。その最たる例が、国際法違反のイラク攻撃に踏み切ったアメリカです。

国連(The United Nations)とは、第二次世界大戦中の「連合国」と同じ名称です。拒否権という特権をもつ五大常任理事国は、いずれも60年前の連合国の戦勝国であり、しかも核保有国です。つまり、現在の国連は、軍事力がある連中が、世界のあり方を独占的に決めることができる、というシステムです。

ロシアも中国も、ろくすっぽ国連分担金を支払うことなしに、特権だけ享受しているわけです。

こんな時代遅れの組織が21世紀の地球的規模の諸問題に対応できるわけがありません。

常任理事国の拒否権に縛りをかけようという試みが始まっています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051021k0000m030142000c.html
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国連安保理:「拒否権乱用」に歯止め 5カ国決議案提出へ

 【ニューヨーク高橋弘司】国連安保理で常任理事国が拒否権を行使した際、5日以内に国連総会にその理由を説明するよう求める決議案が近く、国連総会に提出される。スイスなど5カ国が準備を進めてきた。常任理事国の拒否権乱用をけん制するのが狙いで、米国など常任理事国の反発は必至。採択は濃厚とみられる。

 毎日新聞社が19日入手した決議案によると、「拒否権を行使した常任理事国は、決議案否決後、5業務日以内に、行使の理由を説明しなければならない」と定めている。パレスチナ紛争にからむ対イスラエル非難決議案などで米国がたびたび拒否権を行使。安保理の「機能まひ」が指摘されてきたことを踏まえたものだ。

 決議案はまた、「大量虐殺、人道に対する罪などに際し、常任理事国は拒否権を行使すべきでない」と規定。事実上の「拒否権制限」に踏み込んだ点で画期的といえる。

 さらに決議案は「常任理事国が反対票を投じた場合でも、宣言すれば、拒否権と見なさない」との規定も盛り込んだ。現在の国連憲章では、常任理事国が1カ国でも反対した場合、即座に否決となる。否決までは望まないものの、「反対」の意思を表示したい場合に適用される。

 スイス、シンガポール、ヨルダン、リヒテンシュタイン、コスタリカが今月中にも共同提案する見込み。総会の決議は安保理に対し拘束力を持たないが、多くの国がこの決議を支持した場合、拒否権を発動する常任理事国には、大きな圧力となる。

毎日新聞 2005年10月21日 3時00分
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NGOとNPO

2005年11月07日 | Weblog
11月3日に、東京で「市民国連創出フォーラム」という会合が開かれました。
http://www.heartful-net.org/1103/

これは、「未来構想フォーラム」の大脇さんという方が中心になって呼びかけ、環境問題や平和活動などに従事しているNGOとNPOが集まって開かれた行事です。
http://www.wmiraiforum.com

私は今年の3月31日に「未来構想フォーラム」の「文明と宗教を探る:イスラム教リーダーとの対話」という催しに出たことがあります。(この行事については、4月3日に書いています。)

今回は、地球の未来について真剣に考えている色々な方と知り合いになれて、とても有意義でした。

ところで、NGO(非政府組織)とNPO(非営利組織)はどう違うのでしょうか。基調講演をなさった茨城大学人文学部教授の杉下恒夫先生のお話によると、NGOとNPOは似たような組織で、NGOはNPOに含まれるといってもかまわないのだそうですが、しいて区別すれば以下のようになるとのことです。

NGO:貧しい国への開発援助を中心とした、プロフェッショナルで自己完結的な集団。

NPO:高齢化問題、文化財保護など、主に国内の活動に従事するプロフェッショナルな集団。

どこかで災害が起こった、さあ毛布や医療品を集めよう――それだけでは、その品は被災者に届きません。それを現地に運び、被災者に配るには、プロフェッショナルな組織と技能が必要となります。ただの善意だけでは、具体的な援助にはなりません。

そういう具体的な仕事であれば、国がやればいいではないか、と思うかもしれませんが、国の組織では、様々な規則に縛られて、なかなかきめの細かい即応的な対応ができません。

私たちの生活は、物理的にも広がり(海外との交流)、時間的にも広がって(平均寿命の延長)います。そういう拡大された生活空間を、国という硬直的な組織だけでは埋めることができないので、NGOやNPOが必要になってきた、という杉下先生のお話でした。

プロとしてNGOやNPOで仕事をするのはなかなかたいへんなようですが、若い人の中には、高い給料の大企業への就職を蹴って、あえて安月給のNGOやNPOに入る人もいるようです。人はパンのみにて生きるにあらず、なのでしょう。

別の仕事を持っている私はNGOやNPOのメンバーになることはできませんが、金銭面や精神面ではささやかな応援をすることはできます。

韓国産キムチにも寄生虫卵

2005年11月04日 | 食の安全
韓国産キムチにも寄生虫卵が付着していることが判明しました。日本も寄生虫卵の付着した韓国産キムチを輸入していたとのことです。

なぜ韓国産キムチに寄生虫卵が付着していたかというと、韓国は中国産のハクサイを輸入してキムチを製造していたからだそうです。何のことはない、中国は自分の国で「生産」した寄生虫卵を、キムチとして「逆輸入」していたわけです。

日本は、韓国産キムチも、中国産でありながら韓国ブランドのキムチも、中国からのハクサイも輸入しています。

寄生虫卵が付着しているからすぐにお腹の中に寄生虫が発生するとはかぎりませんが、気持ちのよいものではありません。

私は団塊世代ですが、小学校のころ、クラス全員が寄生虫を下す薬を飲まされた記憶があります。飲むと、世界がしばらく黄色く見えたものでした。今から考えると、やはり一種の毒物だったのでしょう。

今の時代、お金があれば何でも輸入できますが、食料を外国に頼るのは考えものだと思います。どんなに高くても、農産物はやはり国内で自給すべきだと思います。

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【ソウル堀山明子】韓国の食品医薬品安全庁は3日、韓国産キムチ502社の製品を検査した結果、3.2%にあたる16社の製品から寄生虫の卵を検出したと発表した。人体には影響がないとされるが、日本への輸出業者1社も含まれており、出荷時の検査を強化する方針だ。
 寄生虫の卵は白菜の栽培時に肥料で使った豚のふんなどに含まれたものが残留したとみられる。同庁は、卵が検出された16社の社名を公表し、内部検査を命じた。消費者に対しては、卵を食べてもすぐ体外に排出されるため人体に影響はないと強調、冷静に対応するよう呼びかけている。
 キムチをめぐっては、同庁が10月下旬、輸入された中国産キムチを検査した結果、9社製品に寄生虫の卵が検出されたと発表。一方、中国メディアも今月1日、韓国産キムチも5社で卵が検出されたと伝え、キムチの海外輸出量1、2位を争う中国と韓国の貿易摩擦に発展していた。
 韓国の潘基文(バンギムン)外交通商相は3日の国会答弁で、「中韓の貿易摩擦が否定的影響を及ぼさないよう努力している」と述べ、中韓の摩擦が輸出キムチのイメージダウンを招かないよう、対策を講じる姿勢を強調した。
(毎日新聞) - 11月4日1時33分更新

キムチ摩擦

2005年11月03日 | 食の安全
中韓の間で「キムチ摩擦」が起きています。

きっかけは、韓国が中国から輸入しているキムチに寄生虫の卵が見つかったことです。それ以前に、中国産キムチに高濃度の鉛が検出され、大きな問題になっていました。

韓国政府が中国産キムチへの検査を厳しくしたところ、今度は中国側も、韓国産キムチに寄生虫卵が見つかった、と発表しました。

韓国側の検査はおそらく正しいものと思われます。韓国は最近、かなりの量のキムチを中国に依存していて、中国産キムチの輸入が減れば、韓国も困るからです。

しかし、韓国産キムチに寄生虫卵が見つかったという中国側の発表は、真実なのか虚偽なのか、現在のところわかりません。これは、中国側の報復処置だと見られています。もし虚偽であれば、中国は、自国の利益のためであれば、平気で嘘をつく国だということになります。

韓国は、中国側の検査データを検証し、もし事実であれば、自国のキムチ製造体制を見直すことが必要ですし、もし虚偽であれば、自国の名誉のために、そのことを国際社会に発表すべきです。

日本政府は、中国には韓国キムチの検査結果を請求し、韓国には中国キムチの検査結果を要求すべきです。そして、日本も両国のキムチを検査し、問題あり、とわかった国からのキムチの輸入は禁止すべきです。キムチだけではなく、その国から輸入する食品全体を厳しく検査する必要があります。

以下の記事にもあるように、中国政府自身が、自国の食の安全には問題があると認めています。「エチゼンクラゲ」にも書きましたように、当面の間、中国産食品には注意したほうがよいでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051102-00000019-scn-int

【中国】食の安全:微生物汚染で大打撃「問題山積み」

 中国国家品質監督検験検疫総局(AQSIQ、質検総局)が、韓国産キムチ製品など10品目から寄生虫卵が検出されたとして、輸入停止と検査強化を発表。中国衛生部の陳嘯宏・副部長は1日の記者会見で、「食の安全は、養殖・栽培、加工、流通、調理などの過程で、問題が山積みだ」と発言した。1日付で人民日報が伝えた。

 会見に同席した同局・執行監督司の趙同剛・司長は、「微生物による汚染が食の安全にとって大きな脅威となっている」と発言。微生物汚染が食中毒被害に占める比重は、2003年には被害件数全体の26%だったが、04年には43.8%に上昇したことも明らかにした。

 さらに趙・司長は、「生産から調理までの全サイクルで、汚染も深刻だ」と強調した上で、「特に養殖・栽培の過程における農薬乱用・残留が問題」との認識を示した。

 趙・司長は、2000年から食品汚染を監視するネットワークを全国で展開していることも紹介した。これまでに、監視拠点を15の省レベル行政区画に設置しているが、07年をめどに31の省レベル行政区画に拡大する。(編集担当:菅原大輔・如月隼人)

(サーチナ・中国情報局) - 11月2日23時37分更新