平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

歴史の評価に堪える仕事

2007年03月15日 | 最近読んだ本や雑誌から
外務大臣の麻生太郎氏は吉田茂の孫です。彼が文藝春秋2007年4月号で、手嶋龍一氏との対談で次のように語っています。――

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 昭和26年、サンフランシスコ講和条約を調印しに行く前だったと思うけど、亡くなった弟と二人で吉田茂に呼ぱれて、いきなり松岡洋右と小村寿太郎の話をされたんだよね。小学生がそんなこと聞いたってわかりゃしねえのにさ。日露戦争の後、ポーツマス講和条約を締結して帰国した小村はロシアに弱腰だと、自宅に火をかけられたり、縛りつけられたり、えらい騒ぎだった。片や、国際連盟を脱退した松岡は提灯行列で万歳に迎えられた。だけど、後世の歴史家からは小村のほうが評価が高いんだという話をじいさんがする。

 で、どうやら、このサンフランシスコ講和条約が終わって帰ってくると、うちは焼き討ちに遇うんだなあ、という緊張感があったんだ。ところが帰ってきてみたら、万歳、万歳で大騒ぎ。それで帰って二、三日してから吉田茂に、「これは万歳、万歳だから、歴史家はきっとおじいちゃんのことを評価しないね」と言ったのを覚えている。そしたら一瞬ムッとしたような顔をして、それからゲラゲラ笑いだした。

 やっぱり政治家は、目先の支持率に一喜一憂するよりも、歴史の評価に堪える仕事をするべきなんじゃないかなあ。(116頁)
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面白い話ですね。

「政治家は、目先の支持率に一喜一憂するよりも、歴史の評価に堪える仕事をするべき」はまさに正論です。政治家は、歴史の潮流を正しく見通し、日本の国益を守ると同時に世界平和に貢献する政策を、信念をもって貫いてもらいたいものです。自分の利益も地位も名誉も投げ捨て、不惜身命で国家と人類のために尽くす政治家の出現を、天は待ち望んでいます。

麻生氏には今まで、ちょっと口が軽い人だな、という印象があったのですが、対談を読んで見直しました。また、ユーモアと明るさがあるのがいいですね。おじいさん譲りの毒舌も多少混じってはいますが。

なお、私はこれから数週間、海外旅行に出かけますので、このブログはしばらく休みます。4月の第2週あたりに再開できると思います。


昭和天皇の肉声

2007年03月09日 | 富田メモと昭和天皇
朝日新聞より――

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昭和天皇の戦時の肉声、元侍従の日記見つかる
2007年03月09日03時01分

 太平洋戦争開戦前夜から敗戦まで昭和天皇の侍従として仕えた故小倉庫次(くらじ)・元東京都立大学法経学部長の日記がこのほど見つかった。「支那事変はやり度(た)くなかつた」「戦争は始めたら徹底してやらねばならぬ」などと、戦時下の天皇が側近にもらした貴重な肉声が記録されている。

 日記の主な記述は10日発売の月刊『文芸春秋』4月号に掲載される。文芸春秋によると、日記はノモンハン事件直前の39年(昭和14年)5月から、45年(同20年)8月の敗戦まで。宮内省(当時)の用箋(ようせん)600枚余りにつづられているのが、関係先から見つかった。

 日記によると、39年7月5日、満州事変を推進した石原莞爾(かんじ)少将らを栄転させる人事の説明のため板垣征四郎陸相が天皇に拝謁(はいえつ)した。

 その直後の様子について、「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述。陸軍への不満が人事をめぐって噴き出したとみられる。

 日独伊三国同盟締結の動きにも不快感を示している。39年10月19日、同盟を推進した白鳥敏夫・イタリア大使が帰国して進講することになると、「御気分御すすみ遊ばされざる模様なり」と、進講を嫌がった様子がうかがえる。

 日中戦争についての天皇の思いも吐露されている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)。

 真珠湾攻撃後、日本の戦況が優勢だった当時は「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処(ところ)なれば支障なからむ」(41年12月25日)とも語っていた。

 戦争への思いが最も率直に語られているのは、42年12月、伊勢神宮参拝のため京都に立ち寄った時のことだ。

 「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度くなかつた。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄(まで)は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」

 そして「自分の花は欧洲訪問の時だつたと思ふ。相当、朝鮮人問題のいやなこともあつたが、自由でもあり、花であつた」とも語っている。

 戦況が悪化するなか、意見具申する弟宮たちに「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと不満を漏らしたことも記載されている。

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http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY200703080285.html

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戦局・家族…素顔の天皇 元侍従の日記から
2007年03月09日09時20分

 「支那事変はやり度くなかつた」「皇族は責任なしに色々なことを言ふ」……。このほど見つかった昭和天皇に仕えた小倉庫次(くらじ)侍従の日記には、戦時下の昭和天皇が心を許した側近に吐露した、戦争や家族、皇族への率直な思いがつづられている。

 戦局が厳しさを増すとともに、弟宮たちが意見を具申しようとする動きに、天皇は苦々しい思いを隠さない。

 「秩父宮殿下、明日御対顔の御申入れあり。聖上『困つたな困つたな』と仰せらる」(39年5月11日)。日独の同盟に前向きな弟の訪問への当惑ぶりが伝わる。

 45年4月18日には三笠宮の対面の申し出を受けたものの、天皇は「何を言はうとするのかな、皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」とこぼしている。

■「茶会中止を」

 42年3月20日、天皇はシンガポールの博物館の標本を南方軍が献上するとのニュースについて「自分は文化施設を壊すことは面白くないと思ふ。一部自分の手許に寄(よこ)しても、それは其のものを生かす途ではない。現地に一括してあればこそ価値があるのである」と述べ、差し止めを命じた。

 戦時下、自分の楽しみやぜいたくを気にする天皇の姿も目立つ。

 41年7月8日、葉山御用邸で水泳した際、「時局柄、水泳しても宜(よろ)しきやとの御訊(おたず)ねあり」。

 42年2月25日、内務大臣が米、石炭などの不足を奏上すると、天皇は小倉を呼んで「自分達の方も少しつめる必要はないか」と尋ねている。

 44年4月8日、天皇誕生日の茶会について「漸次物資も窮屈となれる故、止めては如何」。同6月7日、赤坂離宮の正門や鉄柵(てっさく)の供出を提案。「書棚等の銅部品は何(ど)うかとの仰せあり」

■親心も素直に

 2人の息子、皇太子(現天皇)と義宮(現常陸宮)を手元に置きたいとの親心が、率直に記されている。

 39年12月5日、4歳の義宮を青山御所に移居させる方針が出された時のこと。「宮城を出ることになれば、東宮と一緒か」と問い、教育上、一緒は無理と説明されると、「同居になれぬ位(くらい)なら宮城の方がよくはないか」「宮城内に設備しては何故いかぬか」。「青山御所は大宮御所、秩父宮御殿に近か過る。そちらにおなじみになりはせぬか。淋しい」ともこぼしている。

 さらに、別居を認めた後も「英国皇室に於ては宮中にて皇子傅育(ふいく)をしてゐるが、日本では何故出来ぬか」と、諦(あきら)めきれない様子だった。

■警報下の別れ

 小倉は東京帝大を卒業後、財団法人東京市政調査会の研究員から宮内省に入った、いわば「外様」の侍従で、身近に仕えたのも6年ほどだった。しかし天皇、皇后とは気持ちの通じるものがあったようだ。

 45年6月23日、侍従を退く小倉らを天皇、皇后は夕食に招いた。空襲警報下、小倉は天皇から直接聞いた最後の言葉を記した。「聖上には、自分の御生れ遊ばされてよりの御住居が、皆無くなつた、高輪、御誕生の青山御殿、霞関離宮、宮城と四つなくなつた。此処(ここ)だけ残つてゐる、と仰せあり」
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http://www.asahi.com/national/update/0309/TKY200703090033.html

昭和天皇の素直な想いを伝える貴重な資料です。まだ全文が発表されたわけではありませんが、新聞に掲載されただけでも、いずれも「さもありなん」というお言葉です。

昭和天皇は基本的には戦争に反対で、情報を正しく伝えてこない軍部に常に不満をお持ちでした。また、英王室との関係を悪化させ、自分の「花」であった欧州訪問の記憶を汚す三国同盟を進めた白鳥敏夫・イタリア大使にも不信感をいだいていました。そういう陛下は、A級戦犯の靖国合祀に強い違和感をいだいたのです。この点については「富田メモと昭和天皇」にも詳しく書きましたので、まだお読みでない方は読んで下されば幸いです。




世界の中で高く評価される日本

2007年03月07日 | Weblog
時事通信社のニュースより――

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世界へ好影響、日本がトップ=中韓では「否定的」-国際世論調査

 【ロンドン6日時事】国際情勢に最も肯定的な影響を与えている国の1つは日本-。世界の多くの人々がこのような考えを持っていることが、英BBC放送が6日公表した国際世論調査の結果で明らかになった。
 調査は27カ国の2万8000人が対象。列挙された12カ国について「世界に与える影響が肯定的か否定的か」を問うたところ、肯定的という回答の割合が最も高かったのが日本とカナダで、それぞれ54%。これに欧州連合(EU)53%、フランス50%、英国45%などが続いた。
 日本については、25カ国で「肯定的影響」との意見が「否定的」を上回り、中でもインドネシアでは8割以上が日本を評価。ただ、中国と韓国では「否定的」とした人がいずれも約6割を占めた。
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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007030600182


この記事の原文を読んでみると、もっと面白いことがわかります。ポイントだけを書くと、

調査対象となったのは、
Britain, Canada, China, France, India, Iran, Israel, Japan, North Korea, Russia, the USA, Venezuela
の12カ国とthe European Unionです。

全体的な傾向としては、アメリカ、北朝鮮、イランのような軍事力を追求する国はネガティブに評価され、日本、フランス、EUのように、ソフト・パワーを行使する国は高く評価されています。

具体的な数字の上では、好感されている国は、

Canada (54% positive, 14% negative)
Japan (54% positive, 20% negative)
the European Union (53% positive 19% negative)
France (50% positive, 21% negative)

というところが上位です。

逆に否定的に見られているのは、

Israel (56% negative, 17% positive)
Iran (54% negative, 18% positive)
the United States (51% negative, 30% positive)
North Korea (48% negative, 19% positive).

でイスラエルが最悪です。アメリカが北朝鮮よりも否定的に見られているのは面白いことです。やっぱり、ブッシュ政権の軍事強硬路線は世界中から嫌われているのですね。

アンケート調査が行なわれたのは27カ国ですが、日本ではアンケートは行なわれませんでした。カナダ、アメリカ、イギリス、中国など、評価対象となっている国々でもアンケートが行なわれているのに、日本ではなぜ行なわれなかったのでしょう。公平性に欠けます。本来、評価対象となっている国ではアンケートを行なうべきではないでしょう。

自国民はだいたい自国を非常に肯定的に評価しています。もし日本でもアンケートが行なわれていたら、日本は日本を肯定的に評価するでしょうから、日本がカナダを抜いて1位になっていたでしょう。

27国の中で、日本に関して、「肯定的」よりも「否定的」が上回っていたのは、韓国と中国の2カ国だけでした。この2カ国は、日本に関して、世界の人々とは非常に異なった、偏った評価をしていることになります。この2カ国でアンケートが行なわれていなかったら、全体平均でも、日本はカナダを上回って、世界で最も肯定的に評価されている国となっていたことは確実です。

あと奇妙なのは、すべての評価対象国に関して、27カ国がどのような評価をしたかを示す個別レポートがあるのですが、1位のカナダだけ個別レポートがありませんでした。



マネーゲーム

2007年03月05日 | Weblog
中国株の暴落に端を発する各国の株式市場の下げが止まりません。

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日経平均575円安、1万6642円…3か月ぶり安値
3月5日17時28分配信 読売新聞

 週明け5日の東京株式市場は、米経済の減速懸念や急速な円高進行を嫌気した売りが広がり、日経平均株価(225種)は前週末比575円68円安の1万6642円25銭と昨年12月12日以来、約3か月ぶりの安値水準で取引を終えた。

 東証株価指数(TOPIX)は同58・88ポイント低い1662・71、第1部の出来高は約30億2600万株だった。

 日経平均の下げ幅は2006年6月13日以来、約9か月ぶりの大きさ。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070305-00000107-yom-bus_all

私は経済にはうといのですが、最近の世界経済の動きには明らかにおかしい要素が見うけられます。

お金というものは本来、モノやサービスの交換の手段であるはずです。それは古代の物々交換の代替手段あるいは進化として生まれたものでしょう。簡単な話、内陸に住む農民と海岸に住む漁民が、農作物と水産物を物々交換していたのに代わり、経済生活が複雑になるにつれて、そこにお金という決算手段が導入されたのでしょう。ですから、お金の裏側には本来、実体経済が張り付いていたはずです。ところが、現代ではお金はそういう実体経済からは遊離したところで激しく動いています。

ご存知のように、日本では低金利が続いています。そうすると、日本で1%の金利でお金を借り、それでアメリカの金利5%の国債を買えば、差し引き4%が儲けになるわけです。あるいは、日本のお金を借りて、それを株式で運用します。これをキャリートレード(円借り取引)と言うのだそうです。ヘッジファンドと呼ばれる国際的な金融組織は、世界各地の余剰資金を集めて、それを種に日本の円をキャリートレードで運用していると言われています。

もちろん、そこには為替の変動などの別の要素が加わって来て、お金が複雑で予測不可能な振る舞いをするわけです。

今回の世界的な株式の下落にはキャリートレードも関係していると言います。

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[東京 28日 ロイター] 世界的な株安進行を背景に外国人投資家の質への逃避が鮮明になっている。中国株の急落から始まったリスク資産の処分売りとともに円キャリートレードが巻き戻され、ドル/円は急落。一時、昨年12月末以来2カ月ぶりに117円台をつけた。東京市場でも動揺は収まらず、外国人投資家から数千億円規模の株先売り/債先買いが持ち込まれ、日経平均は一時、700円を超える下げを演じた。ドルをめぐっては米経済の弱さに焦点が当たりドル売り圧力が継続する可能性があり、新たな円キャリートレードはしばらくは手控えられる、との観測が出ている。
 <資金の流れ変調、世界同時株安招く>
 中国上海・深セン株式市場の急落を受けて、27日の米国株式市場は大幅に下落した。ダウ平均は一時500ドルを超える下落になったほか、S&P500指数も1日の下げとしては過去3年半余りで最大となった。米商務省発表の1月耐久財新規受注が前月比7.8%減少と、エコノミスト予想を上回る落ち込みになったことも意識された。加えて、イランをめぐる地政学的緊張の高まりから安全資産の債券への逃避買いが膨らみ米債券相場が続伸、10年債利回りは一時昨年12月以来の4.5%割れまで低下した。
 これまでもイラン核問題や米サブプライム住宅融資市場に対する懸念から質への逃避の動きはあったが、中国株式市場の代表的な指数となる上海総合株価指数が過去10年間で最大の下げを記録し、時価総額にして約1400億ドルが吹き飛んだインパクトは大きかった。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070228-00000111-reu-bus_all

お金は、より高い金利を求めて、各国の株式や債券を次から次へと移動しているのです。それは、実体経済とは離れたマネーゲームの要素が強くなっています。株というのは、みんなが上がると思うから上がるのであり、みんなが下がると思えば下がります。上がるのも下がるのも思惑(speculation)次第です。投機のことをspeculationというのはそのためなのでしょう。上がったところで売れば儲けであり、思惑が外れて値下がりすれば損失です。

しかし、どんな株でもいつまでも株価が上昇することはありえず、どこかで頭打ちから値下げに転じます。株の保有者はみな、値下がりの前に売り抜けようとするわけです。ところが、今回のように、みんなが売ることばかりを考えると、暴落するわけです。

暴落の前後で、世界の政治や実体経済には何も変化は生じていないのに、思惑の違いから株価が大きく下落したのです。

「時価総額にして約1400億ドルが吹き飛んだ」といっても、紙幣も何かの富も、実際にはどこにも消えていないわけです。それは単にコンピュータ上での出来事でしかありません。お金が、労働も生産も発明もしないのに、人類の思惑によって、一夜にして増えたり、一夜にして消滅したりする不思議な世界に私たちは生きています。それは今の経済がマネーゲーム中心の経済だからです。

余剰資金の持ち主がどのようなマネーゲームをして、株価の暴落で大損をしても、それは本人の勝手ですが、問題は、そのマネーゲームが実体経済にまで影響を与え、庶民の生活を直撃することです。石油価格の高騰もヘッジファンドの資金の流入によると言われています。食料も鉱物資源も、すべて投機の対象となっています。石油が高騰すれば、直ちに世界中の人々の生活に影響します。

外国旅行などをするときは、為替レートの変動がもろに出てきます。私は3月半ばからアメリカに旅行しますが、もうチケットを買ってしまいました。円が強くなっている今買えば、あるいはもう少し安く買えたのかもしれません。

「思惑」によって実体経済が左右される、現在のマネーゲーム化された経済は、明らかおかしい経済です。ホリエモンも村上ファンドも、マネーゲームの中に咲いたあだ花です。こういうマネーゲームはどこかでストップさせねば危険です。

金持ちがマネーゲームでますますお金を増やしても、何になるのでしょうか。そんなお金は死後の世界にまでは持っていけません。勤労によらないで獲得したお金は、その人のカルマ(負債)となって、次の人生で返済することを強いられます。真理を知らないということは恐ろしいことです。



硫黄島(2007年2月)

2007年03月01日 | バックナンバー
 クリント・イーストウッド監督制作の映画『硫黄島からの手紙』を観た。

 昭和二十年二月、小笠原諸島の硫黄島には、圧倒的な軍事力を誇る米軍が押し寄せた。この島を米軍に渡せば、この島は米空軍の基地にされ、そこから日本本土への空襲が行なわれることになる。すでに日本の敗色は濃かったが、島を奪われることを一日でも引き延ばし、その間に日本政府にアメリカとの和平交渉を少しでも有利に進めてもらうために、栗林忠道中将は、将兵全員の戦死を覚悟の上、硫黄島を死守することを決意した。

 アメリカ駐在武官を経験した栗林中将は、アメリカの巨大な経済力と軍事力を知悉していた。戦争末期、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に呪縛され、各地の日本軍は戦略的には無意味な玉砕攻撃をしかけていたが、栗林中将は玉砕を禁じ、硫黄島全体に地下壕を張り巡らし、そこからゲリラ攻撃をしかけて、米軍の消耗を狙った。当初、五日間で終わると米軍が見ていた島の占領は一ヶ月あまりも要した。この戦闘で二万九三三名の日本軍は二万一二九名が戦死、アメリカ軍も、七千名近い戦死者と二万人以上の戦傷者という、大きな被害をこうむった。

 硫黄島は、米軍の歴史の中で最も悲惨な戦闘で、アーリントン墓地には、硫黄島の摺鉢山に星条旗を押し立てる六人の米兵の群像が建てられ、硫黄島は米軍の英雄主義の象徴となっている。

 イーストウッド監督は、『父親たちの星条旗』という映画で、硫黄島の戦闘とそれに参加した米兵のその後を描いたが、『硫黄島からの手紙』では同じ戦闘を日本軍の視点から描いた。映画そのものは、戦闘場面が中心で(それも実際の悲惨さからはほど遠い)、太平洋戦争末期の日本の政治的・軍事的状況の背景説明がなかったし、栗林中将の人間性の掘り下げも今ひとつであり、また日本の社会の描き方も事実とずれている。しかし、アメリカ人がほとんど日本人俳優だけが登場する映画を作り、しかも「アメリカ=正義、日本=悪」という単純な図式に陥らず、日本人を対等な存在と見ていることは評価できる。

 映画の最後の場面で、栗林中将は、「後世の日本国民は自分たちが硫黄島で戦ったことを必ず思い出し、諸君の霊に涙して黙祷してくれるだろう」と語る。今上陛下は平成六年に硫黄島に行かれ、「精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」という御製を作られた。私たちは、今日の日本が、大勢の人々の尊い犠牲の上に築かれていることをあらためて想起し、戦没者への追悼とともに、日本を、世界平和に貢献し、世界の人々から尊敬される立派な国にしていかなければならないと思う。

※硫黄島については、以前も書きました