平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

2005年2月の投稿

2005年02月28日 | Weblog
毎月の終わりに、その月の投稿をまとめておきます。
2005年2月の投稿――

1日  生命の水(2005年1月)
3日  スマトラ沖地震と祈り
4日  4億5000万人の祈り
7日  アトランティスの再浮上?
9日  鳥インフルエンザ
10日 クロイツフェルト・ヤコブ病
11日 ポスト・ハーベスト(1988年10月)
13日 コンビニ食品
14日 腐らない野菜
15日 板橋・村上対談「運命を開く人間学」
16日 祈りの治癒力(2003年8月)
17日 笑うかどには(2003年6月)
18日 京都会議(1998年2月)
19日 鎮守の森
20日 映画『インディゴ』
22日 天は晴れ晴れ
23日 遺伝子と因縁因果(1)
24日 皇太子様が引用された詩
25日 遺伝子と因縁因果(2)
27日 遺伝子と因縁因果(3)

遺伝子と因縁因果(3)

2005年02月27日 | Weblog
『岩波仏教辞典』は「因果」についてこう解説しています。

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原因と結果のこと。・・・すべての事象は原因があれば結果があるというのが、因果の道理である。・・・とくに、倫理的立場から人間のなす善・悪の行為について、善い行為(善因)には善い結果としての報い(善果)が、悪い行為(悪因)には悪い結果としての報い(悪果)が、因果の法則によって生じるという。
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原因結果は科学の考え方ですが、仏教的因果論は、それを物質的レベルからさらに倫理的・精神的次元にまで拡張しているわけです。それが善因善果、悪因悪果の因果応報論です。

それでは、なぜただの「因果」ではなく、「因縁」因果なのでしょうか。同じ辞典で「因縁」については以下のように解説されています。

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仏教では、因と縁、または因も縁も同じ意味(因即縁)ということで一つに結びつけたもの。広くは原因一般をさす。すなわち、すべては縁起している、つまり因縁によって生じている(因縁生)と説き、因縁は仏教思想の核心を示す語である。因(hetu)と縁(pratyaya)は、原始教典ではともに「原因」を意味する語であったが、のちに因を直接原因、縁を間接原因、あるいは因を原因、縁を条件とみなす見解が生じた。そこから、因と縁が結合して万物が成立することを「因縁和合」という。
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原因があっても、条件がないと、結果が生じない、ということです。

これは科学が扱う自然現象・物理現象の場合でも同じです。たとえば、水は100度Cで沸騰します。水の温度を100度まで高める熱量が原因、沸騰が結果と考えられます。しかし、原因と結果は直線的・一意的に結びついているわけではありません。よく知られているように、水が100度で沸騰するのは、1気圧という気圧のもとでです。気圧が低ければ、水は100度以下でも沸騰しますし、気圧が高ければ、100度以上にならないと沸騰しません。高い山の上ではご飯がうまく炊けないのも、圧力釜でご飯がおいしく炊けるのも、気圧の関係です。

同じ熱量を与えても、同じ量の水が沸騰する場合もあれば、沸騰しない場合もあるのです。この場合、気圧が条件ということになるでしょう。

原因と結果を媒介する条件の数は、理論的には0から無限大まで考えられます。上の例では、条件の数は1です(気圧)。私は科学に詳しくないので、ほかにも条件があるのかもしれませんが、ご存じの方はお教え下さい。

先の例では、熱を原因、気圧を条件、沸騰を結果と考えました。しかし、水を密閉した容器に入れて、中の気圧をどんどん下げていけば、とくに熱を加えなくても水が沸騰するはずです。この場合は気圧変化が沸騰の原因ということになります。

ですから、直接原因、間接原因(条件)といっても相対的なものであることがわかります。

いわゆる機械的因果関係というのは、条件の数がきわめて少ない時にのみ成立するものです。そして、条件を固定することによって、原因・結果の関係を解明しようとしたのが、近代の自然科学でした。

物質の領域では、この方法は大成功をおさめました。そして、それを応用したのが科学技術ですが、これも一応、大成功をおさめました。そこから、世界の運行はすべて原因・結果で定まっているという機械論的宇宙観、いわゆる「ラプラスの魔」という考え方が生まれてきました。

遺伝子と因縁因果(2)

2005年02月25日 | Weblog
遺伝子そのものは変えることはできません。たとえば、男が女になったり、犬が猫になったりすることはできません。トマトの種からはキュウリは生えません。先天的な遺伝病も、遺伝子そのものを治療しないかぎりは、治すことはできません。『イエスの遺伝子』は、遺伝子を入れ替えることによって不治の病を治療しようというフィクションです。

しかし、遺伝子を変えなくても、遺伝子のオン/オフで相当なことができる可能性があります。100%ガンを引き起こすような遺伝子以外は、多くのガン遺伝子は、物理的、化学的、精神的な環境をととのえることによって発現にいたらせないですみます。また逆に、眠っていた素晴らしい遺伝子を目覚めさせれば、体力が増強したり新しい能力が出てくることも可能でしょう。

宗教の世界では時々、奇跡的な治癒、いわゆる「神癒」と呼ばれるものが起こります。医者によって見放されるほどの重病になって、余命あと幾ばくもない、という時に、心境が変化したり、見神したり、太陽と一体になったりという体験によって、突然、病気から立ち直ってしまいます。たとえば、黒住教の教祖・黒住宗忠がそうです。私の父も、最初のガンの手術のあと、大きな精神的変化を経験して、ガンから立ち直りました。これなどは、精神的刺激によって、眠っていた遺伝子が突然オンになった結果だと思われます。

そうすると、人間の体質や才能は、遺伝子によって大まかなところは決まっているが、それをある程度、後天的に変えることもできる、ということになります。天性の素晴らしい才能や素質に恵まれている人がいますが、そういう人でも、努力や精進をしなければ、その素質を真に生かすことはできません。逆に、生まれつきの素質はそれほどでもなくても、努力によって素晴らしい成果に到達する人もいます。

このこと自体は、とくに目新しいことではありません。世間一般で観察されるごく常識的なことです。そういう常識的なことが、遺伝子レベルで起こっているということが面白いことです。

遺伝子と後天的な環境の関係は、実は仏教の因縁因果という考え方と、とてもよく似ています。(続く)

皇太子様が引用された詩

2005年02月24日 | Weblog
皇太子様の誕生日の記者会見から

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 愛子の養育方針ですが、愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、一人の人間として立派に育ってほしいと願っております。3歳という年齢は、今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前の通り、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには私たちが愛情をこめて、育ててあげることが大切です。つい最近ある詩に出会いました。それはドロシー・ロー・ノルトというアメリカの家庭教育学者のつくった「子ども」という詩で、スウェーデンの中学校の社会科の教科書に収録されております。

 批判ばかりされた子供は、非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは、物を言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心の持ち主となる

 しかし激励を受けた子どもは、自信をおぼえる

 寛容に出会った子どもは忍耐をおぼえる

 賞賛を受けた子どもは、評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる

 友情を知る子どもは、親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる

 かわいがられ、抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる

 子供を持ってつくづく感じますが、この詩は人と人との結びつきの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど、今の社会でともすれば忘れられがちな、しかし子供の成長過程で、とても大切な要素を見事に表現していると思います。非常にこの詩には、私は感銘を受けました。家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって、このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております。
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引用されている詩は、ドロシー・ロー・ノルト『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP文庫)にあるそうです。

遺伝子と因縁因果(1)

2005年02月23日 | Weblog
「笑うかどには」で「すずきさん」と遺伝子のことについて色々と話し合いました。詳しくは、2月17日の投稿と、コメントをご覧下さい。その時、以下のことを考えました。

前世紀の科学上の最大の業績の一つは、言うまでもなく遺伝子の発見です。生命が遺伝子の暗号によって操られているということは、今日の常識です。

遺伝子のことが広く知られるようになるにつれて、一時、「遺伝子決定論」ともいうべき観念が生まれました。人間の体質、才能、健康や病気などは、すべて遺伝子によって決定されている、という考え方です。

遺伝子が人間の体質に、大きな影響を与えていることは事実です。たとえば、男女の性差は遺伝子(染色体)の違いです。日本人の髪が黒い直毛で、瞳が暗色で、皮膚が黒でも白でも赤でもないのは、遺伝子による性質です。日本人の金髪や茶髪は、遺伝子の突然変異か、それ以外の人工的操作によってしか生じません。

しかし、村上先生の『遺伝子オンで生きる』(サンマーク出版)によると、現代の遺伝子研究は、遺伝子決定論は一面的であることを示しつつあります。

遺伝子は親から与えられたもので、遺伝子自体は生涯不変です。しかし、遺伝子の働きは、日々ダイナミックに変化しているのです。様々な遺伝子がオンになったりオフになったりしながら、必要な(あるいは場合によっては不必要な)タンパク質をつくり出しています。

「遺伝子がオン/オフ機能をもっていることは、もはや明白な事実です。そして、このオン/オフ機能は、けっして一生固定されているものではなく、物理的刺激、化学的刺激、精神的刺激によって、変化することがわかってきたのです」と村上先生は書いています(22頁)。

私の両親は2人ともガンで死んでいます。父は47歳の時に胃ガンになり、70歳過ぎに大腸ガンになりました。母はやはり胃ガンで67歳で死んでいます。私がガンの遺伝子を相当大量にもっていることは確実です。

遺伝子決定論の情報に接したとき、私は嫌な気がしましたが、何となく「自分はガンにはならない」という想いが湧いてきました。それは、私が日々世界平和の祈りを祈り、神との一体化に努めているところから自然に湧いてきた想いであると思います。

村上先生の遺伝子のオン/オフ機能を知り、この想いには科学的根拠があることが分かりました。たとえガン遺伝子を持っていても、物理的、化学的、精神的な環境をととのえれば、その遺伝子はオフのままだからです。具体的には、野菜を中心にした食事、適度な運動と睡眠、そして何よりも平安で明るい心の状態――そういう生活を続けていれば、ガン遺伝子は発現しないはずです。

私は特別そうした生活に自分を律しているわけではありませんが、自然にそういう生き方になっています。私は、父が最初に発病した年齢をすでに10歳ほど超えましたが、いまだにガンの気配はまったくなく、健康そのものです。

よく喫煙がガンの原因か否かということが議論されます。統計的には、喫煙者はたしかに肺ガンになる比率が高まります。しかし、喫煙はガンの原因ではない、と主張する人たちもいます。そういう人たちは、自分も含めて、ガンにならないヘビー・スモーカーがいることを例としてあげます。私の知人にも、いくらタバコを吸っても肺ガンにならない人がいます。

こういう人はおそらく肺ガンの遺伝子を持っていないのでしょう。ですから、どんなにタバコを吸ってもガンになりようがないのです。

しかし、多くの人びとはガンの遺伝子を持っていて、それがタバコという化学的刺激によってオンになるものと思われます。ですから、大部分の人類はタバコをひかえた方が賢明なわけですし、ガン遺伝子を持っていない人も、自分の喫煙で他人に迷惑をかけてはいけないわけです。(続く)

天は晴れ晴れ

2005年02月22日 | Weblog
秋田県のKさんは今年すでに90歳を超える方です。2年前にお会いしたときはとてもお元気でしたが、昨年、体調を崩され、手術を受けました。この度、無事退院なさり、快気祝いのお手紙をいただきました。その中に手術中の素晴らしい体験が書かれていましたので、ここに紹介させていただきます。

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手術台に乗せられたとき、目の前に墨痕鮮やかに、次の七つの言葉が見えました。

(1)天は晴れ晴れとしている。天の心は鮮やかに明るい光明世界である。

(2)天にいのちがあり、永遠の生命である。人間はそのいのちを受けてこの世に誕生した天の子である。

(3)天の心は人間の本心である。人間は、心が無ければ生死もない。心が生命であり真理であり力である。

(4)天は森羅万象生々発展をつづけている。人間は万物の霊長である。

(5)天は無限なるエネルギーであり、無限供給である。

(6)肉体に依存していては真実は得られない。肉体はいのちの器であり場である。

(7)実相の世界は大調和・愛・光明遍照の世界である。平和の祈りは天の御心である。平和であれ 祈れ 祈りましょう 祈ります。世界人類が平和でありますように。

手術室に運ばれていざ手術となったら、正面から言葉がおりてきて、その受け答えで手術は終わった。・・・私は素直になり、謙虚になって、夢と希望と感謝と感激の中に、ほんとうにそうだ、ほんとうにそうです。私はこれからこの七つの項目をいっぱからげにだきしめて、真実の人生の本番を歩むのだ、と声高らかに叫んだ。途端に、ハイ手術終わりました、と生の声が聞こえて、現実の我に帰った。
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Kさんにはぜひとも100歳を超えるまで元気に生きていただきたいものです。

映画『インディゴ』

2005年02月20日 | 最近読んだ本や雑誌から
「すぴこん」(スピリチュアル・コンベンション)という行事の中で上映された映画『インディゴ』を観ました。これはインディゴ・チャイルドに関する物語です。ストーリー的にもなかなか面白い映画でした。

インディゴ・チルドレンについてのホームページは以下のように述べています。

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1999年 アメリカで「インディゴ・チルドレン ~ 新しい子どもたちの登場」という本が出版されました。(日本語版2001年刊 ナチュラルスピリット 03ー5410ー7731)
インディゴチルドレンとは「新しく風変わりな精神的特質をもち、 これまで公には記録されたことのない行動パタ-ンを示す子どもたち」のことで、 「直感的な理解力に富んでいて、自分なりの価値観をひそかに宿している、 型破りでル-ルに従わない」特質を持っているといいます。
彼らはまさしく「新しい種類の子どもたち」で、新しい時代のリ-ダ-的存在 だというのです。
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「インディゴ」は日本語では「藍色」です。このような子供たちがインディゴと呼ばれるのは、そのオーラの色のためです。

この言葉を作ったアメリカの超心理学者ナンシー・アン・タッぺは人間のオーラを見ることができるそうですが、近年、インディゴのオーラの子供たちが多く生まれているそうです。別のホームページはこう述べています。

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ドリーン・ヴァ―チュは、古いエネルギーのもとに築かれた私達の社会は、インディゴの子供達の才能を押さえつけてしまっているといいます。学習障害児やADHD(注意欠陥多動性障害)とういレッテルを貼られている子も沢山いると。確かにインディゴの子供達は賢く、実際どこかしらの分野で高いIQの持ち主が多いにも関わらず、創造性が完全に抑圧されているのです。
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こういう子供たちは、現在の社会システムにうまく適合できず、問題児、困った子供と見られることもあります。

この映画の主人公の女の子グレースは、たしかにインディゴの一人なのですが、特殊なインディゴです。

グレースは問題児というよりも、超能力者です。彼女は、ウェブ(霊的な網)を通じて、他のインディゴとコミュニケーションを取っています。彼女は、人の心を読み取り、未来を予知し、病人を癒やします。彼女はその素晴らしい英知によって大人を救い導きます。

彼女はイエス・キリストの子供版とも言える存在です。

この映画は、『神との対話』の著者ニール・ドナルド・ウォルシュと、平和の歌手ジェームズ・トワイマンによって共同で制作されました。トワイマンの本『愛の使者 トーマスからのメッセージ』(ナチュラルスピリット)や『愛と光の使者 オズの子供たち』(徳間書店)に、まさにこういう子供たちが登場します。

トワイマンはそこでは「サイキック・チルドレン」という言葉を使っていますが、グレースは「サイキック・チャイルド」と呼んだほうが適切です。

しかし、こういう超能力に目覚めた子供たちが本当にいるのでしょうか? トワイマンの本はフィクションではないのか? 常識的な大人はまずこう尋ねるでしょう。

私は個人的にはグレースのようなサイキック・チャイルドに直接会ったことはありませんが、そういう子供が存在する可能性は否定しません。

というのは、私の子供(娘)に、多少インディゴ的、サイキック的な気配が感じられたからです。それがもっと進めば、グレースのようになっていたでしょう。

娘が子供のとき、友だち(男の子)が我が家に遊びに来て、「Mちゃん(私の娘)のおうちはすごいね。あっちにもこっちにもいっぱい神様がいるんだね」とあちこち指さしたそうです。その子の母親は、「この子は時々変なことを言うのよ」と笑っていたそうです。(妻から聞いた話です)

その男の子もまさにサイキック・チャイルドだったのでしょう。でも、親がそれを「変な子」として否定していれば、その子は今ではきっと普通の子になっているでしょう(今は遠くに引っ越しました)。

世間の親御さんは、自分のお子さんが、天使が見える、妖精がいる、神様が話している、などと、大人の常識では理解しがたいことをしゃべっても、いちがいに否定したり、精神異常視したりしないでほしいものです。

この映画が、インディゴ・チルドレンやサイキック・チルドレンの存在を知らしめる一助になれば有意義なことです。

日本ではこの映画は「リメンバーワン」という団体によって自主上映されています。

鎮守の森

2005年02月19日 | Weblog
面白いニュースがありました。

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CO2吸収蓄積量 鎮守の森は3倍 都内で調査

 東京都内各地の神社にある「鎮守の森」が日本の平均的な森林より三倍以上も二酸化炭素(CO2)を蓄積していることが、国学院大の学生らの調査で分かった。
 鎮守の森は古来受け継がれたところが多く、スギなどの植林が進んだ一般的な森林に比べ、シイやクスノキなど二酸化炭素の吸収量が大きい広葉樹が多い。同大経済学部の大崎正治教授は「手入れが行き届いて、日光がよくあたることも吸収量が多い一因」と分析している。
 調査は平成十二年から大崎教授のゼミ生を中心に実施。東京二十三区の神社七百九十七社中、五十九社の調査結果が昨年末、まとまった。
 一平方メートル当たりの炭素蓄積量は日本の森林が〇・〇〇四九トンなのに対し、神社は〇・〇一六二トンと三・三倍にのぼった。同面積における樹木の体積(材積量)も二・八倍と神社の方が大きかった。
 調査・分析にかかわった神社本庁教学課の葦津敬之課長は「日本人は古来、自然の中に神をみていた。二酸化炭素の排出削減は技術的な側面が強調されるが、精神的基盤としても森を守ることは大切」と話している。
(産経新聞) - 2月18日3時5分更新
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私は首都圏のJRの駅から徒歩で25分ほどのところに住んでいます。途中に小さい公園があり、50本ほどの樹木がはえています。

真夏に駅から歩いてきて公園に入ると、夜でも周囲より温度が低いのが体感できます。

コンクリートやアスファルトは日中は直射日光から熱を吸収し、夜になると放熱するので、大都会は熱帯夜になり、エアコンなしには生活できなくなりますが、それがまた廃熱をつくり出し、ますますヒートアイランド化を進めます。

都会の森林は、CO2を多く吸収するばかりではなく、エアコンの使用を抑えることによっても、二酸化炭素の削減に貢献できるわけです。

京都会議(1998年2月)

2005年02月18日 | バックナンバー
2月16日に京都議定書が発効したので――

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京都会議(1998年2月)

 昨年(1997年)十二月の地球温暖化防止のための京都会議で、日本は二酸化炭素の排出量を、一九九〇年に比べて六%削減することを義務づけられた。EUは八%、アメリカは七%の削減である。日本が最も少ない削減率であるが、三地域の中では、日本の数字がいちばん厳しいと言われている。

 EUの八%というのはEU全体での平均で、各国ごとの削減率はまちまちである。最初、EU各国が削減すべき量を持ち寄って計算したところ、十五%という数字が出た。このように大きな数字が出たのは、なんといっても旧東ドイツの削減分が大きい。基準になる一九九〇年というと東西ドイツ統一の年であるが、東ドイツには膨大な二酸化炭素を吐き出す非効率な工場がまだたくさんあった。古い工場を閉鎖したり近代化するだけで、ドイツは自然に大量の炭酸ガスの削減ができるのである。

 アメリカは最初〇%を主張していた。それを七%にしたのだから、大幅な譲歩のように見えるが、アメリカは二酸化炭素の排出権の売買を認めさせた。隣国メキシコの排出分を買うことができるのである。したがって、金さえ払えば、今まで通りの生活や経済を続けることができる。

 これに対して、日本は自動車や電気製品の省エネ技術ですでに世界のトップレベルにあるから、これからさらに六%削減するのは非常に厳しいのだと言われている。会議の議長国である日本は、米欧に足元を見られ、一国だけ過酷な削減義務を背負わされたわけである。交渉下手な日本は、欧米にうまくトランプのババを押しつけられたようなものである。

 とはいえ、欧米のずるさや日本政府の拙劣さに腹を立てても仕方がない。この厳しい数字をチャンスとして生かさない手はない。日本は省エネ技術が進んでいるとはいうが、日本人の生活は決して省エネ型ではない。テレビやラジオの深夜放送や、二四時間営業のコンビニや自動販売機など、今日の生活にはあまりにも無駄と浪費が多すぎるのではなかろうか。

 これまで日本人は、経済発展と物質的豊かさの増大を自分たちの生きる目的としてきたが、「もっともっと」という物質的欲望の拡大的充足は、環境問題によってはっきりと枠がはめられた。欲望の充足が生きる目標になりえなくなったときに、人びとは何を人生の目標とし、幸福としたらよいのだろう。環境問題は、人間にとって真の豊かさとは何か、真の幸福とは何か、ということを考え直すよい機会を与えてくれたことになる。

 幸福とは最終的に、自分の心の中に感謝と喜びがわき上がることであろう。物質的にどんなに豊かになっても、心が満たされなければ幸福ではない。この機会に私たちは、外面にばかりではなく、自分たちの内面に、もっと心の眼を向ける必要があるのではないだろうか。
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日本は1990年当時に比較して、二酸化炭素排出量が8%増加しています。ということは、これから14%も減らさなければならないということで、たいへんなことです。

議定書の制定から発効まで7年もかかったことが残念ですが、アメリカが議定書から離脱したことにはあきれます。アメリカだけで世界のCO2の1/4を排出しています。

さらに、世界の13%の中国、日本の5%に次ぐ4%のインドが、開発途上国という理由で、削減義務から免除されています。

世界各国の二酸化炭素排出量

このままでは、京都議定書が発効しても、世界全体の二酸化炭素の削減にはつながらないでしょう。

しかし、他国がやらないから日本も努力する必要はないのだ、ということにはなりません。日本の役割は、二酸化炭素の削減と国民の幸福が両立しうるというモデルを世界に示すことにあると思います。そういう日本の行き方は、やがて世界中のあこがれの的になるでしょう。

かつてアメリカでマスキー法という、自動車の排ガスを規制する法律が作られたとき、当初、日本の自動車メーカーは厳しすぎるといって悲鳴を上げましたが、結局、マスキー法をクリアーする自動車を開発し、その結果、燃費がよく有害排ガスも少ない日本車の性能が世界的に認められました。

これは自動車産業だけのことでしたが、これからは日本全体として二酸化炭素の削減に取り組む必要があります。そのためには、個々の産業分野での省エネ努力だけでは不十分で、日本人全体の意識の変革と日本の社会システム全般の変更が必要とされるでしょう。

参考:京都議定書は日本のチャンス

笑うかどには(2003年6月)

2005年02月17日 | バックナンバー
村上和雄先生の遺伝子に関する過去の平和エッセイ――

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笑うかどには(2003年6月)

 週間誌『アエラ』四月二一日号に、「笑いで目覚める幸福の遺伝子」という興味深い記事が出ていた。

 全国の医師や心理学者らで作る「心と遺伝子研究会」が、糖尿病患者の食事のあとの血糖値の変化を調べた。最初の日は、食事後に糖尿病に関する堅苦しい講義を四五分間聞かせた。次の日には、愉快な漫才を同じ時間聞かせた。両日の血糖値を調べると、漫才を聞かせたほうが、血糖値の上がり方がはるかに少なかった。

 昔から「笑うかどには福来たる」と言われ、笑いが人生を明るくすると考えられていたが、この実験は、笑いが健康状態によい影響を与えることを科学的に証明したと言える。

 笑いによって、なぜこのような変化が生じるのだろうか。研究会代表の村上和雄・筑波大学名誉教授は、「笑いが、血糖値を下げる遺伝子を目覚めさせた」と見る。

 生物はすべて細胞から構成されているが、一つひとつの細胞には同じ全遺伝子情報が含まれている。ただし、各細胞でその遺伝子がすべて働いているわけではない。必要な遺伝子情報のみが使われ、その他の多くの遺伝子は特殊なタンパクで封印され、ふだんは眠っている。たとえば、心臓の細胞では心臓の遺伝子機能だけがオンになり、その他の機能はオフになっている。心臓細胞で髪の毛の遺伝子機能がオンになると、心臓に毛が生えてしまう。そういうことが起こらないように、心臓細胞では毛の機能はオフになっている。糖尿病患者の場合、血糖値調整の遺伝子が不活性なのかもしれない。それが目覚めれば、糖尿病も改善されるはずだ。

 「心と遺伝子研究会」の実験は、笑いという心理作用が、細胞の中でそれまで眠っていた血糖値を下げる遺伝子機能を目覚めさせたことを示している。つまり心の持ち方が遺伝子のオン・オフに影響を与えたことになる。

 笑いが遺伝子のオン・オフに影響するならば、感謝、喜び、希望なども影響するに違いない、逆に、悲しみ、怒り、不安など、否定的な心理状態も遺伝子のオン・オフに影響するに違いない。「病は気から」というように、否定的な感情が体に悪影響を与えることが昔から知られていたが、それには科学的な根拠があったわけである。

 そうすると、健康な生活を送ろうと思えば、食事や運動や休息もさることながら、ふだんの心の持ち方も大切ということになる。私たちは、否定的な感情想念が起こったら、それをいち早く消滅させ、感謝や希望などの明るい心に転換させる必要がある。それをもっとも容易に行なえる方法が、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」であり、光明思想徹底行ということになる。
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最近の朝日新聞の記事によると、介護の分野で「お笑いヘルパー」が養成されるそうです。

祈りの治癒力(2003年8月)

2005年02月16日 | バックナンバー
昨日の対談「運命を開く人間学」で村上先生が触れている、祈りによる治療に関連する平和エッセイ――

祈りの治癒力(2003年8月)

 祈りによって病気が治った、などと言うと、新興宗教のおかげ話にしか聞こえないかもしれない。しかし、一部の医学者たちは、祈りと治病の関係を科学的に調べ始めている。

 祈りが治病に及ぼす影響についてよく知られているのは、アメリカの心臓学者のランドルフ・バード氏の研究である。氏は、サンフランシスコ総合病院の冠動脈科病棟に入院した患者三九三人を、人々の祈りを受けるグループと受けないグループに分けた。患者に祈りを送るために、キリスト教会の信徒が選ばれた。彼らは自分が担当する患者に定期的に祈りを捧げたが、患者と面識はなかった。どの患者がどちらのグループに入っているかは、患者本人をはじめ、医師、看護婦にも知らされなかった。心理的な影響を避けるためである。祈り以外は、両方の患者は通常の医学的治療を受けた。その結果は、祈りを受けた患者グループは、祈りを受けなかった患者グループよりも、抗生物質の投与量が五分の一になり、肺浮腫を併発する率は三分の一になったという。明らかに、祈りを受けた患者のほうが、より健康的になったわけである。

 祈りと治病の関係について数多くの実験を調査したラリー・ドッシー博士は、「祈りの効き目を実験が証明できるかできないかという問いは意味を持たなくなってしまったといっていい。なぜなら、もうすでに実験は祈りの効果を証明してしまったからである」と述べている(『祈る心は、治る力』日本教文社)。

 では、祈りがなぜ治病に効果があるのだろうか? そのメカニズムは現代科学ではまだ謎である。祈りは一種の念ということになろうが、現代科学は念力の存在を認めていない。しかし、科学的メカニズムはわからなくても、祈りが患者によい影響を与えるということは、多くの実験結果から事実として認めざるをえないのである。

 ドッシー博士は、祈りが医学の代わりになる、とか、祈りですべての病気が治る、などとは言っていない。しかし、通常の治療と祈りを「併用」してはなぜいけないのか、祈りに効果がある以上、医師は積極的に祈るべきではないか、と問うている。

 医師が病気を単に肉体の故障と見れば、患者に対する態度が即物的になり、患者は人間として尊重されていると感じることが少なくなるだろう。逆に医師が祈り心で患者に接すれば、患者はそこに温かなものを感じるであろう。医師の祈りは、面識のない人の祈りよりも、もっと効くかもしれない。さらに、患者本人が祈ったり瞑想したりすることは、脳波中のα波を増強し、心の安定度を高め、肉体によい影響を与えることが知られている。祈りの治癒力は、今後、現代医学のホットな話題となるであろう。

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なお、こちらにも村上先生の別の対談が出ています。生長の家の「光の泉」という雑誌だそうです。

板橋・村上対談「運命を開く人間学」

2005年02月15日 | 最近読んだ本や雑誌から
月刊『致知』2005年3月号より
板橋興宗(御誕生寺住職)・村上和雄(筑波大学名誉教授)対談「運命を開く人間学」の一部紹介

板橋 昔から、病は気からといわれてきましたが、俺は治るんだ、という思いが遺伝子の仕組みにまで影響を及ぼすことが科学的に証明されると、人間は本当に勇気づけられますね。

村上 この説が本当に証明されれば、人間の考え方も、ガラリと変わると思うんです。これまで宗教家が言ってきたことが、科学で実証されることになりますからね。
 最近アメリカで、祈りの科学という研究が始まりました。たとえば西海岸にいる患者さんを、二つのグループに分けて、片方のグループには、東海岸の人が回復するように祈るんです。祈られていることは、患者にも、実験に当たる医療スタッフにも一切知らされず、そのプロジェクトのトップしか知らない。二つのグループの治り具合を調べるんです。

板橋 興味深い実験ですな。それで、結果は。

村上 祈られているグループのほうが、治りが早いというデータが出ました。その理由はまだ分からないけれども、事実として治り方に差が出た。いままでの科学ではまったく説明できないことです。


腐らない野菜

2005年02月14日 | 食の安全
コンビニやスーパーは激しい価格競争をしています。コストを引き下げるため、食材の多くは安い輸入品ということになります。

郡司氏の同じ記事の中に、次のようなエピソードが書かれています。

つくば山麓で農業を営んでいる友人の方が、スーパーから、売れ残りの輸入野菜を肥料として利用するように依頼されたそうです。そこで、堆肥にするために穴の中に野菜を入れたのですが、通常の発酵の日数になってもなかなか発酵しなかったそうです。

郡司氏は、それはポストハーベストの残留農薬のせいではないか、と推測しています。

ポストハーベストは、輸送中に食材が腐らないようにするために用いられる農薬ですから、ポストハーベストをほどこされた野菜は、捨てられたあとでも腐りづらくなるでしょう。

しばらく前に、中国から輸入した野菜に、高濃度の農薬が検出されたことがありました。

日本の野菜・果物にも大量の農薬が使われています。しかし、ポストハーベストまでは使われていないでしょう。

食べ物は、命のもとであり、金儲けのための商品ではありません。命とお金のどちらが大切か、言うまでもありません。すべてをお金に換算し、安ければいい、もうかればいい、というのでは、価値観が狂っていると言わざるをえません。昨日のコメント欄ですずきさんも書いていましたが、食にかかわる人びとには高い「モラル」が必要とされます。

コンビニ食品

2005年02月13日 | 食の安全
食べ物の話題の続きです。

私の妻が『健康ファミリー』(文理書院)2005年1月号の記事を見せてくれました。それは、フリージャーナリスト郡司和夫氏の「コンビニ食品で豚に出産異常?」という記事です。

それによりますと、北九州地方の養豚家が売れ残りのコンビニ食品をエサとして豚に与えたところ、しばらくして豚がぶくぶくと太りはじめ、25頭の母豚に、死産や奇形などの出産異常が起こったということです。

インターネットで検索したところ、これは2004年3月の西日本新聞の記事がもとになっているようです。

この記事でも示唆されているように、豚の出産異常の原因は、コンビニ食品の(1)栄養のアンバランス、(2)濃い味付け(塩分過多)、(3)食品添加物、の3つが考えられます。豚はこういうコンビニ食品を毎日食べているうちにおかしくなってしまったわけです。

豚に起こったことは、当然人間にも起こりうる可能性があります。こういうコンビニ食品を毎日のように食べている人もいるのではないでしょうか。

3つの原因のうちでいちばん不気味なのは食品添加物です。郡司氏はこう書いています。

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 最近は「合成保存料、着色料、化学調味料無使用」を前面に打ち出したコンビニ食品が目立つようになっている。
 しかし、コンビニ弁当などは、夏場の炎天下に1日置いていても腐らないような"仕様"になっている。PH調整剤をふんだんに使ったり、キャリーオーバーを利用して添加物の使用を隠すなどの工夫をしているのである。
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たとえば、スライスされたゆで卵は、黄身と白身を別々に作り、それを金太郎飴式に成形するのだそうで、その作業には保存剤や乳化剤が必要とのことです。

そもそも食べ物が長時間、腐らないということ自体が不自然です。

さらに、弁当の食材を詰め分けるときに使う塩化ビニル製の手袋には数十%のフタル酸エステルという可塑剤(ビニルを柔らかくする物質)が含まれていて、環境ホルモンの疑いがあるこの物質が食品中に混入することが判明しています。
http://www.id.yamagata-u.ac.jp/EPC/11wadai/wadai01.html#1043

1食ごとでは微量でも、長期間にわたる摂取で人工的添加物が人体に蓄積されていったとき、なんらかの異常を引き起こさないとは言えません。便利・手軽を追い求めるあまり、現代日本の食は恐ろしいものになりつつあるのかもしれません。


ポスト・ハーベスト(1988年10月)

2005年02月11日 | 食の安全
食べ物の話題を続けます。もう20年近く前の平和エッセイ(1988年10月)ですが、今でもそのまま通用するのが残念です――

 日本では、国民が口にする食料の半分近くがすでに輸入品になっている。その上、最近の農産物の自由化の圧力によって、近い将来、輸入食料品の比率がますます増加することが予想される。米ですらもはや聖域ではない、などと言われている。日本の農家はもちろん農産物の輸入自由化に反対であるが、貿易の自由化は世界経済の阻止できない流れである。また、安くておいしい食料品が輸入されることを歓迎する人たちも少なくはない。しかし、これには賛成ばかりはしていられない問題もある。その一つがポスト・ハーベストの問題である。

これは聞きなれない言葉であるが、正確にいうと、ポスト・ハーベスト・アプリケーションの略で、ハーベスト、つまり収穫のあとで作物に施される薬品処理のことである。たとえば、アメリカから日本へオレンジやレモンなどを船で輸送すると約二週間かかるが、普通ではその間に果物は当然すべて腐敗する。それを腐らせないために、収穫された作物に、腐敗防止のための薬品がかけられる。この薬品が日本ではその使用が認められていない農薬で、しかもかなりの高濃度である。それでも、日本到着時には約二割が腐敗するという。

 ところがアメリカでは、自国内向けの作物にはこのポスト・ハーベスト薬品の使用は禁止されている、というからあきれる。自分の国では危険だから使用しないが、金さえもうかるのであれば、他国民の健康などどうなってもかまわない、というのであろうか。日本の政府や報道機関はこのような実情を国民に明確に知らせ、消費者はこのことをよくわきまえた上で、輸入食料品を口にするか否か選択すべきであろう。

 自分さえ得すれば、他人や他国がどうなってもかまわない、という発想は、今日の世界の風潮になっているようである。アメリカではタバコの有害性が認められて、テレビなどでのタバコのコマーシャルがきびしく制限されているのに、アメリカのタバコ会社は日本では大々的な宣伝活動をしている。ドイツやイタリアをはじめとして西ヨーロッパ諸国は、自国で出た有害な産業廃棄物をアフリカに捨てようとしている。日本とて例外ではない。日本を含め先進国は、自国では使用禁止になっている毒性の高い農薬を開発途上国に堂々と売っている。そしてその最たるものが、武器を売り込む死の商人である。

 こうしたことは、人類は本来、神から分かれた一つの生命であり、他者を傷つけることは、即、自分を傷つけることであることを知らぬ無知から生じている。早い話、東南アジアで日本の有毒な農薬を使って栽培された作物を日本が輸入したら、その被害を被るのは日本人なのである。このような問題を見るにつけ、人類は一つという意識を一日も早く覚醒させるために、ますます世界平和の祈りを祈らなければならない、と思うのである。

――このエッセイを書いたときは、「ポスト・ハーベスト」はまだ新語でしたが、現在では一般語になっているのではないでしょうか。そして、カロリーベースでの日本の食料自給率は、すでに50%を割り込み、40%になっているということです。