平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

単位偽装隠蔽事件

2006年10月29日 | Weblog
違法な手抜きと知りながら、みんなでやればこわくない、という手口は、なにやら耐震偽装隠蔽事件と似たような構造ですね。

******************
 全国各地の高校の必修逃れ問題に絡み、補習が必要な生徒の負担を軽減するため、教育委員会や学校が、学習指導要領の枠内で授業時間を減らす方法の検討を始めた。

 本来は例外的に認められる単位数の削減措置などを利用するもので、今後、政府が策定中の「救済策」に反映される可能性もありそうだ。

 学習指導要領は、50分授業を週1回、年間35回履修すると「1単位」を与えると定めており、必修科目の場合は、最低「2単位」を取得しなければならない。

 一方、指導要領には、「特に必要のある場合には、その単位数の一部を減じることが出来る」という記載もある。例えば「数学」で難度の高い内容までは教える必要のない高校が使うような例外措置だ。茨城県教委では、これを利用し、未履修だった4単位について、3単位の補習で済ませることを検討している。
(読売新聞) - 10月29日3時12分更新
******************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061029-00000001-yom-soci

これは、全国のマンションの耐震強度を調査したら、基準に達しないマンションが続出したので、例外的に基準を下げて合格にする(救済する)、という話と同じです。基準に達していないマンションだって今すぐ壊れて人が住めなくなるわけではないし、必修単位を履修していない生徒だって大学で学ぶ能力がないわけではない、というわけです。しかしそんなことがまかり通るようでは、そもそも法律とか基準とかいうものは必要なくなります。こんなことをやっていたら、この国はめちゃめちゃになりますね(かなりなりかかっていますが)。

多くの高校で卒業に必要な科目を履修させていなかったのには理由があります。それは地方の公立進学校が完全に受験予備校化していることです。そのため、

(1)受験に出ない科目を勉強させるのは、時間と労力のムダ
(2)あまった時間を受験科目の勉強に費やせば、大学合格率をアップさせられる

という発想が出てきます。

その背景には、多くの大学で受験科目数が大幅に削減されてきたことがあります。私立大学文系では英・国・社の3科目が当たり前で、社会も1科目だけというところがあるようです。私立大学に学生を奪われることを危惧した国立大学も一時期どんどん受験科目数を削減しました。ちょっと考えればわかることですが、受験科目が減れば、受験の負担が減るわけでも、受験競争がやわらぐわけでもありません。これは「受験勉強がたいへん」というマスコミや世論に迎合した結果です。

ところが、入学してくる学生のあまりの学力の低さと知識のなさに、国立大学のほうも危機感を深め、最近では大学入試センター試験で理科2科目、社会2科目、英・数・国をあわせて計7科目を課す大学が増えていると聞きます。しかし、いったん甘やかされた生徒たちは、昔のように勉強しようとしません。センター試験で受験しない科目はできるだけ手抜きしたいと考えるのは自然の流れです。

昔の話になりますが、40年ほど前、私が国立大学を受験したときは、高校では理科は物理、化学、生物、地学の4科目を学び、社会では日本史、世界史、地理、公民(とは言わなかった思いますが、そういう内容)の4科目を学び、受験科目は理科2科目、社会2科目でした。そのころはマークシート方式のセンター試験もなく、本番の入試(記述方式)で7科目受験だったのです。それでも高校の授業にも受験にもとくに不満はありませんでした。みんなが同じ条件だったからです。

ところが、受験科目数を削減したために、少ない科目でかえって点の競争が激しくなり、そのため、どこかで手抜きをして、余った時間で受験科目の点を上げよう、という発想になったのではないかと思います。この手抜きが全国ほとんどすべてで行なわれているということは、偶然ではなく、まさに現在の受験制度に抜け駆け的に(とはいっても全国で同じことを考えるので、やらなかった高校が例外的に損をするだけなのですが)、最適化した授業形態を各高校が採用した、ということです(違法を承知で)。必修科目を学んでいなくても、一流大学への合格者を増やせば、よい高校ということになります(今はやりの数値目標!)。それは、現在の建築確認制度では構造計算の偽装がなかなかチェックできないので、見えないところはできるだけ手抜きをして、目に見えるところだけ豪華にした安いマンションを売ったほうが儲かる、というのと同じ発想です。

その際、多くの高校でパスされるのが、暗記すべき事項が多い世界史だそうです。これはとんでもないことです。この国際化の時代に世界史の基本的な事実も知らないで、日本と日本人が世界の中でどうやって生きていこうというのでしょうか。

私も大学で教えていますが、最近の学生の世界史に関する知識のなさにはあきれることがあります。受験で取らなかっただけではなく、高校で勉強さえしていなかったわけです。謎が解けました。

大学受験のデータをすべて把握している文科省は、日本の若者が世界史を勉強していないということを知っていた(知らなかった、とは言わせません)にもかかわらず、それを長年にわたって放置していたのです。世界に出て恥をかくような日本人をつくりだしてきたのです。日本の文教政策を担当する官庁として許されないことです。

微積分や物理や化学ができなくたって、世界史や日本史の知識がなくたって、世間で生きていく上で問題ない、という議論もありますが、少なくとも、将来、日本社会の指導的立場に立つ人々がそれでは困ります。最低限の知的常識は身につけておかなければなりません。高校はそれを教授する場であるはずです。

こういう違法な手抜き授業を直すためには、40年前のやり方に戻すのがいちばんだと思いますが、国立大学と私立大学の入試制度の違いでそれができないというのであれば、現在のセンター試験を高校卒業資格試験にして、高校で必修とされている基本科目はすべてセンター試験で基礎学力を測定すればよいのです。その試験レベルは、普通に授業を受けていれば誰でも合格できる基礎的なものにし、合格できるまで何回でも受験できるようにすればよいでしょう。

そうすると、高校を卒業できなくなる生徒が大量に出てくる心配があるというのであれば(大学全入時代ですから、相当学力の低い子でも受けいれないと、つぶれる大学が続出するでしょう)、高校卒業資格にAとBというようなレベルの差をつけてもよいでしょう。それぞれの大学で、レベルAないしはレベルBを入学要件とすればよいのです。今だって、数学Aと数学Bのレベルの差があります。

現在のように国立大学ではセンター試験を一律に受けさせ、その成績を入試成績にカウントするというやり方は、百害あって一利ありません。国立大学を目指す生徒は、みな同じ受験テクニックを身につけるために必死になります。これでは画一化した日本人しか生まれません。

センター試験(高校卒業資格試験)は高校の授業の基礎的到達度をチェックするだけに利用し、大学入試はそれぞれの大学で特色あるものにすればよいのです。そうすれば、センター試験の点を1点でも上げるために、少ない科目だけを勉強してあとは徹底的に手を抜く、という現在の歪んだ高校教育はなくなるでしょう。

安倍政権の最大の目標は教育改革だそうです。教育基本法の改正などということよりも、まずセンター試験を中心とした今の受験制度を根本的に見直すことこそ先決問題ではないでしょうか。

臓器移植の闇

2006年10月28日 | Weblog
少し前の話ですが、愛媛県で腎臓移植の腎臓が金銭で売買されたことが発覚しました。このような臓器売買はかなり広がっているようです。

******************
 愛媛県宇和島市の臓器売買事件をきっかけに、厚労省は全国の医療機関に注意を呼びかけているが、一方で「売買を解禁してほしい」という声もある。
「今回の事件の背景にあるのは、深刻なドナー(臓器提供者)不足です。日本には糖尿病患者が約220万人いて、うち26万人が人工透析を受けている。これに対し、生体腎移植が行われたのは昨年834件だけ。臓器移植法やドナーを親族に限定する日本移植学会の倫理指針があるため、日本では移植手術を希望しても約30人に1人しか移植のチャンスがないのです」(移植医療関係者)
 こうした国内の“供給不足”から、移植希望者は海外へと向かう。世界の臓器ビジネスに詳しい岡山大大学院の粟屋剛教授(生命倫理)が言う。
「肝臓や腎臓の移植を受けられるのは、主にフィリピン、中国、インドです。臓器の代金はどこも移植手術代とセットで、インドが約100万円と最も安く、フィリピンと中国は1000万円前後。使われる臓器はインドとフィリピンが主に貧困層が売ったもの、中国では死刑囚のものです。これまで日本人が海外で臓器を買い移植した数は中国で数百人、フィリピンで数十人、インドは数人程度。アジアでの移植はドナーの身元が不明確な場合が多く、病気などの不安もあって、日本人には普及していません」
 そういえばプロレスラーのジャンボ鶴田も00年にフィリピンで肝臓移植したものの、手術中に亡くなっている。日本でもっと簡単に移植手術が受けられるようにはならないのか。
「医学の進歩により、人間の身体は“商品”として価値のあるものになっています。しかし日本人にはその現実を受け入れたくない感情がある。だから学術的議論が不十分なんです」(粟屋剛氏=前出)
 解決の道は遠い。
******************
http://gendai.net/?m=view&g=wadai&c=050&no=17324

この記事にもあるように、日本では臓器移植を希望する人に比べて、臓器の提供が少なく、そのため海外で移植を受ける人が増えています。とくに、日本では子供からの臓器提供は認められていないので、子供への臓器移植は海外で行なわれることになり、時々、アメリカで子供に移植手術を受けるために数千万円、数億円の募金を集める、という話題があたかも美談のように報道されます。

「これまで日本人が海外で臓器を買い移植した数は中国で数百人、フィリピンで数十人、インドは数人程度。〔東南〕アジアでの移植はドナーの身元が不明確な場合が多く、病気などの不安もあって、日本人には普及していません」とあるように、現在、多くの日本人が臓器移植を受けるのは中国です。

中国には「中国国際臓器移植支援センター」という、外国人に大々的に臓器移植の斡旋をする機関があります。

中国は慈善事業として外国人に臓器移植をしているのでしょうか? そんなに臓器があるのであれば、まず自国民に移植を行なうべきでしょうが、貧しい中国人は高額の手術費を払うことはできません。1000万円も払えるというのは日本人や欧米人でしょう。はっきりいえば、中国は臓器移植で金儲けをしているわけです。

中国は移植用の臓器をどのように確保しているのでしょうか? この記事にもあるように、それは「死刑囚」の臓器です。どういう死刑囚でしょうか? それは法輪功などの反体制派の死刑囚です。中国は反体制派から「臓器狩り」をしていると言われています。

日本人が中国で臓器移植を受けるということは、中国の人権無視の臓器狩りに手を貸すということを意味します。まさに殺人に協力しているわけです。

アジア・アフリカの貧困国では、移植臓器として利用するために、子供たちが誘拐されるケースがあります。子供たちの体はあらゆる「パーツ」に分解され、それらの臓器は欧米や日本などの金持ち国の子供たちにひそかに移植されるのです。「人間の身体は“商品”として価値のあるものになっています」――恐ろしいことです。

臓器移植というのはそもそも、やってはいけない禁じ手、まさに「神域を汚している」医療です。それは、他人の死を前提にして自分が生き延びる、という行為です。それは基本的には「人食い」と同じことではないでしょうか。死体からの臓器移植は許される、というのは、人間も死体ならば食べてもいい、というのと同じ発想です。「活きのいい」死体を確保するためには、脳死者も死者と認定することが必要になります。

最近増えているのが、腎臓移植の要望です。これには糖尿病患者の増大が関係しています。糖尿病は腎臓病も引き起こす場合があります。

日本では、糖尿病患者とその予備軍が計1370万人いるそうです。まさに糖尿病大国です。粗食に甘んじていた昔の日本ではこれほどの糖尿病患者はいなかったわけですから、これは食事をはじめとする最近の生活習慣に起因していることは明らかです。ぜいたくな食事で体を悪くし、他人の臓器で健康を取り戻そうというのは、許されない行為です。

腎臓は二つありますから、一つを提供してもすぐに死ぬというわけではありません。親子や親族や友人の間では許されるケースがあるのかもしれません。しかし、お金で売買することは誤っています。

私は以前、ある若い白光の会員さんから臓器移植の相談を受けたことがあります。その方は腎臓を悪くし人工透析を受け、仕事も辞めなければならなくなりました。医者からは腎臓移植手術を勧められ、ご本人にも受けたい気持ちがあり、かなり迷ったようです。私は、移植を受けることはやはり神のみ心(真理の法則)に反することであり、霊的に大きな借財(カルマ)をつくることになるので、賛成できない。祈りと印、肉体への感謝を続けていけば、必ず乗り越えることができる、と励ましました。青年は移植手術を断念し、田舎の実家に帰り、親元で静養生活に入りました。もちろんその間、私も祈りの応援をしました。

先日、その青年と再会しましたが、すっかり明るくなり、以前よりもずっと元気になっていました。資格を取り、自宅で仕事ができるので、肉体的にも楽になった、と言っていました。その青年の深い信仰心と真剣な祈りが奇跡を引き起こしたのです。


中国のチベット抑圧

2006年10月26日 | Weblog
******************
 【北京=福島香織】9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧(25)や少年僧(15)らが、中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で放映され、国際社会を騒然とさせている。

 北京五輪を控え、「和諧(わかい)(調和のとれた)社会」構築という胡錦濤政権が提唱する“理想”の陰で行われている中国の人権蹂躙(じゅうりん)に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も調査を開始、米国などが非難の声を上げ始めている。

 映像はルーマニアの登山家、セルゲイ氏が偶然撮影したものをルーマニア民放局が14日に放映。その後、日本を含む各国でも放映され、米国の動画投稿サイト「ユーチューブ」などインターネットの映像配信で世界中を駆け巡っている。

 現場はエベレストに近いチョオーユー峰のベースキャンプから見渡せる氷河。映像は9月30日早朝、氷河の上を1列に並んでネパール国境のナンパラ峠に向かって歩いている約30人の行列を見下ろすように撮影されている。警告発砲音が響いた後、次の発砲音で先頭の尼僧が倒れた。カメラは銃を構える中国兵士の姿、続く発砲で行列の最後尾の少年僧が倒れる様子、倒れた人を抱き上げる兵士の姿をとらえ、目撃した登山家の「犬のように撃ち殺された」というコメントが流れる。

 セルゲイ氏がテレビのインタビューに答えたところによると、一行はチベット仏教徒でダライ・ラマ14世に会うために亡命を敢行した。セルゲイ氏は兵士の襲撃を逃れた亡命者を助け、食料や衣類を分け与えたという。

 この事件について12日に中国当局は、兵士が違法越境者に対し引き返すように説得したものの、「(抵抗したため)発砲した。正当防衛だ」との公式見解を発表。1人が死亡、2人が負傷したとしている。

 しかし、映像が公開されたことで、亡命者の約半分が6~10歳の子供で、無防備な状態を背後から銃撃されたことが判明。チベットの難民組織など複数の人権団体の情報を総合すると、亡命者は全部で73人で、ネパールにたどりついたのは43人。そのほかは子供を中心に相当数が当局に拘束されているという。
(産経新聞) - 10月22日8時1分更新
******************

中国の人権抑圧は目にあまるものがあります。中国は言語も文化もまったく異なるチベットを武力で併合し、チベット人を100万人以上虐殺したと見られています。ダライ・ラマはインドへの亡命を余儀なくされました。チベット併合後は、チベットに多数の漢人を移住させ、チベットではいまやチベット人が少数派に転落しているといいます。これはまさに民族としてのチベット人を抹殺しようとする、ナチスのユダヤ人虐殺にも匹敵するジェノサイドです。

日本のマスコミは中国に対する遠慮から、これまでこのようなチベットの実情に関する報道に非常に消極的で、日本人はチベットの状況を知らされてきませんでした。第四権力であるマスコミは真実を報道していません。しかし、インターネットは、今まで隠蔽されていた中国の暗部を暴露しつつあります。

ウィグル新疆自治区(東トルキスタン)でも中国がイスラム教徒を虐殺しています。
http://www.uygur.org/japan/news.htm

このような国がオリンピックを開催する資格があるのでしょうか。



核武装論は愚論(2)

2006年10月23日 | Weblog
******************
 自民党の石破茂元防衛庁長官は22日朝のフジテレビの番組で、同党の麻生太郎外相や中川昭一政調会長が日本の核武装の議論をすべきだと発言していることに関し「きちんと議論し、なぜ核を持つことが国益にならないかを示すことが政治家の責任だ」と述べた。 (時事通信) - 10月22日13時1分更新
******************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000034-jij-pol

石破氏はたしか2003年に敵基地先制攻撃論を唱えていましたが、今回は中川政調会長や麻生外務大臣が「核保有について議論することはかまわない」と述べていることに、ブレーキをかけているようです。

もちろん、言論は自由ですから、「世界で唯一の被爆国」である日本においても、核保有について議論すること自体は自由です。しかし、どんな議論にも時と場合というものがあります。たとえば結婚式のようなおめでたい場で、離婚だとか配偶者の死別だとかについて声高に論ずることは非礼と見なされます。

中川氏や麻生氏は、「このままだと日本でも核武装論が高まりますよ。だから中国や韓国は北朝鮮にしっかり圧力をかけなさい」という戦術で核武装論についてわざわざ触れているのかもしれませんが、日本の中には以前から核武装論や憲法改定論があるので、その発言はそのまま日本の本音と受け取られる危険性もあります。

北朝鮮の核実験を世界平和に対する脅威だとして、国際社会が非難している最中に、日本もまた核武装をする気なのだ、と思わせる(誤解させる)ような発言は、北朝鮮の核武装を正当化させる、国益に反する発言です。日本の政治家が口が軽いのは気になります。

******************
 自民党の中川昭一政調会長は20日夜、静岡県浜松市内で講演し、北朝鮮の核攻撃について「あの国の指導者(金正日総書記)はごちそうを食べ過ぎて糖尿病だから考えるかもしれない」と可能性に言及した。
 その上で、中川氏は「広島、長崎に続く第3のどこかにならないために努力する。核の議論は必要で、(北朝鮮に)どう攻められないようにするか議論するのは当然だ」と述べ、日本の核武装論議の必要性を改めて主張した。 
(時事通信) - 10月21日1時0分更新
******************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061020-00000187-jij-pol

糖尿病と核攻撃がどういう関係にあるのかよくわかりませんが、かなり笑える発言です。というのは、中川氏がほとんどアル中であることは有名な事実だからです。どうやら、日本の核武装というのは「酒を飲み過ぎてアル中だから考えるかもしれない」ようです。

冗談はさておき、日本が北朝鮮を批判できるのも、日本が核兵器を持っていないからです。日本が核武装の意志を示すことは、日本もまた北朝鮮と同じ低レベルに落ち込むこと以外の何ものでもありません。

核実験は最大の環境破壊であり、地球に対する犯罪行為です。日本もまた北朝鮮と同じ犯罪国家になろうというのでしょうか。

そもそも日本には、核武装の前提である核実験ができる場所がありません。核実験をどこかの島や岩礁で行なえば、放射能を周囲にまき散らし、日本本土や近海を放射能で汚染します。日本や世界中の環境・平和団体の大規模な抗議行動を招きます。グリーンピースのような団体は、実験地域に船を出して、実験を妨害するでしょう。やるなら、地下でしか実験できません。

しかし、地下核実験はどこで行なうのでしょうか。日本は世界有数の地震・火山国です。地下核実験は地殻に悪影響を及ぼし、大地震の引き金を引くかもしれません。当然、放射能汚染も生じます。地下核実験を行なう予定の地方の住民は絶対反対の抗議行動を起こすでしょう。それでも核実験を行なうためには、日本を北朝鮮並みの独裁国家にしなければ不可能でしょう。

実験もできない兵器を実戦配備することはできません。日本の核武装など幻想です。

核武装ができない以上、日本は「世界で唯一の被爆国」という立場を最大限に利用して、核兵器の廃絶を訴えつづけることこそ国益につながるのです。日本が、核兵器を製造できる技術も材料(プルトニウム)も保持していながら、核兵器を持たないことが、日本の道義的立場を強めるのです。

核兵器というものは近い将来に必ず廃絶されねばならない武器です。

人類はいつまで核兵器と「共存」するつもりなのでしょう。核兵器は戦争抑止力であり、使用できない兵器だ、という議論もありますが、すでに広島・長崎で使用されているのです。今日の人類が、自分の手の中にある核兵器を絶対に使用しないほど賢明であるとはとうてい思えません。また核兵器をどんなに厳重に管理していても、事故は起こりえますし、盗難の可能性もあります。歴史の大潮流はいずれ核廃絶に向かわざるをえないのです。広島・長崎を経験した日本には、そのイニシアティブを取る歴史的使命があります。


耐震偽装隠蔽事件(2)

2006年10月21日 | Weblog
「きっこの日記」に、「安倍総理殿、国家に巣食う者を弾劾致します」という藤田東吾氏の新しい告発文が掲載されました。

ここでは、「エグゼプリュート大師駅前」という川崎市内のマンションの耐震偽装について告発されています。

藤田氏の主張によれば、このマンションは以下のように建設されたと言います(藤田氏の説明がわかりづらいので、整理して書きます)

(1)平成17年8月12日
 構造計算書などの書類が審査され、建築確認が降りた。
 確認済証番号 eHo.05.A-01003000-01号
 (構造計算の確認はイーホームズが行なったが、偽装を見抜けなかった)

(2)平成17年10月17日
 工事着工
 (当然、耐震性に問題のある設計図に基づいての工事)

(3)平成17年11月2日
 計画変更届けが出され、確認書が降りる。
 確認済証番号 eHo.05.A-01003000V-01号
 藤田氏は「この11月2日の計画変更は、杭の変更(現場造成杭から既製杭への変更)である。工事は10月17日に着手しており、杭の変更以外の建築計画は、当然に、(1)の確認図面通り進行しているものと考えるのが常識である」と述べています。

(4)平成18年1月24日
 再び、計画変更図面が川崎市に対して申請され、この計画変更の確認は同日付で川崎市が下ろしている。
 (この計画変更の内容はわかりません)

(5)平成18年1月26日
 川崎市が現場の中間検査を行い、合格とした。
 藤田氏は、「この規模の、中間検査とは、建物の2階部分の構造躯体までが終了した時点で行われる。よって、2日前に計画変更された図面が、現実の工事に反映されているとはまずもって考えられない。」と主張している。

(6)平成18年2月
 イーホームズは「上記建築計画の構造計算図書に偽装を認識しました。この通報を川崎市に行ないましたが、計画変更で処理したとして、それ以上の調査も追及もしませんでした。国に通報しても、関知しない、特定行政庁との間で処理してくれと言われました。田村水落が関与した多くの物件の再調査を行なうように、田中政幸課長補佐に電話で僕から話しましたが、国は動きませんでした。結果的に、構造計算が偽装されたままのマンションが、今では完成間近に到ってしまいました。被害を発生させ、拡大させてしまったわけです。」と藤田氏は主張している。

問題は、(1)の偽装されたままの構造でマンションが建設されたのか、(4)の計画変更で構造計算がやり直されて適法な構造になったのか、ということですが、それは、実際に建物を調べてみなければわかりませんが、常識的に考えると欠陥マンションである可能性が高いと思われます。

最大の問題点は(6)です。2月にイーホームズが構造計算の偽装に気づき、それを川崎市に連絡した時点で、川崎市は当然、工事をストップさせ、建物の耐震強度の再調査をするべきでした。ところが、川崎市は「計画変更」が出されているので、その必要はない、として何も行動しなかったのです。また、国土交通省住宅局建築指導課の小川冨吉課長と田中政幸課長補佐も何の対応もしなかったのです。

2月というと、姉歯物件の耐震偽造がまだマスコミの話題になっていたころです。そういう時期に別の物件で、話題のイーホームズによって耐震偽造が指摘されたのに、市や国は問題のマンションをなぜ調査しなかったのでしょうか? そのため、耐震性に疑念のあるマンションがほぼ完成し(平成18年11月完成予定)、42戸のうちすでに30戸以上が成約しているといいます。このマンションを買ってしまった人はどうなるのでしょうか? 入居前であることがせめてもの救いで、解約できれば最善です。

契約者がすべて解約したら、建築主の伸明ハウジングは大損失ですが、その賠償はどこに請求することになるのでしょう? イーホームズにはできませんね。偽装設計をした田村水落氏でしょうか? もちろん、藤田氏の告発が正しければ、田村氏は責任はまぬがれません。しかし、2月にイーホームズからの指摘があったにもかかわらず、何もしなかった行政側も責任をまぬがれません。

今回の藤田氏の告発がなければ、行政はこの疑惑マンションをそのまま買い手に買わせてしまうつもりだったのでしょうか? 入居のあとで耐震偽装が発覚したら、誰がその責任をとるのでしょうか? 姉歯とヒューザーに責任を押しつけたように、田村氏と伸明ハウジングに責任を押しつけるのでしょうか? それとも、黙っていれば、どうせ大地震が起こるまで誰にもわからない、起こったら起こったで、すべて地震のせいにすることができる、とでも考えていたのでしょうか?

行政が一般国民の生命と財産を守ろうとしないことは恐ろしいことです。これは不作為の悪ではないでしょうか? こんなことがいつまでもまかり通るようでは、誰も国を信じることができなくなります。

マスコミはこの問題をなぜ報じないのでしょう? 新聞・テレビはこの問題を徹底的に追求し、解明してもらいたいと思います。

こういう問題が徹底解明されるまでは、マンションは買わないほうがいいですね。


耐震偽装隠蔽事件

2006年10月19日 | Weblog
昨年末、マンションやホテルの耐震偽装問題が日本中を騒がせたことは、まだ私たちの記憶に新しいところです。

そのとき、渦中の一人となったイーホームズの藤田東吾氏が、10月18日、執行猶予付きの有罪判決を受けました。ただし、有罪の事由は、耐震偽装ではなく、会社設立の時の「見せ金」という法律違反です。

*************************
 耐震データ偽造事件で、増資を装ったとして電磁的公正証書原本不実記録・同供用(虚偽登記)罪に問われた民間の指定確認検査機関「イーホームズ」(東京都新宿区、廃業)社長、藤田東吾被告(45)に対し、東京地裁は18日、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役2年)を言い渡した。青柳勤裁判長は「業績を上げるため法令の潜脱(脱法)もいとわない身勝手な考え」と述べる一方、起訴事実と耐震偽装との関連性は否定した。一連の事件で起訴された6被告のうち初の判決。
 公判で検察側は「見せ金増資をもとに業務を拡大した結果、人手不足で十分な検査の実施に支障をきたした」として、起訴事実が偽装見逃しにつながったと主張。しかし判決は、見せ金増資とその後の検査業務で構造計算書の改ざんを見過ごした一連の問題との関連について「本件後の資本金増額や業務の拡大、国認定の構造計算プログラム変更など、さまざまな要素が介在している」と指摘。「見せ金増資と偽装見逃しに因果関係があるのかどうかは証拠上明らかでない」と判断した。
 藤田被告も公判で見せ金増資を認めつつ、耐震偽装事件との関連を否定していた。
 判決によると、藤田被告は01年10月に同社の資本金を約2300万円から約5000万円に増資したとする法人登記の変更を申請した際、実際には資金がなかったため、知人の司法書士(67)=起訴猶予=から一時的に借り入れた資金などで増資を装い、虚偽の登記申請をした。同社はこれをもとに同12月、検査機関の指定を受けた。
 同社は元1級建築士の姉歯秀次被告(49)=建築基準法違反などで公判中=が強度を偽造した99物件中、37件の偽造を見逃し、5月に検査機関の指定を取り消されている。【篠田航一】
(毎日新聞) - 10月18日17時12分更新
*************************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061018-00000017-maip-soci

藤田氏は記者会見の場で爆弾発言をしたのですが、東京新聞をのぞいて、大手新聞もテレビもそれについて一切触れていません。

その内容は、アパ・グループのマンションでも耐震偽装が行なわれている、という内容です。

アパ・グループというと、ちょっと変わったおばさん社長がテレビのコマーシャルに登場したこともある、かなり有名な企業です。私もアパのホテルに泊まったことがあります。

イーホームズはアパのマンションの構造計算をして、それが偽装されていることを発見し、藤田氏はその事実を国交省に訴えたにもかかわらず、その訴えは無視されて、そのうち逮捕されてしまったのです。これはまさに国による口封じだ、と藤田氏は主張しています。

アパのホームページを見ましたが、たしかに藤田氏が指摘しているマンションはイーホームズによって構造計算に問題がある、という案内が契約者に対してなされていました。

アパの社長の一人・元谷外志雄氏は安倍晋三氏の後援会「安晋会」の副会長をしているといいます。ヒューザーの小嶋社長も安晋会のメンバーでした。耐震偽装隠蔽問題は安倍晋三氏と関係している疑惑が浮かび上がってきました。詳しくは「きっこの日記」をお読みください。


私は藤田氏やきっこ氏の主張が真実かどうか、現在の時点では判断することはできませんが、大手マスコミがこのような重大情報を無視し、国民に対して隠蔽していることはおかしいと思います。多くの人々の生命と財産が関わる問題です。マスコミは藤田氏の主張が事実かどうか検証し、公表すべきです。そしてまた、安倍晋三氏が自己の保身のために真実を隠蔽するような政治家であるならば、日本の安全が重大な危機に瀕しているこのような時期に、日本の運命を託すことはできません。嘘偽りによって、日本が誤った方向に導かれてはたまったものではありません。

核武装論は愚論

2006年10月18日 | Weblog
北朝鮮の核実験は、失敗だったようです。

*********************
2006年10月17日01時11分
 ネグロポンテ米国家情報長官は16日、米国が北朝鮮の核実験発表後の11日に周辺地域で採取した大気を分析した結果として、「放射性物質が検出され、北朝鮮が9日に地下核爆発を起こしたことが確認された」との声明を出した。場所は咸鏡北道(ハムギョンプクト)豊渓里(プンゲリ)付近で、爆発規模はTNT火薬換算で1キロトン以下だったとした。

 北朝鮮が9日核実験を発表して以来、一部には通常火薬を使って核実験を偽装したなどの見方も出ていたが、米国は同長官の声明で北朝鮮の核実験を公式に確認する形になった。

 爆発規模は、初期型核兵器として通常考えられる数~20キロトンをはるかに下回ることになる。プルトニウムを使った核爆弾が完全な起爆に成功せず、「未熟核爆発」に終わった可能性が高いとみられる。

 CNNなどの米メディアは13日、情報機関が大気標本分析で放射能を検出したと伝えていた。
*********************
http://www.asahi.com/international/update/1017/002.html

北朝鮮が核実験をしたために、日本も核武装しなければ、という声が聞こえてきていますが、「唯一の被爆国」ということはさておき、常識的に考えてみても、そんなことはできるはずはないし、してはならないことです。

(1)核拡散防止条約 NPT
 日本は核拡散防止条約に加盟しています。これは、核兵器保有国が増えることを防ぐために、核兵器保有をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に制限する条約です。これがきわめておかしな不平等条約であることは言うまでもありませんが、それについてはここでは論じません。NPTに加盟していないインド、パキスタンが核実験を行なったとき、アメリカはしばらく経済制裁を科しました。日本が核実験をしたら、NPTへの違犯ですし、当然、アメリカや中国から経済制裁を受けることになります。貿易に依存している日本の経済はがたがたになります。日本人にはそこまでして核武装をする心構えがありますか?
 アメリカは日本の核武装を容認するだろう、という議論もあります。しかし、アメリカが日本の核武装を認めたら、イランなど他の国の核武装に反対することができなくなります。日本の核武装は核兵器を非タブー化し、核保有国は一気に増えるでしょう。それは核がテロリストの手にわたる機会を増やし、それがアメリカ国内で使用される危険を高めます。そのようなことを考えると、アメリカは日本の核武装を認めることはありません。

(2)核ドミノ
 日本が核武装したら、当然、韓国も核武装します。台湾もするでしょう。中国は日本向けの核ミサイルを増やすでしょう。それは日本の安全を高めることにはならず、かえって危険を高めます。

(3)核では国民を守れない
 実際に中国や韓国などの近隣諸国と戦争になり、最後の手段としてお互いに核を使わざるをえない状況になった時、相手の核ミサイルは数分で日本に到達しますが、これを防ぐ手段はありません。日本が報復として敵国に核ミサイル打ち込んで、敵に大きな打撃を与えても、その前に日本も大きな被害を被っています。それを避けたいというのであれば、敵が攻撃する前に、敵国全土に核ミサイルを雨あられと撃ち込んで、敵国民を全滅させねばなりません。しかし、敵が核攻撃をするかどうかもわからないときに、日本から先に核攻撃をしかけることが許されるでしょうか? いくら「自衛」という名目であれ、そのような大量虐殺を行なえば、日本は、未来永劫、ナチス・ドイツ以上の犯罪国家のレッテルを貼られ、国際社会の中で生きていけなくなるでしょう。

冷静に考えれば、日本が核武装することは何の益もないのです。日本の核武装を肯定するような人は、ほんの少し先の国際情勢も読めない愚か者です。

もちろん、現在のように、一部の国だけが核兵器を独占しているという状況は改められねばなりません。そのためには、核保有国が真剣に核廃絶に向かわなければなりませんし、そのためのイニシアティブを日本が取らなければなりません。

北朝鮮が核を持っているのに、核兵器なしでどうやって日本を守るのか、と言う人がいるでしょう。

北朝鮮が核を持っているとしたら、どんな時に使うでしょうか? 北朝鮮がある日突然、先制攻撃的に日本に核を打ち込むなどということはありえません。そんなことをしたら、アメリカの報復によって自分が亡びることを、金正日は知っています。

色々な識者がすでに言っていることですが、北朝鮮は金正日体制を守るために、その最後の拠り所として核兵器を開発しているのです。北朝鮮が核を使うとしたら、それは自国が他国から攻め込まれ、亡びることがわかったとき、他国も地獄への道連れにするために核を使うのです。そういうことを避けたかったら、核を持っている自国には手を出すな、と北朝鮮は言っているのです。

核を使わなくても、通常のミサイルでも東京やソウルに撃ち込まれたら、多数の死傷者が出ます。

ですから、北朝鮮と戦争を起こすことは絶対に避けねばなりません。戦争になれば、装備劣悪な北朝鮮軍はすぐに敗れます。それは北朝鮮を自暴自棄に追い込み、核使用の危険性を高めます。

どんなに迂遠に思えようとも、国際社会の一致した団結によって、北朝鮮に核の放棄を迫り続けるしかありません。北朝鮮の死活を握っている中国も北朝鮮に厳しい姿勢を見せていることはよいことです。国際的な包囲網によって、いずれ北朝鮮の内部で変化が起こるのを待ちましょう。



北村サヨ

2006年10月10日 | Weblog
安倍晋三首相は色々な宗教団体との関係がうわさされています。今回の訪中に先立ち、創価学会の池田大作氏に会ったことが報道されています。

*********************
 関係者によると、公明党支持母体である創価学会の池田大作名誉会長が安倍氏と極秘に会った。日中関係も話題にのぼったとされる。その直後の9月29日、池田氏は中国の王毅(ワン・イー)大使に会った。

 創価学会の機関紙「聖教新聞」によると、池田氏は王氏に対して「日中友好の誓いは断じて果たしていく」と伝えた。
*********************
http://www.asahi.com/politics/update/1007/001.html

*********************
 安倍晋三首相が先月20日に自民党総裁に選出された後、首相就任前に公明党の支持母体・創価学会の池田大作名誉会長と極秘に会談し、来夏参院選や対中関係をめぐり意見交換していたことがわかった。

 関係者によると、26日の安倍政権発足以前に、東京都内の創価学会の施設で行われた。安倍首相は総裁選直後に秋谷栄之助会長に電話で就任あいさつした際、池田氏との面会を要請したという。

 席上、首相は父、安倍晋太郎元外相が生前、池田氏から厚誼(こうぎ)を受けたことに謝意を表し、参院選での公明党や創価学会の協力を要請。池田氏は「しっかり応援したい」と述べ、協力を約束したという。また、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で冷え切った日中関係の早期改善が重要との認識で一致。さらに池田氏は国連を中心とした平和外交の必要性にも言及した。

毎日新聞 2006年10月8日 東京朝刊
*********************
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/08/20061008ddm002010107000c.html

山岡俊介氏の「アクセスジャーナル」はすでに、安倍氏の統一教会、慧光塾(えこうじゅく)、神道政治連盟などとの関係について報道しています。

先週の『週刊朝日』(10月13日号)は「安倍晋三と新興宗教」と題する特集を行なっていました。それによりますと、安倍氏はさらに真言宗の池口恵観氏を頼りにし、また札幌市南区の霊園には、晋三氏の母洋子氏をモデルとした巨大な「洋子観音像」も建てられているとのことです。

この記事によりますと、安倍家の宗教好きは、祖父の元首相・岸信介氏の時代にさかのぼるようです。

*********************
 岸氏の故郷、山口県田布施町に「天照皇大神宮教」という新興宗教がある。岸氏はこの団体の教祖・北村サヨ(故人)という女性から、終戦直後、「総理大臣になる」と予言された逸話がある。同宗教団体はこう説明する。
 45年8月、神経痛に悩んでいた岸氏は教祖と話したことによって痛みが消えた。その後、A級戦犯の逮捕命令が出た岸氏が教祖に、
「覚悟は決めています」
 とうなだれると、教祖は、
「犬腹は切るな。死刑にはならない」
 と励まし、岸氏のため、朝昼晩説法をした。その後、岸氏は実際に首相になり、教祖に深く感謝し、首相を辞めたあとも、お参りを続けたという。
*********************

岸信介は終戦直後、A級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収監されましたが、冷戦の激化の中でアメリカの対日政策が変わり、有能な官僚であった岸氏は不起訴となり、東条英機ら7名の戦犯が処刑された翌日に釈放されました。

北村サヨは田舎の農婦でしたが、ある日、神憑りになり、「天照皇大神宮教」の教祖となりました。

「犬腹を切る」という表現は初めて見ましたが、北村サヨが「犬死に」と「切腹」からつくった合成語でしょう。早まって自殺などして犬死にするな、とサヨは岸信介を励ましたのです。

北村サヨと「天照皇大神宮教」について――

*********************
教祖(大神様)・北村サヨ(1901-1968)は、農民であった浴本長蔵の四女として山口県に生まれた。幼少の頃より男まさりで、物に頓着しない性格であったという。大正9年に同県熊毛郡田布施町の北村清之進と結婚、同家が教団発祥の地となる。
姑による執拗ないじめと過酷な農作業に耐え、かなりの労苦を重ねた。昭和17年8月12日に離れ屋敷が放火に遭ったことが契機となり、祈祷師より神参りの行を進められる。行を続けるうち、昭和19年5月4日に突如として肚の中のものが自分に話しかけ命令するという不思議な現象が起こり、それから6日目にして「名妙法蓮華教」と唱えろとの命があった。昭和19年9月ごろより、肚の中の神が語る内容を人々に知らせるため、街中での辻説法が開始される。

昭和20年元旦の朝、肚の中の神より「来年は紀元元年、神の世じゃ」というお告げがあった。「満州も朝鮮も台湾も樺太も要らぬ、日本の本土さえあればいい」というお告げも継いで出た。サヨは「そんなら戦争に負けるのか」というと、肚の中の神は「いや絶対に負けはしない。世界の指導者になるのだ」と答えたという。

昭和20年7月22日より、自宅で「無我の舞」を踊りながらの歌説法が開始された。サヨの口から、意思とは関係なく肚の中の神の言葉がついて出るのである。教団ではこの日を本部道場における最初の説法の日として記念日にしている。この日の説法の中には日本の敗戦を予告する内容があったという。

そして昭和20年8月12日の説法で、宇宙絶対神である「天照皇大神」が、サヨの肚を宮として天より降り、翌昭和21年を「神の国開元の年」とすることが明らかにされた。教祖誕生の瞬間である。ちなみにこの日はポツダム宣言受諾の翌日であり終戦直前であった。教団ではこのお告げにより、昭和21年を紀元元年とする独自の年号「神の国年」を用いることになった。

昭和21年1月、教祖北村サヨ以下布教団一行は上京し東京での辻説法を開始する。最初の説法は高田馬場駅前で、その後吉祥寺駅前広場で「無我の舞」を披露したり、“生長の家”本部を訪れ谷口雅春に問答を挑んだりしたという。サヨの説法は挑発的であったが、歯に衣着せぬその説法には反感をもつ者以上に瞬時に魅せられる人も数多くいたという。

その後短期間で日本各地を回り積極的な布教が展開された。3度目の上京の時にはニュース映画の取材が終始付きまとい、「無我の舞」やサヨの型破りな説法を記録に収め、報道された。サヨは映像の効果について十分理解しており、取材には気軽に応じたという。メディアの発達していない時代にその効果を熟知しているというところが、ただの気が狂った婆さんとは思えないところである・・・

昭和27年からはハワイおよびアメリカ本土への布教を開始、昭和39年(東京オリンピック開催年)からはアジア諸国へ、さらに昭和40年からは欧州へとその布教活動を広げていった。
北村サヨは昭和43年に逝去するが、遺言として孫娘である北村清和(姫神様)を教団の後継者に指名した。教団本部は発祥地である山口県熊毛郡田布施町にあり、国内にもいくつか拠点をもっているようであるが定かではない。教団HPも存在しないようだ。
*********************
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/tenshokotaijingukyo.html

私が五井先生にお会いした昭和40年年代半ばには、北村サヨは「踊る宗教」の教祖としてまだある程度名前が知られていましたが、現在ではほとんど忘れられた存在でしょう。

五井先生は聖ヶ丘講話の中で、北村サヨについて触れたことがありました。北村サヨは、人々に対して「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」と呼びかけた(罵倒した?)ことで有名でしたが、五井先生は、「北村サヨには、肉体人間がウジ虫に見えたんでしょう」と言っておりました。

五井先生は、北村サヨはある程度は神のメッセージを伝えた人だと見ていたようです。北村サヨに憑依したその「神」からすると、神を忘れ、ひたすら物欲に走る戦後の日本人は、まさにウジ虫に等しい存在であったのです。北村サヨがいま生きていれば、おそらく同じ罵倒を現代人に投げつけるでしょう。

近世日本には、北村サヨと似たような女性の新興宗教教祖がかなり誕生しました。有名なのは、天理教の中山みき、大本教の出口なおです。これらの女性教祖はいずれも、特別な学問も宗教的修行もない庶民でしたが、非常に苦しい人生の中で、ある日突然神憑りになり、予言や宗教的言説を吐くようになります。それらの宗教的言説は、専門的な勉学や修行をへた宗教専門家(僧侶、神官)のそれとは違い、言語表現は稚拙ですが、ある種の迫力と魅力に満ちています。そして、その魅力に惹かれて、救済を求める人々がその周囲に集まり、新興宗教団体が形成されます。

五井先生は、中山みきも出口なおも北村サヨも、それなりに神のあり方の一面を伝えた人と見ていたように思われます。しかし、このような「神憑り」的な宗教のあり方は、それがどんなに奇跡を生み出そうと、現代人の知的教養とは相いれません。「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」とか「踊る宗教」では、信者はちょっと気恥ずかしくなるでしょう。霊的指導者といえども、高い知性と教養がなければなりません。

現代の宗教指導者は、「完全なる理論、完全なる慈愛、完成された霊力、神秘力」の三つの持ち主でなければならない、と五井先生は述べています。

*********************
理論がいかに完全であっても、理論だけでは大聖ではない。霊力、神秘力がいかにすぐれていても、それだけでは大聖ではない。たとえこの二つをあわせもっていたとしても、それを仏ということはできない。完全なる慈愛を根柢にして、完成された理論と、完全なる霊力、神秘力をもっていなければ自由自在にこの世界の業を消滅させ、地上世界を救う中心者とはいい得ない。(『天と地をつなぐ者』168頁)
*********************

今さらながら、この三つを兼ね備えていた五井先生の偉大さがしのばれます。



北朝鮮の核実験

2006年10月09日 | Weblog
10月9日に北朝鮮がついに核実験を行ないました。とても危険な行為で、北朝鮮はいまや崩壊に向かって転落しはじめたといってよいでしょう。非人間的な金正日体制が壊滅するのは時間の問題ですが、その崩壊が日本も含む周辺諸国に多大の被害を及ぼさない形で起こることが望まれます。そのためには一人でも多くの人が北朝鮮に世界平和の祈りの光明波動を送り続けることが大切です。


靖国神社(2006年9月号)

2006年10月07日 | バックナンバー
 七月二〇日の日経新聞の朝刊に、元宮内庁長官の富田朝彦氏の手帳に記された昭和天皇のお言葉が報道された。

「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

 インターネットや週刊誌では一時、メモ捏造説や、この発言の語り手は別人(徳川侍従長)だという説も流されたが、様々な検証によって、このメモが昭和天皇のお言葉を反映していることは確実だと見られている。昭和天皇は、一九七八年に松平永芳宮司が、松岡洋右元外相や白鳥敏夫元駐伊大使を含むA級戦犯一四名によって靖国神社に合祀されて以来、靖国参拝を取りやめたというのである。

 A級戦犯というのは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で「平和に対する罪」で有罪とされた政治・軍事の指導者たちである。この裁判は事後立法であり、また戦勝国側の戦争犯罪(たとえば原爆投下)が裁かれていないという不備がある。裁判官の一人、インドのパル博士は東京裁判を否定している。松平氏は、日本の戦争は邪悪な戦争であった、という「東京裁判史観」否定論者であり、合祀によってA級戦犯とされた人々の名誉を回復しようとしたのであった。

 一般の戦没軍人を追悼することに異論を唱える人はいないし、明治以降の歴史の中で、靖国神社はそのような場として日本国民の間に定着してきた。しかし、A級戦犯が合祀された靖国神社への政治家の参拝をめぐっては、毎回のように国の内外から様々な意見が寄せられ、神社への参拝が、純粋な祈りからはずれ、政治的な論争のテーマとなってしまったことは残念である。

 昭和天皇がA級戦犯合祀以来、靖国神社参拝を取りやめたのは、それが戦前の軍国主義を肯定し、戦後の平和主義を否定することにつながると危惧されたからではないかと思う。天皇は、一九八八年四月の最後の誕生日記者会見で、

「何と言っても、大戦のことが一番いやな思い出であります。戦後国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後共そのことを国民が良く忘れずに平和を守ってくれることを期待しています」

 と語っている。

 靖国神社を政治的論争の場とするのではなく、国民一人一人が戦没者に平和の祈りを捧げる場とするためにはどうしたらよいか。私どもには、昭和天皇の遺言を深くかみしめ、知恵を出しあい、国民的合意を形成していく責務がある。

潘基文氏、国連事務総長に

2006年10月03日 | Weblog
朝日新聞より――

*********************
潘氏「喜び、責任感じる」 韓国、周到な計画で浸透
2006年10月03日16時17分

 「安保理理事国の信頼と支持を得て、喜びと同時に重い責任を感じる。我が国の国益にも貢献し、外交の幅が広がるよう努力したい」。潘基文(パン・ギムン)・韓国外交通商相は3日朝、語った。

 韓国のテレビやラジオは「とってもうれしいニュースです」と前置きしながら予備選の結果を「内定」「ほぼ確定」などと伝えた。外交通商省は「あくまでも予備投票。最後にひっくり返ることもありうる」とぬか喜びを心配し、主要メディアに対して「正式に決まるまでは特集記事や特別番組を控えるように」と非公式に要請しているが、すでにYTNテレビなどは長々と特集番組を放映している。

 韓国にとって、国連事務総長のイスは二つの重みがあった。先進国入りをうかがう韓国が、国際政治の舞台に初めて人材を送り出すこと。もう一つは、56年前の朝鮮戦争の際、国連軍の参戦で休戦に持ち込んで以来、恩人であり超えられない存在だった国連がやっと身近になることだ。

 そのために、大統領府と政府が団結して昨年来、周到な「当選プロジェクト」を立てた。次期事務総長をアジアから選出するよう周辺国と協調しつつ、世界の関心が集まり始めた2月に潘氏の擁立を発表。現職外相という動きやすい立場で、国連など国際会議や大統領の海外訪問随行の機会を最大限に利用し、各国首脳との面識を深めていった。国内メディアには「事務総長選に絡む報道はなるべく控えて欲しい」と再三要請し、「静かな浸透」を図った。

 潘氏自身、70年代後半から国連代表部書記官や在米大使館の参事官、公使を歴任し、国連や米国の外交官僚に太い人脈を持っていることもプラスに働いた。「韓国人が国連の中心に座ることは、全国民にとっての悲願だった。やっと現実に目の前に迫ってきた」と、ある政府関係者は感慨深く話した。
*********************
http://www.asahi.com/international/update/1003/009.html

正直に言って、潘基文氏の国連事務総長選出に私は疑問を感じました。

国連事務総長は、国連という複雑きわまりない組織を、各国の利害を調整しつつ、中立の立場に立って、しかも理想主義を失うことなく運営しなければならないという、たいへん難しい職責です。コフィー・アナン氏はその職責を立派に果たしたと思います。

国連事務総長はまず第一に出身国の国益を離れなければなりません。国連事務総長は、たとえ出身国の国益に反しようとも、国際社会の利益を全体として増すように努力しなければなりません。国連事務総長が自国の利益のために動くようでは、事務総長に対する信頼が失われます。ところが、潘基文氏は、「我が国の国益にも貢献」することを望んでいるのです。最初からちょっと考え違いをしている感じがします。

もし国連事務総長が、その立場を利用して、韓国の利益になり、たとえば日本の利益に反する行動を取ったとしたら、日本はそういう国連事務総長を信頼できなくなります。潘基文氏が国連事務総長の職責を立派に全うしようというのであれば、何よりも国益意識を捨て、国際正義の立場で行動しなければなりません。そのとき、韓国の国益に反せざるをえない事態が生じたとき、あまりにもナショナリズム意識の強い韓国民はそれでも潘基文氏を支持するでしょうか? 潘基文氏は韓国民の評価を気にすることなく、地球的な視点で行動できるでしょうか? 残念ながら非常に疑問です。

何よりも公平性、公正性を要求される国連事務総長は、従来、いわゆる中立的な小国から選ばれるのを常としてきました。国際的に大きな地位を占めている日本人やアメリカ人や中国人は国連事務総長になれないのです。国連事務総長は何よりも、個人的な見識と能力が要求される職責です。

私には、潘基文氏の選出は、アメリカと中国の妥協の産物のように思えます。どちらも、自国にとって都合のよい人物として潘基文氏を支持したのでしょう。これに対して、イラク戦争を「国際法違反」と堂々と批判したアナン氏は、アメリカにとって非常に不愉快な人物でした。アメリカは、自国に楯突かない事務総長を求めたのです。韓国はアメリカの同盟国です。中国にとっても、韓国人は御しやすい人物に見えたのでしょう。潘基文氏はアナン氏のようにアメリカや中国の利益に反する行動を果敢に取ることはできるでしょうか? まず無理でしょう。

潘基文氏の事務総長選出が確定的になったその日に、北朝鮮が核実験をするという発表をしました。潘基文氏は、北朝鮮との同胞意識に基づいて北朝鮮に甘い態度を取ることは許されません。国際平和という立場から、北朝鮮に対して国連の毅然とした姿勢を示す必要があります。それができないようなら、潘基文氏はすぐに国際社会の信頼を失うことになるでしょう。

安倍総理のアインシュタイン引用

2006年10月02日 | Weblog
9月29日に行なわれた第165回国会において、安倍内閣総理大臣はその所信表明演説を次のように結びました。

*********************
 私たちの国、日本は、世界に誇りうる美しい自然に恵まれた長い歴史、文化、伝統を持つ国です。その静かな誇りを胸に、今、新たな国創りに向けて、歩み出すときがやってきました。

 かつて、アインシュタインは、訪日した際、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」と述べています。21世紀の日本を、アインシュタインが賞賛した日本人の美徳を保ちながら、魅力あふれる、活力に満ちた国にすることは十分に可能である、日本人には、その力がある、私はそう信じています。

 新しい国創りに共にチャレンジしたいと願うすべての国民の皆様に参加していただきたいと思います。年齢、性別、障害の有無にかかわらず、誰もが参加できるような環境をつくることこそ、政治の責任であります。戦前、戦中生まれの鍛えられた世代、国民や国家のために貢献したいとの熱意あふれる若い人たちとともに、日本を、世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子どもたちの世代が自信と誇りを持てる「美しい国、日本」とするため、私は、先頭に立って、全身全霊を傾けて挑戦していく覚悟であります。
*********************
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html

安倍さんが例の「アインシュタインの偽予言」を引用しなくて、本当によかったと思いました。あんな「予言」がアインシュタインの本ものの言葉として首相の口から出てきたら、日本の恥を世界にさらすことになりますからね。そんなことにならなかったのも、東京大学の中澤教授の啓蒙活動のおかげでしょう(笑)。

「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」とアインシュタインはどこで述べているのでしょうか? 出典はアインシュタインが雑誌『改造』に発表した「日本における私の印象」です。

「日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれる一つの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いていて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。

 ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住んでも厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、ヨーロッパ人が非常に不思議に思っていた日本人のほほえみの深い意味が私には見えてきました。

 この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょう。

〔・・・・〕

 たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていた【?】、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです」
(杉元賢治氏編訳『アインシュタイン日本で相対論を語る』(講談社)より。【?】のところは、訳者の訳し忘れで「美点」というような語だと思います。)

アインシュタインの日本および日本人観で注意しなければならないのは、彼が日本人と日本の政治・外交を区別していたということです。アインシュタインは自己抑制の強い日本人の性格に、最初のうちは違和感を感じたようですが、のちにそれに感銘を受けたことはたしかなようです。しかし、彼は満州事変以降の日本の対外侵略を厳しく批判しています。

例の「予言」のような、日本が「世界の盟主」になるだろう、などということを、アインシュタインが言うはずはないのです。

それにしても、現在の日本人が、「生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心」を失っていることは誰も否定できないでしょう。とくに、小泉政権の「改革」の中で、ホリエモンや村上ファンドをはじめとして、「金がすべて」という風潮が日本社会を覆いつくしたことは、まぎれもない事実です。安倍さんが「美しい国、日本」をつくろうというのであれば、まず小泉政治への批判から出発すべきでしょう。