平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

内閣総理大臣

2007年09月13日 | Weblog
今年の8月に、来年G8サミットが開かれる、ウィンザーホテル洞爺に行って、サミットの成功を霊的次元に刻印する行事を行ないました。そのとき、各国首脳の顔ぶれをイメージしたのですが、どういうわけかそこには安倍さんの姿がありませんでした。

安倍さんは結局、日本の総理となるべき器ではなかった、ということなのでしょう。

清水勇著『ある日の五井先生』に次のような一節があります。

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 あるとき五井先生が、「総理大臣は神様が決めるんだよ」とおっしゃったことがありました。この世の決まりからいえば、国会議員の中から国会の議決により指名され(首班指名)、天皇によって任命されます。衆議院において最大勢力を占める政党の党首がその責に任ずる例がほとんどで、多くの場合、自民党の総裁が総理大臣になっています。

 この世の仕組みで選ばれた総理大臣が初めて国会の壇上に立った時、その背後に神様がつくのだということです。ある期間、総理大臣に日本の運命を託すわけですから、神様が背後から総理大臣を護り導いて下さるのです。

 それゆえに、背後の導きを感受して国民の負託にこたえ、国の繁栄と世界の平和を祈り、私心をなくし、不惜身命の覚悟で職務を遂行する総理大臣こそが、二十一世紀に最も望まれる器と言えます。何よりも日本の神様がそれを望んでおられます。

 かつて五井先生が中曽根康弘さん(第七十代~七十三代)に会った時、「あんたは次の次の総理大臣になるんだよ、と教えてあげたら中曽根さんが嬉しそうな顔してたよ」とおっしゃったことがありました。

・・・

 ある時、「総理大臣なんかになるもんじゃないよ」と五井先生がおっしゃいました。五井先生のお言葉を裏付けるように、かつて総理大臣を務めたことのある村山富市さん(第八十一代)は、「独りでいられるのはトイレだけだった」と激務のすさまじさを語っていました。批判に耐えて総理大臣という職務に精励している姿に同情されながらも、五井先生は『老子講義』の中で次のように、上に立つ者のあるべき姿を示しておられます。

「政治家ほどむずかしい仕事はないと、しみじみ思い、政治家諸公の働きに感謝しながらも、どうもその行き方が危っかしくてみていられないような、心落ち着かぬものを感じます。老子など、中国の昔に生活していて、常に中国の政治家たちの行いをみつめながら、やはり危っかしくてみていられず、老子道徳経を残してゆかれたのであろうと思われます。

 要は政治家でも宗教家でも、教育者でも人の上に立ってゆく天命を持った人は、普通人の何増倍も、自己をみつめることをしなければならぬので、少しでも天意にそむく想いをもたぬよう、行わぬようにしなければなりません。そういう態度が祈りなのであり、その方法として、祈り言葉が生まれたのであります」(第四十二講・老子道徳経第七十四章)
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五井先生は、「総理大臣というのは本当は大犠牲者なんだよ」とおっしゃったこともありました。国民の幸福のために一身を投げ出す覚悟のある人のみが、首相を務める資格があるのです。

権力欲や自我欲望で首相になることほど、恐ろしいことはありません。それは自他ともに誤らせ、国民を不幸に導きかねません。自我を無にして、国家と世界人類の平和のために働く真に偉大な政治家の登場が待たれます。



パール博士と東京裁判

2007年08月16日 | Weblog
8月15日に北海道に来ました。この日は釧路で35度になるという猛暑日で、首都圏そのままの暑さでした。しかし、今日16日は雨が降り、気温も30度以下に下がりました。寒暖の差が激しいですが、このまま涼しい日が続くことを期待します。

8月14日にNHKで東京裁判の判事を務めたインドのパール博士の番組を見ました。

東京裁判というのは、第二次世界大戦の終結後、東京で開かれた「極東国際軍事裁判」の通称です。これは、ナチス・ドイツを裁くために開かれたニュルンベルク裁判とセットで開かれた国際軍事法廷でした。

東京裁判には様々な問題があり、日本人はこの裁判をどのように受けとめるべきか、一致した見解をもっていません。

東京裁判の最大の問題は、戦争の勝者が敗者を裁いたという点にありました。勝者はまず強かったから戦争に勝ったのであって、必ずしも正しかったから勝ったのではありません。一寸の虫にも五分の魂といいますが、敗戦国側にも戦争をせざるをえなかった事情がありました。戦勝国側の主張がそのまま正義ではありません。ところが、東京裁判では勝者が法の名、正義の名において敗者を裁いたのです。

東京裁判の判事団は、イギリス、オーストラリア、オランダ、アメリカ、中国、フィリピンなど、戦勝国、あるいは日本によって被害をこうむった国々の出身者によって構成されていました。つまり、事件の当事者の一方が判事になったわけで、これではとうてい公正な裁判などありえないことは、誰にでもすぐにわかります。もし正義の名において公正な裁判をするのであれば、日本人や、戦争に関係のなかった国々出身の裁判官も選ばなければならなかったはずです。

ニュルンベルク裁判では、戦勝国側の裁判官と並んで、ドイツ人の裁判官も裁きの場に加わりました。ナチスのホロコーストは、ドイツ人から見ても犯罪として裁くしかない行為であったのです。

もし日本の戦争がナチスのホロコーストと同じ犯罪であるというのであれば、日本人の裁判官も判事団に加えればよかったはずです。

日本軍が戦争中に「戦争犯罪」の名に値するいくつかの残虐行為を行なったことは事実だろうと思います。もしそれらを犯罪として裁くのであれば、戦勝国側の同種の行為に対しても同じ基準が当てはめられてこそ、それははじめて普遍的な正義となります。たとえば、広島・長崎に対する原爆投下は、ナチスのホロコーストに匹敵する非戦闘員に対する無差別虐殺であり、これが戦争犯罪でなければ、戦争犯罪などというものは存在しません。

日本人を判事団に加えれば、必ず原爆投下の問題が議論になったはずです。それを避けるために、アメリカは日本人を判事団に加えなかったのです。この史上まれな戦争犯罪を行なったアメリカの大統領も軍人も処罰・処刑されませんでした。

この一事を見ても、東京裁判が、裁判に名を借りた勝者の復讐劇であり、インチキ裁判であったことがよくわかります。

東京裁判の欺瞞性に勇気をもって異議を唱えたのがインドのパール博士でした。

インドはイギリスの植民地であり、インドの裁判官はもともと戦勝国側の一員として選ばれたのです。それは、東京裁判を国際的な軍事法廷としての体裁を整えるための選出にすぎませんでした。ところが、イギリスの植民地支配に苦しんだインド人であるパール博士は、イギリスら欧米諸国の欺瞞を見抜いたのです。

法律家としてのパール博士が東京裁判を批判したのは、「裁判憲章の<平和に対する罪>、<人道に対する罪>は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない」という判断によるものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

第二次世界大戦が開始された当時、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という概念は存在しませんでした。これは、ニュルンベルク裁判でナチスを裁くために作られた新しい概念です。

事後法というのは、そういう罪の概念がなかったのに、出来事のあとから、ある行為を罪とする法律を作ることです。いわば、ゲームの途中でルールを変更するようなもので、それまでのゲームでは手を使うことは問題なかったのに、途中から手を使うのは犯則だ、と言うようなものです。

「平和に対する罪」と「人道に対する罪」というのはこういう内容です。

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〈平和に対する罪〉とは,〈侵略戦争を,または国際条約,協定,誓約に違反する戦争を計画し,準備し,開始し,実行したこと,またはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参加したこと〉であり,その責任は国家機関の地位にある者であっても個人に負わされる。〈人道に対する罪〉とは,〈犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず,これらの裁判所のいずれかの犯罪の遂行としてまたはこれに関連して行われるところの,戦前または戦争中における,あらゆる一般住民に対して犯された殺人,殲滅(せんめつ),奴隷化,強制的移送およびその他の非人道的行為,もしくは政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害〉である。ここにいう〈人道に対する罪〉は,戦争中のみならず戦争前の行為(とくに迫害)を含み,その国籍を問わず一般住民に対する行為によるものであるが,自国民に対する犯罪行為や迫害を主たる対象としている。
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平凡社大百科事典より

NHKの番組でも述べられていましたが、〈平和に対する罪〉の「共同謀議」というのはイギリスの法概念で、国際的な認知をうけた概念ではありませんでした。ましてや、ナチスに対してはこれが当てはまるとしても、いわば行き当たりばったりに戦争を拡大していった日本に対してはとうてい適用不可能な概念でした。

〈人道に対する罪〉に含まれる「一般住民に対して犯された殺人,殲滅」ということであれば、原爆の使用がまさにそれに妥当します。原爆という「人道に対する罪」を不問にしたことは、この裁判の正当性を根底からくつがえしました。

パール博士は、親日家であったから東京裁判を批判したのではなく、純法理論的に批判したのであり、彼の批判は現在でも反駁不能です。最初、戦勝国側判事として日本を裁こうとしていたオランダのレーリンク判事も、パール博士の正しさを認めざるをえなくなりました。

パール博士はガンジーを尊敬する敬虔なヒンズー教徒でした。その根底にあるのは、ガンジーと同じ非暴力平和主義でした。そういう立場からすれば、戦争そのものが許されない行為でした。ですから、パール博士は日本を全面的に弁護したのではなく、日本の戦争犯罪を厳しく批判もしています。ただし、「バターン死の行進」や「南京虐殺」について日本を断罪するパール博士の判断は、当時の戦勝国側の証言に基づくところが大きく、必ずしも公平なものとは思えません。

日本を裁くことができるものが存在するとしたら、東京裁判のような勝者の裁きではなく、絶対的な平和を求める神の視点のみであり、それは同時に戦勝国側をも裁かずにはいないのです。日本が東京裁判を受け入れたということは、戦勝国側の歴史観や論理を受け入れたということではなく、神の立場に立って、明治以降の軍国主義の歴史を否定し、平和主義を国是としたということ意味するのです。

東京裁判は、侵略戦争は犯罪である、として日本を裁いた裁判でした。事後法によるこの裁きは不当でしたが、侵略戦争が犯罪である、という法概念がいったん確立した以上、今後はこの法で裁くことは事後法にはなりません。しかし、その後、朝鮮戦争、チベット侵略、中東戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、数多くの戦争が起こされましたが、毛沢東にせよ、金日成にせよ、アメリカ大統領にせよ、戦争指導者が戦争犯罪人として国際法廷で裁かれたことはありません。セルビアのミロシェビッチが唯一の例外だと思いますが、それはセルビアが戦争に負けた弱小国であったからであって、勝者あるいは強国の指導者が法と正義の名において裁かれたことは一度もありません。

神の裁きを受け入れた日本は、世界で唯一、戦争を犯罪として否定する権利を有している国なのです。


映画『ヒロシマナガサキ』

2007年08月09日 | Weblog
今日は8月9日の長崎原爆忌です。8月6日は広島で過ごしましたが、今日は自宅で11時2分の黙祷に参加しました。黙祷の中でなぜか涙が流れました。

そのあと、神保町の岩波ホールで『ヒロシマナガサキ』というドキュメンタリー映画を見ました。

これは日系3世のスティーヴン・オカザキ監督が作った映画で、英語の題名は「White Light/Black Rain」です。

被爆者の証言を主体に、映像と、被爆者の方の描いた絵で、広島・長崎の原爆の被災の実態を物語る映画です。映像の中には、当時アメリカ軍が撮影したカラーのものもあり、その悲惨さは目を覆うものがあります。

映画の導入は、渋谷で若者たちに、1945年8月6日に何が起こったか知っていますか、と尋ねる場面です。映画の登場したすべての若者がそれを知りませんでした。これは、編集でそういう無知な若者だけを集めたのか、それとも今日の日本の若者の大部分がそうなのか、ちょっとわかりません。日本でもそういう状態なら、まして世界では広島・長崎のことを知っている人は少ないでしょう。

知識としては原爆のことを知っていても、その被害の実態を写真や絵でもいいからかすかに知っている人となると、さらに少ないでしょう。そういう無知を啓蒙する意味で、こういう映画は必要だと思います。とくに、アメリカをはじめ、核保有国の国民に観てほしいと思います。いや、日本の中でも、平気で核武装論を唱える人々が増えていますから、日本人も観る必要があります。

映画の中には原爆の開発や投下に関わったアメリカ人も数人登場します。彼らはすべて、国のために当然のことをしたまでで、罪の意識も後悔の念も感じていない、と言います。しかし、最後に、カークという人が、

「何人か集まると、必ずバカな奴がこう言う。「イラクに原爆落としゃいいんだ!」 核兵器が何なのかまるでわかちゃいない。わかっていたら言えないことだ」

と言います。カークは、やはり心の痛みを感じているのです。

映画では、原爆の投下と日本への勝利を誇るトルーマンの姿もありました。そのトルーマンも本当は罪の意識にさいなまれていたのです。彼は朝鮮戦争のときには、原爆を使いませんでした。そういう良心のかけらが残っているかぎり、人類は同じ過ちを繰り返すことはないでしょう。

しかし、指導者の良心が麻痺して、他者の痛みが感じられなくなると、危険です。昨日のブログで紹介したリーパーさんが、「戦争文化に侵されている人たちが退場する前に小型核兵器を使うかもしれない」と危惧しているとおりです。世界平和の祈りは、そういう指導者の良心を目覚めさせ、彼らの狂気をはらう働きがあります。

映画のあとに、ソプラノ歌手のコロンえりかさんが、「被爆のマリアに捧げる賛歌」を歌いました。これは、お父様のベルギー人作曲家エリック・コロンさんが作曲した歌です。とても心打たれました。

被爆マリア像については、こちらをご覧下さい。

もともと浦上天主堂に安置されていたものですが、瓦礫の中から奇跡的に発見されました。この像は、原爆によってその生命と美と健康を奪われたすべての被爆女性の苦悩と、それにもかかわらず、平和を祈る無限なる愛と慈しみを象徴しているように思えます。

広島原爆ドームと並んで世界遺産に登録されるべき像です。

リーパーさんのインタビュー

2007年08月08日 | Weblog
毎日新聞2007年8月6日にリーパーさんのインタビューが載っていました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/heiwa/ima/news/20070806ddf012070007000c.html

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今、平和を語る:広島平和文化センター理事長、スティーブン・リーパーさん
 ◇世界を後ろ盾に「核兵器廃絶」を

 広島市の平和行政の一翼を担う財団法人・広島平和文化センターの理事長に今春、米国籍のスティーブン・リーパーさん(59)が外国人として初めて就任した。母国の戦争文化に厳しい目を向けるリーパーさんに、平和をいかにして紡ぐかを語ってもらった。<聞き手・広岩近広>

 ◇自分のことばかり考えるリーダーは、弱者に本気で強烈に反発されると、暴力的な解決法を選ぶ危険性が高い

 ◇競争原理より協力原理を、都市が結束しよう

 --被爆62年の「8・6」が巡ってきましたが、核兵器廃絶の道は遠のいているようでなりません。日本政府にしても米国の核の傘の下にいるため、はっきりもの申せていません。22年前から広島を拠点にして日米両国で平和運動をしてきたリーパーさんは、この点をどう思われますか。

 リーパー 日本が本気になってアメリカに「絶対に核兵器を使うな」と言えば、アメリカは使えないはずです。日本が本当にそういう態度をとったら、他の国はすべて日本を支持すると思います。日本の後ろに世界が立っていれば、アメリカは無視できません。もっともアメリカだって、本当に核兵器を使おうとする人たちはほんの一握りです。

 --それはいかなる人たちですか。

 リーパー 核兵器がなくなると、とても損をするグループがアメリカには存在しているのです。そのグループは「核兵器は使うものだ」と世界に示したがっており、政府に影響力を持っているからとても危ない。つまり、今のアメリカ政府は軍事産業とつながりが深いのです。大きな力をもっているグループが核兵器を使いたがっているのだから、これは危険です。

 --核兵器を使えば地球環境がどうなるかわかっているのではないでしょうか。

 リーパー 私が心配しているのは小型核兵器です。大都市を破壊するためではなく、たとえばアフガニスタンでウサマ・ビンラディンを殺すために限定的に使う。あるいはイランが核兵器をつくるかもしれないので、事前にその種の施設だけを破壊する目的で、小型核兵器を使うのです。私はこの5年間がもっとも危ないとみています。

 --5年以内とは切迫しています。もう少し説明していただけますか。

 リーパー 現在の世界のリーダーたちはアメリカを筆頭に戦争文化に浸っている人たちがほとんどです。極端に自分のことばかり考える人間、あるいは非常に攻撃的とか、非常に競争的な人間ですね。そうしたリーダーが自分の富や地位や成功ばかり考えていると、貧富の差が大きくなっていきます。その結果、弱い者が反発します。本気で彼らが反発したら、その人数はあまりにも多いので、トップを倒す力が生まれます。そうなると戦争文化のリーダーは暴力的な解決方法を選びます。だから私は戦争文化に侵されている人たちが退場する前に小型核兵器を使うかもしれない、そういう危機感をもっているのです。それでも--この5年の間に小型核兵器が使われなければ、だんだんリーダーの質が変わってくると信じています。というのは地球温暖化の問題など、お互いの協力がないと解決できない人類の課題が迫ってきているからです。悲惨な将来にしないために、次のリーダーは協力しあうことを避けては通れません。

 --その協力関係を築くためには。

 リーパー 平和文化を構築することです。平和文化とは何かというと、勝ち負けの競争原理ではなく、みんなが幸せになれるように協力原理を働かせることです。私は都市の役割が大きいと思います。都市と都市の関係は国と国の関係より現実的で平和的ですからね。なかでも広島と長崎は平和文化の原点ではないでしょうか。スペインのゲルニカや中国の重慶もそうですね。戦争でダメージを受けた都市は、戦争のない平和な世界をつくろうと発信しています。まず、こうした都市が協力しあっていくのです。広島市長が会長を務める「平和市長会議」(8月3日現在、122カ国・地域の1698都市)を拡充、強化していくことも大事です。戦争文化から平和文化へ切り替えていかないと人類の明日はありません。

 --ところで、リーパーさんのお父さんはある日本人少女の命の恩人として語り継がれています。1954年9月に起きた死者1155人を出した青函連絡船「洞爺丸」の海難事故で、乗船していた青年牧師のディーン・リーパーさん(当時33歳)が救命胴衣のヒモの切れた少女に自分の胴衣を与えて、自らの命と引き換えに少女を助けました。このとき6歳の長男だったリーパーさんら4人の子どもと妻であるリーパーさんのお母さんが残されました。人類愛というのでしょうか、お父さんの影響をうけていますか。

 リーパー 連絡船は岸壁からあまり離れていなかったし、父は泳ぎが得意だったので、自分が死ぬとは思わなかったはずです。ただ、自分だけが助かろうと思えば真っ先に海に飛び込めたのに、父は船が転覆するまで女性や子どもたちの救助に当たっていたそうです。自己を犠牲にしてでも、他の人を手伝う態度ですね。自分のために何かをつかむより、人のため世界のために何かをするほうが大事だという教えは、私たち家族のなかに残っていると思います。

 --世界がリーパーさんのお父さんのようになれば核兵器はなくなるのでは。

 リーパー (笑って)パラダイスになります。

 --全米50州での原爆展を計画するなど、息子のリーパーさんへの期待も高まっています。

 リーパー 来年秋の大統領選に向けて、核兵器廃絶の運動をアメリカで盛り上げたいのです。そのためには向こうの活動家たちの協力が必要ですし、一過性のイベントにしないためにはどう発展させていくか、そうしたことを考えて推し進めたい。大事なことは我々が、どうやって世界の反核運動を手伝うことができるか、大きなグローバルなうねりをつくるかです。

 --平和は地球レベルでみないといけないですね。

 リーパー もちろんです。平和な世界をつくろうとしたら、お金持ちの日本やアメリカが、飢えて死んでいく人たちのいる貧しい国をなくすために膨大な援助をしなければいけません。そのためには今、使っている消費エネルギーをぐんと減らさないと、温暖化の問題を含めて、みんなが幸せになれる世界はつくれないと私は思います。暮らしを質素にすることなので、それは抵抗が大きいでしょうが、世界の平和を考えるには、そうした視点が大切ではないでしょうか。(専門編集委員)


プレイバック・シアターin長崎

2007年07月27日 | Weblog
プレイバック・シアターとは――

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その場にいる一人が語り手となり、自分のストーリー(自分自身の出来事)を語ります。心に強く残っている場面や長い間とらわれている出来事、なにげない日常生活の中のひとこまなど、ストーリーとして語られることは様々です。語られたストーリーは役者(アクター)によって、即興の劇で表現されます。表現されたストーリーはその場の皆に分かち合われ、そしてまた語った本人に戻されます。実際には、この即興劇に至るまでのグループの一体感をつくるエクササイズや、役者(アクター)として自発的に表現する為のウォーミングアップ、即興劇の後のクロージングを含めた全体をプレイバック・シアターと呼んでいます。
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http://playbacktheatre.jp/index-1.html

ある人が、自分の心にかかっている自分の人生の一コマを語ります。それは愛する人を喪った悲しい出来事かもしれないし、人に裏切られたり虐待されたりというつらい出来事かもしれない。

役者はその話を即興劇にして演じます。その劇は語り手にフィードバックされ、修正されるかもしれない。そうやって、劇が進行し、語り手は自分の人生がそこにプレイバックされるのを見ます。そのプレイバックの中に、様々な気づきや癒しが生じます。

今度、8月4日に長崎でプレイバック・シアターが「愛と平和」をテーマにして開かれます。

[長崎] Summer Peace Gift 2007 ~長崎から~
日時:2007年8月4日
出演:NPO法人プレイバック・シアターらしんばん TATSUMAKI
会場:長崎市 メルカつきまち
住所:長崎市築町3-18 駐車場あり
入場料:500円

「愛と平和を私たちの身近なものとして感じ、そして音楽とプライバック・シアターで分かち合う」という主旨です。



原発危機一髪

2007年07月18日 | Weblog
7月16日に起こった中越沖地震の被災者の皆様には心よりお見舞いを申し上げます。

赤十字を通して義援金を送ることができます。
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/1247.html

郵便局の口座番号は 00510-5-26 です。

現在わかっている範囲で、この地震では343戸以上が全壊し、9人が死亡しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070718-00000008-mai-soci

マグニチュード6.8で343戸の全壊にもかかわらず、9人という死者は、驚くほど少ない数です。亡くなった方、被災した方には申し訳ないのですが、本当に大難を小難にしていただいたという感が強くします。

今回の柏崎刈羽原発の事故について知ると、ますますその感を深くします。実は、今回の地震では、巨大な原発事故が起こる可能性がありました。

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原発の耐震安全性は根底から崩れた

2007年7月17日 原子力資料情報室

7月16日午前10時13分ごろ中越沖地震が起きた。この地震の揺れによって稼働中の柏崎刈羽原発4基が自動停止した。停止したのは2号炉、3号炉、4号炉、7号炉で、うち2号炉は定期検査の最終段階の調整運転のために原子炉を起動中だった。他は定期検査中で原子炉を停止していた。

震災にあわれた方々の苦痛はさらに続くだろうが、原子炉が緊急停止したのは不幸中の幸いというほかない。仮に停止に失敗していたら、放射能が大量に放出される原発震災に至る怖れもあった。

停止に続いて3号炉では外部電源を取り込む変圧器で火災が起きた。絶縁油が漏れ、何らかの理由で引火したためだろう。原因について詳細な発表はないが、漏れは地震により機器・配管に亀裂が入ったことで起きた可能性が高い。鎮火までに2時間近くもかかったのは、消火剤の調達に時間がかかったからといわれている。油火災への備えがなかったことは深刻な不備と言わざるを得ない。

変圧器が機能しなければ、外部電源喪失事故という特に沸騰水型原発では恐れられている事故となる。直ちに非常用のディーゼル発電機が起動することになっているが、この起動の信頼性は必ずしも高くなく、地震により起動しない恐れもある。炉心燃料は自動停止した後も高熱を発しているため冷却を続ける必要があり、これに失敗すると燃料は溶融して高濃度の放射能が環境に放出されることになる。場合によってはその後に爆発を伴うこともあり得る。それほど重要なことを内包する火災だったが、東京電力は変圧器が機能し続けていたか、非常用電源が起動したかなどの重要な情報を発表していない。

さらに東電は6号炉で放射能を含んだ水が放水口から海に放出されたと発表した。発表では6万ベクレルである。この発表がそのとおりとすれば、放射能による環境や人体への影響はほとんどないと言えるかもしれないが、そう言うには放射能の種類ごとのデータが不可欠だ。

また、漏れの原因については十分に調査されるべきである。使用済燃料プール水が揺れで溢れだした可能性は高いが、例えば、プールに亀裂が入っていることも、プール水循環装置からの漏えいも考えられる。このような場合、漏えいは止まらず、早急な対策が取られなければならない。水漏れから放射能の確認まで6時間近くたっており、原因究明が急がれる。使用済燃料プール水の溢れだしは地震のたびにおきていることからすれば、海への放出にまで至ったのは明らかな対策の不備である。

建屋内の情報が公表されないので被害状況が分からないが、機器や壁などがさまざまな影響をうけているに違いない。今回の地震の揺れは設計用限界地震(実際には起こらないが念のために想定する地震動)として想定した値を超えていた。東電の発表によれば、最も厳しい場合が1号炉でおよそ2.5倍に達している。今回の地震は東西30㎞、深さ25㎞の断層が破壊されたという。そして、原発建設時にはこの断層は検討されなかった。検討されていたのは20㎞も先の中越地震を起こした断層の一部だ。耐震設計の甘さが否めない。想定外の場所で想定を超える地震が発生したことから、陸域・海域を含め周辺の地盤や地層の十分かつ厳密な調査を欠くことはできない。東電はまずこれを進めるべきである。

2005年8月16日の宮城県沖地震、07年3月25日の能登半島地震、そして今回の中越沖地震、わずか2年ほどの間に3回もそれぞれの原発での設計用限界地震を上回った地震が発生している。原子力安全委員会は06年9月に耐震設計審査指針を28年ぶりに改定し、電力各社は既存原発に対して新指針に基づく耐震安全性チェックを進めているが、ほんらいはすべての原発を止めておこなうべきことであろう。原発を稼働しながら数年内にチェックを終えればよしとしている原子力安全・保安院の現在の姿勢は根本的に見直されるべきである。
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http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=550

原発事故でいちばん恐ろしいのは、原発の停電です。

「変圧器が機能しなければ、外部電源喪失事故という特に沸騰水型原発では恐れられている事故となる」。

「炉心燃料は自動停止した後も高熱を発しているため冷却を続ける必要があり、これに失敗すると燃料は溶融して高濃度の放射能が環境に放出されることになる。場合によってはその後に爆発を伴うこともあり得る」。

おかしな話に思えるかもしれませんが、電気を作っている原発は、他の電源によって動いているのです。地震で原発が停電すると、炉心の冷却ができなくなります。そうなると、これはチェルノブイリ原発事故のような大規模な爆発事故につながります。柏崎刈羽原発は世界最大の原発基地で、そこに蓄積されている放射性物質は、チェルノブイリ原発の数倍、広島・長崎の原爆の数百倍と思われます。今回、火災にまでなりながら、そのような大規模災害にいたらなかったのは、まさに「不幸中の幸い」、僥倖以外の何ものでもありませんでした。

想定最大震度6.5で耐震設計をしているところに、6.8の地震が起こりました。よくもこれだけの被害ですんだものです。これが7.5の地震だったら? 東電や政府首脳、そして日本国民は、自分たちが今回、「偶然」によって救われたのだ、ということを認識しなければなりません。でも本当は「偶然」などないのです。その背後には目に見えない「大いなる力」が働いているのです。その「大いなる力」が日本を救ってくれたのです。

しかし、貧弱な耐震設計で、いつまでも「偶然」に安全を頼っているわけにはいきません。

いくつもの断層が走っているこの地域には、過去から何度も大きな地震が起こっていますが、それは大自然からの警告ではないでしょうか。このような場所に原発を設置していてよいのでしょうか。柏崎刈羽原発は全面停止・廃棄したほうがよいと思います。

各電力会社は、今回の事故を徹底的に検証し、すべての原発の安全性を高めなければなりません。想定最大震度を大幅にアップしなければなりません。これまでもたびたび事故情報の隠蔽を行なってきた東電は、すべての情報を開示しなければなりません。

最終的には、原発というエネルギー源は放棄されねばなりません。放射性廃棄物の処理方法が確立されていないからです。省エネを進める必要があります。太陽光や風力や地熱や潮力などの自然エネルギーやバイオ・エネルギーなどの利用をできるだけ拡大する必要があります。ただし、こうしたエネルギー源には限界があります。いずれ宇宙空間のゼロ・ポイントフィールドから無尽蔵のエネルギーを取り出す科学・技術が生まれることでしょうが、それまでは現在の技術を改善して、大規模原発震災が起こらないように、原発の安全性を高めて利用するしかありません。

柏崎刈羽原発がこのまま長期間停止したら、冷房によって電力消費が増える夏場には、首都圏では電力不足が起こる可能性があります。原発は危険ですが、すぐに全廃することもできないのです。

完全に自然調和型ではないけれど、現在の原発の代替案として私が関心を持っているのは、古川和男博士が提唱するトリウム型「原発」です。この「原発」は、小規模で安全に運行でき、しかも環境中に放射性物質を放出する危険性がないし、核兵器の原料となるプルトニウムも作れません。理論も基本技術も完成していると言われています。政府や電力会社は、過去の行きがかりにとらわれず、この新しい「原発」の可能性を検証してもらいたいものです。


7月7日、ライブアース+Intention Experiment

2007年07月06日 | Weblog
原爆問題については来週からにして、今日は別の話題です。

7月7日に「ライブアース」という世界的な音楽イベントが開かれます。

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 LIVE EARTHは7月7日に、オーストラリア・シドニーを皮切りに、世界全7大陸の各地で順次、開催され、米国の公演で幕を閉じます。日本では、幕張メッセをメイン会場とし、また気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書の採択の地・京都でスペシャルライブを開催します。

 LIVE EARTHは、2005年開催されたアフリカ貧困撲滅支援コンサート“ LIVE 8 ”でエミー賞を受賞したケビン・ウォールと、気候の危機を訴えた映画「不都合な真実 - An Inconvenient Truth」の作者である元アメリカ合衆国副大統領のアル・ゴアを中心メンバーとして発足された「地球温暖化の危機」解決に向けたグローバル・キャンペーン・プロジェクト“ SOS ”が最初に手掛ける巨大イベントです。

 SOS - SAVE OUR SELVES(自分自身を救え)をテーマに掲げ、各地のコンサートの模様は、インターネットやテレビ、ラジオ放送を通じて22時間100万人の観衆と20億人の視聴者に届けられます。7大陸で行われる”LIVE EARTH”の収益の全ては、Alliance for Climate Protection(気候保護同盟)とその会長であるアル・ゴアが中心となり、気候の危機の解決を目的とするグローバル・プロジェクト基金を設立し、それを基に新たな取り組みを継続的に実施していきます。
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http://www.liveearth-japan.jp/

アル・ゴア氏はすっかり温暖化防止運動の推進事業家になったようです。

映画『不都合な真実』は世界中でヒットしましたが、科学的にはかなりいい加減なところがあり、地球温暖化の危機を大げさに煽り立てているところがあるとも言われています。
http://anond.hatelabo.jp/20070125145018

ただし、この映画が一般大衆の意識を温暖化の問題に向けた功績は大だと思います。先日も、環境問題と取り組んでいるある方とお話ししたとき、『不都合な真実』以来、環境問題に対する人々の受け止め方が真剣になり、自分の話もよく聞いてくれるようになった、とおっしゃっていました。

ゴア氏がしかける次のイベントが「ライブアース」です。

音楽コンサートが温暖化防止にどうつながるのか、私にはよくわかりません。皮肉な見方をすれば、これだけ世界各地で大規模なイベントを行なえば、それに使われる大量の電気エネルギーは、CO2の量を増やし、温暖化を促進するのではないか、と考えられるからです。

しかし、世界中の人々を巻き込み、人々の意識を自然環境保護という目的に向けることはそれなりに意義のあることだと思います。この行事が、一過性のお祭り騒ぎやお金集めや売名に終わらないで、真に世界平和のためのイベントになることを期待します。

さて、7月7日にはもう一つ面白いイベントが企画されています。

2007年2月17日のブログで紹介した、『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』(河出書房新社)の著者であるリン・マクタガートが、7月7日に「The Intention Experiment 思念の実験」を計画しています。

世界中の人々がアリゾナ大学の実験室にあるムギの種に同時に思念(intention)を送って、これを発芽させよう、という実験です。思念を送る時間は、グリニッジ時間の7月7日午後5時で、日本時間では7月8日午前3時になります。
http://theintentionexperiment.ning.com/

インターネットを使って、世界中の人に同じ目的のために心を一つにするように呼びかける行事が年々増えています。これを正しく用いれば、世界平和のために大きな力を発揮することができるでしょう。

どうせなら、ライブアースでもThe Intention Experimentでも、世界中でいっせいに「世界人類が平和でありますように May Peace Prevail on Earth」と祈るように呼びかけたらよいのに、と思います。


イギリスのテロ事件

2007年07月01日 | Weblog
ブレア氏に代わってブラウン氏がイギリスの首相になったとたんに、ロンドンでテロ未遂事件が起こりました。グラスゴー空港でもテロが起こりました。

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 【ロンドン=本間圭一】英警察当局によると、英スコットランド・グラスゴーの空港で30日午後(日本時間同夜)、炎上した車両1台が空港のターミナルビルに突っ込んだ。

 被害の詳細は不明だが、英メディアは、負傷者が発生している模様だと伝えている。ロンドンでは29日、自動車爆弾によるテロ未遂事件が起きており、警察当局では関連を調べている。

 英メディアが目撃者の話として伝えたところによると、車はジープ型車両で、少なくともアジア系の男2人が乗り込み、このうちの1人は車中で炎に包まれ、重傷を負ったという。2人は突入後、警察当局に拘束された。逮捕者は3人との情報もある。

 空港は閉鎖され、同空港を離着陸する全航空機は運航を停止。空港利用客らも全員避難した。空港は一時、パニック状態に陥ったという。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070630-00000417-yom-int

グラスゴーはスコットランドの町です。グラスゴーの少し北に、ダンフリースという町があり、その近くにWorld Peace Prayer Societyのサンクチュアリー、通称アラントン聖地があります。

そこで6月末の週末にピースフェスティバルが開かれましたが、大雨だったとのことです。この大雨もイギリスのカルマのお浄めでしょう。

テロ事件がいずれも大規模な被害を及ぼさないですんだのは、アラントン聖地に集まった皆さんの世界平和の祈りが、イギリスのカルマを相当程度、浄化したからだと思います。それこそ、大難を小難に変えていただいたわけです。

イギリスのブレア元首相は、ブッシュ大統領のイラク戦争に賛成しました。イギリス軍は今もイラクに駐留していますが、すでに100人近い死者を出しています。

イラク開戦前に、イギリス軍の上層部がブレア首相に、「対イラク戦争は必ず失敗し、軍に多くの死者が出ても政治的に獲得するものがほとんどない」という警告を出していました。
http://www.binghamton.edu/fbc/86jp.html

まさにその警告どおりになったわけです。そういう警告を受けながら、イラク戦争に参加したブレア首相の責任は重大です。

もしブレア首相がブッシュ大統領を支持しなければ、アメリカはイラク攻撃をしなかったでしょう。今日のイラクの混乱には、アメリカに最大の責任がありますが、その次に責任があるのがイギリスです。イギリスがイスラム系の人々の敵意を受けるのも当然です。

そのブレア首相はイラク政策の失敗の責任を取って辞任しました。イギリス軍がイラクにいるかぎり、イギリスはテロの標的になりつづけます。ブラウン新首相は早急にイラクから英軍を撤退することを迫られるでしょう。

イギリスの次に責任があったのはスペインです。2003年3月にブッシュ大統領とブレア首相と、スペインのアスナール首相(当時)の三者が話し合って、イラク開戦を決めたのです。そのスペインでも2004年3月に大規模なテロが起こって、アスナール政権は崩壊しました。スペイン軍はその後、イラクから撤退しました。

その次くらいにイラク戦争に責任があるのは、日本です。日本の小泉首相も、イラクが大量破壊兵器を保有しているという情報が怪しいということをうすうす知りながら、アメリカの開戦を支持し、自衛隊を派遣したからです。ただし、自衛隊は国土復興活動に集中し、戦闘には参加せず、直接イラク人を殺さなかったので、日本はそれほど強い憎悪の対象になっていません。

自衛隊が海外で戦闘行為を行なわないというのは、正しい行き方であり、日本はこれを変更してはなりません。

現在も自衛隊がイラクにいて、飛行機による後方支援、つまり米英軍の輸送を応援していますが、これは早くやめたほうがよいと思います。日本がイラク戦争にかかわっているかぎり、日本もテロの対象となる可能性があるからです。


渋谷の温泉の爆発事故

2007年06月27日 | Weblog
渋谷の温泉の爆発事故には驚きました。実は、私はあの「シエスパ」の前を時々歩くのです。しかも爆発が起こった2時半ころに、あの前を歩くこともよくあります。しかし、事故当日はあの地域には行きませんでした。

最近、ある白光の会員さんから、爆発事故を奇跡的に免れた話を聞きました。その方は、なんと「シエスパ」で従業員として働いていたのです。当日も出勤の予定になっていましたが、朝、激しい腹痛がして、仕事を休みました。仕事を休んだおかげで、爆発事故に巻き込まれないですんだのです。

これと似たような話を、1995年の地下鉄サリン事件の時にも聞きました。その会員さん(シエスパとは別の人です)は、霞ヶ関の官庁街に勤めていました。地下鉄で通勤していましたが、もしいつもと同じ時間帯に地下鉄に乗っていたら、完全にサリン事件に巻き込まれていました。ところがその方は、今まで一度も遅刻をしたことがなかったのに、事件当日のその朝にかぎって、寝坊して遅刻してしまいました。地下鉄の駅に駆けつけたときには、地下鉄はもう全面ストップ状態でした。

五井先生は、私たちはみな守護霊・守護神によって守られている、と教えています。守護霊・守護神は私たちを事故や災難から守るために、いつでも背後から導いてくれているのです。守護霊・守護神に常に感謝し、心を向けていれば、守護霊・守護神が知らないうちに人生をよりよい方向に向けてくれます。

守護霊・守護神に守られているのは、何も白光会員だけではありません。何かの宗教の信者だけではありません。どんな人でも例外なく、生まれながらに守護霊・守護神に守られているのです。しかし、その事実を知らないので、守護霊・守護神に心を向けることがありません。そうすると、守護霊・守護神がせっかく肉体人間を守ろうとしても、隙間が生まれ、守りきれなくなります。

日頃から守護霊・守護神に感謝していると、緊急の場合には、突然お腹が痛くなったり、寝坊したりという形で、知らないうちに災難から免れさせてくれるのです。私の場合は、そんな奇跡も必要なく、当日はそういう場所に近づく用件さえ起こらなかったのです。



広島平和文化センターの理事長のリーパーさん

2007年06月26日 | Weblog
いわゆる広島の原爆資料館、正式には広島平和記念資料館は、財団法人・広島平和文化センターが管理する施設です。今年4月に、広島平和文化センターの理事長に、秋葉市長の指名により、アメリカ人のスティーブン・ロイド・リーパーさんが就任しました。

リーパーさんは、原爆資料館の展示の見直しを検討しています。

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平成19年5月31日付中国新聞朝刊記事に関する理事長の基本的な考え方 

(財)広島平和文化センター理事長のスティーブン・ロイド・リーパーです。5月31日の中国新聞朝刊や中国新聞オンラインに掲載された「原爆資料館展示見直し」の記事で、私の意見として紹介された「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」という部分について、広島への原爆投下を容認しているのではないかとのご意見を数多くいただきましたので、この問題に関する私の基本的な考えを説明したいと思います。

核兵器は一瞬にして大量破壊・無差別殺戮を引き起こす非人道的な兵器であり、いかなる理由があっても、その使用を正当化できるものではありません。この考えは、広島市及び(財)広島平和文化センターの基本スタンスであり、これからも決して揺らぐものではないことを最初に申し上げておきたいと思います。

私は、昭和60年(1985年)から広島市を拠点として、核兵器廃絶へ向けて積極的に活動してきました。核兵器は人類とは絶対に共存し得ないものであり、原爆の投下を正当化する考え方は言語道断です。62年前、ヒロシマで何が起ったのかを紛れもない事実として、きちんと伝えていきたいと考えています。

さて、この記事の背景となった広島平和記念資料館の展示更新についてですが、同資料館は、建設から51年が経過し、老朽化などに対応した建物の整備、被爆体験を次世代に分かりやすく伝えるための展示の更新などが必要になっており、本年1月に「広島平和記念資料館更新計画」を策定し、建物整備や展示更新の今後のあり方を方向付けました。今年度と来年度は、これを具体化し実施に移すため、より詳細な「広島平和記念資料館展示整備等基本計画」を策定することとしており、策定に当たっては、有識者等からなる検討委員会の設置や市民意見の募集を予定しています。

今回、インタビューの中で私が伝えたかったのは、核兵器については様々な意見を持つ人がいますが、どのような考えの人にも、原爆の非人道性を理解してもらう必要があるということです。そして、それを理解してもらうには、どのような展示が良いのかということについて、幅広く意見を聞きたいということなのです。その方法の一つとして、例えばアジア出身の方からも意見を聴取してはどうかという現時点での私の案を述べました。新聞記事では、あたかもアジア出身の委員を起用することが方針として決まっているかのように読み取れますが、そのような事実はなく、検討委員会の構成も含めて、委員の人選や委員以外からの意見聴取の方法などについては、今後、具体的に検討していくことになります。

核兵器を巡っては様々な意見があり、その中には中国新聞の記事にあるように、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考え」もあります。これは、このような考え方がアジアにはあるという事実を指摘したのであり、私がこの考え方を肯定している訳ではありません。逆に、私はこのような考え方を持っている人たちにも原爆が非人道的なものであるということ、そして、決して使用されてはならず、地球上から廃絶しなければならないものであるということを理解してもらうために何ができるのかを考え、実行する必要があると伝えたかったのです。

具体的な方法として、例えば、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考え」が根強いアジアの人たちの考え方の根拠や背景等についての知識を持ち、かつ、一日も早く核兵器を廃絶すべきであることを主張する私たちの考え方に賛同しているアジアの人たちの意見を聞くことが考えられます。その結果として考え方の異なる人々にも共感、納得してもらえる施設にするための参考になるのではないか、と思っています。

このような私の基本的な考えが、今回の報道で十分に伝わらなかったことについては、非常に残念であり、ご心配をお掛けしたことを申し訳なく思っています。

私は、北朝鮮の核武装などのニュースを聞くたびに、いつ、どこで核兵器が使用されるか分からないという大変強い危機感を抱いています。

当センターが事務局を務める平和市長会議は、2020年までに核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」に取り組んでいます。核保有国を含む全ての国が、核兵器廃絶に向けて誠実に努力すべきであることを粘り強く訴え続けていかなければならないと決意を新たにしています。

今後とも、当センターの運営につきまして、皆様のご理解、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/teiseibun/riji.html

中国新聞の記事とは、以下の記事です。

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資料館展示見直しに中韓の声 '07/5/31

 原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。
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http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705310023.html

言葉というものの難しさを感じる出来事です。リーパーさんの考えが、中国新聞のような記事に要約されると、中韓の意向に添って、原爆資料館を原爆を肯定するような内容に変える、と誤解する人が出てきたのです。

私は2000年にリーパーさんにお会いしたことがありますが、リーパーさんは、アメリカ人にもかかわらず、アメリカによる原爆投下をいっさい弁護・肯定することなく、核廃絶に真剣に取り組んでいる方です。リーパーさんの説明にも言葉足らずのところがあったのでしょうが、このような誤解が生じたことは残念です。

リーパーさんは、核廃絶を願う広島の心を世界中に訴えてくださることを私は確信しております。


朝日新聞に地球交響曲の記事

2007年06月20日 | Weblog
毎日新聞はよく「地球交響曲」や龍村監督の対談を載せていますが、朝日新聞が珍しく「地球交響曲」について紹介しました。

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ドキュメンタリー映画「地球交響曲」に見る宗教性
2007年06月16日11時51分

 私たちは見えない何かに生かされている――。宗教的とも言えるメッセージを込めた「地球交響曲」(ガイアシンフォニー)という日本のドキュメンタリー映画がある。シリーズ最新作の「第六番」が公開中だ。1992年の「第一番」以来、自主上映会が旧作も含め各地で繰り返され、観客動員数は延べ220万人。配給会社に頼らない「隠れたロングヒット」には宗教研究者も関心を寄せている。

■「バブル後」の心象に呼応

 映画はオムニバス形式で、さまざまな分野で活躍する人が1作品に数人ずつ登場し、大自然や宇宙、自分の生き方について淡々と語る。

 例えば「第六番」には、インドの民族楽器シタールの奏者ラビ・シャンカールが出演する。ビートルズ時代のジョージ・ハリソンが弟子入りしたことでも知られる人物で、「耳には聞こえない虚空の音」について語っている。

 背景に、特定の宗教思想があるわけではなく、「第六番」などは文部科学省選定映画にもなっている。しかし、出演者たちの言葉にはどこか宗教的な響きがある。静かな語りの合間に時折、宇宙空間から見た地球などの映像が挟み込まれる。

 この映画とそれを支える自主上映会の動きは宗教研究の対象となっていて、すでに複数の論考が発表されている。

 各種世論調査によると、日本で「信仰を持っている」と答える人は2割余。しかし近年、教団に帰属しない多くの人の宗教意識について研究が進みつつある。「地球交響曲」はその格好の素材と見られている。

■「生かされる感覚」受けヒット

 浮かび上がっているのは「スピリチュアリティ」という概念。「見えない何かとつながる感覚」などと定義され、霊性と訳されることもある。宗教の教えを必ずしも介さずに、何か人間を超えた存在に触れる感覚だ。

 自身に特定の信仰はないという龍村仁監督(67)はそれを「大いなるものに生かされている実感」と表現し、自分の中で閉じているスピリチュアリティに、映画を通じて目覚めてもらえればと語る。

 「生かされている実感がないことが、教育問題や少年犯罪など時代のゆがみの背景にあると思う。映画に登場する人たちは、その感覚があるから謙虚でいられる。大きな自然の一部であるような……。それぞれ個別のことを語っているのに、普遍的なものを言葉の奥に感じる」

 第1作の完成後、商業的な成功が見込めないとの理由でお蔵入りになりかけた経緯がある。ところが、環境問題に関心のある主婦らを中心に自主上映グループが全国に生まれていった。「第六番」も次々と自主上映が決まっている。

 早くから作品を見続けている慶応大学の樫尾直樹・准教授(宗教社会学)は、スピリチュアリティを喚起する作品が受け入れられた背景をこう見る。

 「日本では80年代から近代的ライフスタイルとは別の生き方を模索する人たちが増え、エコロジーへの関心も高まっていた。バブル経済がはじけたころに公開された地球交響曲は時代の心象に呼応し、ゆるやかなネットワークによる運動を生んだ。既成の宗教教団がそうした受け皿になりにくいなか、この映画は宗教の機能を部分的に代替している面がある」

    ◇

 自主上映会の情報は龍村仁事務所のサイト(http://gaiasymphony.com/)で。
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http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200706160121.html

宗教学者がどのような分析をするのか、それは自由ですが、「地球交響曲」がとてもよい映画で、観た人がみなそれぞれ「何か」を感じることだけはたしかです。その「何か」にかりに名前をつけるとすると、「スピリチュアリティ」としか言いようがない、ということなのでしょう。

触れる地球

2007年06月19日 | Weblog
6月17日(日)のフジテレビ「報道2001」で、竹村健一さんの息子さんの竹村真一さんが登場し、地球儀を示しながら地球環境問題について論じていました。

竹村真一さんが操作していたのは、「触れる地球」という、彼が考案したマルチメディア型の地球儀です。
http://www.tangible-earth.com/

この地球儀は、インターネットを介して、地球上の様々な情報をほぼリアルタイムで取り込み、反映することができます。私もこの地球儀に触らせてもらったことがありますが、この地球儀を操作すると、地球環境問題をリアルな問題として実感することができます。これは、日本が世界に誇ることができる発明だと私は思っています。

竹村真一さんは、6月15日に紹介した「キャンドルナイト」の仕掛け人の一人でもあります。

竹村さんは「キャンドルスケープ」について、以下のように書いています。

*********************
キャンドルスケープにあなたの思いを灯してください!

「100万人のキャンドルナイト」に参加する一人ひとりの思いを、日本列島上のキャンドルの灯として表示する地図型掲示板「キャンドルスケープ」。

PCやケータイからメッセージを投稿すると、あなたのお住まいの場所に灯りがともり、そこからあなたのメッセージがロウソクの煙のように立ち上がります。

キャンドルナイトに参加する人の数は全国で500万人とも600万人とも言われます(環境省発表)。
でも、キャンドルに託す思いは、人それぞれでしょう。
そうした数や量で表せない、一人ひとりの多様なつぶやきや願いを、私たちはぜひ「可視化」したいと思って、こうした灯りの投稿掲示板を作りました。

昨年からはキャンドルスケープも「世界版」に拡大(日本列島をドラッグする、あるいは下の地球をマウスで回すと、日本以外の地域でも投稿あるいは閲覧が可能に)。世界各地で「地球大のキャンドルナイト」に参加する人々の思いを可視化していきます。

一人ひとりの小さな思いが、ジグソーパズルのように繋がって世界を変えていく。
あなたもぜひ、キャンドルスケープに思いを投稿してください。

             プロデューサー
             竹村 真一
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http://feel.candle-night.org/scape/

「一人ひとりの小さな思いが、ジグソーパズルのように繋がって世界を変えていく」という言葉が私は好きです。




100万人のキャンドルナイト

2007年06月15日 | Weblog
夏至の日に電気を消し、ロウソクを灯して、地球のあり方や人類の生き方に想いをはせましょう、というイベントがあります。
http://www.candle-night.org/home.html

この「100万人のキャンドルナイト」は2003年から始まりました。

そのときの呼びかけ文です。

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私たちは[100万人のキャンドルナイト]を呼びかけます。

2003年の夏至の日、6月22日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。

プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。

それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。

一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2003年、6月22日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきをけして、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。
*********************
http://www.candle-night.org/2003summer/

この活動はさらに発展して、インターネット上で人々の心をつなぐ「キャンドルスケープ」という場がつくられました。

http://feel.candle-night.org/scape/

地図上のある場所が光って、そこから短いメッセージが発信されます。これは、その場所でほぼリアルタイムで発信されたメッセージです。そのメッセージがみな素晴らしい内容です。日本中で大勢の人が地球環境のことを考え、平和のことを考えていることがわかります。

私も投稿してみました。投稿者が多かった時間帯だったのでしょう、私の投稿は、投稿後15分くらいしてから反映されました。

あなたも短いメッセージを灯してみませんか? 「あなたのメッセージを投稿する」をクリックしてください。郵便番号によってあなたの場所(発信地)が定位されます。


世界最良の観光客は日本人

2007年06月11日 | Weblog
しばらく前の新聞記事ですが、

時事通信――
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【ベルリン25日時事】日本人観光客は大歓迎-。オンライン旅行予約サービスのエクスペディアが欧州ホテル業界の約1万5000人を対象に行った調査で、日本人観光客が最も評判が良いことが明らかになった。
 それによると、「最も好きな旅行者」として日本人を挙げたホテル業者が一番多かった。行儀が善く静かな点が人気の理由。2位は米国人で、騒がしいことがマイナス材料だったものの、金銭面で気前がよいことや旅行先に溶け込もうとする態度が評価された。
 5年前の調査でトップだったドイツ人は、「けちでチップの払いが悪い」ことが響き、5位に順位を落とした。
 一方、フランス人は「現地の言葉を話そうとしない」「地元料理を試そうとしない」ことが嫌われ、28カ国中で最下位。インド人はチェックアウトの際、部屋が散らかっているとして敬遠され、中国人やロシア人も評判が芳しくなかった。
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http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c6%fc%cb%dc%bf%cd%b4%d1%b8%f7%b5%d2&k=200705/2007052600074

CNN――
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世界最良の観光客は「日本人」と、欧州ホテルの調査
2007.05.26
Web posted at: 13:36 JST
- CNN/REUTERS

ロンドン――世界の観光客の評判に関するアンケート調査で、日本人が最良の評価を得たことが25日分かった。欧州のホテル経営者1万5000人を対象にした調査で、日本人は35%の支持票を獲得、礼儀正しく、きれい好きな点が特に共感を呼んだという。

2位は米国人、3位はスイス人。スイス人は落ち着きと思いやりがあるところが評価された。調査は旅行のウェブサイトが実施した。

英国人は、粗野な振る舞い、騒々しい、チップを惜しむなどの点で、下から5番目となった。ただ、全般的な出費ではおうようなところが評価され、お金の使いっぷりの良さでは米国人、ロシア人に次いで3位となった。

評判の悪い観光客は、フランス人、インド人、中国人、ロシア人の順だった。
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http://www.cnn.co.jp/business/CNN200705260002.html

いちばん詳しいデータはこれです。
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オンライン旅行会社のエクスぺディアは4月、観光客の国別の評判に関するアンケート「エクスペディア・ベストツーリスト 2007」を行い、28日に調査結果を発表した。

調査は同社が経営するヨーロッパ12カ国(ドイツ、オーストリア、イギリス、アイルランド、ノルウェー、スイス、デンマーク、フィンランド、イタリア、フランス、スペイン、オランダ)の15,000以上のホテルマネージャーを対象に実施した。「礼儀」「気前のよさ」などカテゴリーを10項目用意して、それぞれ最良、最低の国の観光客を選んだ。

総合的な調査結果は以下の通りとなる。



第1位に選ばれた日本人は、「マナーやエチケットをよく守る」「礼儀正しい」「ホテルで大騒ぎをしない」「部屋をきれいに使う」「クレームを言わない」などで、ホテル関係者の間で特に高く評価された。また「地元料理に興味を持ち、積極的に体験しようとする姿勢」や「旅行中の金遣いの良さ」も高ポイントだった。一方、「チップの気前の良さ」や「地元の言葉を覚えて積極的に使用する態度」は、やや低く評価されたという。

またフランス人は「地元の言葉を話そうとしない」「態度が大きい」「地元の料理に興味が低い」との評価がつけられ、総合的に最下位となったとしている。
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http://journal.mycom.co.jp/news/2007/05/29/034/index.html

上記サイトの「表」にはもっと詳しい情報が出ています。

ロシア人は「無礼」1位、中国人は「部屋を汚す」2位、「行儀が悪い」3位、「物静かで慎ましい」2位。チップは少なめ、ローカルフードへの興味も低い、のだそうです。

日本国内だけを見ていると、悪いことばかり目につきますが、国際的には日本と日本人の評価はとても高いのです。

関連:世界の中で高く評価される日本


渥美和彦氏と統合医療

2007年06月07日 | Weblog
6月5日に渥美和彦氏の講演を聞きました。

渥美氏は、東大医学部名誉教授で、日本ではじめて人工心臓を開発し、レーザー医療を導入するなど、最先端医療に従事してきた医学者です。手塚治虫の同級生で、「鉄腕アトム」の「お茶の水博士」のモデルの一人だそうです。(もう一人のモデルは小松左京)。そう言われれば、たしかに顔が似ています。

渥美先生は現在、JACT理事長で、西洋医学と代替医療・伝統医療を統合した統合医療の重要性を語ってくれました。

伝統医療というのは、西洋近代医学が導入されるまで、それぞれの文化圏で行なわれていた医療です。日本でいえば、鍼灸、指圧、按摩、漢方薬などがありますが、これは中国から輸入した要素が含まれています。インドにはアーユルヴェーダ医学があり、チベットにはチベット医学があります。ヨーロッパにはホメオパシーがあります

ところが、近代になって西洋医学が科学的医療として独占的な地位を確立すると、そういう伝統医学は非科学的な迷信的医療として、劣等的な地位に追いやられてしまいました。

西洋医学が感染症の治療や予防などに大きな成果をあげてきたことは事実です。しかし、西洋医学ではいまだに治療できない病気が多々あります。そういう病気に、意外と伝統医療が効果があったりするのです。

近年、西洋医学からは蔑視されてきた伝統医療が、再評価され、英語ではalternative medicine(別の医療、代替医療)と呼ばれるようになりました。代替医療には、伝統医療だけでなく、最近になって開発された、非正統的な(つまり、大学医学部でまだ承認されていない)医療も含まれます。

西洋医学と代替医療には以下のような違いがあります。
 西洋医学:分析的、臓器を治す
 代替医療:全体的、健康を回復させる

 西洋医学:原因を特定し、除去する
 代替医療:免疫力を高め、自然治癒を目指す


西洋医学は現在では、細胞、遺伝子、量子のレベルまで細分化されつつありますが、それによって、病人は様々な医療機器に縛りつけられ、当の人間の生活の質が置き去りにされてしまっている感がなきにしもあらずです。

極端な話、西洋医学では、病気は治ったが、人間は死んだ、ということも起こります。代替医療にはそういう非人間性はありません。

もっとも、代替医療は玉石混合というか、たくさんの石の中に少し玉が混じっている程度で、西洋医学の立場から、その効果を検証することが重要だ、と渥美先生は述べていました。つまり、21世紀の医療は、近代西洋医学と代替・伝統医療を統合した統合医療になるべきだ、という考えです。

これまでの西洋医学というものは、この病気に対してこの薬を飲めば、この程度の数の人がよくなりますよ、という確率の医学ですが、その確率に入らなかった人は治らないわけです。治療というものはこれからは個人個人に合わせたオーダーメイドになるべきだし、そういう道が開けつつあるとのことです。

現在では、タンパク質チップというものが開発され、どの治療法がその人にとって最も有効か、ということがかなり正確にわかる道が開けてきた、ということです。つまり、ある薬なり、サプリメントなりを摂取する前と後でタンパク質チップの変化を調べて、それがどの程度効いたのかがわかるようになりつつあるということです。

代替医療、統合医療についてはアメリカが進んでいて、日本は非常に遅れているとのことです。アメリカで代替医療が盛んになったのは、アメリカには日本のような完備された健康・医療保険制度がないことが最大の原因のようです。自腹で医療費を支払わなければならないので、コンシューマーの立場から、真に自分にとって有効で、経費的にもリーズナブルな医療を求めるようになるわけです。

これに対して、日本では立派な保険制度がありますが、保険金は西洋医学的治療にしか支払われず、代替医療では保険が認められないことが多いのです。日本の医学界はそれにあぐらをかいて、世界の医学界の動向については無知もいいところで、まるで鎖国状態だそうです。患者は、コンシューマーの立場から、自分たちにとってよりよい医療を要求していかなければならない、と渥美先生はと言っていました。

さらに、健康な生活には、きれいな水や空気といった自然環境が重要で、そのためにも持続可能な世界、平和な世界が築かれねばならないし、最終的には、身体と心は相関しているので、身体が健康になると同時に、心の立派な人間を育てていく必要がある、というお話でした。

渥美先生は、東大医学部という西洋医学の牙城で最先端のお仕事をしながら、その限界を知り、真に人間のため、患者のための医療を目指す、立派な先生でした。