平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

地球意識プロジェクト(2007年6月号)

2007年09月03日 | バックナンバー
地球意識プロジェクト(2007年6月号)

 人間の心(意識)と物質とはどのように関係しているのだろうか。私たちは手足を動かそうと意識することによって、物質である肉体を動かすことができる。意識と物質がどこかでつながっていることはたしかである。

 アメリカ・デューク大学のライン博士は、人間の思念の力がサイコロに影響を与えることができるか(念力)、また、伏せたカードの紋様を透視できるか(ESP)、などの実験を行なった。長年にわたる実験は、一部の特殊な人には念力や透視能力が備わっているらしいことを示した。しかし、博士の研究は超心理学という特殊な領域のデータとして「疑似科学」扱いを受け、一般の科学界に受けいれられるところまではいかなかった。

 コンピュータ時代に入り、ライン博士の研究はさらに精緻に改良された。プリンストン大学工学部・変則現象研究所のロバート・ジャンは、ランダム事象生成装置(REG)という装置を製作した。この装置は、電子的な雑音を0と1の数字に変換する。通常、0と1の比率は同じになる。もし人間の思念がこの比率を変えることができれば、それは思念が電子の動きに影響を及ぼしたことになる。ジャンの実験は、思念が電子に影響を及ぼすことを統計的に明らかにした。

 プリンストン大学のロジャー・ネルソンとディーン・ラディンは、個人ではなく、集団の意識もREGに影響を与えるかどうかを研究し始めた。その結果、集団の心が一つになり高揚したときには、REGに影響を及ぼそうとしなくても、REGに顕著な変化が出ることがわかった。このことは、個人の意識が他の個人の意識と同調したとき(コヒーレンス)、強い意識フィールド(場)が形成されることを示している。

 現在、世界各地にREGが設置され、インターネットで結ばれ、地球全体の意識場を測定するシステムが構築されている。この「地球意識プロジェクト」は、新年の祝賀、大きな災害や悲劇などの出来事が、人類の意識を一つに集め、大きくふるわせていることを示唆している。

 五月二〇日に、日本、インド、ヨーロッパ、アメリカ合衆国のスピリチュアル・グループがともに世界平和を祈る「グローバルピースメディテーション&プレヤーデー」が開催された。これは、文化も伝統も異なる数十万人の人々が、世界平和という唯一の目的のために、各地でともに瞑想と祈りを行なうという世界で初めての行事である。ネルソンらのグループはこの行事中の波動変化を測定し、現在そのデータを解析している。

 人々の意識が、そして祈りや瞑想が、地球全体に対して大きな影響を及ぼすことが科学的常識となる日は、そう遠い将来ではないだろう。

サミット(2007年5月号)

2007年07月03日 | バックナンバー
 来年二〇〇八年の夏、日本で先進国首脳会議、いわゆるサミットが開かれる。

 サミット開催となると、参加国の首脳ら代表団は計千五百人になるし、報道陣は約三千人にものぼると見られている。世界各地からこれだけの人々がやってくると、その土地は世界中に紹介されて有名になるし、経済的効果も大きい。というわけで、現在、各地でサミット開催を招致する運動が活発化している。

 前回の日本でのサミットは、二〇〇〇年に沖縄県で開かれた。今回、立候補しているのは、

・北海道洞爺湖地域の「洞爺湖サミット」
・横浜・新潟両市などの「開港都市サミット」
・大阪・京都・兵庫3府県の「関西サミット」
・岡山・香川両県の「瀬戸内サミット」

である。それぞれ、警備がしやすい、とか、国際会議の施設がある、などというメリットを強調しているという。

 これらの候補地の中で、筆者は以下の理由で京都を推したい。

 京都は日本の古都であり、サミット開催は日本の伝統文化を知ってもらうよい機会である。

 第二次世界大戦中、京都は原爆投下の第一の候補地であった。しかし、ルーズヴェルト大統領とトルーマン大統領の下で陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、文化都市・京都の破壊に反対し、その代わりの候補地として選ばれたのが広島であった。京都は広島によって救われた都市として、平和という価値と結びついている。

 京都はまた、一九九七年の地球温暖化防止京都会議(第三回気候変動枠組条約締約国会議)で作成された、いわゆる京都議定書の都市でもある。京都は、地球環境保護という、今日の人類共通の目標とも結びついている都市である。

 今年になって英BBC放送が公表した国際世論調査の結果で、世界各国の人々は、日本を、カナダと並んで、国際情勢に最も肯定的な影響を与えている国と見ていることが明らかになった。筆者も最近、何人かの、いわゆる開発途上国出身の人たちと話す機会があったが、彼らはみな、日本が行なった道路や病院の建設に心から感謝していた。

 日本は、軍事力で自国の理想を他国に強制する国ではない。自由と人権を抑圧する共産主義体制の国でもない。いま日本にとって最も大切なことは、世界の中における自国の立ち位置を明確にし、日本の特長を通じて世界平和に貢献することである。

 京都でサミットを開催することは、日本が世界に向かって、文化、平和、地球環境保護という価値観をアピールすることにつながると思う。

*********************

この記事を書いたすぐあとに、サミット会場が北海道の「ウィンザーホテル洞爺」になることが発表されました。北海道は京都ほどのメッセージ性はありませんが、美しい自然は、海外からの来客に好印象を与えるでしょう。

今年の夏休みには「ウィンザーホテル洞爺」に行って、サミット会場の「下見」(?)をしてこようと思っています。





虚空の音(2007年4月号)

2007年06月22日 | バックナンバー
 『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)第六番』の試写会に招かれた。

 『地球交響曲』は龍村仁監督が制作するドキュメンタリー映画で、その第一番は一九九二年に上映された。この作品は、大手配給会社によって上映される娯楽映画ではないので、第一番は上映してくれる映画館さえなかった。そこで、監督みずからがチケットを買い取り、自分で売り歩いて上映にこぎつけたという。しかし、その内容の素晴らしさに感動した観客が、公民館や市民会館を借り、自分たちで自主上映を開始した。評判が評判を呼び、この映画は口コミで広まっていき、現在では、のべ二百万人以上の人々がこのシリーズを観ている。

 『地球交響曲』は第一番から常に、「地球の声が聞こえますか」という冒頭のメッセージで始まっているが、第六番のテーマはまさに「音」である。試写会に先立ち、龍村監督は、

 「地球の生命システムというものは、オーケストラが奏でる交響曲のようなものだと思う。そのオーケストラには無数の存在が奏者として加わっているけれど、美しい交響曲を奏でるためには、各パートが他の奏者の奏でる音を聞き、自分の音をそれと調和させなければならない。ところが、現在の地球では、人類が他の存在の音に耳を傾けず、ハーモニーを破っているのではないか。第六番は、まさに「音」をテーマにしている。映画の中では音楽のような具体的な音が紹介されるけれど、その背後に「虚空の音」のようなものがある。それを感じていただければうれしい」

 と挨拶した。

 最近発表された、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書も指摘しているように、地球の温暖化、地球環境の悪化は、現在すでに危険水域に達している。人類は、自分たちの快適な文明生活を維持するために、地球環境に大きな負荷をかけ、他の動植物の生存をおびやかしている。地球環境が異変を起こし、多くの生物種が絶滅したら、人類もまた生存できなくなる。今日の人類は、いわば自分がすわっている木の枝を、自分で切り落とそうとしているようなものである。

 このような愚行は、人類が、動植物、水、空気、鉱物など、地球上の諸々の存在が発しているメッセージを聴き取る能力を失ってしまったところから生じている。それらは、耳に聞こえる音ではないが、私たちが感受性を高めれば、確実に受けとめることができるものなのである。いま私たちに必要とされているのは、このような聞こえない音、見えない光を感受する感性の開発ではないか。映画の美しい音と映像にひたりながら、そういうことを考えたのであった。

※この試写会は毎日新聞社の主催で、虎ノ門のニッショーホールで2007年2月17日に開かれたものです。

千の風になって(2007年3月号)

2007年06月01日 | バックナンバー
 昨年の大晦日のNHK紅白歌合戦で、テノール歌手の秋川雅史さんが歌った「千の風になって」がブームになっているという。この歌の元になっているのは、

 私のお墓で泣かないで
 私はそこにはいません
 眠ってなんかいません
 私は千の風になって吹きわたっています
 私はやわらかに降る雪であり
 やさしく落ちる雨のしずくです……
   (英語の原詩より)

という英語の詩である。この詩を新井満氏が独自に訳し、メロディーをつけた曲が、秋川さんによって歌われた。

 この詩には英語でもいくつかのヴァージョンがあり、作者が誰かははっきりしないが、人から人へと伝わっていくうちに、改良が加えられたことがうかがわれる。

 人生には必ず愛する人との別れがある。どんな人でも親を、伴侶を、恩師を、友人を、時によっては子供を喪う。そして、自分もまたいつかは肉体界を離れ、家族と別れなければならない時が来る。愛する人との別れほど悲しいことはない。

 四苦八苦という言葉があるが、これは仏教用語で、生老病死の四苦に加えて、求不得苦(ほしいものが手に入らない苦)、怨憎会苦(憎い人と会う苦)、愛別離苦(愛する人と別れる苦)、五取蘊苦(世界の一切は苦)という四苦を加えたものである。古来より、愛する人との別れは痛切な苦と意識されていたのである。

 「千の風になって」は、死者が永遠に消滅したのではなく、姿を変えて自分のそばにいると語っている。このような思想が、愛別離苦に苦しんでいる多くの人々に慰めをもたらしたのだろう。

 世界の宗教は様々な形で、人間存在は肉体の死とともに消滅するのではなく、神や霊や仏として生きつづけると教えている。それらの教えは、人間の願望が生み出した単なる幻想なのではなく、事実の一端を示している。心霊科学は、人間は死後も霊として霊界に生きつづけていると語っている。これは、現代の科学ではいまだ証明されていないが、霊視能力のある人にとっては、当たり前の事実なのである。

 筆者も両親と妹に先立たれているが、ときどき故人たちの気配を身近に感じ、懐かしさで胸がいっぱいになることがある。筆者には霊視能力はないが、縁者たちの愛念はいつも私たちを見守っていてくれるし、私たちの愛念は縁者たちに届いている、と自然に思えるので、別離の悲しみはない。

 やがて近い将来、人間生命の永遠性が常識となる時代が来るに違いない。その時には、愛別離苦は消滅し、お墓も無用の長物になるだろう。

硫黄島(2007年2月)

2007年03月01日 | バックナンバー
 クリント・イーストウッド監督制作の映画『硫黄島からの手紙』を観た。

 昭和二十年二月、小笠原諸島の硫黄島には、圧倒的な軍事力を誇る米軍が押し寄せた。この島を米軍に渡せば、この島は米空軍の基地にされ、そこから日本本土への空襲が行なわれることになる。すでに日本の敗色は濃かったが、島を奪われることを一日でも引き延ばし、その間に日本政府にアメリカとの和平交渉を少しでも有利に進めてもらうために、栗林忠道中将は、将兵全員の戦死を覚悟の上、硫黄島を死守することを決意した。

 アメリカ駐在武官を経験した栗林中将は、アメリカの巨大な経済力と軍事力を知悉していた。戦争末期、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に呪縛され、各地の日本軍は戦略的には無意味な玉砕攻撃をしかけていたが、栗林中将は玉砕を禁じ、硫黄島全体に地下壕を張り巡らし、そこからゲリラ攻撃をしかけて、米軍の消耗を狙った。当初、五日間で終わると米軍が見ていた島の占領は一ヶ月あまりも要した。この戦闘で二万九三三名の日本軍は二万一二九名が戦死、アメリカ軍も、七千名近い戦死者と二万人以上の戦傷者という、大きな被害をこうむった。

 硫黄島は、米軍の歴史の中で最も悲惨な戦闘で、アーリントン墓地には、硫黄島の摺鉢山に星条旗を押し立てる六人の米兵の群像が建てられ、硫黄島は米軍の英雄主義の象徴となっている。

 イーストウッド監督は、『父親たちの星条旗』という映画で、硫黄島の戦闘とそれに参加した米兵のその後を描いたが、『硫黄島からの手紙』では同じ戦闘を日本軍の視点から描いた。映画そのものは、戦闘場面が中心で(それも実際の悲惨さからはほど遠い)、太平洋戦争末期の日本の政治的・軍事的状況の背景説明がなかったし、栗林中将の人間性の掘り下げも今ひとつであり、また日本の社会の描き方も事実とずれている。しかし、アメリカ人がほとんど日本人俳優だけが登場する映画を作り、しかも「アメリカ=正義、日本=悪」という単純な図式に陥らず、日本人を対等な存在と見ていることは評価できる。

 映画の最後の場面で、栗林中将は、「後世の日本国民は自分たちが硫黄島で戦ったことを必ず思い出し、諸君の霊に涙して黙祷してくれるだろう」と語る。今上陛下は平成六年に硫黄島に行かれ、「精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき」という御製を作られた。私たちは、今日の日本が、大勢の人々の尊い犠牲の上に築かれていることをあらためて想起し、戦没者への追悼とともに、日本を、世界平和に貢献し、世界の人々から尊敬される立派な国にしていかなければならないと思う。

※硫黄島については、以前も書きました


えひめ丸事故6年

2007年02月10日 | バックナンバー
*****************
宇和島水産高の犠牲者悼む=えひめ丸事故6年で式典-愛媛
2月10日11時1分配信 時事通信

 米ハワイ沖で2001年2月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜に衝突され、実習生ら9人が犠牲になった事故から6年を迎えた10日、同県宇和島市の同校体育館で式典「えひめ丸事故追想の日」が開かれた。
 全校生徒とえひめ丸教官を含む教職員など計約350人が出席。事故が起きた午前8時43分、引き揚げられたえひめ丸から取り外した号鐘を鳴らし、全員が犠牲者に黙とうをささげた。 
*****************

以下は6年前に書いた記事です。

*****************
えひめ丸(2001年5月)

 ハワイの友人が「えひめ丸」というCDを送ってくれた。このCDは、二月九日、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈んだ漁業実習船「えひめ丸」の事故を悼んで、ハワイ在住のウクレレ奏者ジェイク島袋さんが作曲・演奏したウクレレ音楽である。深い哀悼に満ちた祈りの曲で、心が揺り動かされた。

 この事故では、いまだ九人が行方不明である。

 東京新聞三月一九日夕刊でも報道されたが、この九人という数字は不思議なことに、六〇年前の真珠湾攻撃を想起させる。一九四一年一二月八日の真珠湾攻撃に、「甲標的」と呼ばれる五隻の超小型特殊潜行艇に乗った一〇名の若者が参加した。これは、のちの「回天」のような自殺兵器ではなかったが、生還の可能性が少ない兵器であった。五隻のうち一隻は途中で座礁し、搭乗員の一人は海岸に漂着し捕虜となった。もう一人は遺体で発見された。あとの四隻については行方がわからない。八遺体は今も真珠湾の海底に眠っているのであろう。戦死した九人は、戦意高揚のために、二階級特進を受け、「九軍神」としてたたえられた。すべて二〇代の若者で、最年少は二一才であった。

 この「甲標的」が訓練した場所が、なんと愛媛県の佐田岬半島三机湾であった。湾内の須賀公園には今も九軍神の碑が建っている。

 六〇年前に愛媛県にゆかりの九人の若者が日本のために命を捨て、ハワイ沖で海の藻屑となった。そして六〇年後に、愛媛県にゆかりの九人がハワイ沖で海底に沈んだ。単なる偶然とは思えない不思議な暗合である。

 戦争というものは、ある日突然始まるように見えるが、戦争勃発に至るまでには当然、長い対立の歴史がある。いわば、体の中にたまった膿が表に吹き出る状態が戦争である。真珠湾攻撃は、ペリーの来航以来の日米の積年の葛藤が爆発した出来事であった。日米戦争によって日本は大きく変わり、戦後、両国は緊密な友好関係を築くことになった。九軍神は膿を切り裂くメスの役割を担ったと言えようか。

 今日の日本とアメリカは、世界の二大経済大国として、世界平和実現のために重要な役割をはたさなければならない。しかし、現在の日米関係にはかならずしも円満とは言えない部分もある。とくに東西冷戦終結後、アメリカは世界唯一の軍事大国としての不遜さが目につく。

 「えひめ丸」の事件は、原子力潜水艦が民間人の娯楽のために使われていたことを白日の下にさらした。大金を使ってこのような兵器を保持し続けることが意味あることなのかどうか、日本人ばかりではなく、アメリカ人も疑問視しはじめている。そういう意味において、行方不明の九人は、アメリカに大きな反省を促すために、尊い犠牲になったと見ることもできるのである。
*****************

この年の9月に911事件が起こり、アメリカはテロとの戦争に突入していくことになりました。そのアメリカでも、先の中間選挙で民主党が勝利し、大規模な反戦運動が起こり始めています。アメリカ人が一日も早く目覚めてくれることを祈ります。

本日の真夜中(2月11日午前1時)に、Teleconference形式で全米の平和を祈る
行事が開かれます






現代の聖者(2007年1月号)

2007年02月01日 | バックナンバー
 清水勇氏の新著『ある日の五井先生』は、世界平和の祈りの提唱者、白光真宏会の初代会長である五井昌久師の日常の言行を記録した書物である。清水氏は白光真宏会の青年部長、総務部長、教宣部長を歴任した方で、しかも五井先生のお住まい(会長室)のすぐ近くの宿舎に住んでいたので、五井先生の身近に接する機会が多かった。清水氏の著書からは、五井先生の愛深くて気さくで飾らない人間性が生き生きと伝わってくる。現代の聖者とはこういう人をいうのであろう。

 著書や講演では素晴らしい宗教的真理を説いていても、日常生活では冷酷であったり、金銭欲や権力欲にまみれていたり、自己中心的であったとしたならば、その人は本ものの宗教者とは言えない。その人は、言っていること・書いていることと、行なっていることが分裂していることになる。宗教者は単なる思想家や神学者ではない。予言者や霊能者でもない。全人格をもって神仏のみ心を現わし、実践する人でなければならない。

 聖者というと、何か超越的な能力を示したり、奇跡を引き起こしたり、未来を予言したりするような人を想像するかもしれない。あるいは、常人には行ない得ない自己犠牲的な愛行を想像するかもしれない。もちろん、五井先生にもそういう話題は枚挙にいとまがないほど存在した。しかし、五井先生は普段は、神秘的なことはめったにおっしゃらなかったし、行ないもしなかった。『ある日の五井先生』の中で五井先生は、「わたしほど当たり前の人間はいないだろうね」と語っている。

「当たり前」が世間の人々と同じレベルの「当たり前」では、ただの俗人であるが、五井先生は、仏教的に言えば「一切智」を体得した覚者でありながら、高い悟りの世界から衆生のもとに降りてきて、庶民と同悲同喜しながら、その中で人々を導いた。五井先生は「小聖は山にこもり、大聖は市井に住む」ともおっしゃっていた。

 釈迦やキリストにもない、五井先生の特長の一つは、その明るさとユーモアであろう。晩年の五井先生は、世界の業を一身に引き受けて浄化するために、肉体的には病人のような状態であったが、そのような中でも、自分を「お床の中の男」と称し、いつもユーモアを忘れなかった。そのようなエピソードが清水氏の著書にはいくつか紹介されている。

 筆者も、清水氏ほど頻繁ではないが、五井先生に接する機会があった。五井先生が逝去してすでに二十数年になるが、清水氏の著書からは、五井先生が、在世当時そのままの声と姿で語りかけてくる。五井先生を直接知らない方も、この本を通して、現代に生きた聖者にまみえることができるだろう。

核武装(2006年12月)

2007年01月10日 | バックナンバー
 十月初めに北朝鮮が核実験を行なったために、日本では危機感が高まっている。この機会に一部の政治家は、日本も核武装について議論すべきだ、と発言しはじめた。世間には、核兵器を保有すれば日本の安全保障は万全だ、と信じている政治家や国民もいるようだが、核はそれほど強力な国防手段なのだろうか。

 核兵器が戦争抑止力になるという考えは、「相互確証破壊」という観念に基づいている。これは、一方の核保有国が相手国に対し核ミサイルを発射した際に、相手国がそれをすぐに察知し、直後に核で報復することである。つまり、一方が核を使えば、相手も使い、最終的にはお互いが必ず破滅するので、両方とも核が使えない、という理屈である。これを「恐怖の均衡」ともいう。この観念が想定対象としているのは、米・露・中という互いに遠く離れ、核兵器を各地に分散配備できる広大な国々である。

 これに対し、北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射すると、わずか七~八分で到達するという。現在の技術では、これを途中で迎撃し破壊することはできない。核攻撃を受けたあとでも、日本に核ミサイルが何基か残っていれば、日本は北朝鮮に核報復することができる。ただし、東京や大阪のような人口稠密地をかかえる日本のほうが、その被害ははるかに大きい。北朝鮮の指導者が核戦争を決意した場合、日本のほうが大損害をこうむるのである。日本が自国の安全を確保しようと思えば、日本が先に大量の核ミサイルを撃ち込んで、敵国民を全滅させねばならないが、そんなことは人道上許されない。日本が核を持てば、北朝鮮は日本の先制攻撃を恐れ、自分から先制攻撃をしかけたいという心理に駆られるかもしれない。つまり、日本と北朝鮮のような国土が小さく、距離が近い国々の間では、相互確証破壊が機能せず、逆に核戦争の危機が高まる場合がある。

 もし日本が核武装したら、韓国も核武装することは目に見えている。日本と北朝鮮の間で起こることは、日韓の間でも起こりうる。東アジアに核兵器が拡散し、核戦争の危険性が高まる。

 さらに核実験の問題もある。日本はどこで核実験をしようというのであろうか。海上で行なえば、海を汚染し、魚が食べられなくなる。世界有数の地震国である日本で地下核実験を行なえば、大地震を誘発する可能性もある。いずれにせよ、核実験や核戦争は最大の環境破壊、地球に対する犯罪行為である。

 そこまでして、膨大な費用をかけて、使えない兵器、使ってはならない兵器を保有して何の意味があるのであろうか。唯一の被爆国である日本はむしろ、全世界的な核廃絶を通しての平和建設の道を模索すべきなのである。

世界宗教者平和会議(2006年11月号)

2006年12月01日 | バックナンバー
 八月下旬に京都で第八回世界宗教者平和会議世界大会が開かれた。この平和会議は、日本の宗教者が世界の諸宗教の代表者に呼びかけて発足したもので、第一回も一九七〇年に京都で開催された。不定期に四~五年に一度、世界各地で開催されてきたが、今回は三六年ぶりに日本での開催となった。

 今日、世界各地で多発している紛争の原因の一つが宗教対立にあることは否定できない。九・一一事件以降、キリスト教・ユダヤ教世界とイスラム教世界との「文明の対立」が激化している感がある。宗教は本来、人間の心の中に平和を築き、平和世界の建設に貢献するべき活動であるはずなのに、残念なことである。そのような時に、様々な宗教の代表者がともに世界平和を目指して一堂に会して話し合うということは、たいへん有意義なことだと思う。

 ただし、「平和会議」となると、平和を阻害している具体的な問題の解決がどうしても話題の中心になりがちである。今回の会議でも、「紛争予防」「武器拡散、軍縮、安全保障」「暫定的公正と人権」「子供とHIV/エイズ」「貧困撲滅」「環境」などの問題について分科会が開かれた。いずれも重要な問題ではあるが、宗教者の会議で具体的な成果を得ることは困難であろう。とくに日本の宗教者は対社会的な実践活動が苦手である。会議の日本関係者は、「正直言って、議論への積極的な関与は難しい。命の危険と隣り合わせの国から来る宗教指導者が多い中で、平和に慣れきってしまった日本人が議論をリードするのは無理だ」と述べたという(毎日新聞)。実際、日本の宗教者の影は薄かったようだ。海外の代表者は、「広島・長崎の被爆を経験した日本の宗教者は、平和を追求するうえで特別な役割を果たす」と何度も述べたが、これに対して日本の宗教者はまともな応答ができなかったのである。

 しかし、日本の宗教者は本当に世界の宗教界に対して何も提言できないのだろうか?

 白光真宏会の前会長である故五井昌久師は、第一回会議の日本代表の一人であった。五井師は会議で、「宗教者の役割は政治や経済の問題の解決ではない。宗教者の本分はあくまでも、そういう問題を生み出す人間の心の問題の解決である。様々な宗教が対立を超えるためには、誰もが納得できる世界平和を希求する共通の祈りを定め、ともに祈ることが必要だ」と提案した。この提言は今日ますます重要である。祈りは単なる心弱い願望ではない。人類の集合的意識を変える強力なエネルギーの発振である。まず日本の宗教者が、宗教の違いを超えてともに世界平和を祈る姿を世界人類に模範として示すべきであろう。

皇室の慶事(2006年10月)

2006年11月02日 | バックナンバー
 九月六日に秋篠宮様ご夫妻に親王様が誕生された。皇太子殿下、秋篠宮様に次ぐ、第三の皇位継承権者の誕生である。

 皇太子殿下には愛子様以外、お子さまがいらっしゃらないし、第二子誕生の可能性も小さい。そこで、女性にも皇位継承を認めるように皇室典範を改定すべきではないか、という議論が起こり、首相の私的諮問機関が、女性や女系にも皇位継承を認める意見を答申した。ところが、その直後に紀子様ご懐妊の報があり、国会での皇室典範改定の議論はペンディングになった。そして今回の男のお子さまの誕生によって、この問題の議論は当分遠のくことが予想される。

 しかしながら、現在の皇室に今後も必ず男子が生まれつづけるという保証はどこにもない。皇位継承を男系男子に限定しているかぎり、いずれまた皇統断絶の危機が起こることになる。皇位継承の問題は今後も国民各界がよく議論して、皇室の伝統とも調和させながら、国民的合意を形成していく必要がある。

 歴史的には帝政や王制の国は決して少なくなかった。というよりも、過去の政体はほとんんどすべてがそうであったが、敗戦や革命によって、近代に多くの帝室や王室が消滅した。皇帝や王は強大な権力を握る政治的存在であったから、国内外の政治情勢の変化によって打倒されてしまったのである。日本の皇室は、武家政治の中で政治的権力を失い、権力とは遠い立場にあったことによって、そのような変動をまぬがれることができた。皇室が、数千年の歴史を乗り越え、しかも未曾有の敗戦にもかかわらず、現在も存続しているということは、一種の奇跡である。語弊のある言い方になろうが、いわば「世界遺産」のような貴重な存在であり、それだけでも維持してゆく価値がある。一国の経済力や軍事力はごく短期間でも獲得することができるが、長年の歴史と伝統は一朝一夕では形成されないのである。

 今回の親王様御誕生は、日本国内で大きな慶びをもって歓迎されたばかりではなく、世界各国でも大々的に報道された。日本の皇室だけではなく、世界の王室も何かと人々の話題と注目の的になる。民主主義という政治理念においては、人々の間には生まれによる貴賎の差別はあってはならないことになっているのだが、人々の心の中には、皇室や王室を崇敬したり憧れたりする気持ちが相変わらず働いているようだ。

 王室が残っている大部分の国でも、王はかつてのような権力者ではなく、立憲君主である。とくに日本の皇室は国民統合の象徴として重要な役割を演じている。日本人は今後、皇室を中心に心を一つにして、日本を世界平和に貢献する立派な国にしていかねばならない。


靖国神社(2006年9月号)

2006年10月07日 | バックナンバー
 七月二〇日の日経新聞の朝刊に、元宮内庁長官の富田朝彦氏の手帳に記された昭和天皇のお言葉が報道された。

「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

 インターネットや週刊誌では一時、メモ捏造説や、この発言の語り手は別人(徳川侍従長)だという説も流されたが、様々な検証によって、このメモが昭和天皇のお言葉を反映していることは確実だと見られている。昭和天皇は、一九七八年に松平永芳宮司が、松岡洋右元外相や白鳥敏夫元駐伊大使を含むA級戦犯一四名によって靖国神社に合祀されて以来、靖国参拝を取りやめたというのである。

 A級戦犯というのは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で「平和に対する罪」で有罪とされた政治・軍事の指導者たちである。この裁判は事後立法であり、また戦勝国側の戦争犯罪(たとえば原爆投下)が裁かれていないという不備がある。裁判官の一人、インドのパル博士は東京裁判を否定している。松平氏は、日本の戦争は邪悪な戦争であった、という「東京裁判史観」否定論者であり、合祀によってA級戦犯とされた人々の名誉を回復しようとしたのであった。

 一般の戦没軍人を追悼することに異論を唱える人はいないし、明治以降の歴史の中で、靖国神社はそのような場として日本国民の間に定着してきた。しかし、A級戦犯が合祀された靖国神社への政治家の参拝をめぐっては、毎回のように国の内外から様々な意見が寄せられ、神社への参拝が、純粋な祈りからはずれ、政治的な論争のテーマとなってしまったことは残念である。

 昭和天皇がA級戦犯合祀以来、靖国神社参拝を取りやめたのは、それが戦前の軍国主義を肯定し、戦後の平和主義を否定することにつながると危惧されたからではないかと思う。天皇は、一九八八年四月の最後の誕生日記者会見で、

「何と言っても、大戦のことが一番いやな思い出であります。戦後国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後共そのことを国民が良く忘れずに平和を守ってくれることを期待しています」

 と語っている。

 靖国神社を政治的論争の場とするのではなく、国民一人一人が戦没者に平和の祈りを捧げる場とするためにはどうしたらよいか。私どもには、昭和天皇の遺言を深くかみしめ、知恵を出しあい、国民的合意を形成していく責務がある。

日本沈没(2006年8月)

2006年09月02日 | バックナンバー
 『日本沈没』が映画化された。これは作家の小松左京氏の同名のSF小説の二度目の映画化である。最初は一九七三年であるから、それから三三年ぶりのリメイクということになる。

 筆者も若いころこの映画を見たが、日本の沈没の様子がかなりリアルに描かれていた。これは、数百万年、数千万年のタイムスケールで日本列島に起こる変動を、二年という短い期間に縮めて描いた事象であるという。映画には、地球物理学の専門家・竹内均東大教授も出演して、日本列島近辺の地殻構造について科学的に解説してくれた。プレート・テクトニクスという専門用語が一般に知られるようになったのも、そのころからではないかと思う。

 当時の日本は石油ショックの影響もあり、極度の物価高に見舞われ、戦後の高度経済成長にもようやくかげりが見え始めていた。日本人の多くは、日本の将来に漠然とした不安を感じ始めていた。そういう世相に合致したためでもあろうか、『日本沈没』は小説も映画もたいへんなヒット作になった。しかし、大部分の観客はこの映画を、想像力が描き出した、実際には起こりえない架空の出来事として観ていたと思う。

 しかしその後、阪神大震災が起こり、またスマトラ沖大地震・津波が起こり、日本沈没とまではいかなくとも、大きな自然災害が起こりうることが人々の意識にのぼってきた。地震学者は、関東地方や東海沖や南海沖で近い将来、巨大地震が起きる可能性を指摘している。原子力発電所、貯油タンク、新幹線、高速道路、ガラスを多用した高層ビル、自動車といったものに取り巻かれている日本の社会は、いったん大地震に見舞われれば、想像を絶する災害を被る可能性がある。

 今日の地震学では、地震は地殻プレートの動きや断層のずれなどで起こると考えられている。もちろん自然現象としてはそうである。しかし、人間の活動が自然界に大きな影響を与えていることも忘れてはならない。急速な温暖化は地球のバランスを崩している。大規模な自然破壊や核実験や戦争が地球に多大の悪影響を与えていることは言うまでもない。さらに、これはまだ今日の科学的常識には入っていないが、人間の想念は一種のエネルギーとして地球に影響を及ぼしている。その想念エネルギーは争いに満ちた不調和なものであるので、地球はそれによって地殻内部に不調和なエネルギーをため込んでおり、それが解放されるときに、地震が起こるとも考えられるのである。地震対策を進めることはもとより大切だが、それ以前に、人類が自然破壊をやめ、地球という生命の母に日々心から感謝を捧げることが、地震を小さくすることにつながるのである。

ユダの福音書(2006年6月号)

2006年07月15日 | バックナンバー
 今から一七〇〇年ほど前に作成された「ユダの福音書」という文書が解読された。これは、十三枚のパピルスに、古代エジプト語であるコプト語で書かれた文書で、ギリシャ語からの翻訳である。

 ユダというと、イエスの十二弟子の一人でありながら、イエスを裏切ったことで有名である。新約聖書はユダを、悪魔の唆しによってイエスを売った人物として描いている。ところが「ユダの福音書」では、ユダは、イエスの指示に従ってイエスを官憲に渡した、イエスに最も忠実な弟子とされている。イエスはユダに向かって、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と語り、ユダをほめたたえているという。

 この記述には、典型的なグノーシス思想が見出される。グノーシスは、キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想で、キリスト教とはライバル関係にあった。グノーシスは「反宇宙的霊肉二元論」と要約することができる。人間存在を霊と肉からなると見る点ではキリスト教と類似している。キリスト教ではイエスを神の子として特別存在とするが、グノーシスは、万人の中にイエスと等しい神の光が宿っており、霊的な知識(グノーシス)によって、自己の解放に至ることができるとする。また、キリスト教では創造神は善であり、悪は人間の原罪に由来するとするが、グノーシスはこの世と肉体を悪なる神によって創造された牢獄であると見る。したがって、グノーシスは現世否定的な面が非常に強い。

 「ユダの福音書」でイエスがユダに向かって語った言葉は、イエスが「真の私」とそれを包む肉体を区別し、イエスの肉体からの解放を手伝った点でユダをほめたたえているが、これはまさにグノーシス的である。イエスはおそらくそういうことを語らなかったとは思うが、「ユダの福音書」がユダの裏切りに新しい解釈を加えているのは面白い。

 五井先生は『聖書講義』の中で、ユダはユダなりにイエスをメシアと信じていた、と述べている。ユダは、「我が師イエスにとっては、如何なる難病も癒されるのであり、如何なる天変地異も静められるのであり、如何なる軍隊が押し寄せてきても、これを壊滅させることができるのである」と信じ、イエスが奇跡を起こすことを期待して、イエスをユダヤ教の指導者やローマの官憲に売り渡したのだという。しかし、イエスはあくまでも自己犠牲による人類の救済を優先して、奇跡力に頼らなかった。

 ユダを単なる守銭奴や悪魔の手先とする解釈は皮相的である。「ユダの福音書」がユダの真実を解明するきっかけになれば、キリスト教にとっても有意義なことであろう。

復活(2006年5月号)

2006年06月01日 | バックナンバー
 四月四日に日本テレビ系列で放映された「たくさんの愛をありがとう」というドラマは、先間(さきま)敏子さんという方の同名の本(ごま書房)に基づいている。

 スクールカウンセラーをしていた先間さんは、五〇歳ころ、突然、足に激痛をおぼえた。病院での詳しい検査の結果、ユーイング肉腫という特殊な病気であり、余命一年と診断された。こういう告知を受ければ精神的なショックは大きい。先間さんも最初は落ち込んだようである。また、手術や放射線や抗ガン剤などの治療はたいへん苦しかったようである。にもかかわらず、先間さんは常に明るく前向きに、残されたいのちを生ききった。その勇気ある生き方が周囲の人々に深い感銘を与え、本の出版、そしてテレビドラマ化へとつながったのである。

 ドラマでは描かれていなかったが、先間さんの根底には強い信仰心があった。鹿児島県に生まれ育った先間さんが子どもの頃から心の支えにしたのは、「川辺の神様」と呼ばれる老人であった。この方は悩める人々の相談相手になり、多くの人を救っていたいう。先間さんはこの「神様」についてこう述べている。

 「順番がきて、対座すると、妙に気が落ち着き、安らかさを取り戻すのです。耳は不自由ですが、心眼、巌も通す神通力を持った仙人のような方でした。おじいさんは、最後にいつも言いました。《あいがとうごわっすと感謝しやはんせ。そいで物事は必ず解決しもっす》」

 先間さんは、苦境や病気の中にあっても常に感謝の心を持つことによって、それを乗り越えることができた。そしてやがて、世界平和の祈りを知った。

 「国連に加盟している国の名前を一つひとついい、各国の平和を祈るのです。合掌して、二百に及ぶ国々の平和を祈るうちに、なんだか涙が出てきて、止まりません。川辺の神様の合掌と祈念でずいぶんエネルギーをいただきましたが、自分の祈りもまた天に通じて、世界に通じるのだと、実感した瞬間でした」

 日常生活の中でも世界平和の祈りを祈るうちに、先間さんの心は次第に穏やかにやさしくなった。

 不治の病になっても、先間さんが不動心で、常に家族や教え子への思いやりを失わないでいたのは、霊としての自己の生命の永遠性を確信していたからに違いない。

 「人の幸福を祈ることは、自らもまた素晴らしい幸福感に包まれることでもあります。その朝の心からの長い祈りで、私のあらゆるものに対する執着は、拭い去られたような気がして、爽快でした。なぜか手帳に《復活》という文字を書き記しました」

 先間さんは、肉体を脱ぎ捨て、霊の世界へと復活したのである。

えほんのくに(2006年3月)

2006年04月01日 | バックナンバー
 今年五月二十、二十一日、絵本に関する様々なイベントを展開する「南阿蘇えほんのくに二〇〇六」という行事が、熊本県で開催される予定だ。

 熊本県といえば、絵本作家・葉祥明氏の出身地である。阿蘇山のふもとには美しく雄大な風景が広がるが、葉さんの絵に出てくる自然は、この南阿蘇が原点なのだろう。葉さんは数年前、この地にご自分の「葉祥明阿蘇高原絵本美術館」を建設した。この美術館もイベントの会場の一つである。

 絵本はもちろん子供のための本である。子供とは大人より劣った存在ではない。筆者自身や筆者の子供の生育を振り返ってみても、未知なものに接したときの驚きや感動は、幼かったときのほうがはるかに大きかったような気がする。また、人々や動植物に対する思いやりも、子供のときのほうがずっと純粋であったかもしれない。

 絵本は、絵と言葉を通して、子供の心に働きかけ、感受性を育てる。大人でも、そういう絵本をながめているうちに、自分の中に、忘れていた子供の感受性が、また浮かび上がってくることがある。葉さんの絵本の世界をそのまま建物にしたような美術館を訪れると、今まで悩んでいた問題が解決したり、肉体的な痛みが軽減したりする人もいるという。それは、ストレスでがんじがらめになっていた大人が、子供のような素直な心を取り戻したからではないだろうか。

 葉さんの絵は、美しいだけではなく、スピリチュアルで不思議な雰囲気が満ちている。葉さんは、クジラを描くときはクジラの気持ちになり、イルカを描くときにはイルカの気持ちになるという。

 そして、葉さんはまた詩人でもある。葉さんは、

 「〔ある時から〕言葉そのものが、ふっと思い浮かぶというか、どこからともなくやって来るようになったのです。例えば、《あなたは今日微笑みましたか、喜びを感じましたか、優しい心になれましたか、美しいものに心を向けましたか》というように。それがやって来るのはどんな時かというと、仕事が忙しい時、人間関係で悩んでいる時、ローンを負担に感じている時などの辛い時でした」

 と述べている。霊的に言えば、この言葉は、人間を背後で守っている守護霊のメッセージであり、本心・真我のひびきであろう。

 「お金がすべて」という風潮の今の世の中では、微笑みも喜びも優しさも、無価値なものとしてかえりみられないことが多い。しかし、それらのない人生は、なんと無味乾燥で、殺伐としたものだろう。葉さんの絵本は、「美しいもの」を通して、柔和でうるおいある心をよみがえらせてくれるのである。