『憂国』は、2・26事件に際して、武山信二という中尉が、反乱軍と鎮圧軍が「皇軍相撃」の事態になり、自分も友を殺さざるをえなくなることを潔しとせず、割腹自殺をとげる、という内容です。
しかし、この作品は2・26事件そのものを描いたものではなく、筋らしい筋もありません。武山とその新妻の交情場面と、武山の切腹の場面が生々しく描かれるだけです。
この武山には具体的なモデルがあります。2・26事件当時の新聞には、輜重兵中尉青島健吉が割腹自殺をし、その妻もまた後追い自殺をしたというが記事が出ました。また、岡沢謙吉という軍曹が、反乱軍の中に自分の恩師がいるので、心苦しく思い、拳銃自殺をした、という記事もありました(松本清張著『二・二六事件』)。三島はこの二人を合体させて、武山という人物像を創りあげたものと思われます。
三島はとくに青山の切腹に関心をもち、彼の検死をした医師に細かい状況を尋ね、それを作品中に利用していると言われています。切腹の場面描写が非常にリアルなのもそのためでしょう。この場面を読んで、私は気分が悪くなりました。こういう記述をする三島は、かなりマニアックな性格であると言えるでしょう。
2・26事件においては、反乱軍が帰順したことによって、実際には「皇軍相撃」という事態は起こりませんでした。そのことを知らず、事件収拾の前夜に割腹自殺した武山中尉は、ひたすら生きることを尊しとする人命尊重の立場から見れば、死を早まった愚か者ということになります。しかし、三島の評価はまったく逆です。
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『憂国』は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない。かつて私は、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と書いたことがあるが、この気持には今も変わりはない。(新潮文庫版・解説、昭和43年9月)
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三島は「エロスと大義との完全な融合と相乗作用」と書いていますが、「大義」の中には「死」も含まれています。
『憂国』は、エロスと死を融合させる三島美学の極致だと言えるでしょう。このような美学がどこから生じてきたのか――ここでは、それは三島自身の個性ということにしておきますが(その背後にはおそらく彼の特殊な生い立ち、とくに過干渉の祖母の存在があったと思いますが、ここではそこまで立ち入る余裕はありません)、彼はその美学を山本常朝の『葉隠』に見出しています。
しかし、この作品は2・26事件そのものを描いたものではなく、筋らしい筋もありません。武山とその新妻の交情場面と、武山の切腹の場面が生々しく描かれるだけです。
この武山には具体的なモデルがあります。2・26事件当時の新聞には、輜重兵中尉青島健吉が割腹自殺をし、その妻もまた後追い自殺をしたというが記事が出ました。また、岡沢謙吉という軍曹が、反乱軍の中に自分の恩師がいるので、心苦しく思い、拳銃自殺をした、という記事もありました(松本清張著『二・二六事件』)。三島はこの二人を合体させて、武山という人物像を創りあげたものと思われます。
三島はとくに青山の切腹に関心をもち、彼の検死をした医師に細かい状況を尋ね、それを作品中に利用していると言われています。切腹の場面描写が非常にリアルなのもそのためでしょう。この場面を読んで、私は気分が悪くなりました。こういう記述をする三島は、かなりマニアックな性格であると言えるでしょう。
2・26事件においては、反乱軍が帰順したことによって、実際には「皇軍相撃」という事態は起こりませんでした。そのことを知らず、事件収拾の前夜に割腹自殺した武山中尉は、ひたすら生きることを尊しとする人命尊重の立場から見れば、死を早まった愚か者ということになります。しかし、三島の評価はまったく逆です。
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『憂国』は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない。かつて私は、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と書いたことがあるが、この気持には今も変わりはない。(新潮文庫版・解説、昭和43年9月)
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三島は「エロスと大義との完全な融合と相乗作用」と書いていますが、「大義」の中には「死」も含まれています。
『憂国』は、エロスと死を融合させる三島美学の極致だと言えるでしょう。このような美学がどこから生じてきたのか――ここでは、それは三島自身の個性ということにしておきますが(その背後にはおそらく彼の特殊な生い立ち、とくに過干渉の祖母の存在があったと思いますが、ここではそこまで立ち入る余裕はありません)、彼はその美学を山本常朝の『葉隠』に見出しています。