平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

昭和天皇の御製(2006年4月号)

2006年04月29日 | Weblog
 四月二十九日は昭和天皇の誕生日である。先帝が逝去されて、今年でもう十七年になるが、これだけの時間の経過は、昭和という時代を少しずつ歴史に変えつつある。そのような中で、いま昭和史関係の書物が数多く出版されている。筆者が最近読んで感銘を受けたのは、保阪正康氏の『昭和天皇』(中央公論新社)である。この本は、昭和天皇の御製、側近たちの日記や回顧録、昭和天皇と宮内記者との会見記を三つの主な資料として、人間としての天皇の想いを描こうとした書物である。

 昭和天皇は、日本が戦争の泥沼に入り、敗戦という未曾有の国難に直面する困難な時代に天皇の座にあった。二・二六事件や終戦の御聖断をはじめとして、その間の昭和天皇の政治的決断や行為については数多くの研究があるし、またそれに対する評価も、評する人たちの立場やイデオロギーに応じて様々である。しかし、昭和天皇は、立憲君主として、またすべての国民に対して「一視同仁」でなければならない立場上からも、ご自分の感情や本心については、つねに寡黙であられた。

 保阪氏の本を読んで驚かされ、また自分の無知を知らされたのは、昭和天皇が、生涯にわたって一万首もの和歌をお詠みになった、たぐいまれな歌人であったという事実である。昭和天皇が生物学者であったことはよく知られているが、すぐれた歌人でもあったことはあまり知られていない。とはいっても、この無知は必ずしも筆者だけのものではなく、ほとんどの日本人がその事実を知らないであろう。というのは、これまで宮内庁から公表されたのが、その中の九百首にすぎないからである。

 保阪氏の本で引用されているのは、いずれも公表された和歌ばかりであるが、それをその時代との関連で読むと、国民の幸福と世界の平和を願う昭和天皇のお心が痛いほどよくわかる。いくつか引用してみよう。

 昭和二十年の終戦のとき――

・みはいかになるともいくさとゝめけりたゝたふれゆく民をおもひて
・外国と離れ小島にのこる民のうへやすかれとたヾいのるなり

 昭和三十九年の東京オリンピックのとき――

・この度のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとする

 昭和五十年――

・わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々

 昭和天皇は祈りの人であった。こういうお方を天皇とした日本人は、その幸福を心から感謝しなければならない。宮内庁には、ぜひとも先帝陛下の全歌集を出版していただきたいものである。

横田早紀江さん

2006年04月28日 | Weblog
テレビで、横田めぐみさんのお母さま横田早紀江さんのアメリカ議会公聴会でのスピーチを拝聴しました。子を思う母の愛情に涙が出てきました。

強い、本当に強い人です。その強さの根底にあるのは、母の愛情であることをあらためて確認しました。これは、横田さんだけではなく、すべての拉致被害者の家族に通じることだと思います。

遺伝子研究の村上和雄先生は、横田早紀江さんに触れてこう述べています。

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研究を通して、笑いや感動で遺伝子がオンになることはわかってきましたが、次の段階に進むにはこれだけでは、不充分だと思っています。
そう思い知らされたのは昨年、仕事の関係で拉致被害者家族の横田早紀江さんにお話しをうかがってからです。横田さんの娘のめぐみさんは、突然姿を消してから二十年以上も消息がわからなかった。私の理論でいけば悪い遺伝子がオンになり、病気をしても不思議はない。実際にはそういうときもあったそうです。しかしその後に、北朝鮮に拉致された可能性が高いとわかった。横田さんは命に替えても取り戻そうと街頭署名を始めますが、その頃はまだほとんどの人は拉致問題に無関心でした。横田さんは娘を取り戻したいという母の切なる思いに加えて、日本を凛とした国家にしたいと思うようになっていったそうです。淡々とお話される姿に私は胸を打たれました。横田さんは、我々が計り知れない苦悩を乗り越えて、素晴らしい人格になられたと思ったからです。
人間はネガティブなストレスが入ってもそれをバネに、あるいは乗り越えることで素晴らしい人格になれることを横田さんは体現しています。私たちの日常には、これほど劇的でないにしても、ネガティブなことが多くあります。そんなときでもよい遺伝子をオンにするにはどうすればいいかを科学で導き出すことが、私どもに残された命題であります。
そこで今考えているのは、辛いときや苦しい時、これらをサムシング・グレートからのメッセージと受け取れないかということです。例えば糖尿病になった。それは食事に気をつけ、運動をしなさい。少しは笑いなさいというメッセージかもわからない。子どもが不登校になった。それは親へのシグナルや、もっと大きな人間になるためのメッセージかもしれないというように。
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http://www.goipeace.or.jp/japanese/activities/news/2004/r_lecture03.html

笑いや感動がよい遺伝子をオンにし、悲しみや不安は悪い遺伝子をオンにする、という村上理論からすれば、ありえない姿を示しているのが横田早紀江さんや拉致被害者の家族の皆さんです。

その強い生き方の根底にあるのは、子供たちへの一途な愛情だと思います。聖書にもありますが、「愛は死よりも強し」なのでしょう。

さらに、横田早紀江さんはクリスチャンでもあるということです。神の愛と導きを信じる心が、逆境を乗り越える勇気の源泉になっているのだと思います。

拉致事件が解決し、拉致された人々がすべて故国に戻れる日が一日でも早からんことを心から祈り、人類即神也の印を組みたいと思います。


チェルノブイリ原発事故から20年

2006年04月26日 | Weblog
今日(2006年4月26日)でチェルノブイリ原発事故から20周年です。

ウクライナ、ベラルーシ、ロシアでは、多くの人びとが今なお放射能被害に苦しんでいるようです。

札幌の野呂美加さんは、ベラルーシの子供たちを北海道に招き世話をしている方です。
以下は、毎日新聞 2006年3月15日 東京朝刊の記事です。記事が消えないうちにここに掲載しておきます。

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 ◇「愛」の力で未来を変えたい--野呂美加(のろ・みか)さん

 「子供を助けて」。母親の悲痛な叫びに突き動かされた。チェルノブイリ原発事故(86年4月)で国土が放射能汚染されたベラルーシから92年以降、甲状腺障害などに苦しむ子供たちを1~3カ月の転地療養のため北海道に招いている。その数は計552人になった。

 現地を訪れるうち、人間の生活基盤を根こそぎ破壊する原発事故のすさまじさを見せつけられた。汚染地に取り残されるのは社会的弱者たち。共同体の絆(きずな)が無残に引きちぎられていく。荒涼とした光景の中で親子の愛の力が光を放っていた。「人間はどんな悲惨な状況でも愛の力を失わない。みんな深い所でつながり合っている」。そう思えた時「自他を分けられなくなった」自分がいた。北海道内に共感が広がり、里親やスタッフなど年間延べ約3000人が何らかの形で活動を支える。

 20日には、茨城県の劇団「曼珠沙華(まんじゅうしゃか)」を率い、2回目の慰問公演へ出発する。前回の99年は16カ所を回り、約1万人から熱烈に歓迎された。「生活の厳しさで笑うことを忘れた人々に元気を届けたい」。約2週間にわたり、首都ミンスクや同原発から約30キロ圏のブラーギンなどで計16公演を予定している。

 事故から20年。高濃度汚染に苦しむ人々をよそに原発は止まらない。「人間は放射能を管理できない。なぜそれに気づかないのか」。見たくないものに目をつぶり、目先の経済を優先させる社会への怒りをベラルーシの人々の涙がかき立てる。<文・山田寿彦/写真・宮本明登>

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 ■人物略歴

 札幌市のNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」代表。被ばくした子供たちを保養に招く。北海道釧路市出身の42歳。家族は夫と高1の長女。

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ユダはなぜイエスを裏切ったのか(11)

2006年04月24日 | Weblog
ユダの「裏切り」の真実を知ることは、キリスト教徒にとって非常に大切なことです。なぜなら、ユダの裏切りとその後のイエスの処刑は、キリスト教徒の反ユダヤ主義の原因の一つになっていると思われるからです。ユダが金に目がくらんでイエスを裏切ったという解釈は、中世のユダヤ人高利貸しの存在と結びつき、金に汚いユダヤ人、キリスト教徒を裏切るユダヤ人というイメージをつくりあげるのに力があったと思われます。

ユダが主観的にはイエスを裏切るどころか、イエスをメシアとして信仰していたこと、いやメシアと信じていたからこそ、裏切りのような行為に出たことを、キリスト教徒は知らなければなりません。それを知ったとき、ユダを真に赦すことができるようになるでしょう。

キリスト教徒の中には、自分が神の心になろうとする努力はしないで、終末の世にイエスが超越的なメシアとなって再臨することを待ち望んでいる人々がいますが、実は、彼らもユダと同じ心性の持ち主であるのです。

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 宗教の師というのは、あく迄、神と自己とをつないで下さる方で、神への道をさし示し、手をひいて神のほう迄ひき上げて下さる人なので、師を自分のほうにひきよせ、ひき下げて迄、自己の願望を果そうとするのは、誤った信仰態度なのです。ユダの行為を悲難する人々の中にも、それと同じような道を踏んでいる人もあるのですが、自分で気づかずにいるのです。宗教の道はあく迄、神のみ心である、愛と真と美の行為の人間になるように、精進努力することであり、その最も容易なる方法が、祈りによる神への全託ということたのです。
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五井先生のこの文章で、ユダに関する考察を終えたいと思います。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(10)

2006年04月23日 | Weblog
それではイエスはユダの「裏切り」をどう考えていたのでしょうか。

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 イエス程の霊覚者で、ユダの裏切り行為をも察知できた人が、何故身の危険をのがれようとしたかったか、これもユダヤ教の予言を成就させるために、敢えてしなかったともいえるのです。尤も聖者賢者というものは、生死に把われず、権力や地位にも把われぬ、自由自在心をもつ人々なので、イエスにとっても、肉体の死によって、自己の天命が成就されるならば、何も肉体に恋々と執着する必要はなかったわけです。ちなみにイエスが十字架上の死というドラマチックな事件がなく、長生きして道を説いていたとしたら、果して今日のキリスト教の発展はあり得たかどうか、ということも疑問です。何事もすべて神計らいによって行われているに違いありません。
 ユダこそ実に損な役割りをひきうけたもので、イエスの心にはユダを恨む心などさらさらなかったことでしょう。ひいきのひき倒しということがありますが、ユダなど正にその典型的な人物です。いつの世にもこういうユダ的な人物はおりますが、宗教信仰の場合、自分勝手な想像で師のイメージをつくりあげて、自分のつくったイメージにその師が合わなくなると、悪口をいって去ってゆくなどという人もおります。こういう信仰の在り方は邪まな在り方で、信仰というのは、あく迄神のみ心にこちらが合わせ従ってゆくべきなので、自分のほうに神をひき下そうとするような信仰は誤った信仰というべきなのです。
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キリスト教の正統的解釈では、ユダの裏切りがなければ、十字架死がなく、したがってイエスの復活もありえなかった、だから、ユダの裏切りも究極的には神の計画の一部であった、と考えているようです。もちろん、それはそれで正しいのですが、ユダの心の動きを理解せず、ただ単に悪魔に唆されたから、とか、金に目がくらんだから、という解釈では、あまりの表面的です。

五井先生は別の箇所でもユダに触れています。

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 ユダにしてみれば、前にも申しあげましたように、イエスが救世主キリストであり、大奇蹟を現わし得ることのできる神の使であることを、幾多の実証によって信じきっておりますので、その大奇蹟、つまり、いかなる軍勢が攻め寄せてきても、主キリストの力の前には、一度に屈服してしまう、という現実を期待して、胸震わせながら、祭司長や役人の手引きをしてきたので、主を裏切るという気持ではなかったのです。主イエスがどこまで大きな力を持っているかを確めてみたかったのが、ユダの裏切りというような行為になってきたので、その点、ユダの好奇心がサタンの波のよい餌になってしまったわけです。しかし、そのことも神のみ心の現われであり、ユダヤ教の予言を現実化して、キリストの教えを広めるための一大布石であったのでしょう。イエスの悲劇的大犠牲がなければ、今日のようにキリスト教が世界中に広まっていなかったかも知れませんし、また、イエスがキリストに成り切って、神霊の世界から弟子たちに働きかけることもできなかったと思います。
 そういうところから考えますと、ユダも犠牲者の一人であったのです。すべてはユダの期待した通りにはならずに、イエスは役人に捕えられてしまうのですし、後にはみじめな格好で十字架を背負わされ、刑場まで歩かされてゆくのですから、ユダの夢はずたずたに切り裂かれ、はじめて、自分が主イエスを裏切り、役人に売り渡した行為をしたことを是認せざるを得たくなったのです。イエスが救世主キリストとしての大能力を発揮しなかった落胆と共に、主を売った自己の行為が、大悪人の行為として、自己の心を責めさいなみ、遂いには、狂気のように罪をわびながら、井戸に身を投げて死んでしまうのであります。
〔・・・・〕
 イエスの十字架上の悲劇でも、ユダの想っていたように、常日頃のイエスの大奇蹟力をもってすれば、逮捕に向った役人の一団ぐらい、大風でも起こして、ふっ飛ばせばよいわけで、逃げてしまうことは容易なことなのです。しかし、イエスはそれをしなかったのです。どうしてそうしなかったかと申しますと、神のみ心はイエスを十字架上のはりつけにして、その大犠牲によって、人類の救いを成就しようとなさっていたからなのです。
 ユダがイエスの大奇蹟力を信じたその眼は確なのでしたが、神の人類進化の大計画にまで、その心がとどかなかったわけなのです。しかし、それも大きな神計らいであったわけで、この世に現われる善いことも悪いことも、すべて神々の計画からすれば、地球人類の大進化のための一駒一駒であるわけです。
 だからといって、それなら人間が善いことをしようといって努力したり、人類救済のために身心を投げ打って働いたとしても、それは一切神からみたら嗤うべきことである、などと思ってはいけません。人間のそうした善意こそ、人類の大進化を促進させる大きな力となっているのであります。
 イエスが大奇蹟力を現わさなかったことについては、弟子たちや信者たちも、随分と失望したことでありましょう。イエスのそれまでの奇蹟力は、或いはまやかしではなかったのか、とイエスヘの信仰心を一度で失ってしまった人もあったことでしょう。宗教信仰者の中には、奇蹟力のみを信じている人たちもかなり存在するからなのです。
 それは昔から今日まで変りはありません。新しい宗教団体や、霊能者のところに集まる人たちの心の中には、いずれもその宗教や、その霊能者の奇蹟に対する興味が大たり小なりあるからなのです。勿論、宗教には奇蹟はつきものであり、奇蹟のない宗教というのは、味のない食物のようなもので、信者の興味をひくことはできないのです。
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五井先生は、ご自分自身も多くの信者たちから超越的なメシアたることを期待された方でしたから、人々の奇跡待望の心理を十分にわかっていました。五井先生の解釈がユダの心を見事に描ききって、他の学者や作家の追随を許さないのは、まさに霊覚による洞察であったからでしょう。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(9)

2006年04月21日 | Weblog
私はこれまでユダの裏切りの理由として、金目的説、「ユダの福音書」のグノーシス的解釈、スパイ説などを検討し、リンザーの熱心党説を検討しました。私は、リンザーの説はかなりいい線をいっていると思っています。これだと、ユダとイエスの間の「できレース」状況をうまく説明できるからです。しかし、ユダが熱心党的心情の持ち主であったという証拠は、聖書のどこにもありません。イェフダとイェシュアとの対話も、もちろんリンザーの小説的想像です。

五井先生は、ユダの裏切りについてリンザーとは少し異なった解釈をしています。五井先生は聖書学の議論などはまったく知らなかったでしょうが、その解釈はさすがです。この解釈は、ユダをわざわざ熱心党員としなくても(あるいは熱心党員であったとしても)、福音書に書かれたすべての状況を矛盾なく説明できるからです。以下は、1972年に刊行された五井先生の『聖書講義』からです。

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 ユダにはイエスを裏切る気持など毛頭なかったのです。ユダは頭の切れのよい、弟子たちの中では一番経済面にも頭の働く人で、経済面でのやりくりはユダが主になっていたのであります。ユダは弟子の中でも、最もイエスの神秘力に魅力を感じていまして、我が師イエスにとって、不可能なことはないと迄思いこんでいたのであります。
 我が師イエスにとっては、如何なる難病も癒されるのであり、如何なる天変地異も静められるのであり、如何なる軍隊が押し寄せてきても、これを壊滅させることができるのである。という風に、我が師イエスを神そのものと思い、オールマイティの人と思いこんでいたのであります。
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福音書には奇跡のオンパレードです。現代のキリスト教徒はこれを迷信として無視しますが、何らかの事蹟があったからこそ、そういう記述が残されたのでしょう。事実かどうか、思い込みかどうかは別として、今日の新宗教にもそういう奇跡話は山ほどあります。そういうものを身近で見せられた12弟子たちは、イエスを、政治的・軍事的メシアはなく、超越的・神秘的メシアと考えたはずです。リンザーは現代人ですから、イエスの神秘力については、そのまま信じることはできなくて、どうしても政治的状況から説明するしかなかったのでしょう。

五井先生『聖書講義』からの引用の続き――

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 そうした神秘力への憬れというような想いの動きに乗じて、サタン(業想念)の誘惑の手が伸びてきて、実際に師の超越した力絶大なる神秘力を試してみたくなってきたのです。大地に足のついていない信仰心の間隙というのは恐ろしいもので、幽界の波に乗りやすいのです。真の信仰心というものは、頭を天に出しながら、あく迄も足は大地をしっかり踏みしめていなければならぬもので、神様神様といって超越したことばかり望んでいますと、幽界の生物に足をすくわれ、とんでもない不幸な目にあってしまうのです。理想はあく迄も高くあってよいのですが、行動は常にこの現実世界に根を下して、じっくりと行動してゆくべきで、日常茶飯事の当り前の事柄の積み重ねの中から、思わぬ力が授かっていることが多いのであります。私はそれを、消えてゆく姿で、たゆみたき世界平和の祈りの生活といっているのであります。
 ユダの心はイエスを愛するということより、イエスの神秘力にひかれて、ついてきたということなので、そこにユダの信仰の誤りがあったわけです。あわれむべきユダは、イエスの神秘力を追い求め、遂いに、自ら演出して、軍隊をも手玉に取ってしまう、師イエス・キリストの夢を画いてしまったのです。ユダにしてみれば師イエスを裏切るなどという気持はみじんもなく、イエスの超越した力を見せてもらいたかったに過ぎなかったのです。
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先に引用したリンザー関係の論文にもありましたが、ユダヤ人のメシア観には、現実的な軍事指導者と、神的・超越的なメシアという、2種類のメシア観があったのです。

五井先生は、ユダは「イエスの超越した力を見せてもらいたかった」と書いていますが、ユダの奇跡への個人的な好奇心がユダの裏切りの主要原因であったでしょう。ただしそこには同時に、ユダヤ民族を救う指導者の登場を待ち望む民族的な欲望も働いていたに違いありません。「軍隊をも手玉に取ってしまう、師イエス・キリストの夢」には、そういう民族的な欲望も作用していたことを忘れてはなりません。

ユダには、イエスを裏切る気持ちは微塵もなかったのです。そう考えてのみ、福音書におけるユダの不審な行動が正しく理解できます。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(8)

2006年04月19日 | Weblog
私は新約聖書学に詳しくないのですが、ユダの裏切りの理由として最近出ているのは、ユダを熱心党と結びつける議論です。熱心党というのは、武力によってユダヤ民族のローマからの解放を目指す武闘派グループです。

イエスの死後、西暦66年に熱心党はローマ帝国に対する大反乱を起こしますが、これは弾圧され、エルサレムのユダヤ教神殿は徹底的に破壊されました。そのとき残った壁が今日「嘆きの壁」として知られています。

この敗北にもめげず、ユダヤ人は132年にもバル・コホバという人物を中心にして2度目の大反乱を起こします。当時のユダヤ教の指導者はバル・コホバを「メシア」と認定します。しかし、この反乱も徹底的に弾圧され、ここにユダヤ人の世界離散=ディアスポラが決定的になります。

このように、その当時のユダヤ人は「メシア」という語に軍事的指導者を重ね合わせていたのです。ユダが熱心党員であれば、当然、イエスにそういう役割を期待したでしょう。

この解釈に基づく小説を、ドイツのルイーゼ・リンザーという女流作家が書いています。1983年に発表された『ミリアム』という作品ですが(邦訳なし)、ミリアムというのはマグダラのマリアのことです。これはミリアムの視点からイエスを描いた小説です。

この小説に関する論文から引用します。

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 リンザーのキリスト小説は,ヨーロッパで確立した正統的キリスト教が原始キリスト教から切り捨て,忘却してしまった部分を回復する試みであるが,その忘却されたものの第一は,イスラエルの政治状況であり,リンザーによれば,ユダがイエスを裏切った動機はこれと密接に関係しているのである。この小説では,ユダ=イェフダは単なる守銭奴ではない。イェフダはイスラエルのローマ帝国からの独立解放を目指す革命的知識人である。彼はこう主張する。――

 ラビ〔イェシュア〕は愛と平和について語っている。さて,イスラエルに対する愛とは何か? それはいったい何か? イスラエルが没落することを拱手傍観することか? それとも,イスラエルを愛するとは,その解放のために戦うことではないのか? 戦う者は殺す。イスラエルを愛するということは,何千人ものローマ人を殺すということなのだ。(Mi 91)  

 革命家イェフダは,イェシュアが貧乏人たちに金を簡単に与えてしまうことに我慢がならない。この点において,彼は福音史家が書いたように,悋嗇である。しかし,それにはそれなりの理由があるのだ。なぜなら,そんなつかみ金を与えても,それは貧乏人の一時的な気休めにしかならず,異民族に支配されているユダヤ民族の苦しみは,根本的には解決されないからである。そんな無駄金を与えるより,その金を蓄えて,武器を購入し,来るべきローマへの反乱にそなえたほうが,それをはるかに有効に生かすことができる,とイェフダは考える。自分自身もかつてはユダヤ民族の武力解放を夢見たことのあるミリアムは,イェフダがイェシュアの教えに加える解釈は間違いだとわかってはいるが,心のどこかで彼の議論を認めている部分もある。イェフダは愛国者ではあっても,卑劣漢ではない。リンザーはミリアムの口を通してイェフダの名誉回復をはかる。――  

 ヨハナンは後にイェフダについて,彼は盗人だった,と書いた。悪意に満ちた言い方で,真実ではない。私たちの間にもこんな悪意が生じただなんて,残念なことだ。真実は,イェフダは一つの財布ではなく,二つの財布を持っていた,ということである。彼は第二の財布には,私たちがすぐには必要としない金をしまっておいたのだ。その金は何のために使うつもりだったのか? 自分のためではない。彼は一ディナルといえども自分のふところに入れはしなかった。彼はその金をローマ人に対する蜂起のために,集め,蓄えた。そして,その蜂起は必ず起こるし,イェシュアがそれを率いることになるだろう。イェフダはそういうことをあからさまに言いはしなかったが,彼がそのように考えているということは,ますますはっきりとしてきた。かわいそうなイェフダ。絶望に駆られた革命家。(Mi 64)  
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http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Rinser/mirjam.htm

イェフダ=ユダは、熱心党的心情の持ち主として、イェシュア=イエスに、ローマへの蜂起のリーダーになることを期待していた、というのです。(この作品では人名はすべて、当時ユダヤ人が使っていたアラム語の発音で表記されています)

ユダは、イエスがユダヤ民族の救済者=メシアになることを望んでいました。その当時のユダヤの民衆にとって、メシアとはあくまでも現実生活の救済者であったのです。どこにあるかわからない、目に見えない「神の国」での救済など、彼らは理解することができませんでした。「神の国」が到来する、とは、彼らにとって、ユダヤ民族がローマから解放されて、自由で平和で豊かな生活を送れることでした。そのためには、武力による闘争しかない、と考えたのが熱心党です。熱心党にとっては、メシアとはダビデのような偉大な軍事的指導者でした。

私は先に、ユダの裏切りは、ユダにとって本来、イエスとの間の「できレース」のはずだった、と書きました。

リンザーによると、ユダは、金と引き替えにイエスを売るという行為を通して、イエスを、自分はメシアであると宣言する場に連れ出そうと計画したのです。しかも彼は、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」というイエスの言葉によって、自分の計画はイエスにも認められたものだと早合点をしたに違いありません。そこで彼は、これでイエスはメシア(軍事的指導者)になるという期待をこめて、正々堂々と大勢の弟子たちの前で、イエスを官憲に売り渡したわけです。イエスがついにメシアとしての宣言をするのですから、彼の行為は、イエスにも弟子たちにも、褒められて然るべき行為ということになります。

しかし、彼の思い込みは根本的に間違っている、とリンザーは言います。

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 しかし,イェシュアが考えている神の国は,ユダヤ民族の政治的な解放による地上的な王国ではなく,人間精神の解放であったが,この点をイェフダは最後まで理解することができなかった。彼は奇蹟力と民衆動員力を持つイェシュアに,民族独立運動の指導者,民族の救済者として立ち上がることを期待した。つまり,イェフダはイェフダなりに,イェシュアをメシアと信じていたのである。

 そもそもユダヤ人のメシア観には,二つの要素が混在していた。アレックス・バインは,「ユダヤ的なメシア観においては,当初から二つの見解が区別できる。一方において,それはダビデ家の子孫から生まれる地上的・自然的な救済者にして支配者の形姿であって,彼はユダヤ民族を解放し,集め,その国へと連れ戻す。他方において,それは超自然的な存在者,世の終わりにおける神的なメシアの理念であって,彼は世界審判と死者の復活によって神の国を到来させる」[7]と述べているが,イェフダがイェシュアに期待していたのは,まさに「地上的・自然的な救済者にして支配者」であるメシアとなることであった。イェフダばかりではなく,その当時の大部分のユダヤ人が待ち望んでいたのは,このような現実的なメシアであった。しかし,イェシュアはみずからをあくまでも精神の解放者と見なし,イェフダの要請を拒否する。イェシュアはイェフダにこう教える。――

 君たちが君たち自身を変えなければ,何ものも変わらないだろう。君たちが心の中に平和を持たないならば,地上に平和は生まれない。君たちの兄弟たちと平和を結ぶのだ。自分の敵だ宣言した者たちと平和を結ぶのだ。(Mi 132)

 君の考えは間違っている,イェフダ。君は救済は外からやってくると考えているが,それは内からやってくるのだ。(Mi 139)  

 イェフダは,いつまでもユダヤ民族の解放に立ち上がらないイェシュアにしびれを切らし,イェシュアを逮捕させ,議会で尋問させれば,ついに彼も窮地に追い込まれて,みずからをメシアであると宣言するのではないか,と考える。イェフダの裏切り――それはイェシュアをメシアとするための策略だったのである。しかし,イェシュアはみずからをメシアとは宣言せず,従容として死におもむき,イェフダの夢は無残にもくだけ散ってしまう。

 リンザーによれば,イェフダが責められるべきなのは,彼が金に目が眩んでイェシュアを売ったからではない。彼の過ちは,彼が政治と宗教,権力と精神の相違を最後まで悟らず,その民族への愛のゆえに,イェシュアを政治的・軍事的なメシアと誤解してしまったところにある。しかし,一人の偉大な人間に出会ったとき,彼に精神的な救済ばかりではなく,地上的・現実的な救済をも願わない人間などいるだろうか。イェフダの誤解は致命的な誤解ではあったが,誰にでも起こりうるきわめて人間的な誤解でもあった。十字架上のイェシュアを見ながら,イェフダの自死の知らせを聞いたとき,ミリアムはこう考える。――

 イェフダ,かわいそうなイェフダ。
 今や私は泣いた。イェシュアのために泣いたのではない。イェフダのために泣いたのだ。三年間,私たちの仲間の一人だった。彼ほどイェシュアを熱烈に,死ぬほどの熱情を込めて愛した者はいなかった。私たちと一緒に三年間。それは記憶から消されはしない。決して消されはしないのだ。(Mi 297)  

 このようにしてリンザーは,イェフダを誤解せる愛の証人として,キリスト教に甦らせようとするのである[8]。  
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http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/Rinser/mirjam.htm

リンザーのこの解釈は正しいでしょうか?


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(7)

2006年04月18日 | Weblog
イエスほどの人間であれば、人の心を読むことなどは簡単だったに違いありません。福音書の様々な記事は、そのことを示しています。したがって、イエスがユダの裏切り計画を見抜いていたことは確実です。

福音書を読んで私が奇妙に思ったのは、イエスがユダの裏切りを事前に察知していながら逃げなかった、ということではありません。イエスは、ユダが自分を裏切るということを知りながら、あえて逃げ隠れせず、自分の肉体を十字架に磔にすることによって、人類に大いなる救済をもたらそうとしたことは確実だと思われます。

私が奇妙に思ったのは、ユダが、イエスがユダのたくらみを知っている、ということを知っていたことです。ユダは、自分の計画がイエスにはとっくにばれているということを知りながら、あえてその計画を実行に移したのです。私が知るかぎりでは(といっても、そんなに知っているわけではありませんが)、この奇妙さを指摘した学者はまだいないようです。

「マタイ」では、イエスは最後の晩餐の時、「はっきり言っておくが、あなた方のうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言います。「マルコ」でも「ルカ」でも同様のことを言っています。ユダは、イエスが名前こそ出さなくても、自分のことを指しているということをすぐにわかったはずです。「ヨハネ」では、イエスはわざわざユダに向かい、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」とまで言っています。

このような言葉を聞いたユダは、イエスが自分の計画を見抜いている、と確信したに違いありません。もしユダが本当にイエスを裏切るつもりであったなら、ユダは恐ろしくなって、身がすくんだことでしょう。相手はなにせ、死人をも甦らせる超人です。そんな人を裏切ったら、自分がどんな目に遭うかわかりません。ユダは、自分の計画が見抜かれたとわかった時点で、イエスのもとからいち早く逃走するか、イエスに平伏して謝罪したはずです。

ユダはそのどちらもしませんでした。彼が計画通りの行動に出たということは、自分の計画はイエスに認められていた、と彼が信じていたことを示しています。

卑近な言い方になりますが、この裏切りは、ユダにとっては本来「できレース」であったのです。この裏切りはイエスとユダの間の秘密の了解事項であった、とユダは信じていたのです。ユダはイエスに、「私はあなた様を裏切るような行動に出ますよ。それでもいいですか」と心の中で問いかけたに違いありません。それに対して、イエス Jesusから「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」という答え、文字通り「イエス Yes」の答えをもらっていた、と彼は信じていたのです。そこで彼は計画通りの行動に出ました。ユダは自分の行為になんの恐れも疚しさも感じなかったに違いありません。なぜなら、それはイエスの命令であったと信じたからです。ところが、本来「できレース」であったはずのものが、思いもかけない結末を迎えたところに、ユダの悲劇があったのです。

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(6)

2006年04月17日 | Weblog
あまりにも単純で表面的、というのは、聖書的解釈では、ユダの裏切りの状況がうまく説明できないからです。

ユダはイエスの大勢の弟子たちの眼前でイエスをローマの官憲に手渡しました。しかし、裏切りというのは通常、こっそりと行なうものです。つまり、自分が裏切ったということがほかの人には知られないように、自分の正体を隠して行なうのが裏切りの常道です。とくにイエスのような民衆に絶大な人気のある人物を裏切ったら、あとの仕返しが恐ろしいので、絶対に自分の正体を隠そうとするはずです。そうしないと、それこそ殺されてしまうかもしれません。ところがユダは、自分の正体を隠そうという気はさらさらなかったのです。

次に、ユダの動機です。ユダは本当に金が目当てだったのでしょうか? 金が目当てであるなら、金を受け取ったあとは、さっさとどこかに逃げるはずです。ところが「マタイ」によると、ユダは銀貨30枚を最初、祭司長たちに返えそうとしますが、受け取ってもらえないので神殿に投げ込みました。つまり、ユダは金目当てではなかったわけです。その上、自殺したというのでは、ますます金目当てではなかったということになります。

「使徒言行録」では、その金で土地を買ったということになっていますが、ユダがイエスを裏切ったことが世間に広く知られている以上、一定の土地で生活すれば、身の危険もありますし、少なくとも大勢のイエスの信奉者に嫌がらせを受ける可能性があります。金が目当てだとしても、その金で土地が買いたかったとはとうてい思えません。

ユダは、イエスの12弟子の一人として、イエス教団の大幹部でした。しかも、彼は教団の財務を担当していたようです。「ヨハネ」はユダのことを、「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていた」と書いています。これも、金に汚いユダという解釈です。

イエス教団の人々は、人々の布施によって生きていました。弟子たちは定職を持ちませんでしたが、イエスとともにあるかぎり、民衆がイエスに与える施しに陪食することができました。つまり、教団が彼らの生計の元だったのです。ユダがイエスを裏切るということは、自分自身の生活の場をつぶすことです。たとえて言えば、ユダは宗教団体の職員で、そうすれば自分が路頭に迷うということを知りながら、自分の教団の教祖をあえて内部告発し、その教団をつぶすようなものです。これは、とうてい金目当てでできる仕業ではありません。

しかも、もしヨハネが正しければ、ユダは財務担当者として、いくらでもお布施をごまかすことができる立場にいたことになります。もしユダが本当に金目当ての男であったら、こんな「おいしい」職場を自分の手でぶちこわしにするばずはありません。できるだけ長く勤めて、その立場を利用するはずです。銀30枚というのが当時の貨幣価値でどれほどのものかわかりませんが、「金」ではないので、それほどの大金とは思えません。しかも、そんな一時金をもらっても、安定した「職場」を失って、その後の生活がきわめて危険になることは、上で述べたとおりです。

イエスは神人でしたから、病気治しだけでなく、人の心を読むことも、未来の運命を見通すことも、自由にできたと思われます。そして、弟子たちもイエスのそういう力を知っていたというか、信じていました。だからこそ、彼らはイエスにつきしたがったのです。

もしヨハネが言うように、ユダがお布施を自分の懐に入れていたのなら、イエスは当然それを察知して、ユダを早い段階で12弟子から除いていたはずです。イエスがそれをしなかったということは、ユダはそういう「公金横領」をしていなかったと考えられます。ヨハネの非難は、ユダ憎しの悪口でしょう。

ユダの裏切りには、金以外の別の目的があったはずです。彼にはイエスを「内部告発」しなければならないような理由があったのでしょうか?

イエスは当時のユダヤ教エスタブリッシュメントに対する反逆者でした。その当時のユダヤ教は、エルサレムの神殿を財力と権力の場として利用するユダヤ教祭司たち(サドカイ派)と、聖書の文言を忠実に実行しようとするパリサイ派という大きな二つの派閥がありました。イエスはこの両者を厳しく批判し、新しい神の教えを説きました。イエスが既成宗教権力から憎まれたことは、4福音書に詳しく書かれています。

このほかに、エッセネ派と熱心党という二つのグループもありましたが、これについてはあとで説明します。

ユダがイエスを裏切ったとしたら、ユダはサドカイ派かパリサイ派の回し者だった、という可能性があります。しかし、もしサドカイ派の回し者だったとすると、ユダが祭司長に金を返えそうとしたときに、冷たくあしらわれたことが説明できません。

それでは、ユダはパリサイ派の回し者だったのでしょうか? パリサイ派は、聖書(旧約聖書)の律法に忠実であることが救いの条件であると考えます。パリサイ派にとっては、律法を破ることは大きな罪なのです。これに対し、イエスは律法については寛容で、割合いい加減でした。パリサイ派にとっては、イエスが安息日に病人を癒やしたことさえ罪です。なぜなら、安息日には一切の労働をしてはならない、と律法に書かれているからです。イエスにとっては、そんな窮屈な律法より、人を救うほうが先でした。したがって、イエス教団にいると、しょっちゅう律法破りをすることになります。そういう状況は、律法重視のパリサイ派にとっては耐え難い状況です。パリサイ派は、たとえスパイとしてでも、イエス教団に入ることができなかったと思います。

ユダがスパイだったという可能性もなくなります。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(5)

2006年04月16日 | Weblog
ユダがローマの官憲にイエスを引き渡したこと、そしてその代価として金を受け取ったことは、4福音書だけではなく、「ユダの福音書」も認めています。「ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」とあるからです。そして、その結果として、ユダが他の弟子から迫害を受けたことも「ユダの福音書」はほのめかしています。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」とあるからです。

これはいわゆる事後予言の典型です。ある出来事が起こったあとで、それ以前にこれこれしかじかの予言や幻視があったという話を作り上げ、その予言が実現した、と言うのが事後予言の構造です。

しかし、こういう記述からすると、ユダがイエスの弟子たちの間で憎まれたこと、そしておそらくは不審な死を遂げたことはたしかだと思われます。

「マタイの福音書」では、ユダは、受け取った「銀貨30枚」を神殿に投げ込んだのち、首を吊って自殺したと書かれています。ユダの自殺の記述は「マタイ」にしかなく、「マルコ」、「ルカ」、「ヨハネ」にはユダの「その後」については書かれていません。「使徒言行録」には、ユダが「不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました」とあります。

おかしな記述です。土地を買ったのはわかりますが、その地面に落ちて死ぬというのは、その土地がよほど高い崖のそばということになります。そんな条件の悪い土地をわざわざ買うでしょうか? 崖から落ちて死んだとしても、事故なのか自殺なのかよくわかりません。ひょっとしたら、イエスの信奉者による殺害かもしれません。

イエスはユダヤの民衆からメシア=救世主として期待されていました。そういう重要人物を裏切ったわけですから、民衆の中にはユダを殺そうとした者が出てもおかしくありません。殺害を事故や自殺と見せかけるのは、昔も今もよく行なわれる偽装です。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」という「ユダの福音書」の記述は、ユダが12弟子たちに殺されたという伝承も存在していたことをほのめかしています。そういう伝承は、正統派キリスト教会からは当然、抹殺されたでしょう。

いずれにせよ、4福音書と「ユダの福音書」では、ユダがイエスをローマの官憲に売り渡し、その代償としていくらかの金をもらい、他の弟子たちから憎まれた、ということが共通です。したがって、そういう一連の事実が存在したことは疑いえません。ユダの死についてははっきりしませんが、悲惨な死を遂げたことはたしかだと思われます。

ところが「ユダの福音書」は、そういう事実をふまえた上で、ユダをイエスの一番弟子とする逆転の解釈を打ち出しているわけです。

つまり、イエスを金と引き替えにローマの官憲に逮捕させたという事実に対して、4福音書は、金に目がくらんだユダの裏切りという解釈を加え、「ユダの福音書」はこれをグノーシス的に、イエスを肉体から解放してやる行為と解釈しているわけです。4福音書の解釈が非常に素朴な解釈であるのに対し、「ユダの福音書」の解釈は相当に「ひねくれた」解釈です。師を裏切った弟子を、師の真意を実行したとほめたたえているわけですから。

私は「ユダの福音書」の解釈を受けいれられません。その理由は、それが4福音書に示されている正統的なキリスト教の解釈に反するからではありません。ユダを特別な存在としているからです。

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「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」
「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」
「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」
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これらの記述はいずれも、ユダをイエスから特別な秘伝的グノーシスを授けられた人物として描いています。しかし、4福音書の様々な記述からすると、イエスは、貧しき人々、罪ある人々、無学な人々と積極的に交わり、彼らに救いをもたらそうとしています。イエスは、万人の救いを目指したのであって、一部の知的エリートを対象にしたとは思えません。このエリート主義もまたグノーシスの特徴の一つですが、これほどイエスの人間像から遠いものもありません。

私の見るところ、「ユダの福音書」はイエスとユダの師弟関係に関する、エリート主義的・グノーシス的解釈であって、実際の事実ではないと思います。

それでは、ユダは金に目がくらんでイエスを裏切ったという4福音書の解釈が正しいかというと、これもあまりにも単純で表面的だと思います。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(4)

2006年04月14日 | Weblog
読売新聞の記事をもう一度引用すると、

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 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。
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「イエスが語った秘密の啓示」というのが、まさにグノーシス的です。師による秘密の知恵の伝授がグノーシスの特徴です。

また、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」というのは、イエスが「真の私」=霊なる自己と、「私を包む肉体」=牢獄としての肉体を区別していることを示しています。ユダがイエスをローマの官憲の手にわたし、その結果、イエスの肉体を殺したことを、霊なるイエスを、牢獄としての肉体から解放する手助けをしたこととして解釈しているわけで、典型的にグノーシス的です。この偉大な功績により、ユダは「すべての弟子たちを超える存在になる」という約束をイエスからもらうわけです。これは、ユダをイエスへの裏切り者として非難する、4福音書とはまったく逆の評価です。

「ナショナルジオグラフィック」のサイトはさらに詳しく内容を紹介しています。

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 この福音書には、ユダが弟子たちの中で特別な地位を与えられていることを示す記述がいくつかあります。たとえば、イエスは次のように語っています。「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」。イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 さらに福音書は、ユダは他の弟子から嫌悪されることになるが、彼らより高い地位に昇るだろうと予言します。「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」と、イエスは言います。ユダ自身も、他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと報告しています。「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」
 福音書には、ユダの覚醒と変容を示唆すると思われる一節もあります。「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」。地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にするが、この部分のパピルスが損傷しているため、その言葉が何だったのかはわかりません。
 福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」。イエスが十字架にかけられることも、復活することも、この福音書には何も書かれていません。
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

「トマスの福音書」は、イエスの死後、キリスト教教会によって正統的解釈として確立されたのとは異なった、イエスに対する解釈が存在したことを示しています。そして、そのようなグノーシス的解釈の中で、ユダにも異なった解釈が与えられたわけです。

それでは、「イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったから」という「ユダの福音書」の記述は、歴史の闇に埋もれていた「真相」の開示かというと、そうとは言えないと私は考えます。以下にその理由を述べます。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(3)

2006年04月12日 | Weblog
平凡社の大百科事典は、グノーシスについて以下のように解説しています。

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キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想運動。〈グノーシス gnosis〉はギリシア語で知識を意味するが,ヘレニズム宗教思想の場合意味が限定され,人間を救済に導く究極の知識をさす。グノーシス主義もこの流れに属するが,それと別に既成の世界に対する鋭い批判を含んでいる。この思想運動は後1世紀のローマ帝国辺境に興り,2~3世紀に最盛期を迎える中で次々と新しいセクトを生んだ(ただし,しばしば誤解されるようにキリスト教の分派〈異端〉としてではなく,独立に成立した)。発生地域はローマ辺境すなわち地中海沿岸のエジプト,シリア・パレスティナ,小アジアにほぼ限られている。こうしてグノーシス主義はキリスト教やギリシア哲学諸派との間に緊張を引き起こすことになり,当時の思想界に少なからぬ衝撃を与えた。しかし4世紀以降一部を除いて急速に衰える。
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グノーシス思想の特徴は、「反宇宙的霊肉二元論」とまとめることができるでしょう。霊肉二元論というのは、人間を霊と肉体から成るとする人間観で、古今東西広く見られる思想です。キリスト教も、肉体に重きを置かず、霊の救済を重視する一種の霊肉二元論です。

キリスト教はユダヤ教をもとにして発生し、ユダヤ教の聖典である、いわゆる旧約聖書も聖典として認めています。ユダヤ教の神ヤーヴェは宇宙の創造神で、この世界を「善きもの」として創造しました。したがって、この世界に悪や不正や戦争があったとしても、それは究極的には神の意志の現われであって、世界は根本的には善きものなのです。

グノーシスは、イエスの死後、キリスト教が徐々に一定の教理をそなえた宗教として成立する同じ時期に、同じ地中海世界で盛んになりました。グノーシスもキリスト教と同じく霊肉二元論なのですが、それが極端に現世を否定する点が異なります。

グノーシスによれば、宇宙を創造したのはデミウルゴス(ヤルダバオト)という悪なる神です。人間の本質である霊は、神と等しいものですが、デミウルゴスは、霊をとらえるための牢獄として、この世界と肉体を創造しました。肉体の牢獄にとらえられた人間は、自分の本質を見失っていますが、彼に知恵=グノーシスが訪れると、この牢獄から自分を解放し、霊なる自己を再発見し、天なる真実の神のもとに戻ることができるとされています。

グノーシス思想はキリスト教と類似する要素もあるので、キリスト教に浸透していき、「キリスト教グノーシス派」あるいは「グノーシス的キリスト教」と呼ばれるグループができました。平凡社大百科事典によれば、正統的キリスト教とグノーシス的キリスト教の教義上の違いは、

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星辰界も含めて被造世界を悪とするグノーシス主義が,創造神の行為を否定的に評価する点。同様に人間の魂は被造物ではなく,神と同質のものであるとする点。このように神と人が本質的に同一であるならば,人間は本性上救われていることになり,改めてキリストの救済を必要としない(ことになりかねない)点。人間の身体がいやしい被造物であると考えるため,しばしばグノーシス主義は,キリストの身体性を否定する仮現説(ドケティズム)をとっていた点など。
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にあるとしています。

正統派キリスト教においては、人間は罪ある存在で、イエス・キリストを信ずることによってのみ救済されます。父なる神と子なるイエスと聖霊は、違っているけれど本質においては同じという「三位一体」の教義にもありますように、イエスは特権的な存在です。

これに対して、グノーシスにおいては、イエスは知恵=グノーシスの体得者で、グノーシスの教師とされます。もちろん、イエスは立派な存在には違いありませんが、ほかの人間も本質においてはイエスと同じ神なのです。グノーシスを体得すれば、誰でもイエスと等しくなれるのです。こういう教義は、イエスを特別視し、イエスへの信仰によって救済を説く正統派キリスト教からは異端視されました。

エジプトのナグ・ハマディで発見された文書からは、グノーシス関係の文献が多数発見されました。その代表が「トマスの福音書」です。この福音書は知恵の教師としてのイエスの語録を集めています。「トマスの福音書」の冒頭の言葉は、

「そして彼(イエス)は言った、この言葉の解釈を見出すものは、死を味わわないであろう」

です。イエスを信じることによってではなく、イエスの言葉の正しい解釈を行なう知恵を有するものが、永遠の生に入れるというのです。

「トマスの福音書」の4福音書との違いは、「トマスの福音書」が、万人の中にイエスと同じ神の光があるとしたことです。「イエスだけが神の光の受肉であると主張するヨハネは、この光は万人の中にあるとするトマスを退けた」とエレーヌ ペイゲルス著『禁じられた福音書―ナグ・ハマディ文書の解明』(青土社)は論じています。

今回、復元・解読された「ユダの福音書」は、ナグ・ハマディ文書と近い関係にあります。

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 古文書学による筆跡の分析でも、この写本とナグ・ハマディ文書はきわめて近い関係にあることがわかったとエメルは言います。「研究者として何百ものパピルス写本を見てきましたが、これは間違いなく、典型的な古代コプト語の文書です。100パーセントの確信があります」
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

筆跡、言語がナグ・ハマディ文書ときわめて類似しているばかりではありません。その内容もきわめてグノーシス的なのです。


ユダはなぜイエスを裏切ったのか(2)

2006年04月10日 | Weblog
「ナショナルジオグラフィック日本版」のホームページによると、この「ユダの福音書」の写本は、以下のような経緯で発見され、解読されました。

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 このコプト語のパピルス写本は、紀元300年ごろに書かれたとみられます。この写本は1970年代にエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見され、エジプトからヨーロッパを経由して米国に持ち込まれました。その後、写本はニューヨーク州ロングアイランドにある銀行の貸金庫で16年間も眠り続けていましたが、2000年にスイス・チューリッヒの古美術商フリーダ・ヌスバーガー=チャコスがこれを買い取りました。
 有望な買い手候補への売り込みが失敗に終わった後、文書の劣化が進むのを案じたチャコスは、2001年2月に写本をスイス・バーゼルのマエケナス古美術財団に寄託しました。同財団では「チャコス写本」と名づけられたこの文書の修復と翻訳を行った後、写本そのものはエジプトに運ばれ、カイロのコプト博物館に収蔵される計画です。
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

パピルスに記されたこの文書は、劣化が激しく、ぼろぼろの状態で、復元作用は、まるで無数のパズルのピースを組み合わせるような、たいへん困難な作業であったとのことです。

この文書はコプト語で書かれています。

コプト語というのは、古代エジプト語の一種で、コプト文字という文字で表記されます。イスラム教が進出する以前、エジプトではキリスト教が盛んでしたが、キリスト教文書はコプト語に翻訳されました。現在でもエジプトの人口の約1割がコプト教会の信者であると言われています。コプト語の「ユダの福音書」は他の文書と同じく、ギリシャ語からの翻訳であると見られています。

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 写本の文章は、古代エジプトの言語であるコプト語のサイード方言で書かれています。その記述内容と言語的な構造を調べた著名な研究者は、写本の宗教的概念と言語学的特徴はナグ・ハマディ文書にそっくりだと指摘しています。1945年にエジプトで発見されたナグ・ハマディ文書も、やはり初期キリスト教時代に作られたコプト語の古文書群です。チャップマン大学聖書・キリスト教研究所(カリフォルニア州オレンジ郡)のマービン・マイヤー教授とドイツ・ミュンスター大学のコプト語研究者スティーブン・エメル教授は、写本の文章には紀元2世紀に流行したグノーシス派特有の思想が色濃く反映されていると語ります。後にコプト語に翻訳された『ユダの福音書』のギリシャ語の原典が作られたのも、ちょうどそのころです。
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml

「ナグ・ハマディ文書」は、「1世紀半ばから2世紀にかけて成立したギリシャ語の文献を(訳出し)3世紀から4世紀にかけて修道院で筆記したもの」と考えられています。キリスト教成立当時の古代世界の思想状況、とくにキリスト教とは一種ライバル関係にあった「グノーシス思想」を知る上で重要な文献です。今回解読された「ユダの福音書」もグノーシスの色合いの濃い著作です。

ユダはなぜイエスを裏切ったのか(1)

2006年04月08日 | Weblog
4月7日の読売新聞に、以下のようなたいへん興味深い記事が出ました。

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 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。

 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。

 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。

 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

 同文書は3~4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。

 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。

 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060407-00000301-yom-soci

今日、「新約聖書」と呼ばれる書物は、

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紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた書物で、旧約聖書とならぶキリスト教の聖典。新約聖書には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯とことば(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙(書簡)、黙示文学(『ヨハネの黙示録』)からなっている。「旧約聖書」・「新約聖書」の「旧」「新」という言い方を避けるため、旧約聖書を「ヘブライ語聖書」、新約聖書を「ギリシア語聖書」と呼ぶこともある。

新約聖書の各書はすべてイエス・キリストとその教えに従うものたちの書であるが、それぞれ著者、成立時期、成立場所などが異なっている。そもそも初めから「新約聖書」をつくろうとして書かれたのではなく、目的や著者がばらばらな書物が集められ、まとめられて「新約聖書」が成立した。同じように多くの書物の集合体である旧約聖書と比べると、成立期間(全書物のうちで最初のものが書かれてからすべてがまとまるまでの期間)が短いということがいえる。現代の学者たちの説によれば、新約聖書の書物の執筆時期は紀元32年から90年ごろで、それらの書物が新約聖書としてまとめられたのは150年から225年ごろの間であるとみなされている。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8

この中で、「イエス・キリストの生涯とことば」を伝える「福音書」には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4種類があります。

これらの文書は、もちろんイエス自身が書いたものではありません。イエスの死後、イエスの弟子たちによってまとめられたものです。福音書には4人の著者名が付けられていますが、必ずしも一人の著者ではなく、複数の著者がいたり、後世になって付加された部分などもあるようです。それぞれが複雑な成立史をもっており、新約聖書学がそれを解明しつつあります。

4福音書は、イエスの死後、信者たちの間に流布していた、もっと多くの様々な「福音書」の中から、キリスト教教会によって正典として認められ、生き残ったものです。

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新約聖書の正典化は2世紀から4世紀にかけてなされた。正典としての新約聖書の結集は、4福音書・使徒行伝、13のパウロ書簡から始まり、ヨハネの黙示録を2世紀末に加え、その一部については議論のあった公同書簡7つを最終的にすべて認める形で進行した。新約聖書の範囲が事実上確定するのは4世紀後半であり、397年のカルタゴ教会会議において正式に承認された。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%85%B8#.E3.82.AD.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E6.95.99

このような正典化のプロセスの中で、教会によって「異端」という烙印を押されて、歴史の中から消滅した「福音書」もいくつかあります。

異端福音書が存在したことは、教父(2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家)たちが、手紙や文書の中で異端を批判していることから知られます。正典からはずされた異端福音書は「外典」と呼ばれます。その代表は、12弟子の一人の名を冠せられた「トマスの福音書」です。

今回、解読された「ユダの福音書」もそのような異端福音書の一つです。

脳内汚染(7)

2006年04月07日 | 最近読んだ本や雑誌から
暴力的な映像や性的な映像が青少年に悪影響を及ぼすことには、誰しも異論はないと思います。そういうものが子供たちに簡単に入手できるような状況は、改めていく必要があります。

それでは、暴力的・性的な映像を含まないようなゲームなら問題ないのかというと、そうとはいえない、と岡田さんは言います。

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海外で行われたある研究では、暴力的シーンの多いゲームで遊ぶだけではなく、ゲームで長時間遊ぶこと自体が、高い攻撃性や敵意、暴力行為と関係あるとされた。(72ページ)
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ゲームの問題性は色々とありますが、大きな問題は、それが依存症を引き起こすことだといいます。ゲームにはいわばタバコのような、もっと強くいえば、麻薬のような中毒症状を引き起こす危険性がある、と岡田さんは言います。

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 特に十年ほど前までは、ゲームをすることの危険について、ほとんど知られていなかった。麻薬的な嗜癖性と恐ろしい副作用をもった危険な玩具だという認識がまったくなかったのである。当時はまだゲームも初歩的なもので、何度かやっているうちに飽きてくる類のものが多かったということもあるだろう。だが、一度そこで快体験を味わうと、さらに刺激的なものを求めるようになり、どんどん嗜癖が形成されていくというメカニズムが知られていなかったのである。
 ゲームが十年前と同じ技術水準のまま、ほどよく飽きてしまうものにとどまっていれば、その危険も少なかったであろう。だが、コンピュータ技術の急速な発展により、ゲームはみるみる進化して、きわめて高いリアリティと刺激に満ちた仮想世界を現実のものにしてしまった。ずっと飽きが来ないほどに、エキサイティングなものとなったゲームは、逆に極めて危険なものとなってしまったのである。
 なぜなら、ずっと飽きが来ないほどにわくわくし興奮するとき、脳で起きていることは、麻薬的な薬物を使用したときや、ギャンブルに熱中しているときと基本的に同じだからである。
 子どもにLSDやマリファナをクリスマス・プレゼントとして贈る親はいないだろう。だが、多くの親たちは、その危険性について正しく知らされずに、愛するわが子に、同じくらいか、それ以上に危険かもしれない麻薬的な作用をもつ「映像ドラッグ」をプレゼントしていたのかもしれない。(90~91ページ)
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ゲームがあまりにも面白いということが問題だというのです。ゲームの面白さにとりつかれたら、そこから抜け出すことが困難になります。韓国だったと思いますが、数十時間連続でゲームに熱中し、死んだ男性がいたそうです。こうなると、まさに麻薬と同じです。

あることが面白くてやめられない、ということはゲーム以外にもあります。私の体験では、面白い本を読んで途中でやめられない、ということがたまにあります。パチンコなどの賭博に熱中してやめられない、という人もいます。ロシアの作家ドストエフスキーは賭博に熱中する人でした。彼はその体験を『賭博者』という小説に書いています。賭博者はまさに人格破綻者になります。

読書やスポーツや仕事などに熱中するならまだよいですが、ゲームや賭博への熱中は、貴重な時間や生命エネルギーやお金を無駄に消費し、そこに何ものも生み出しません。人を簡単に面白さのとりこにしてしまうゲームは、面白いがゆえに危険なのです。

私の子供が小学校の高学年か中学生頃だったと思いますが、あんまりせがまれたので、クリスマス・プレゼントに「ゲームボーイ」を買い与えました。それから、子供は文字通りそれに熱中して、勉強がまったくおろそかになりました。私は1カ月くらいでゲーム機を取り上げてしまいました。親は一時期うらまれましたが、その後、子供はゲーム機とは無縁なまま大人になりました。

私の子供の様子を見ても、ゲーム機が子供をとりこにすることがよくわかります。すべての子供が同じではないかもしれません。しかし、ゲーム中毒になる子供がかなりいることはたしかです。

ゲームが子供の脳にどのような影響を与えるかは、『脳内汚染』に色々と書かれています。おそらくその部分がもっとも議論を呼ぶ箇所でしょう。これはまだ岡田さんの仮説であり、これからもっと実証的に検証する必要があります。ただし、科学的実証以前に、ゲームが、仮想現実の中で代償的な強い快感を与えることによって、子供たちから、勉強や運動や友人たちとの遊び・交流という、子供たちの成長にとって大切な体験をするための時間を奪っていることはまぎれもない事実です。同じ遊びというなら、子供たちには1時間コンピュータ・ゲームをするよりも、1時間、野球やサッカーなどをしてもらいたいと思います。

私の子供はその後、演劇に熱中するようになりました。勉強がおろそかになる点ではゲームと変わりない、あるいはそれ以上だったかもしれませんが、演劇を通して人間的な成長をとげた部分があったと思います。

私は自分の子供からゲーム機を取り上げて本当によかったと思っています。