平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

映画『ヒロシマナガサキ』

2007年08月09日 | Weblog
今日は8月9日の長崎原爆忌です。8月6日は広島で過ごしましたが、今日は自宅で11時2分の黙祷に参加しました。黙祷の中でなぜか涙が流れました。

そのあと、神保町の岩波ホールで『ヒロシマナガサキ』というドキュメンタリー映画を見ました。

これは日系3世のスティーヴン・オカザキ監督が作った映画で、英語の題名は「White Light/Black Rain」です。

被爆者の証言を主体に、映像と、被爆者の方の描いた絵で、広島・長崎の原爆の被災の実態を物語る映画です。映像の中には、当時アメリカ軍が撮影したカラーのものもあり、その悲惨さは目を覆うものがあります。

映画の導入は、渋谷で若者たちに、1945年8月6日に何が起こったか知っていますか、と尋ねる場面です。映画の登場したすべての若者がそれを知りませんでした。これは、編集でそういう無知な若者だけを集めたのか、それとも今日の日本の若者の大部分がそうなのか、ちょっとわかりません。日本でもそういう状態なら、まして世界では広島・長崎のことを知っている人は少ないでしょう。

知識としては原爆のことを知っていても、その被害の実態を写真や絵でもいいからかすかに知っている人となると、さらに少ないでしょう。そういう無知を啓蒙する意味で、こういう映画は必要だと思います。とくに、アメリカをはじめ、核保有国の国民に観てほしいと思います。いや、日本の中でも、平気で核武装論を唱える人々が増えていますから、日本人も観る必要があります。

映画の中には原爆の開発や投下に関わったアメリカ人も数人登場します。彼らはすべて、国のために当然のことをしたまでで、罪の意識も後悔の念も感じていない、と言います。しかし、最後に、カークという人が、

「何人か集まると、必ずバカな奴がこう言う。「イラクに原爆落としゃいいんだ!」 核兵器が何なのかまるでわかちゃいない。わかっていたら言えないことだ」

と言います。カークは、やはり心の痛みを感じているのです。

映画では、原爆の投下と日本への勝利を誇るトルーマンの姿もありました。そのトルーマンも本当は罪の意識にさいなまれていたのです。彼は朝鮮戦争のときには、原爆を使いませんでした。そういう良心のかけらが残っているかぎり、人類は同じ過ちを繰り返すことはないでしょう。

しかし、指導者の良心が麻痺して、他者の痛みが感じられなくなると、危険です。昨日のブログで紹介したリーパーさんが、「戦争文化に侵されている人たちが退場する前に小型核兵器を使うかもしれない」と危惧しているとおりです。世界平和の祈りは、そういう指導者の良心を目覚めさせ、彼らの狂気をはらう働きがあります。

映画のあとに、ソプラノ歌手のコロンえりかさんが、「被爆のマリアに捧げる賛歌」を歌いました。これは、お父様のベルギー人作曲家エリック・コロンさんが作曲した歌です。とても心打たれました。

被爆マリア像については、こちらをご覧下さい。

もともと浦上天主堂に安置されていたものですが、瓦礫の中から奇跡的に発見されました。この像は、原爆によってその生命と美と健康を奪われたすべての被爆女性の苦悩と、それにもかかわらず、平和を祈る無限なる愛と慈しみを象徴しているように思えます。

広島原爆ドームと並んで世界遺産に登録されるべき像です。

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