平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

マグダラのマリアの謎(4)

2006年05月30日 | Weblog
岡田氏の著書によると、外典の『マリヤによる福音書』では、マグダラのマリアは、「幻視を見る力に恵まれた預言者のような存在として、また、男の弟子たちを励ましさえする使徒の中の使徒として登場」するそうです。また、『フィリポによる福音書』では、マグダラのマリアはイエスの「伴侶」と呼ばれているそうです。

これらの外典はいずれもグノーシスの影響が強く、キリスト教の正典には採用されませんでしたが、マグダラのマリアに関しては福音書とは別の伝承が存在したことを示唆しています。

※グノーシスについては、「ユダはなぜイエスを裏切ったのか」2006年4月12日をご覧下さい。

五井先生は『聖書講義』の中で、マグダラのマリアについてこう書いています。

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(イエスの死後)マグダラのマリアは、そこは女性の執着の想いで、いつ迄も、墓の外に立って泣いていたのです。そこで、二人の天使と、霊身のイエスを見るわけです。
 天使やイエスの霊身を、マリアが見たということ、話したということは、マリアの体が霊波動を感じやすい体であり、霊媒体質であったから、そのエクトプラズムを利して、天使やイエスの霊身が現われた、ということでありましょう。その後の弟子たちに現われたのも、はっきりした肉体身のようにして現われてはおりますが、これもやはり、肉体人間側の霊要素をもととして現われられたのだと思います。
 ヨガの行者などでも、その身は他の地に坐しながら、弟子のところに肉体身そのままの姿で現われることができる人がおります。といっても、見る側は常に霊要素を使うことのできるような人に限られておりまして、一般の誰にでも現われたり見えたりした話はあまり聞いておりません。もし、イエスの頃に、相手側の霊要素を問題にせず、霊体になったり、肉体になったり自分自身の力だけでできるようであったら、その頃より数等倍、心霊科学の研究の進んでいる今日、何を苦労して、霊媒を使っての物質化現象などする必要があるのだろうか、ということになります。
 しかしながら実際は、今でも、霊媒を使って、しかも、おおむね、暗い燈の中での物質化現象です。また、イエス自身が、ローマ皇帝にでも誰にでも現われて、その心胆を寒からしめ、教を広めさせることもできた筈ですから、そういう面から考えても、やはり霊要素の使える弟子たちや、縁の深い人々に現われることができたのでありましょう。
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マグダラのマリアはイエスの弟子たちの中でもとくに霊媒的な体質の女性であり、そのため、いち早くイエスの霊身に接することができたのでしょう。そういうマリアは、霊なるイエスのメッセージを伝えることができ、初期教団の中では、「幻視を見る力に恵まれた預言者のような存在として、また、男の弟子たちを励ましさえする使徒の中の使徒」として扱われた時期もあったのかもしれません。

しかし、ペテロやそのほかの弟子たちも急速に霊能力に目ざめてからは、マリアの霊視能力も特殊なものではなくなり、むしろイエスの選んだ12弟子のほうが、教団の主流になったのでしょう。

五井先生が「そこは女性の執着の想いで」と書いているのはたいへん興味深く、五井先生は、マリアに霊能があることは認めても、イエスの肉体への執着心を克服できなかったことを示唆しているようです。

そういう執着心のために、マリアはひょっとすると、自分の霊視がイエス様の唯一絶対の真実であると主張して、ペテロやほかの高弟たちに嫌われたのかもしれません。それが「ルカ」におけるマリアへの低い評価につながった可能性があります。もちろん、これは私の推測にすぎませんが。

現在でも、霊能のある人は、自分の霊視や霊聴にとらわれて、より高い真実を見ることができなくなる傾向があります。その霊視はたしかにある段階のメッセージではあるのですが、霊能者は自分の霊性の高さに見合った世界しか見ることができません。神霊の世界は奥深く、その上にはてしなく続いているのに、霊能者は自分の見た世界がすべてだと錯覚しがちです。そこで五井先生はつとめて、霊媒的体質のあるご自分の弟子たちの霊能を消し、普通の人間にするようにしました。霊能の開発と霊性(本心)の開発は違うからです。現在でもテレビで、霊能者や超能力者と自称する人々が、面白おかしく霊視能力なるものを披露していますが、本心の開発(人格の向上)とは無関係のショーにすぎません。

さて、キリスト教のその後の伝説によると、イエスの死後、マグダラのマリアはマルタやラザロとともに小舟に乗り、フランスのマルセーユ付近に漂着したそうです。マグダラのマリアはその地で異教徒にキリスト教を普及するとともに、サント・ボームの洞窟で瞑想と苦行を行なったとされています。この洞窟は現在でも巡礼者が訪れる聖地となっているそうです。

そこに、マグダラのマリアがイエスの「伴侶」であったという伝承が加われば、二人の間の子供がフランスで生まれたという説まではほんの一歩です。こうして『ダ・ヴィンチ・コード』のミソが出来上がるわけです。

ところが、皆神氏の著書によると、フランスの現地にはマグダラのマリアへの信仰はあっても、マリアにイエスの子供がいたと信じている人は誰もいないそうです。つまり、そういう伝承は現地には存在していないのです。イエスとマリアの子供がフランスで生まれたというのは、ダン・ブラウンをはじめ、トンデモ本作者たちの想像=創造でしかなかったわけです。

マグダラのマリアとベタニアのマリアが同一人物かどうかは、福音書の記述からは判定できません。ましてや、マリアがイエスの伴侶であったとか、マリアがかつては娼婦であったとかいう話は、かなり怪しいものです。しかし、後世の人間は、歴史の空白に自分の主観的な想像を加えて、面白いストーリーを作り上げていきます。たとえば、源義経が蝦夷地に逃れ、さらにはモンゴルに渡ってチンギスハーンになった、などという物語です。これは現代でもよく起こることです。

しかし、そういう空想を事実だと宣伝されては、イエスもマリアも天上界で苦笑していることでしょう。


マグダラのマリアの謎(3)

2006年05月29日 | Weblog
先に(1)で、マグダラのマリアがイエスにとっても初期キリスト教教団にとっても非常に重要な人物であったらしいことを述べました。しかし、その評価に関しては、各福音書で微妙な違いがあります。この点について、岡田温司氏の『マグダラのマリア』(中公新書)は以下のように指摘しています。

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 ここでさらに注目に値するのは、四人の福音書記者たちのあいだで、マグダラのマリアに対する態度が微妙に異なっているという点である。たとえば、キリストの十字架の磔に立ち会う場面において、マグダラのマリアたち女性は、マタイとマルコとルカの三人によれば、ただ「遠くから眺めて」いただけだが、ヨハネによれば、「十字架のそばに」立っていた。つまり、キリストとマグダラのマリアの関係は、ヨハネでは、より親密なものとして描かれているのである。言い換えるなら、ヨハネにおいては、主の犠牲の証人として、マグダラのマリアたち女性にもそれ相応の役割が与えられている、ということである。 つづくキリスト復活の場面において、福音書記者のあいだのこうした見解の相違は、いっそう顕著なものになっているように思われる。マタイとマルコとヨハネによれば、マグダラのマリアと「ほかのマリア」たちは、キリスト復活の最初の証言者となるばかりか、その出来事を弟子たちに伝える者ともなる。つまり、マグダラのマリアは、キリスト教信仰におけるもっとも中心的な教義である「復活」の最初の証人となるばかりか、それを弟子たちに伝える最初の「使徒」にもなる、という特権を得ているのである。彼女は、いわば「使徒たちの女使徒(アポストロールム・アポストラ)」とも呼べるべき存在として、きわめて重要な役割を担っているのである。
 ところが、ルカでは、この位置づけに疑念がさしはさまれている。もちろんルカもまた、マグダラのマリアが、主の復活の場面に居合わせ、しかも主本人から、そのことを弟子たちに伝えるように託されたという経緯を、大筋で認めてはいるようである。しかし、ルカはすかさず、「使徒たちには、この話はたわごとに思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」(24:11)と付け加え、マグダラのマリア(と彼女に象徴される女性)の役割をできるだけ引き下げようとしているのである。・・・・
 しかも、二人の使徒のひとりとはシモン・ペテロであり、ルカは、わざわざ「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を顕わされた」(24:34)という一文を加えることによって、そのことを念押しまでしている。まるで、マグダラのマリアをおとしめることで、使徒ペテロの威信をあえて持ち上げようとしているかのようである。このように福音書間には、復活の証言をめぐってひじょうに興味深い異同が見られるが、そのことが暗示しているのは、おそらく原始キリスト教において、マグダラのマリアに象徴される女性の位置づけについて異なる立場が拮抗していたらしいということである。ルカにとっては、主の復活の証言者という、キリスト教信仰の根本にかかわる特権が、一女性に帰せられうるものであってはならなかったのであろう。
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ルカやペテロ、そしてそのほかの男の弟子たちの中には、男性優位主義があったことは確実だと思われます。もともとユダヤ人社会は男性中心主義的です。イエスが選んだ12弟子もみな男です。しかし、放浪のイエス教団には常に女たちが加わっていて、教団を経済的に支えていたようです。ペテロをはじめとする男の弟子たちは、自分たちこそイエスの高弟であるとして、マグダラのマリアやベタニアのマリアをはじめとするイエスの女弟子の権威と役割をできるだけ過小評価したかったのでしょう。

私の推測では、そのような態度が、ルカの「罪深い女」の記述に影響を与えたものと考えられます。この記述はどう見ても、ラザロの家、あるいは「らい病人のシモン」の家の出来事に起源を有しています。しかし、ルカはそれを「ファリサイ派のシモン」の家に置き換え、しかも香油を注いだ女を、ベタニアのマリアから名もない「罪深い女」に変えています。ベタニアのマルタとマリアの家の出来事は、別の箇所に移し、マルタが家事をしているときにマリアがイエスの話を聞いていたということしか報告しないのです。ルカはベタニアのマリアをできるだけ陰に置こうとするのです。

「ルカ」8:2には、マグダラのマリアはイエスによって7つの悪霊を追い出してもらった、という記述があります。「マルコ」16:9にも同じ記述があります。7つの悪霊とはどんな悪霊かよくわかりませんが、キリスト教の伝統の中では、それは「7つの大罪」と同一視されていきます。「7つの大罪」の中には「邪淫」もありますから、マグダラのマリアは邪淫の女性、すなわち「罪深い女」ということにされていきます。

そして、マグダラのマリア=「罪深い女」は、イエスに香油を注いだ女性ですから、この女性はベタニアのマリアと同一視されていきます。このようにして、キリスト教の伝統の中では、マグダラのマリアとベタニアのマリアと「罪深い女」は同一人物ということにされ、そこから、マグダラのマリアはかつては娼婦であったのだが、改心してイエスの弟子になった、というストーリーが生まれます。



マグダラのマリアの謎(2)

2006年05月28日 | Weblog
マグダラのマリアのほかにも、新約聖書では何人かのマリアが登場します。聖母マリアのほかに、ベタニアのマリアがいます。

ベタニアのマリアはマルタの姉妹で(ルカ、10:39)、「ヨハネ」によれば、死から甦ったラザロは二人の姉妹の兄弟です。ベタニアのマリアは、イエスの死の直前に、イエスの足に高価な香油を注ぎ、自分の髪の毛でそれをぬぐったといいます(ヨハネ、12:1-3)。イエスは、この行為を、自分の埋葬のための準備だと言います。

こういう思い切った行為をするベタニアのマリアはとても情熱的な女性であったようです。

「マタイ」26:6-13や「マルコ」14:3-9では、ベタニアの「らい病人のシモン」の家で、名前のないある女性がイエスの頭に香油を注ぎます。

香油を注いだのが頭か足かという違いがあり、また家がラザロの家かシモンの家かという違いがありますが、「ベタニア」という地名から、これは同じ出来事に関する異なった伝承と見なしてよいでしょう。つまり、この女性はマリアだと考えられますが、マタイもマルコも女性の名前に言及していません。

ところが、ややこしいことに、イエスに香油を注いだ女性がほかにもいます。

「ルカ」35:1-50では、「罪深い女」がイエスの足を自分の髪の毛でぬぐい、足に香油を塗ります。「罪深い女」とは、その当時の娼婦をさす言葉です。この出来事が起こったのは、「ファリサイ派」の「シモン」の家だとされています。

「シモン」という名前から、これは「マタイ」26:6-13や「マルコ」14:3-9と同じ出来事に関する異なった伝承だと考えられます。ところが、この女性は名無しであるばかりではなく、娼婦だとされています。

ある女性がイエスに香油を注ぐという一つの出来事がありました。これを行なった女性を、

(1)ヨハネ:ベタニアのマリア
(2)マタイとマルコ:無名の女
(3)ルカ:罪深い女

と書いているわけです。それぞれの福音書記者によって、この女性に対する評価が異なっていることが明らかです。ヨハネはその女性を最も高く評価し名前を明記し、マタイとマルコは名前を無視し、ルカは彼女を売春婦にまで貶めているのです。


マグダラのマリアの謎(1)

2006年05月27日 | Weblog
今週は非常に忙しく、ブログの更新もできませんでした。

『ダ・ヴィンチ・コード』に関連して、マグダラのマリアについて書いておきます。

『ダ・ヴィンチ・コード』のミソは、イエスとマグダラのマリアが結婚していて、二人の間には子供があったという説です。それでは、これが『ダ・ヴィンチ・コード』や、そのネタになったトンデモ本が最近になってでっちあげた妄想かというと、必ずしもそうとは言えないようなのです。

新約聖書には幾人かのマリアという名の女性が登場します。イエスの母はマリアです。

【処刑の場】
イエスの磔刑の場に立ち会ったのは、女の弟子たちです。男の弟子たちはみな、イエスの仲間だと見られるのがこわくて逃げてしまったのです。

それらの女性が誰であるのかというのは、福音書によって若干記述が違います。

「マタイ」によれば、「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母」がいました(27:56)。
「マルコ」では、「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた」(15:40)とあります。
「ヨハネ」では、十字架のそばに立っていたのは、「イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリアとマグダラのマリア」(19:25)です。
「ルカ」では具体的な個人名はありません。

イエスの母のマリアが磔刑の場にいたと述べているのは、「ヨハネ」だけです。これに対して、マグダラのマリアは、「ルカ」を除く3つの福音書で言及されています。

【埋葬の場】
「マタイ」では、「マグダラのマリアともう一人のマリア」が埋葬の場にいたことになっています(27:61)。
「マルコ」では、「マグダラのマリアとヨセの母マリア」がその場にいました(15:47)。
「ルカ」と「ヨハネ」では名前の記述はありません。

ここにもイエスの母マリアの名前はありません。

【復活の証人】
キリストの復活の証人になったのも、マグダラのマリアです。

「マタイ」では、「マグダラのマリアともう一人のマリア」が墓に来ます(28:1)。
「マルコ」では、復活のイエスが最初に姿を現わしたのは、マグダラのマリアに対してである、と述べられています(16:9)。
「ルカ」では、「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」です(24:10)。
「ヨハネ」では、復活のイエスが最初に声をかけたのがマグダラのマリアです(20:14)。

いずれの場面においても、マグダラのマリアの名がいちばん最初にあげられています。これらの記述から、マグダラのマリアが、イエスにとっても初期キリスト教教団にとっても非常に重要な人物であったことが推測されます。



『ダ・ヴィンチ・コード』というトンデモ本(4)

2006年05月22日 | Weblog
『ダ・ヴィンチ・コード』では、シオン修道会という秘密の組織が、イエス・キリストの血脈の秘密を守ってきたという設定になっています。シオン修道会は十字軍の時代にエルサレムで設立され、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、アイザック・ニュートンやヴィクトル・ユゴーなどの超有名人物が、この修道会の総長をつとめたというのです。

ところが、シオン修道会なるものがエルサレムで設立されたことはなく、ダ・ヴィンチにも、ニュートンやユゴーなどにも、そういう団体とのつながりを示唆する歴史的な記録はまったくありません。

「まったくない」というのは完全には正確ではありません。それに言及している『秘密文書』という名の文書が一つだけあるのですが、皆神氏の著書によると、この文書は1960年代にフランスの国立図書館に収められた「トンデモ文書」だそうです。日本のトンデモ本が国会図書館に収められたからといって、トンデモ本でなくなるわけではないのと同じように、『秘密文書』がフランスの国立図書館にあったとしても、トンデモ文書でなくなるわけではありません。

シオン修道会というのはフランスの4人の若者が1960年代に遊び半分で始めた「秘密結社もどき」だというのです。

こういう冗談がどのようにもっともらしい「神話」に成長していったかを、皆神氏の著書は見事に描いています。

それにしても、『ダ・ヴィンチ・コード』のようなトンデモ本が世界的ベストセラーになり、映画化までされるというのは、ただあきれるばかりです。人間がいかにだまされやすいか、ということの実例ですね。


『ダ・ヴィンチ・コード』というトンデモ本(3)

2006年05月21日 | Weblog
【謎の手?】

『ダ・ヴィンチ・コード』では、謎の手が神秘めかして語られていますが、これもダン・ブラウンの無知を証明しています。

ダン・ブラウンによると、ペテロはイエスの妻であるマリアを殺そうとしているのだそうです。ペテロの左手は「手刀」の形になって、マリアの首を威嚇しているといいます。しかし、これは、原図の破損による不鮮明さが生んだ妄想です。先にあげたサイトの復元図を見てみると、ペテロはヨハネの肩に手をかけ、自分のほうに引き寄せていることがわかります。別に手刀でマリアを威嚇しているわけではありません。また手刀くらいで人を殺せるものではありません。

また本の中では、ナイフを持った宙に浮く、誰の手かわからない謎の手についても語られています。ところが、これも復元図を見ると、ペテロの右手であることがはっきりわかります。

「最後の晩餐」というのは、新約聖書の「マルコによる福音書」14:17-26 や「ルカによる福音書」22:14-23を描いたものです。そのとき、イエスは自分が裏切られることになるだろう、と予言し、弟子たちに最後のメッセージを伝えます。ペテロは激しい性格の男なので、怒りに駆られ、「その裏切り者は誰だ。イエス様に聞いてくれ」と、イエスの隣にすわっていたヨハネの肩を引き寄せ、問いただしているのです。その結果、イエスとヨハネの間に空間ができ、Mのように見えるだけです。

ナイフは、裏切り者を殺してやる、というペテロの怒りを示していますし、その後、捕縛者たちが来たとき、ペテロは実際にナイフを振るって、一人の男の耳を切り落とし、イエスにたしなめられます。福音書に書かれたそういう事実を踏まえてこの絵は描かれているのです。イエスが弟子の裏切りと自分の死を予言する場面で、ペテロがなぜマリアを殺さなければならないのか、まったくわかりません。

ところが、ダン・ブラウンは聖書に関する基本的知識なしに、破損の激しいテンペラ画をもとに妄想を膨らませているわけですが、これも『マグダラとヨハネのミステリー』からのパクリなのだそうです。

コンピュータ・グラフィックスによる復元図はNHKによって作成されたものです。海外のトンデモ本の著者たちは、これを見ていなかったのでしょう。


『ダ・ヴィンチ・コード』というトンデモ本(2)

2006年05月20日 | 最近読んだ本や雑誌から
【「最後の晩餐」はフレスコ画?】

『ダ・ヴィンチ・コード』については、すでにいくつかの批判がなされています。日本では『新潮45』2005年4月号に竹下節子氏が「世界的ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』の嘘」という論評を書いています。最近は、皆神龍太郎氏の『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』(文芸社)がさらに詳しい批判を行なっています。ここでは主として皆神氏の批判を紹介します。

「最後の晩餐」については、以下にコンピュータ・グラフィックスによる復元と、詳しい解説があります。ぜひご覧下さい。

http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.html

このサイトの説明にもありますように、「最後の晩餐」はフレスコ画ではなく、テンペラ画なのです。そのため、かなり損傷が激しかったのです。

ところが、ダン・ブラウンは、『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、「最後の晩餐」を最初から最後までフレスコ画と書いています。つまり、ダン・ブラウンは、フレスコとテンペラの違いもわからないような、西欧美術に無知な人間であることを暴露しています。皆神氏も書いていますが、ダン・ブラウンは何冊かのネタ本をもとに『ダ・ヴィンチ・コード』を書いたのですが、それらのネタ本――それらがトンデモ本だったので、当然ダン・ブラウンの本もトンデモ本になるわけです――が「最後の晩餐」をフレスコ画と書いているので、その間違いをそのまま引き継いでしまったわけです。

【「最後の晩餐」の絵にマグダラのマリアが描かれている?】

これが真実でなければ、そもそも「ダ・ヴィンチの暗号」が成り立ちません。

「最後の晩餐」で中央のイエスの向かって左側にいる人物は、伝統的にはヨハネだとされていました。これがマグダラのマリアだというのが、『ダ・ヴィンチ・コード』の一番のミソです。

ちなみに、このアイデアはダン・ブラウンのオリジナルではなく、リン・ピクネットとクライブ・プリンスの『マグダラとヨハネのミステリー』(三交社)からのパクリだそうです。

たしかに、この人物は女性っぽい顔立ちをしています。しかし、本当に女性かどうかは、わかりません。

女性っぽいといえば、イエスの向かって右側3番目のピリポも少し女性っぽい感じがしますし、何よりも、中央のイエス自身が女性っぽい感じです。その印象はいずれも、3人に鬚がないところから生じています。

上記サイトによれば、「最後の晩餐」は未完成で、とくにイエスの顔には気品がありません。イエスとマリアが夫婦というのであれば、少なくともこの両者を仕上げなければならないはずですが、ダ・ヴィンチはイエスさえ完成させていないのです。

あと、構図にマリアのMが描き込まれているというのは、こじつけとしか言いようがありません。

皆神氏は

「別にMの字を隠して描きたかったからではなく、聖書にあるとおりに描いたら、自然に体が傾いて、「M」っぽい空間ができたということに過ぎなかったのである」

と述べています。

『ダ・ヴィンチ・コード』というトンデモ本(1)

2006年05月19日 | 最近読んだ本や雑誌から
『ダ・ヴィンチ・コード』という本が世界中で4000万部、日本だけでも400万部という大ベストセラーになっているそうです。そして、その本をもとにした同名の映画も作られ、日本でももうじき封切りになります。

この本や映画が今、大きな物議を醸しています。

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 【ニューヨーク17日共同】中絶反対運動などをしている米カトリック系団体「ヒューマンライフ・インターナショナル」のアイテナウア代表は17日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」に抗議し、関連会社が映画を配給しているソニーの全製品の不買運動を映画公開に合わせ19日から始めることを明らかにした。
 不買運動がどこまで広がるかは不明だが、同団体の広報担当は「映画はカトリックを敵視している。世界のカトリック信者10億人規模のボイコットにしたい」と述べ、インターネットやメディアで参加を呼び掛けると話した。
 キリストが子どもをもうけ、教会はその事実を隠してきたという筋の同映画をめぐっては「うそと中傷に満ちている」などの批判が出ている。
 代表は「映画を機にソニー製品ボイコットを訴えるのはわれわれが初めてだと思う」としている。
(共同通信) - 5月18日12時36分更新
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000089-kyodo-bus_all

本や映画のあらすじは詳しくは書きませんが、物語のもとになっているのは、「イエス・キリストはマグダラのマリアと夫婦関係にあって、両者の間には子供が生まれ、その子の血脈が現代まで続いている。その秘密をレオナルド・ダ・ヴィンチが有名な「最後の晩餐」の絵や「モナリザ」の絵に封印した」という思想です。

単なるフィクションと銘打っているのであれば、それはそれでかまわないのですが――それでもキリスト教諸国では大きなスキャンダルになるでしょう――、著者のダン・ブラウン氏が、「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と宣言しているので、これはキリスト教徒にとっては見過ごせない問題になるのです。

実際、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだり観たりした人の60%は、イエス・キリストには子供がいた、と信じているそうです。

私はキリスト教徒ではありませんから、イエスに妻子がいようがいまいが、どちらでもいいと思いますし、妻子がいたからといってイエスの偉大さにいささかも傷がつくとは思いません。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは妻子を捨てましたし、イスラム教の開祖ムハンマドも結婚して子供がいましたし、親鸞もあえて戒を破り妻帯し子供をもうけました。イエスの女性関係が事実なら、事実は明らかにされるべきです。

しかし、それが虚偽であるならば、そういう嘘を大勢の人々が信じ込むことは危険です。イエスが過去の人物であるとはいえ、イエスに関する虚偽の風説の流布、イエスに対する名誉毀損になります。

ダン・ブラウン氏がそれを「事実」として世界に広めるのであれば、それなりのしっかりとした根拠をあげなければなりません。ところが、ちょっと調べてみると、氏の叙述はまさに「トンデモ本」としか言いようがないものなのです。



一神教と多神教

2006年05月17日 | 最近読んだ本や雑誌から
現在の世界の問題の一つは宗教の対立です。その中でも、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の、いわゆる一神教どうしの対立は、なかなか根深いものがあります。

一神教は排他的になるので、他の宗教と共存できない、これに対して多神教は異なった信仰に寛容だ、という議論が時々見られます。このような議論は正しいのでしょうか。

『一神教とは何か』(東京大学出版会)の中で、東京大学の黒住真教授は、各宗教が主張する自己の普遍性について、次のような問題提起をしています。

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 私は、バイブルにしか一神教が顕現していないというのだったら、一神教にとっては自己矛盾ではないかと思うのです。そうであれば、一神教であることの元来の論理を実は裏切っているのではないかと思うからです。それは別に一神教に限らず、多神教でも、自分たちの神が、この組織、このテキストに顕現されているとは言えると思うのですが、「にしか」顕現されていないということは論理的におかしい、間違っていると私は考えています。ですから、バイブルでも、仏典でも、それを尊重したいと思うのですが、これしかない、ほかはない、ほかではありえないというのは、「普遍」の定義からして、誤りではないかと考えております。
 そういう意味で、従来の一神教の絶対性あるいは脱比較性を相対化することが、一神教的なものそのものにとっても非常に大事だと考えますし、これに対して、多神教が優位であるとか、あるいは劣等であるという考え方、あるいは一神教と無関係なものとしてあるという考え方も、相対化しなくてはいけない。このような意味で、一神教や多神教の批判的な位置づけ直しが必要だと思っています。
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これに対して、仙台白百合女子大学の岩田靖夫教授は、こう応じています。

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 大変面白くうかがいました。それで、私の質問はちょっと理屈っぼいですが、一神教と多神教を互いに相容れないものとして鋭く対立させることは、世間の常識になっています。しかし、今、黒住さんの話を聞きながら、そのように鋭く対立させる必要はないのではないか、あるいは対立させるのは間違いではないか、という感を私は持ったのです。
 一つは、一神教は自分が普遍的だと主張しています。ところが、普遍的だと主張しているのに、自分の啓典だけが絶対だというのは自己矛盾だとおっしゃいましたね。これは実に適切なことを言っておられます。キリスト教を例に取ると、神が天地万物の創造主であるというなら、イスラーム教徒も仏教徒もヒンズー教徒も、みんな神の子なのです。キリスト教徒だけが神の子ではないわけです。そうであれば、イスラーム教徒、仏教徒が信じていることも、神の御心に沿って成り立っているはずなのです。それでなくては、天地万物の創造主だということと自己矛盾します。そういう点から言えば、唯一神教はまさにいろいろな多様性の中に普遍的なものがあるのだと主張していることになると、私は思うのです。それは一神教のほうから言ったことですが。
 今度、多神教のほうからいうと、今のお話だと、例えば何かヌミノーゼのようなものがいろいろな形で現れてくるとか、根源的な生成力がいろいろな神様の姿になって現れてくる。そうすると、多神教のいろいろな神様も、なぜ共存できるかというと、何か根源的な力のようなものを共有していることによって、多神として成り立っていると思うのです。そう考えると、まさに多の中における普遍が大事なので、その根源の何か力みたいなものは、単純に一つの形で出てくるのではなくて、実に文化も伝統も違ういろいろな民族の中で、様々な形で出てくる。けれども、それが一つの根源の力なのだと、我々がかなり自覚的に認識すれば、多神教と一神教はけんかする必要はない。私は、むしろ、それらはお互いに、お互いのいいところを取り合って、自分を豊かにしていくものであって良いのではないかと思うのですが、いかがお考えでしょうか。
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黒住教授の議論も岩田教授の議論も、きわめてまっとうですね。こういう考え方を、世界の諸宗教が受けいれてくれることを期待します。

五井先生は、神とは「一即多神」だと言っています。



第2回「世界平和交響曲」

2006年05月16日 | Weblog
5月14日に白光真宏会の富士聖地で第2回目の「世界平和交響曲」(Symphony of Peace Prayers)が開かれました。

これは、各宗教の代表者が集まり、その宗教の平和の祈りを祈り、参加者も同時に祈る、という行事です。

現在では色々な宗教が集い、ともに世界平和のために祈りを捧げることは珍しくなくなりました。しかし、他の宗教の祈りは難しく、結局、代表だけが祈り、あとの参加者はただ傍観している、というのが実際のところです。しかし、「世界平和交響曲」では、参加者全員がテキストを持ち、ともに祈るというのがすごいところです。

今年は、天台宗、カトリック・イエズス会、聖公会(アングリカン・チャーチ)、イスラーム、ユダヤ教、神道(浅間神社)が参加しました。

天台宗の山家学生式(さんげがくしょうしき)の祈りは、「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり」「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という伝教大師・最澄の有名な言葉を含んでいました。

イスラームの方の音声(おんじょう)は朗々として見事なものでした。

ユダヤ教のラビの方の歌は素晴らしかったですね。

今回は参加しませんでしたが、「ブラーマ・クマリス」のダディ・ジャンキー師のメッセージがかなり長く朗読されました。ダディ・ジャンキー師は来年2007年は参加する予定だと聞いています。

私はメッセージ代読の女性とたまたまお会いしたのですが、富士聖地を「Good vibration!」と言っていました。

昨年、ヒンズー教の代表の女性と会ったとき、うっかり握手の手を差しだし、相手の方がそれに応じなかったので、「そうだ、インドでは男女が握手するという習慣はないのだ」と思い出しました。今回は、昨年のことが記憶にあったので、最初から合掌して挨拶しました。

プログラムも昨年よりもよかったと思います。ただし、いかんせん、朝霧高原の名にふさわしい霧の中で行なわれたので、国旗などがよく見えませんでした。霧がなければ、非常に美しいセレモニーであったと思います。私は、オープニングの地球図入場を担当したのですが、私の家内は、そこに私がいたことさえ見えなかったということです。

来年は、ぜひ好天にも恵まれてほしいものです。


田島義博先生の逝去

2006年05月12日 | 最近読んだ本や雑誌から
月刊『致知』2006年6月号に、アサヒビール名誉顧問の中条高徳さんが、学習院長・田島義博先生の逝去について書いています。

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 三月二十四日、桜花咲きそめていた学習院で評議員会が開かれていた。
 筆者は、院長入院中との情報を得ていたので、院長推薦の評議員だけに、彼が欠席の時こそ万難を排して出席せねばなるまいと、いささか軍人的律儀さというべきか責任感でその席に出ていた。
 なんと議事の合間に院長が病院から抜け出し、奥様に付き添われて姿を見せたのだ。
「院長の職責を全うする体力の限界を自認したので任半ばで申し訳ないが、評議員会に辞任の意を伝えたい」
 と何時もの音吐朗々ではなかったが、言語明瞭に院長辞任の決意を表明されたのだ。
 青天の霹靂とはこの状態を指す。評議員たちは驚きのあまり声なし。このご挨拶が終わるやまた、静かに車椅子で退場された。その場に居合わせた評議員たちは呆然と立礼でお見送りした。
 拍手していいものやら判断つきかね、一日も早い回復を祈って粛然と見送るのみであった。
 その四日後に帰らぬ人になろうとは、評議員の一人たりとも夢想だにしなかった。
 院長自身はご自身の余命幾ばくかは気づかれていたに違いない。誰よりも院長の職責の重さを自覚されていただけに、この時仰るべき事柄がよくお見えになったのだ。つまり決死の訣別だったのだ。これを「生きざま」という。

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 仏教の大家松原泰道師は、「人間はなぜ死ぬ」と問われ、即座に「それは人間は生まれたから死ぬのじゃ」とさりげなく答えた。
 その通り人間は生まれた限り必ず死がやってくる。だからお釈迦さまは「人間は死に方ではなく、その生き方(生きざま)を最後の最後まで追究していかねばならない」と諭しておられる。
 昨今、政治、経済、官界を問わず、退任の出処進退を誤り、晩年を穢すリーダーがあまりに多すぎる。また、「生」に対峙して単に存在するに過ぎない「死」に当たって延命工作のトラブルが頻発している。医学の進歩というが「死」に当たり徒らに手を加えることは人類の驕りではなかろうか。
 人類も、すべての生きとし生けるものがそうであるように、自然死こそが最も尊く、かつ望ましいと筆者は思う。
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私も何度か身近で田島先生のお話をうかがったことがありますが、車椅子で入室し、辞任の挨拶を一言述べて退室なさった田島先生の様子が、目の前に彷彿します。

田島先生は温かい人柄の、博識とユーモアのあふれる方で、その座談はまさに間然するところがなく、いつまでも聞いていたい、と思わせる方でした。そして何よりも、人間の生き方、国の政治や経済のあり方について、立派な見識の持ち主でした。このような院長を持った学習院は本当に幸せであったと思います。

ある日の会合で、ホリエモンのことが話題になりました。ホリエモンがテレビで、経済界の英雄、改革の旗手として大いにもてはやされていた頃です。その場にいた人々は、みなホリエモンに対してある種のいかがわしさを感じていたのですが、それをどう表現していいのかわかりませんでした。そのとき、田島先生は、「あの人はグリーンメーラーですな」と言い、グリーンメーラーについて説明してくれました。それで、私たちはホリエモンの本質がよくわかりました。

このブログでは、2005年8月1日に田島先生の『「人間力」の育て方』(産経新聞社)について紹介している。

また、2006年2月27日には「天皇陛下の作文」について書いていますが、この話題も田島先生に関係しています。ある人が田島学習院長に、「天皇陛下の作文を〇千万円で学習院が買わないか、という提案をしたとき、田島先生は即座に、「それは学習院に返還すべきものです」とお答えになったということです。

本当に立派な方でした。


脳科学で防ぐ“キレる子”

2006年05月10日 | Weblog
今日(5月10日)のNHKの「クローズアップ現代」は、「脳科学で防ぐ“キレる子”」
という番組をやっていました。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2006/0605-2.html#wed

途中からしか見られなかったのですが、「キレる」というのは、感情を司る扁桃核を前頭葉がうまくコントロールできない状態ということのようです。

このブログで3月30日から紹介した岡田尊司さんの『脳内汚染』も、同じようなことを言っていたと思います。番組では、同じゲームをするのでも、機械相手に行なうのと、実際に人間を相手にするのでは、脳の働き方が大きく違うという実験結果が紹介されていましたが、これも岡田さんの説と通じるところがあるように感じました。「人間」の「間」という文字にも示されているように、脳の成長のためにはコミュニケーションが大事だ、ということのようです。

番組では、宇都宮の幼稚園の「じゃれあい」教育も紹介されていました。全身を使った「じゃれあい」は、身体と感情の興奮、つまり扁桃核の興奮を呼び覚ましますが、その後の片付けと整理整頓は、前頭葉の働きを強めるようです。

昔は、そういう遊びは家の中でも野外でもごく当たり前に行なわれていたように記憶しています。遊びの中から、子供たちは自然に色々なことを学び、成長していったのでしょう。そういう遊びがゲーム機に取って代わられるようになって、子供の心に異変が起こるようになったのかもしれません。


割りばし

2006年05月09日 | Weblog
毎日新聞の2006年5月9日のニュースより――

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[割りばし]輸入先・中国が生産制限 弁当業界などに影響

 使い捨ての代表格として、国内で年間約250億膳(ぜん)が消費される割りばし。その9割を占める輸入先・中国が生産制限を決め、弁当や外食など関連業界に影響が出始めている。安さに飛びつき、国内生産地を切り捨ててきたツケとも言え、業界・消費者双方に農林業生産空洞化の問題を示す一例だ。【小島正美】

 “中国ショック”は2段階で到来した。最初は昨年11月、中国の輸出団体が「原木の高騰」などを理由に、日本割箸(わりばし)輸入協会(大阪市)に50%もの値上げを通告してきた。それでも中国産は1膳約1~2円。国産は同2~20円程度なので、まだ価格面の優位性は動かなかった。

 ところが今年3月、今度は中国政府が「森林保護」を理由に生産を制限し、将来的には輸出も禁止すると決めた。建築には使いづらいシラカバや他の間伐材を主原料にしているが、森林乱伐による洪水や砂漠化などが問題化する中、矛先の一つになった形だ。

 では、日本国内の状況はどうか――。実は20年前まで、割りばし生産量の約半数は国産だった。ところが90年代以降の低価格競争の波の中、安い中国産が急激に増え、気が付けば9割を超えるまでになっていた。

 国内の2大産地は北海道と奈良。高級品主体の奈良は今も命脈を保っているが、中国産と競合した北海道は壊滅状況だ。85年当時、北海道には生産会社が約70社あり、約1900人の従業員がいたが、04年現在で8社約40人にまで激減した。山口晴久・同協会広報室長は「このままだと、いつ割りばしがなくなってもおかしくない状況になってきた」と危機感を抱くが、一度減った生産量は簡単には戻らない。

 外食や安売り店には、既に影響が出ている。

 100円ショップなどに割りばしを卸すアサカ物産(東京都三鷹市)は、1袋80膳入りを50膳入りに変えてコストアップに対応し始めた。

 全国で約760店の居酒屋などを展開するマルシェ(大阪市)は年間約1500万膳を使ってきたが、2月からフランチャイズを含めた全店でプラスチック箸に切り替えた。さらに、直営の約250店では「MY箸」ポイントカードを作り、はしを持参した客には1回50円のポイントを付け、10ポイントで500円分の飲食をサービスするほか、50円を自然保護団体に寄付する活動を始めた。直営の居酒屋「酔虎伝・新宿三丁目店」(東京都新宿区)の石本千貴店長は「割りばし廃止への苦情はありません」と安堵(あんど)する。

 一方、コンビニ業界は「物流コストの削減などで吸収する」(セブン&アイ・ホールディングス)「しばらくは現状のまま」(ローソン)と、推移を見守っている状況。

 輸出禁止は本当にあるのか、あるとすればいつか。今後は中国政府の動きにかかっているが、山口室長は「弁当や外食なども、いずれ消費者がお金を払って割りばしを買う時代がくるのでは」と予測している。
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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1938226/detail?rd

外貨を得るために輸出を増やしたい中国、安い商品を輸入したい日本――両者の利益があいまって、中国産の安い割りばしの大量輸入が行なわれてきました。しかし、そのツケとして生じたのが、中国の自然破壊と日本の林業と割りばし産業の崩壊です。間伐がなされず荒れたままの杉林は、花粉症の原因である花粉の発生源となります。短期的な経済合理性が、地球環境を含めた、より長期的、より大きな視点からの合理性――地球合理性とでも名づけることができるでしょう――に反するという例です。

森林の育成のためには、適切な間伐も必要だと言われています。間伐材を割りばしに使うのであれば、一木(?)二鳥ですが、中国では、大きな樹木まで割りばしのために伐採されてきたようです。
http://www.hokudai.seikyou.ne.jp/foodserv/waribasi/waribasi.htm

使い捨ての割りばし文化は、割りばしが国内森林の間伐材でまかなわれるのであれば、それなりの存続する意義はあるかもしれませんが、それができないのであれば、地球合理性に反します。割り箸の値段が高くなるのも、やむをえないでしょう。



プリオン説は本当か

2006年05月08日 | 食の安全
狂牛病(BSE)の原因は異常プリオンである、というのが今日の一般的な学説です。しかし、これは本当に正しいのか、と疑問を呈しているのが、青山学院大学理工学部教授の福岡伸一先生です。青山先生は講談社ブルーバックスから出ている『プリオン説は本当か?』という本で、狂牛病のプリオン原因説を検証しています。

感染したあとに特定の臓器(特定危険部位)で病変が増殖すること、潜伏期の長さが違う複数の病原体「株」があることから、狂牛病の原因としては当初、学界ではウイルス説が唱えられました。

しかし、

(1)過去、多くの研究者が必死で病原体となる細菌やウイルスを探したが、見つけることができなかった。

(2)病原体に感染すると、通常、炎症や発熱といった免疫反応が起こるはずだが、狂牛病の場合にはそれが起こらない。感染すると血液中には特異抗体が産出されるはずだが、それも検出できない。

(3)潜伏期間が異常に長い。

これらはウイルス説ではうまく説明できません。

そこに、スタンリー・プルシナーという学者が、狂牛病の原因は、異常プリオンタンパク質であるという革命的な説を唱えたのです。

この説は当初、学界の反発を受けましたが、徐々に、これを裏づける実験データが集まりはじめました。

・この病気にかかった脳にはたしかに異常プリオンが蓄積している。

・異常プリオンを含んだ組織をすりつぶして、健康な動物に投与すると、同じ病気になる。

・プリオンタンパク質を作れないように遺伝子操作したマウスは、この病気にかからない。

しかし、福岡先生は、狂牛病の原因がウイルスの場合でも、そのウィルスがある一定の特性をそなえていれば、同じ実験データが得られる可能性があることを論証しています。つまり、異常プリオンは、狂牛病の原因ではなく、結果である可能性も否定できないというのです。

その場合、プリオンが蓄積されている「特定危険部位」の除去という現在とられている処置は、人間への狂牛病の伝染を防ぐ上で不十分だということになる、と福岡先生は警告します。なぜなら、病原体は特定危険部位に多く蓄積されることはたしかだとしても、リンパ細胞を通して、その他の部位にも存在している可能性があるからです。

福岡先生は、ウィルス説を検証する実験を開始しているとのことです。

狂牛病の原因はまだはっきりしませんが、人間の命に関わる問題については、原因が明確ではなくても、怪しいものは使用しないという「予防原則」で対処したほうが賢明です。たとえば、水俣病は当初からチッソの工場排水が原因であると疑われましたが、国は科学的な根拠がはっきりしないということで、工場排水の規制をせず、被害を拡大させてしまいました。日本におけるエイズの原因になった血液製剤についても同じことが起こりました。アスベストについても同じです。

危険かもしれない、とわかった時点で早めに対処すれば、被害は最小限に抑えられたはずですが、「科学的な証拠がまだない」という理屈で、対応が先延ばしにされたのです。

チッソの排水を放置したのも、血液製剤を規制しなかったのも、背後には経済的利益を重視する大企業と政界・官界との癒着がありました。日本政府が、食肉業界の利益しか考えないアメリカの理不尽な牛肉輸入再開の要求に屈服しないことを望みます。